Zakkaya Weekly No.373
Ryo Onishi                                      7/6/2003

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新技術や話題がいっぱい詰まった携帯電話は日本をはじめ世界の経済を活性化する商品だと思います。しかしそれを使用する人たちのモラルには問題がたくさんあるようです。時、場所に関係なく、大きな声で通話している人、自動車や自転車の運転中に通話している人、最近は携帯のカメラを使い本屋で記事を写していく盗人みたいな人がいるようです。これって日本だけの問題なのでしょうか?(R.O.)

日 本 訪 問 記 (その4)日米関係150年

私はここ数年、毎年5月中旬から日本へ行くことを恒例としており、今年も5月14日にロサンゼルスを発ち、6月初旬までの3週間余り日本に滞在しました。

日本滞在中の一日、私は母校である横浜国立大学を訪れました。この大学の経済学部には私の後輩の一人が教授の職にあるので、私は年一回だけ彼のゼミの学生たちに日米関係、アメリカ事情等について話をさせてもらっています。今年は米国のペリー提督が浦賀へ来航して満150年目の節目になる年であり、また、日米関係にとっても重要な時期であるので私も話に熱が入りました。

1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、ペリー提督率いる4隻の巨大な「黒船」艦隊が浦賀沖に現れ、アメリカ第13代大統領ミラード・フィルモアからの親書を浦賀奉行を通じて幕府に渡し、鎖国体制下の日本に開国を迫まりました。

その結果、翌年の1854年3月に再来航したペリーと幕府の間で日米和親条約(神奈川条約)が締結され、更に日米修好通商条約(1858年、安政5年)へと続き、ここに長い日米関係がスタートすることになったわけです。

日本は日米和親条約に引き続き、イギリス、ロシア、オランダの3国とも同じような条約を結ぶことになり、鎖国という重い扉を大きく開くことになったのでした。

私は以後の日米関係史は、ある意味で「不平等条約とその改善のための歴史」だと理解しています。これは決して対米敵対意識の喚起を促す意図でそう言っているのではありません。国際関係とはそういうもので、決して対等の関係ではありえないのが現実なのではないでしょうか。

最初の日米修好通商条約にしても日本側には関税自主権がなく、また米国側に治外法権を認めるなどの不平等な条約となっています。

しかしこれで日本としては広く外国との交易が始まり、西洋技術の導入の糸口がつかめたと評価が出来ましょう。

その後、日本は米国(または欧米)との格差を縮めるため国を挙げて努力するわけですが、敗戦という屈辱にもみまわれ、その後の対米不平等は程度の差さえあれ、相変わらず存在していると見るべきでしょう。

私たち日本はこの現実を素直に認め、今後の日米関係を考えるべきだと思います。現状の日本は米国抜きでは通商、安全保障上その存立は考えられません。同時に米国も今や日本抜きでは国家の存立がありえません。

不平等ではあっても、日本は少なくとも米国の属領ではないのですから、日本の国益を守り、同時に国際社会の一員として相手が米国であっても言うべきことはきちんと言う関係がこれからの日米関係ではないでしょうか。

困った時に助けてもらうだけでなく相手が困っていることがあったら助けてあげる、そんな相互依存が理想だと思います。
 
日米関係史に興味を持つ私は今回の日本滞在中にペリーが来航した下田と、上陸した久里浜をぜひ訪れたいと計画していましたがスケジュールの都合で行けませんでした。その代わり神奈川へは行ってきました。

 神奈川は日米修好通商条約が結ばれた結果、開港地の一つに指定されたところ(実際は横浜が開港した)であり、開港当時アメリカ領事館にあてられた本覚寺をはじめ、甚行寺(フランス公使館)、慶運寺(フランス領事館)、長延寺跡(オランダ領事館)、浄龍寺(イギリス領事館)、宗興寺(ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士の施療所)、成仏寺(アメリカ人宣教師宿舎)などが軒を連ねているところです。

