Zakkaya Weekly No.364
Ryo Onishi                                        
5/4/2003

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今年のゴールデンウィークは休みの少ない人も多かったみたいですが、(日本の)読者のみなさんはいかがでしたか?SARSの影響で海外旅行はさっぱりみたいですね。
 私は連休前半にゴルフを2回楽しみました。そのうちのひとつは会社のコンペでしたが、なんと気楽にプレーしていたら優勝が転がり込んできました。半年前にぎっくり腰をやってますから、練習もあまりしていなかったのですが、こんなこともあるんですね。(R.O.)

詩 吟 礼 讃

なにげなく興味を感じ、詩吟の会に入門して5年の歳月が過ぎました。詩吟とは漢詩に節を付けて吟ずることを言いますが、さすがに日本古来の伝統芸術であり、その奥の深さに今更ながら感じ入っているところです。

南カリフォルニアにはいくつかの詩吟流派の会が存在しますが、私達の会もそのひとつです。私のような進歩の遅い出来の悪い生徒も、週一回詩吟クラスに通い、師範の先生に迷惑をかけながらも和気藹々と楽しく研鑽に励んでいます。

漢詩の吟詠はもともと中国で発生したものでしょうが、日本でも独自の節付けがなされ、数百年の歴史を持つ文化にまで発展を遂げています。

詩吟を学ぶことによって中国、日本の歴史を知り、漢字に親しむと同時に、腹の底から声を出して詩を吟ずる呼吸法は内臓を強くし、身体内から活力を生み、その上ストレスの解消にも役立ち、心身最高の健康法のひとつと言えましょう。私達の流派の会では90歳以上の会員もおり、かくしゃくとして詩吟を吟じています。

この事実こそ詩吟が心身にわたる健康法である何よりの証拠といえるのではないでしょうか。私にとって詩吟とは、趣味であると同時に実益をも兼ねた最高の余暇利用法と言えるようです。

私達の詩吟の会では、全員による吟詠大会が春・秋に開催され、吟詠・吟舞の二部門について、半年間の成果を発表しています。先日、恒例の2003年春季大会がロングビーチ市の日系人会館で開催されました。

私が選んだ吟題は「詩吟礼讃」(網谷一才作)で、これこそ詩吟の本質を見事に凝縮し、語り尽くした四行詩だと思ったからです。

  朗々高吟す 雄壮の詩
  心身爽快にして 楽しさ涯(はて)し無し
  須(すべ)からく此の道に親しむべし 同行の友
  力を丹田に籠(こむる)は 強健の基(もと)

私の仲間うちでも詩吟と言うと、「あゝ、あの“べんせい、しゅくしゅくう〜〜”と蛮声を張り上げて唸るやつネ」という反応をよく耳にします。

そして古臭いバンカラ書生が高吟するものと言ったイメージを持った人を多く見かけます。かくいう私も当初は漠然とそんな思いでした。

しかし実際に始めてみて、私は漢詩と詩吟の世界の高尚さに気がつきました。東洋古今の偉人、賢人や詩仙・詩聖たちが磨きぬいた言葉で綴る漢詩からは品位と人生に対する幾多の教訓を学ぶことができます。

また、それらを吟詠することにより作者たちの心に触れ、よろこびと同時に何ものにもかえがたい感動を味わうことができるのです。

私達の宗家の言葉に「吟道即ち人道」というのがあります。詩吟の吟詠には(1)高品性(2)日本語の正しい理解(3)詩の正確な理解(4)的確なる詩意の理解、等が求められるとのことで、「詩吟の道こそ人間の生きる道に相通ずる」ということだと理解しています。

最近は、このような基本を守りながらもいろいろな詩吟の形式が新しく生まれています。

詩吟といっても、吟詠の対象はただ漢詩だけにとどまらず、和歌、琵琶調や歌謡曲までもとり込んでいますし、また吟舞、画道吟、書道吟、華道吟、構成吟などバラェティに富んでいるのも時代の流れに沿った趣向なのでしょう。

