Zakkaya Weekly No.348
Ryo Onishi                                         1/12/2003

雑貨屋のひとり言 今年も明るく、ひつじジョーク  さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒楽しみ方 教育の方程式 おいしいLA 健康のお話 雑貨屋ホーム

先週、小学校時代からの友人、曽根さんに20年ぶりに会いました。私が北米駐在中、お互い連絡が取れなくなっていたのですが、曽根さんが偶然にWEB検索で雑貨屋のホームページにたどり着き、私を見つけてくれ(昨年、雑貨屋にご紹介しました)、再会できました。インターネットのすごさに感心させられた次第です。神戸三宮で待ち合わせたのですが、お互いすぐにわかりました。うれしいことに曽根さんは雑貨屋で私が日本酒党であることを知り、おいしい日本酒を飲ませるところをアレンジしてくれていました。20年間のギャップはほとんどありませんでした。あっという間の時間が過ぎ、次の再開を約束して別れました。(R.O.)

新年を迎えました。今、私たちを取り巻く環境はあらゆる意味で決して明るいものではありませんが、暗く不安な話題は既に新年早々のこの欄で書き、煩悩祓いを済ませていますので、今年もせめて「雑貨屋原稿」くらいは明るくゆきたいと思います。

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今年は干支で言うと「未(ひつじ)年」です。そこで年始めのユーモア・ジョークとして「ひつじ」を取り上げたいと思います。以下のジョークを創ってみました。(単純なジョークばかりなので、もしかしたら既に誰かが考えたものがあるかもしれませんが・・)

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(1) 読み方なぞなぞジョーク
1、「ひつじへん」に「ひつじ」(羊羊=これで一文字)と書いて何と読みますか?
  ――― 【答え:ドーリー(クローン羊=全く同じ「羊」が2つ)】

2、「羊羊羊羊羊羊・・・・」と書いて何と読みますか? 
  ――― 【答え:不眠症(羊が1匹、羊が2匹、・・)】

3、羊の群れに出会いました。これらの羊は誰のものでしょうか?
  ――― 【答え:君の羊です。(「群」は「君と羊」からなる)

(2) ひつじ年を迎え、明るい将来展望がどうしたら開けるかを考えた結果、羊を2匹(2頭) 入手し、道の前へ連れだして水を与えることにした。――― これで O.K.「前途洋々」。
   前の途にサンズイ(水)の羊が2匹だから。
   【蛇足】羊の数え方は1匹・2匹・・?それとも1頭・2頭・・?

(3) 新年の初夢は「まばゆいばかりに輝くひつじがやって来る」夢でした。――― ヤッター!!「未来は明るいぞ!!」。だって明るい未(ひつじ)が来たのだから。

(4) ひつじ年生まれの人の語る説明は細かく、くわしい。――― だから「くわしい」は「詳」と書くのだそうだ。

(5)ある日、羊(ひつじ)が、自分が山羊(やぎ)になった夢を見ました。夢の中で山羊(やぎ)になったひつじ(羊)は飼い主の事務所にあった紙を食べました。

  ところが食べた紙とは、実は事務所のお札(紙幣)の束だったのでした。

  大切な札束をなくした飼い主はショックのあまり不眠症になりました。そして食べられてしまった紙幣の金額ぶんを羊を売って補填することにし、眠れぬベッドの中で何匹の羊を売れば良いか数え始めました。――「ヒツジが1匹、ヒツジが2匹、ヒツジが3匹、・・」
(河合将介の「ウソ(嘘)ップ物語」より)
【最後に真面目なコメント】:
  今年は内外多事多難が予想され、解決されるべき問題が多い年です。いくら今年が「未(ひつじ)年」だからと言っても、「問題 "未" 解決の年」にだけはなって欲しくないものです。
河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言仕事始め

アメリカから成田到着3時間後、親友と新年の夕食をした。兄貴分玉三郎から「箱根駅伝」写真を受信したその親友と私の会話は、「駅伝の凄さ」だった。ことにコーチの育てる「スタッフ」(走者)と彼らの「たすきつなぎ」を「仕事や生活」と対照し、新しき示唆を確かめた。二人で酌み交わす赤ワインの色にも劣らず、心に萌ゆるものを感じた。「仕事始め」となった翌日、新しいスタッフメンバーと共に新しいプロジェクトマネージを任命された。「箱根駅伝」を題材に話した友人との会話が蘇るような、「仕事始め」に相応しいたすきを受けた。