同時にここはかつて「東海道53次」の宿場であり、往時をしのばさせる歴史の道です。

現在のJ.R.東神奈川駅(京浜急行の神奈川新町、仲木戸、神奈川駅)周辺のあたりで、現在でもここに「神奈川宿歴史の道」が設定されており、横浜市神奈川区役所発行の立派な無料パンフレットが用意されています。私はこの資料を案内人代りとしてこの「歴史の道」を半日かけて辿り巡ってきました。

開港当時は眼下に青い海を見下ろせたであろう高台にある本覚寺では、「史跡、アメリカ領事館跡」と刻まれた石碑を横に見ながら山門をくぐり、本堂建物の横から更に坂を登って墓地まで一巡りしてみましたが、ひと一人すらいない静かで閑散とした風情でした。

すぐ下を走る東海道線や京浜急行の喧騒からも殆ど無縁な境内で、日米150年の歴史に想いを馳せる私に小鳥の声だけが時々聞こえました。   
河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言 えぇ〜、お笑いを一席!

笑いの絶えない人生だと思い、感謝する。これは私に限ったことでなく、皆一様に、そうだと思う。笑いの大小、形や種類に関係なく、私たちの毎日の生活には、お笑いの種がいっぱいだ。今回は、恥をシノンデ、お笑いをシェアーしてみたい。

「O157」物語

1月*7日が誕生日の母が、暗証番号をそれに合わせていた頃の話。ある時、暗証番号を何度入力してもエラーが出現、ついにキックアウト。帰宅後よくよく考えた母は、やっと解答にたどりついた。必死に入力していた番号は自分の誕生日ではなく、「O157」だった。その頃日本中は、TVが、新聞が、「O157」で大騒ぎ。母は自分の誕生日を忘れる程、頭は「O157」に洗脳されていた。今だから笑える73歳の可愛い失敗。

汚職事件物語

知人である某市市長が汚職事件で逮捕され、大騒ぎになった時のこと。当時小学生だった姪が言った。「ねえ、どうして市長さんは、お食事券を貰ったら逮捕されるの?」と。私の最愛の姪、有紀(ゆうき)も今は22歳。私によく似ているという評判の美女青年である(笑い)。多分、こんな間抜けなところも私に似ているかもしれない。

ウォッシュレット物語

当時、米国規制により全米ではウォッシュレット使用が許可されていなかった。米国から来日した米国人に「これを使うと気持ちいいですよ。ご用が済んだら、ここのボタンを押して使ってみてね」と説明した。なかなかトイレから出てこないその米国人。やっと出てきた彼は、頭からズボンまでびしょ濡れだった。どうも彼は、ご用が済んでベルトも絞めた後、便器に向かいあってボタンを押したらしい。よって水は彼のお尻ではなく顔を直撃し、水も滴るいい男に変身。「オー・シリマセンデシタ!」と言いながら出てきた彼は、天才的な言語学者であった。

門前番物語

新宿に住む71歳の叔母は、スポーツ観戦が大好き。そんな彼女が、日本サッカーティームの素晴らしさを私に説明してくれた。「なんといっても、あの『門前番』がうまいのよ。凄いわよ」と。「その『門前番』ってなんなの?」とたずねたたら、「ほら、あの網の前で番をしている人よ」っと。サッカーファンの彼女にとって『ゴールキーパー』だろうが『門前番』だろうがどっちでもいいのである。要は、日本ティームは凄いということを伝えたいのだ。

新幹線物語

新幹線で隣に座った同僚が、何度もシートを突然リクライニングにし、しかも自分のシートなのに、目をパチクリさせている。それがおかしくて私はケラケラと大声で笑い「**さん何やってんの、おかしいよ」と。それに応えて同僚が「さくらさん、そのボタンは、僕のなんです」と言った。私が自分のだと思い込み何度も押していたのは、彼のシートのリクライニングボタンだった。「どうりで働かないと、不思議だったのよ」と、出張の疲れも吹っ飛ぶお笑いだった。

カード物語

JRのカードが、自動改札機で何度もはじかれた。とうとう窓口へ行き「すみません、機械がこれを受け取ってくれないんです」と言った。係員はキョトンとしていた。思わず、「私の日本語ヘンですかね?」と訊ねた。係員はつれなく答えた。「お客さん、これはテレフォンカードです」と。恥かしかった。