詩吟と言うとどうしても古いイメージがつきまとい、若者層からは敬遠されがちですが、詩吟は精神的・肉体的にも健康向上に役立ち、その上、歴史とその教訓を知り、一般教養が身につくのですから健康指向・教養指向の現代人、特に若者世代にピッタリな趣味になりうるものと言えるでしょう。

最近は尺八などによる伴奏付きの詩吟など、カラオケ時代に合わせた工夫もされています。

詩吟本来の基本はきちんと守りながらも、時代の趨勢にも合わせた詩吟の形式を工夫してゆけば、若い世代の心を捉えることは確かであり、詩吟の未来は決して暗いものではなく、前途は明るいと期待を込めて思っています。   

河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言 時の鐘

1996年環境庁(現環境省)主催の「残したい日本の音風景百選」に選ばれた「鐘の音」が、埼玉県川越市にある。これは、400年近い昔から「時を知らせている」川越市のシンボルだ。今でも午前6時、正午、午後3時そして午後6時の1日4回、四代目「時の鐘」は刻を知らせている。今日、川越、越生そして高麗川の小旅行を満喫した。おりしも今日5月3日は、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する国民の祝日」だった。「歴史の時」と「日本の美しき自然」を身体と心で感じることができ、国の成長を期した人々に学んだ。「時の鐘」が私の心に響いた貴重な一日だった。

今日は、兄貴分玉三郎こと中條氏の案内で、川越の喜多院と蔵造りの町並、越生から顔振峠を経由して高麗川の高麗神社を訪ねることができた。歴史の扉を次々に開き、ちょっとずつ覗いた。それら扉と扉の合間には、陽の光に喜びの声をあげる自然も「時の鐘」を感じさせてくれた。まさに時は春、それはまた平和な日本の響きとかほりでもある。建国記念日に相応しい一日だった。

喜多院は、慈覚大師が830年に再興した勅願所が始まりと伝えられ、無量寿寺と名付けられたが後に炎上した。1296年に尊海僧正が慈恵大師を祀り、北院(仏蔵院)・中院(仏地院)・南院(多聞院)となる各房を建て無量寿寺を再興し、そして関東天台宗の中心になったという。1599年、徳川家康の厚い信任を得た天海僧正が北院の第27世として住持し、星野山喜多院と改名した。1638年の川越大火によって、堂塔伽藍は山門を除く殆ど全てを焼失してしまったらしい。しかし時の3代将軍家光は復興に命をうけ、江戸城紅葉山にあった書院造りの別殿を喜多院の客殿、書院、庫裏として移築した。その結果、江戸城内にあった唯一の現存する建築物となった訳である。客殿には「家光誕生の間」、書院には「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があった。毎年この季節、4月25日〜5月5日に風入れを兼ねて行われる特別展示中だったこともあって、宝物特別観覧もできた。中條氏の説明やコメントにうなりながら遺構に身を置いた私は、三代将軍家光の乳母として大奥を統率し、且つ一介の乳母を遥かに超えた働きと人生を送った院号春日局こと福の営みを想像し愉しんだ。この喜多院を後に、越生から顔振峠(かあぶりとうげ)へ向かった。環境庁によって峠に立てられていた案内版には「顔振峠のいわれには二通りあり、義経が絶景のあまり顔をふりながら登ったためというものと、お供の弁慶が急な登りに疲れて顔を振りながら登ったというものです。いずれも義経が奥州へ逃れる時にここを通ったとしているわけですが、義経奥州落ちの経路については北陸を通ったとする説が有力です。かあぶりはかむり=冠が転じたのではないかとされており、冠のようにとがった山があるためこのような名前になったものと思われます」と書いてあった。峠から南下方を眺めると、春霞の中に吾野の街が観え、何度も振り返える想いに頷いた。さらにここは、明治維新・飯能戦争の際、振武軍の参謀で飯能市・羅漢山(天覧山)に立て篭もったが官軍の総攻撃を受けて敗れた渋沢平九郎が、逃れ百姓姿で過ごした場所としても知られている。