プロジェクト単位で作業を進める私たちの業界では、スタッフメンバー、つまり「人(人々)」がひとつの身体となり、また命となって作業を進める。だからその人材の採用・配置、育成、そして評価は、プロジェクトの進捗や品質を左右するばかりでなく、会社の経営資源最適化と拡張のキーにもなる。右手は左手の機能・役割をしないからといって不要だとは言えず、だからといえ左手は右手同様の優れた働きが求められる。器用不器用の違いはあれ、それぞれの持ち味がひとつの「からだ」となれた時、誰もが「喜ぶ」プロジェクトへと創り上げられる。どんなに器用な右手であれ「からだ」に融合できなければ、それは健康を蝕む「癌」同様、創出どころか破壊が進む。だからどんなプロジェクトであれ、それをマネージする者にとっては、走者となるスタッフメンバーにいかに能力、やる気、持久力があるか、そして彼らがそのタレントを駆使してマネジャーをサポートしてくれるかどうかが、参画手形・基礎体力となる。新年早々、新しいプロジェクトメンバーとミーティングを重ねる度、スタッフメンバーに恵まれるという重要性、その恵みに感謝している幸せなさくらである。

通常プロジェクト参画者のことを、「メンバー」や「スタッフ」と呼び、その総称を「ティーム」と呼ぶ。「メンバー」や「スタッフ」の語源をたどってみると、改めて深く頷かせられる。英語のmember(日本語の「一員・手足」)は、インドヨーロッパ祖語で「肉や肉体」を意味するmemsに生まれ、それがラテン語membrum「手足」派生して現在に至っている。それ以上に興味深いことが、スタッフstaffの語源とその派生経路に観てとれる(注:添付チャート参照)。インドヨーロッパ祖語で「柱・茎・支え・基礎」を意味するstbehは、その後ゲルマン語を介して古期英語のstaef「棒・杖」、中期オランダ語のstapel「柱・基礎」、古期英語のstapol「柱」やstaepe「足がかり・一歩」、そして中期英語のstampen「砕く・ 」へと派生し、それぞれは現在、staff「柱・全員」、 staple「主要食品」、 staple「ホッチキス」、 step「一歩・歩み」、そして stamp「判を押す・印紙・切符」等の英語として使われている。プロジェクトの走者なる「スタッフ」の位置、役割や責任を逆説的・現実背的に意味付けられていると驚くのである。添付 TeamMemberStaff

身心が健康だと、全てがバラ色の喜びに感じるように、仕事もそうである。優れたスタッフの健康な体(ティーム)は、駅伝を完走する「たすきティーム」の様なもの、私はバラ色の微笑みになってしまう。そんな「仕事始め」を迎えたさくらに、私のメンターでもある鈴木さん曰く、「今年は肩の力を抜いて、80%くらいの気持ちで仕事をすると、もっといい仕事ができるかも」と。優秀なスタッフに恵まれた分、私は20%を遊びに使うことにした。なんとも素敵な「仕事始め」だった、とりとめもないさくらの独り言。
sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

平均寿命こんなに薬持たされて

定年の趣味一病に逆らわず

も一度のチャンス 長寿という味方

千羽鶴折ってる麻痺の手の祈り

病院の倫理に生かしとくだけ科


( ニュースやぶにらみ )

「凧上げ大会」

デフレと書いた凧が不況風に乗っている −主催者

「平均550日で使い捨て」

  歴代総理並みだな      −携帯電話

  「年間販売台数、カローラ首位転落」

  隣の車が小さく見えます     −フィット

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)

あっこのおいしいロサンゼルス

満腹したら食休み(52)
「本場の味」
場所は変わって山口県下関市。東京の友人と共に下関在住の友人宅に2日間お世話になり、関門の味を堪能した。近海で捕れた新鮮な魚を使った寿司を思う存分食べ、軽く干しただけで抜群の味になる干物を食べ、それだけでも余りある口福なのだが、やはり何と言っても冬の下関といえばもちろん「ふぐ(河豚)」である。

山口県ではふぐは不遇を連想させるからと福を招くように「ふく」と呼ぶ。メニューやお土産品にはふくと表示してあるのを度々目にする。確かに祖父などがそう言っていた記憶はあるが、普段はやはりふぐと言うことが多い。

食用ふぐで最高の味とされるのは「とらふぐ」で瀬戸内海西部産のものが最も美味といわれている。毎年11月に下関の彦島にある南風泊(はえどまり)市場で独特の袋ぜりが始まると、本格的なふぐの季節の到来だ。