逆さま別れの時物語

昔、付き合った彼と会って別れるのが辛かった。とても可愛い時代の話。私を乗せた電車の窓に、イルカの「なごり雪」をも思わせるかのようなシーン。「じゃあまたね」と、言い合いながら、別れを惜しむ、、、私は電車に乗る。ドアが閉まる、、、彼の声が聞こえなくなる、会話は手話に代わる、電車が動き出す。まるでドラマのシーンだ。丁度その時、私は悲鳴を上げる、、、「逆方向の電車に乗ってしまった!」と。嘘のような本当の話。私たちの人生も、それぞれ別の方向へ向かう電車に乗ってしまった。

一人ぼっちの防犯訓練物語

31階建てのビルの23、29そして30階に弊社のオフィスは点在している。エレベーターを待つのが億劫な私は、自分の居る30階から29階へのアクセスは階段で済ませることにしている。ところがある日、階段からオフィスへのドアが開かない。通常21時以降は緊急時以外ロックがかかる。つまり、階段へ入れるが、フロア-には出れないのである。私は30階から地下1階までを、グルグルテクテクと降りるしか選択の余地なく、一人で火災訓練をした気分であった。頭も心のクルクルパーになった真夜中だった。

アンサンブル物語

朝、エレベーターを降りたところで、気がついた。スカートの下からでているパジャマのズボン。いかに色々ありの近代ファッションでも、パジャマとスーツのアンサンブルはちょっとねえ。ある早朝のバスの中で気がつき、思わず声をあげた、左はヒール、右はサンダル。足を患ったふりをして、バスを降りた恥かしさ。朝はモンスターのさくらだ。

「お邪魔しました」物語

我家でホームパーティをしたある日。友人の一人が遅れてやってきた。彼曰く「隣のうちに居た」と。隣の老夫婦のお部屋へ「こんにちは、みんなはまだですか」と上がり込み、ソファーに座って話し込んでいたが、何だかヘンだと思い名前を聞いて飛び出した。上階に外資系に勤める息子夫婦が居住しているこの老夫婦は、きっと息子のパーティのひとだと勘違いしたらしい。なんとも平和な東京の縦長屋である。友人は、「お邪魔しました」と隣家へいいながら、「お邪魔します」と我家へたどり着いた。

さてさて「思い出し笑いをする奴はすけべぇだ」と、聞いたことがある。私は時々、自分や友人を想いだし、こうして笑ってみるのである。すけべぇなのかもしれない。そんな一日もたまにはいいものだ、と、想いだし笑いの独り言。
sakuratsubomi@earthlink.net
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川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

しやぁないと父の頑固も歳を取り

一匹と二人隣もお向かいも

ユニクロの揃いで夫婦歩合わせ

コツコツの音で夫婦が積む積み木

年輪の歪みも同じ夫婦杉

( ニュースやぶにらみ )

「不肖の息子」
脱税で顔を覚えられた  −本田博俊

「10月解散説」
今年は夏より秋の方が暑くなりそうだ −永田町

「右へならえ」
右を向いたらブッシュ大統領がいた −特措法

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

レストラン案内 「牛角 Torrance」――日本の人気とおいしさをそのまま
24631 Crenshaw Blvd. Torrance CA 90505 Tel 310-325-1437
週7日営業 月−木 5:00pm〜11:00pm 金、土 5:00pm〜12am 日5:00pm〜10:00pm

その数600店以上、日本全国に店舗展開する焼肉レストラン「牛角」のトーランス店が6月にオープンした。海外では5番目、ロサンゼル地域では3番目の店となる。

日本で培ってきた味やサービスを、トーランス店でもそのまま提供したいと、スタッフ一同張り切っている。日本の「牛角」と同様、「おいしい肉、おいしい料理をもっと楽しく味わえたら」をモットーに、商品力、サービス、気配り、雰囲気、健康、清潔の全てを常に心がけている。