さて、「時の鐘」地点をスタートにした今日の歴史の時(旅)の結びは、「心の鐘」だった。それは歴史の中に生きた人びとの「生の鐘」、ふたつの歌だった。ひとつは、「気はながく、勤めはかたく、色うすく、食ほそうして、こころひろかれ」喜多院の天海僧の長寿歌だ。もうひとつは、22歳で自刃した渋沢平九郎の辞世、「惜しまるる 時散りてこそ 世の中は 人も人なり 花も花なれ」だ。歴史を紐解く(触れる)ということは、「時を知らせる鐘」の如く、その時代に生きた人の「心(命)の鐘」、その響きを知ることなのだろう。歴史にもっと深く触れたいと、切に想わされた一日だった。これが、高校時代に日本史赤点をとって号泣したさくらの、25年後の独り言である。

sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

子の育ち柱の傷が歌ってる

腕白でいいと育てて悔い少し

タカの子にトビの親父が意見され

この馬鹿といいつつ父の嬉しそう

鸚鵡にまで妻の口調で叱られる

( ニュースやぶにらみ )

「増税」
苦味が増した   −発泡酒

「三連休」
気を付けて行ってらっしゃい  −SARS

「白装束集団」
電磁波よりお前等の方が不気味だ −迷惑住民


(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

満腹したら食休み(61) 「旬のもの」

食べ物に旬がなくなったと言われて久しいが、それでも春は何かと楽しみな季節である。山にも海にも、この季節ならではの食べ物が出番を待っていたかのように楽しませてくれる。

山菜、春野菜とたくさんあって、どれも捨てがたいのだが、山の代表格はやっぱり筍だろうか。アメリカに住むようになってからは、もっぱら中国産の筍の缶詰を使っている。だから春になるとあの掘り立ての筍の瑞々しい食感を懐かしく思う。初めて掘り立ての立派な筍を貰ったとき、その処理の方法がわからず戸惑ったものだが、新わかめと煮て、味噌で香ばしく焼いて、木の芽で和えて、と残すところなく堪能したあの満足感は忘れられない。

木の芽といえば、子どもの頃は匂いが嫌いだった山椒も長じては大好きな香りとなり、筍の木の芽和えを食べたいがために、自宅の裏に山椒の木を植えたほどだ。私たちが住まなくなった今でも春の香りを運んでくれているのだろうか。

そして海の物とくれば「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と江戸時代から詠まれているとおり、かつおであろう。この山口素堂の俳句に詠まれたかつおは、初夏、伊豆から房総にかけての関東沿岸で捕れたかつおを、小船に乗せ換えて江戸市中に運び込んだものだ。身分に関係なく金銭を惜しまず、先を争って買い求め、刺身にして珍重したという。

私たちの身近なかつおの食べ方としては刺身よりもタタキだろうか。

かつおといえば土佐か枕崎だが、特に土佐の一本釣りは豪快ないごっそうにふさわしい漁として有名である。少し古いデーターだが高知県のかつお漁獲高は平成10年度で28.520トン、国内消費量の7%を占める。その漁獲高も輸入かつおに押されて年々減少気味だそうだが、その知名度が落ちることはなく、高知県の県魚はもちろんかつおだ。そして、かつお料理を食べさせる店も繁盛しているようだ。

昔からの基本的なたたきの作り方は、まず新鮮なかつおを3枚におろし、血合いに沿って背側と腹側に切り分ける。さらにそれを半分すると4本になり、その一本を一節という。その一節に塩をふって手で軽く叩き込み、金串をさして藁や茅を燃やした火でサッと表面だけをいぶすようにあぶる。

素早く氷水で冷やし、よく水を切って、1センチ以上の厚みに切り分ける。それに二杯酢(醤油と酢)かタタキ酢(柚の絞り汁と醤油)をふりかけ、味を馴染ませるために手か包丁の腹で軽く叩く。さらに、薬味として、シソ、タマネギ、ショウガ、ニンニクなどを豪快に上に載せ、一切れ丸々豪快に食べる。これが、本場のタタキのようだ。
さて、そのタタキの名の由来だが、塩を叩き込む、二杯酢やタタキ酢を叩き込む、この二つの動作のいずれかといわれているが、本場高知でもそれは明らかではないようだ。

また、タタキの調理法は今では当たり前だが、先人達はどうしてこのような調理法と食べ方を見つけたのであろうか。これにも諸説あり、ユニークなものではフランス人説というのがある。土佐に住んでいたフランス人宣教師が、手に入らない牛肉の代わりに、重量感のある赤身のかつおをステーキ風にさっと焼き、生臭さを消すためにニンニクを使った。それを土佐人が真似たのだとか。しかし今となっては、名前の由来同様、調理法の由来も明らかではないようだ。

かつおにはヒトの内臓にたまった脂肪を燃やすタンパク質が多く含まれ、おまけに比較的低カロリー。また周囲をあぶることによって、生とは違った風味が出ると同時に、身を引き締め味の劣化を防ぐことができる。ニンニク、ショウガなどの薬味は生臭さを消すと共に、その身体への効能はご承知のとおりである。

日本各地に先人達が残したユニークな旬の素材の食べ方がある。それら伝統的な食べ方は、おいしいというだけではなく、その調理方法や素材の組み合わせは必ず理にかなっている。近年、科学的に解明されているものも多い。旬の味を楽しみながら、この先人達の知恵と優れた味覚を再確認したいものだ。

さっか あきこ 
akikosk@sbcglobal.netbut_up.gif (232 バイト)

教育の方程式  西尾誠一郎

小噺の一つも覚えたい

私達夫婦は昨年から、イースターとクリスマスの時期には海外旅行をすることに決めました。 あと、公文が招待してくれる3泊4日の旅行と北米の研究大会も入れると年間に4回は旅行をしています。 
この4月には、公文の仲間6名と初めてアメリカの旅行社がやっているパックツアーでイタリアに8日間行ってきました。 旅行に行く前は、戦争などの影響を考えて行こうかどうしようかかなり迷いましたが、参加者の1人のお嬢さんが、3週間前にイタリアで何かの国際会議があったのに参加しなかったのは日本人だけだったと聞いて、急に「よし行こう」ということになりました。
今回はその旅行での感想を少しご披露させていただきます。

イタリアでは総勢43名のバス旅行になりましたが、いろんな人と親しくなれました。 ローマ滞在2日目、8人座った夕食のテーブルには赤白合わせて4本のワインが置かれていました。 白を2本空けると、さっとお店から3本目がサーブされました。 私達8名のうち、飲めるのは3名。 しかし、ワインと歌と踊りで盛り上がり、結局3名で5本空けてしまいました。

旅の途中で、仲間の1人が150ユーロぐらい入った財布を落としてしまいました。
 すぐにバスの中で一つの帽子が皆を回り、98ユーロのカンパが寄せられたのには驚きました。
 旅行中の朝食は質素でした。 毎日、パンにコーヒー、ジュース、チーズだけで野菜や果物のないの朝食には閉口しました。 もっとも、一番安いツアーに申し込んだのですから仕方ありません。 ホテルももちろん4つ星ではありませんでした。

イタリアではローマ、フィレンツェ、ベネチアの3都市を回りましたが、ツアーガイドの方が最高でした。 バスの中でもユーモアに富んだ話で皆を飽きさせないのです。 旅の終りの頃には小噺も出て、2〜3名の参加者も前に出てきて皆を笑わせていました。 私達もマイクを向けられましたが、誰もユーモアに富んだ噺はできませんでした。 
日本人向けのツアーもいいですが、いろんな国の人と親しくなる旅もいいものです。 
また、こういう旅行をしてみたいと思っています。
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吟醸みゅーじあむ