焼肉グリルで使うのはガスではなく炭。炭火で焼くと赤外線の働きで外はカリッと、中はジューシーに焼き上がる。また、タレも日本で使うオリジナルタレを取り寄せており、「タレ」「みそ」「塩」の3種類が選べる。

牛肉の人気メニューは、名物と言われている「塩ダレカルビ」(5.25)、あっさりとした「牛タン塩」(6.95)、横隔膜の下の肉「ハラミ」(4.95)など。豚肉でおいしいとおすすめなのが「ピートロ」(5.95)。ピートロとは豚の首肉のこと。なぜピートロかというと、肉の霜降りの具合がトロに似ているから、ピッグのトロでピートロと言うそうだ。

おつまみでは、香ばしい韓国のりとまろやかなクリームチーズがよく合う「韓国のりのクリームチーズ添え」(1.99)が人気。キムチでは「盛り合わせ」(4.50)がおすすめ。サラダの一番人気は「牛角サラダ」(5.95)。レタス、キャベツ、大根、トマト、キュウリ、卵を味噌辛子ドレッシングで食べる、食欲が刺激されるサラダ。

ご飯では「石焼ビビンバ」(6.95)をフーフー言いながら食べるのもおいしい。麺類では「冷麺」(5.50)がおすすめ。最後に忘れてはならないのがデザート。どら焼の皮にあんことアイスクリームを挟んで食べる「どら焼アイスクリーム」(4.25)が人気。

和風モダンのインテリアの中で、日本の焼肉を家族や仲間と楽しみたい時にはおすすめの店。

現在アルコールライセンスを申請中のため、アルコール類はまだないが7月中旬にからサービスの予定。それまではアルコール類の持ち込みができる。また、アルコールサービス開始と共に7月いっぱい、生ビールを1ドル99セントで提供する。
さっか あきこ  akikosk@sbcglobal.netbut_up.gif (232 バイト)

 

成岡流お酒の楽しみ方 
富久錦蔵見学顛末記と正義櫻の田植え

二次会は大田酒造の大田雅美さんを囲んで
みゅーじあむファンクラブ 清 水 吉 明
館 長  成 岡 卓 翁
 6月は何かと忙しかった月。中でも兵庫県加西市にある『富久錦』大好きのお客さんの発案で、季節はずれの蔵見学が実施された。今回もみゅーじあむのお客さんで、呼びかけ人の清水吉明さんに、顛末記を書いていただき、後半は恒例の正義櫻の田植えに22日岡山市上道町まで行って来ましたので、そのレポートです。

・・・地米酒 富久錦 天下の美酒

 加西の純米蔵『富久錦』は、姫路からバスで四十分ほどの山あいの町にある。酒造好適米『山田錦』の産地、吉川町や東条町の西に位置しており、もちろん加西も山田錦の産地である。
富久錦で使用する米は全て加西産で、そのうち六割以上が減農薬有機栽培米。その米を育てた水で酒を醸すという、何とも贅沢な話だ。
 地域密着型酒蔵は、段ボールなどの資材、配送、マークやラベルのデザインなどをすべて地元でまかなっている。特にシンボルマークはデザイン界の権威「ABC年鑑」にも載ったと聞く。センスの良さを引き立てている。
 平岩弓枝氏は随筆「水曜日、のひとりごと」(文春文庫)で富久錦の雫酒を『天下の美酒』と呼び絶賛していた。このエッセイに惹かれて加西まで地図を持たずに車を走らせたのが六年前。当時の富久錦のパンフレットには、そのエッセイが載っていた。
 一昨年に貯蔵用の蔵を改築して開いた「ふく蔵」の二階では、富久錦の純米酒とこだわりの肴を愉しむことができ、蔵人に接する機会も増え、富久錦がますます身近になった。

「ふく蔵」に行こう?!