成岡流お酒の楽しみ方 127
博多唯一の蔵見学と福岡・小倉の旅

野戦重砲兵第六聯隊跡に立つ

 バレンタインデーを前に「義理チョコ」を持って来てくれたYさんが、当館のカウンターに座っていて「どっか旅行したいな!館長!」と私を誘う。「どっちに行きたいんやねん?」と尋ねると「そやな、九州がええな!」と答える。そこに万悪く、九州出身の山田さんが座っていた。 「私の車やったら安く行けるし!」と話が進む。「山田さんの弟さんは、確かホテルマンやね?安く泊まらせてくれるのとちゃうの?」とフルと「そらなんぼか安くなると思うよ。」と言う。「それで決まりや、いつがええの、みゅーじあむの休みやったら3月19日の水曜を挟んだらええよね!」「館長、もう一人誘って4人で行こう!」と半ば強引に旅行に行くことになる。
 
言いだしベエ不在の旅

 3月に入りホテルの予約もしなくてはならなくなり、山田さんの弟さんの力で、2部屋を特別料金で借りれるようになった矢先、Yさんから電話があり「仕事どうしても休んだらあかん言われてん。ゴメン!」とあっさりとキャンセル。弟さんに無理を言った手前、全てを無かったことには出来ない。最悪二人でも行く覚悟で、「車でなかったら行っても良い」ような話を聞いた岡邦子さんのお父さんに、もう一度アタックしてもらった結果、OKの返事。言いだしベエのいない、けったいな旅行と相成りましたが、それをレポートしてみます。

高槻・博多往復3万円が?

 山田さんにホテルを手配してもらったので、その他は私が手配することになる。まず新幹線の切符をどう安く手に入れるか。正規の割引切符で「ひかりカルテット」という大阪市内〜福岡市内4枚で44,000円というのがある。1枚当たり3,590円も得するらしいが、3人では2枚足らないし、前月に買わなくてはならない。
 高槻のある金券ショップに行くと10,950円であった。良かったと思ったのもつかの間「5枚しかありません」と言う。それでも仕方なく購入して、ほかの店を当たるが何処にもない。「困ったなあ!」と思いながらも、みゅーじあむの入っているグリーンプラザたかつき1号館の2階に新しく出来た店に、半ばあきらめながら行ってみると、有るではないか、それも50円安く。しまったと思ったが後の祭りで、250円も損をしてしまった。
 早速座席を確保すべく、みどりの窓口へ。往復ともレールスターの禁煙席が取れてやれやれ。

あわや乗り遅れるか?

 いつも旅行の出発前日は賑わうはずが、閑古鳥が鳴く始末。お陰で当日も「余裕」で起床し、計算通りにみゅーじあむにお土産用のお酒を取りに寄った。ところが、3本のお酒をそれぞれ発砲スチロールの保冷箱に入れるのにもたついた。
 10時15分発の新快速に乗ると思っていた山田さんから「どうなってるんですか!」と督促の電話。「分かっている、今すぐ行く!」と言って電話を切って、必死に走って高槻駅へ。もう18分発の快速が入って来ている。彼らの姿が見えると、先に入場するように合図。さすがに若い山田さんは、階下にたどり着き我々のためにドアーに立ち塞がってくれている。80歳を過ぎておられる岡道也さんには酷な階段下り。
 それでも、どうにか車内に入ったが、立っているのがやっとの私。寒い時季なのに、ハンカチで汗を拭き〃呼吸を整える。岡さんはさぞかし「えらい旅に付き合ったわい!」と不安になられたことだろう。そうこうしていると、もう新大阪。階段を上がったところの売店の前で「車内で食べる弁当を買いましょか。」と言うと山田さんは「車内で買う」と言ったが内心「乗り継ぎ時間があまり無いのに」と心配だったのだろう。
 弁当を買って21番ホームに上がると、我々が乗るひかり369号レールスターは入っている。通常のひかりは16両編成なのに、これは8両編成で、メチャ短く感じる。 ご存じのように山陽新幹線はトンネルが多い。持ってきた新聞は読んだが、振動と揺れと明暗で、持ってきた本を読める状態ではなく、ひたすら目を瞑るだけ。
 列車は午後1時27分の予定時刻に博多に到着。改札を出ると山田さんのお母さんが我々を迎えてくれた。彼の実家が北九州市で、折角息子さんが福岡まで戻って来ているのだから、我々と行動を共にしようと、小倉から来られたわけだ。
 
酒蔵リピーター創出に苦心

 さて、今回の旅行の第1目的地は、博多駅から1qほどのところにある石蔵酒造。ここから先は地の利ある二人に任せて後を付いていく。博多区竪粕にある石蔵酒造には予定通り2時に到着。社長の息子さんの石蔵利正社長室長が事務所から出てきて我々を迎えてくださった。
 こちらの蔵のホームページhttp://www.ishikura-shuzou.co.jpからメールアドレスで、蔵見学のアポイントを取らしてもらっていた。さっそく一般見学者用に作られたビデオを見せてもらう。「博多百年蔵」と題した10分ほどのテープは、戦国時代の織田・豊臣・徳川に始まり、福岡に縁のある黒田じょすい如水と、博多に縁のあるせんがい仙崖和尚(実際の「がい」は山かんむりがない)に焦点を当ててあり、博多に残る唯一の蔵として「吟醸・如水」や「純米酒・仙崖」「博多の大吟醸」などを、五島列島・おぢか小値賀出身の永田庄平杜氏の指導の元に造っていることを解説している。
 見るからに青年実業家といえる石蔵さんの話では、平成8年に大きく酒蔵のイメージチェンジを図り、移出数量も900石(162`g)に落とし、自社生産は(写真奥のガラス張りのところ)主に見学者や蔵内宴会で消費される分を造り、その他は永田杜氏のいる親戚の蔵から購入しているとのこと。
 日本酒離れ、アルコール離れしてきている状況の中で、蔵の生き残りを掛けて、地便性と空間を生かして、「蔵見学」「博多土産物スペース」「酒蔵レストラン」「多目的貸しホール」「そば打ち道場」など、リピーター生み出す工夫と努力をされている。
 酒蔵を案内いただいた後、夜は宴会場になる部屋で、常務の石蔵利八郎さんも加わっていただき、酒造りの苦労話から、これからの石蔵酒造の方向性などを聞かせてもらった。

ガラス張りのバスルーム?

 1時間あまりの蔵訪問を終え、タクシーで宿泊先のエバーグリーンマリノアホテルにタクシーで向かった。西区にあるホテルは、正に福岡の西の端で、目の前が海でリゾート地のホテルといった感じ。
 一緒に泊まることにされた山田さんのお母さんを含めフロントで3部屋をチェックインした後、私と岡さんは、大観覧車に乗ることにした。地上120mまで上がると遠くに福岡ドームなども見えるが、望遠鏡もないので十分満喫できない。20分800円(宿泊者は100円引き)が安いのか高いのか、やっぱり・・・・高かったが、6人乗りのゴンドラに、老・荘の男が二人っきりで乗ることは、めったに体験出来ないことである。
 ホテルの部屋は、若者向きに作られ、木製品と白が基調で、廊下部分の間仕切りもスライドできて、ワンルームとして広々と使え、トイレとバスは別になっていて、バスルームは海が見れる開放型窓が2面と、廊下側もガラスのドアで、入るのもチョット恥ずかしくなるようなオープンな雰囲気。もちろん窓はブラインドが下がるようになっていますが、帰ってから入ったら、水滴が適当な目隠しになりました。