 今年二月、高槻市の清鶴酒造の蔵見学に参加させてもらった折、「三月に富久錦の蔵開放に行きませんか」と声をかけた。三名の方が同行され、また行きましょう、ということに。その機会が六月の第二土曜日に決まったのは、五月に入った頃だったかな。最初は十人位で、列車を乗り継いで行こうかと話していた。
 館長に美味しい肴で富久錦のお酒が飲めるところに行きませんか、とお誘いしたところ、アッという間に話が大きくなり、三十名ほどの参加者が集まってしまった。
 そのうち八割が女性ということで、館長ファン、日本酒の好きな女性が多いと喜んだ館長。大きくなったのは貸切バスも同じで、四十人乗りの豪華サロンバスを借りての大々的なイベントとなってしまった。

さすがみゅーじあむファン

 当日は生憎の雨。バスの中は懐かしの遠足風景。みゅーじあむファンクラブはみな無邪気で、お酒を飲まずして大騒ぎ。西宮で仲間が増え、さらにヴォルテージUP。
 富久錦に着いて、さあこれから蔵を見学!というのに、ふく蔵一階売店でいきなり試飲のボトルに手が伸びる皆さん。「純米酒で漬けた梅酒が美味しいでしょ!」といった?酒評が飛び交う。
 別棟の酒蔵に案内された私たちは、蔵の歴史を感じさせる建物内部や酒造りの機器類を目にして、時期はずれでしたが、充分雰囲気は味わえました。もう一度新酒のできる頃に来ましょうと約束していよいよ食事。ふく蔵二階は太い梁が通った、蔵の雰囲気を活かした造り。その奥で紀州備長炭の炙り焼料理(干物、野菜、あなごなど)をメインに、ローストビーフ、おぼろ豆腐、生麩の田楽、和え物、煮物、松前鮨、そして真打は純米酒粕の粕汁、糀のアイスクリーム。
 今回出てきたお酒は六種類。食前酒にライスパワーエキスの入った米米酒。8%で甘いのが苦手と言われた方も。これこそ「酒は百薬の長」なのだけど…。他は大吟醸平成二BY(この当時はアル添をしていた)、雫酒(山田錦四十%)、瑞福(山田錦四十%)、播磨路生酒(山田錦五十%)、夢たまゆら生酒(根
日女のかがやき六十%)。お酒の諸元ではなく、飲んでみた感想を喧々諤々と語るあたりは、さすがみゅーじあむファンクラブの日本酒通の方たち。全くお酒が飲めない方が5名ほど来られていた。日本酒の美味しさを知っていただくにはいい機会だったと思うが、いかがでしたかな。

憧れの稲岡会長が挨拶

 富久錦の哲学は、稲岡輝彦会長抜きには語れない。また、その哲学に陶酔しているからこそ、今回の蔵見学ツアーという機会に稲岡会長のお話を伺いたかった。ご多忙の折に無理をお願いして、お話を聞くことができたことをとてもうれしく思っている。
 「地元の米、水、人によって醸し、地域の人に愛される『地米酒』を目指しております。また、お客様に安心して飲んでいただけるお酒を提供するため、地元の契約栽培米を使い、アル添を一切行わないオール純米醸造を行っております。間もなく、普通酒や本醸造酒を日本酒、と名乗れなくなります」と会長。
 アル添を止めることで吟醸香を競う鑑評会金賞からの名誉ある疎外と引き換えに「安心して飲める美味しい酒を造る」ことを実現された稲岡会長の哲学には、日本酒業界への先見の明があったのだ。穏やかに話をされた稲岡会長の日本酒への思い入れは、参加者の皆さんの五臓六腑で感じられた方が多かったかな。それはそれでいいことなのだけど。「飲んでください。そうして旨いと思ったら酔ってください。そのために、この世に酒は誕生するのですから…」とは平岩氏のエッセイに登場する蔵人の言葉。
 美酒、美味に酔い、蔵人の人情味に触れ、帰路は夢心地。胃をいたわる米エキスのアンプルと純米酒のお土産付き。
 