零時まで美酒・美食を堪能

 第2の目的地は、中洲にある小料理店の鹿六。数年前に常連さんの井手さんと訪れて以来で、地理感覚も薄れていて、タクシーを降りて鹿六のある多聞通りを探すが、すぐには見つからない。山田さんのお母さんはご主人と二人で不動産業をされているので、職業柄住所表示を頼りに歩かれる。
 周囲は数年前とは様変わりして風俗店が並び、黒い服の兄ちゃんや姉ちゃんが客引きに巷にくり出している。しばらくして探しあてたが、これまた予定通りの6時に到着。本店と支店が向かいどうしにあり、我々は本店に入る。店は改装されて間無しで初々しい。我々が最初のお客のようで、まだ女将は来られてない。
 適当に美味しそうな料理を注文して、お酒は先ず地元に敬意を表して、喜多屋、繁桝、大手門、箱入娘と福岡県の大吟醸を注文。同じ福岡でもそれぞれ微妙に味が違し、繁桝と箱入娘は同じ蔵のお酒だがやはりこれも味わいが違う。
 そこに、山田佳典さんの携帯電話が鳴った。近くまで弟さんが来ているようで、彼が迎えに出て行き、まもなく二人で入ってきた。山田昌幸さんといって、今回我々がお世話になって泊まっているホテルマンである。日本人離れした風貌に私も岡さんもびっくり。
 お母さんは闊達な方だが、次男の彼は物静か。越乃越州純米吟醸(新潟の久保田と同じ蔵)と寒北斗純米(福岡)悟乃越州本醸造などを追加して、酒談義に花が咲く。女将が来られた時分には満席状態。ゆっくり女将と交流も出来なかったが、気が付くと8時半を回っている。
 鹿六自慢の「自家製明太子」を土産に頂き、記念撮影をして多聞通りを出たのは8時42分。第3の目的地は、那珂川を渡った中央区春吉にある地酒屋ぼんちゃん。案内は昌幸さん、15分ほど歩いて到着。
 さっそくオーナーの田中清司さんに挨拶をして、自慢のお酒をいただく。山形県の出羽桜・万礼、千葉県の東薫・YK33、佐賀県の窓乃梅・純平、新潟県の北雪・日本海府真精大吟醸、岩手県の七福神真精大吟醸、石川県の天狗舞・中三郎真精大吟醸、島根県の李白真精大吟醸、静岡県の磯自慢大吟醸、福岡県の杜の蔵ふな口、富の寿大吟醸などをいただき、至福の時を過ごし店を出たのは10時30分。
 第4の目的地の長浜ラーメンへは、タクシーに分乗して出発。歩道のあちこちにラーメン屋台が並んでいる。どこに入るか思案していたが、結構有名だという「長浜とん吉満月」に入った。中にはおでん有り、串焼き有りとラーメンそっちのけといった感じ。ついつい勧められるままにラーメン以外に何品か注文するが、ラーメンもあまり感動的ではなかった。
 これで今日の予定は終了、タクシーで一路ホテルに帰り着いたのは丁度0時。(予定を1時間半オーバー)

苦い青春の思い出の地に

 明くる日は、仕事の予定のある佳典さんは早朝に出発済み。残る我々は8時5分にチェックアウトしてタクシーで地下鉄姪浜駅に出て、そこから博多駅に。博多からは9時5分発の特急ソネット9号で小倉へ。駅で帰宅される山田さんのお母さんに別れを告げ、岡さんの今回の目的地「自衛隊小倉駐屯地」のあるきたがた北方までモノレールに乗車。
 そこは、岡さんが第二次大戦争中、招集されて配属された「野戦重砲兵第六聯隊」があったところ。お話によると、一年ほど「教育」訓練されたうようで、意味もないのに「鼓膜が破れる」ほど、皮のスリッパで何度もしごかれたこともあったとか。
 さて、アメリカのイラク侵攻がはじまっているので、駐屯地内に入れてもらえるか不安はつのったが、門内の受付で趣旨を説明し記帳してしばらくすると、下士官の竹内さんがこられ案内してくださることになった。
 岡さんの「今でもしごきはありますか?」の質問に「そんなことしたら大変なことになりますよ」との返事。岡さんは、時代の違いを噛みしめるように、「野戦重砲兵第六聯隊跡」と書かれた石柱に手をかざして涙ぐんでおられる。
 写真は全て道路側に向けて撮るように指示されたが、岡さんは60年ほど前の、苦い青春の1ページを過ごした場所に、もう一度立たれて記念撮影できたことに、感無量の様子。私もお連れして良かったと、心が熱くなった今回の旅でした。
 
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日中は初夏のような気候ですが朝夕は涼しく気持ちのいい季節です。ロスの気候はこんな感じだったかなーと思い出しています。しばらくこの季節が続いてほしいですね、
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Zakkaya Weekly No.364

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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