大田酒造の「半蔵」を味わう

 二次会はもちろんみゅーじあむで、三重県伊賀上野の大
田酒造の大田雅美さんを囲んでの宴となった。
 大田酒造は家族で酒造りをされている石高一千石に満たない小さな蔵だ。今年四月に名古屋の百貨店で、伊賀忍者姿で大田さんが試飲販売をされていた時に、一通り試飲をして三十分ほどお話をしていたかな。その時買った山廃純米「半蔵」を持ってみゅーじあむで館長と飲んだのが縁。 その後、今年の全国新酒鑑評会で大田酒造が金賞を受賞されたのを館長から聞き、早速メールでお祝いのメッセージを届けた。前社長の逝去という辛い出来事を乗り越え、醸した酒が金賞を受賞した喜びが、返信メールから伝わってきた。一消費者からのお祝いメールにも喜んでもらえた。その折にみゅーじあむにお誘いしたのが実現して今日の宴。
 雅美さんからのお土産は、金賞受賞のお酒と、新商品の純米吟醸「飛雪白路鳥」。これから市場に出るお酒を一足先にいただく。金賞酒の吟醸香は実に素晴らしいく、吟醸香が口中を駆け抜けていく。サラリとした飲み口であるが、個人的にはもう少し余韻を残して欲しいところ。
 純吟は「少し加水」あるので飲みやすいが、無濾過生原酒で出すと大化けしそうな予感。(館長曰く、無濾過生原酒で出さないとインパクトに欠ける)
 館長はいつものように、最高級酒を「勉強に為に」どんどんサービスしてくる。それに答えるべく、大田さんも一つ一つ丁寧に?酒を続けておられたが、いつの間にかハイテンションに。
 いずれにしても私は、お酒に酔い、大田さんの人となりに酔って、とても楽しい時間を過ごせ、気が付いたら三次会に、酒肴料理『たま絵』にご一緒していた。

 みゅーじあむの常連さんの重鎮松本さんはじめ参加者の皆さんから「楽しかったからまた行きたい!」とのお声をいただき、次回はどこに行こうか思案し始めております。その内みゅーじあむに行程表を持ち込んで置くことになると思いますので、是非参加ください。     (清水)

「百花繚乱」10周年に向けて

 恒例となった正義櫻の田植えは今年6月22日。私がシンガポールとタイへ、日本酒と現地料理の相性診断に急遽出かけたものですから、最後の集約がうまくいかず、結果高槻から六名で、午前7時過ぎ岡山市上道町に向かった。
 曇り模様は田植えには絶好の日和。しかし、山陽道に入って雨がパラついてきて、「雨の中の田植えか!」と覚悟したが、現地に着いて着替え、いざ田んぼに入る時には雨は止んでくれた。
 今年は子供が多い。故に我々大人が相当の面積をカバーすることになる。それにしても多くの参加者は毎年参加しており、手慣れている。
 途中小さなアクシデントで蛇行したが、10時過ぎに始めた作業も1時間半ほどで終えていた。岡山の軸原酒店さんが用意してもらっていた、お弁当や赤飯、おからに舌鼓を打ちながら、和やかな交流が続く。1994年にスタートした備前百花繚乱の会の田植えは来年で10年目を迎える。
 〆の挨拶に立った正義櫻鰍フ岡部東一郎常務は、昨年収穫して造った「大吟醸・百花繚乱」が思うような酒質にならなかった事を詫びられ、今日田植えした備前山田錦で醸す来年の百花繚乱は、10周年に相応しく皆さんに満足してもらえるものに仕上げますと決意を述べられた。
 南部杜氏渡邊栄二さんの技が冴え、岡山ではめずらしい辛口の大吟醸を醸してきた正義櫻。それを愛飲する飲み手と一体となって、より良い酒造りを続けてきたが、ここが大きなターニングポイントなのだろう。今一度私たちも、正義櫻のお酒と向かい合って、自分たちの本当に飲みたいお酒が何なのかを考える時にきているのではないかと、考えながら帰路のハンドルを握っていた。    (成岡)
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毎週末、行くゴルフ練習場では、阪神が勝つと翌日は入場料が半額になるようです。昨年、阪神が勝つと半額にしていたホテルは今ごろどうしているのかなあ・・・・。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.373

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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