ふぐが高級魚と言われるのはその美味しさももちろんだが、一般家庭で簡単に料理ができないからだろう。ふぐにはテトロドトキシンという猛毒が肝臓と卵巣に含まれ、これを処理するには、ふぐに関する条例により、その処理施設、営業施設、調理師制度が定められている。ふぐを処理するには専門の免許が必要である。

かつてはふぐを食べることを禁止されていた時代もあり、豊臣秀吉によって「河豚食用禁止令」、江戸時代には「河豚食用禁止の掟」が出されたという。本場の長州藩でも武士が中毒死した場合、その家は家禄没収や家名断絶と言う厳しい処置が行われたそうだ。明治に入っても禁止令が出されたが、長州出身の伊藤博文が首相になった後、その禁も解かれたという。禁止されていても伊藤公はその美味しさを十分に知っていたのだろうか。余談だが、日清戦争後、伊藤、陸奥宗光外相、清国の李鴻章による講和会議(下関条約)が行われた場所が、料亭「春帆楼(しゅんぱんろう)」(下関市阿弥陀寺4-12 0832-23-7181)で、現在でもふぐ料理では名高い老舗である。

さて、今回私たちがふぐを楽しんだのは下関の城下町長府にある、彩席「古江小路」(下関市長府惣社町3-28 0832-45-5233)。古いお屋敷を料亭にした趣のある店で、器やインテリアはまさに女性好み。女性オーナーの趣味の良さが生きている。

予約していた「ふく懐石」(時価、ちなみに今回は15000円)が目も口も楽しませてくれた。季節の味を活かした前菜に続き、いよいよふぐのお刺身。黄金に輝く大皿がうやうやしく運ばれてくると、誰の顔もかすかに緊張し目はその行方を追っている。と、その大皿は真中に置かれるのではなく、一人の前に置かれるではないか。軽く二、三人前はありそうな大皿、どうなっているのだろうか。四人の目にかすかに動揺が走る。そして、黄金のお皿二枚目が運ばれて来る、やはり一人の前に置かれる。次に洩れるのはかすかな感嘆の声。ひょっとしてこれが一人前なの?そう、それが一人前と判ったときの戸惑いと喜び。これも地元ならではの量なのか。

最初は三枚ずつじっくり味わって食べていたが、なかなか減らない、えいっ、と五枚一度に食べてみる。それでもさすがに大皿一枚は食べきれない。誰かが、「そうだ、あとでお鍋のときにしゃぶしゃぶにしていただこう。」と言ったとき、皆同じ気持ちだったのだろう。なんとなく安堵の空気が流れた。

そしてそのお鍋。まず、お刺身を贅沢にもしゃぶしゃぶにして食べる。これもお刺身とは一味違ってなかなか良かった。地酒の「五橋(岩国)」を飲みながら、出る言葉はああ、幸せ。お鍋もふぐの出汁が出て何とも美味しく、身も口の中でとろけていくよう。締めくくりはふぐ雑炊。お腹一杯だったはずなのにするすると入っていく。こんな自分たちを皆で顔を見合わせて笑ってしまった。美味しいものは人をこんなに幸せにするのかと、お腹と口を持って実感した口福な一夜だった。
さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

成岡流お酒の楽しみ方

先週に引き続き、成岡さんの上海編をお届けします。

中華人民共和国相性診断の旅B紹興・上海編    続編
中国一大きい紹興酒の蔵見学と30年古酒
上海・骨鍋屋で八時間の骨肉の「争い」?

【名物に旨いもの無し?】

 6日目の16日は、浅井・増田・杉原さんが帰国する日。昨日同様6時に見送るべく1階ロビーに行くもチェックアウトした後。
 8時20分に朝食を済ませ、残留組がロビーに集合したのは8時45分。今日は上海最後の日を楽しむべく、食に詳しい上海の女性の案内で、佐分利さんの会社の専属ドライバーに借りてもらったワンボックスカーに乗って、佐分利さんの見送りでホテルを出たのが9時7分。
 最初に行ったのが、古い中国の面影が残る豫園(9時42分着)。きらびやかな店々が並び、あちこちから声がかかる。私は「吟醸酒蔵」の印を石代50元、彫り賃70元計1,800円で注文。女性陣はチャイナ服を超格安で買い求めている。それでも品定めは入念で、男性陣はその間デパートまで足を延ばした。中央の名店街では、茶器を買う橋本さん、お菓子類を買う井上さん親子に、金華ハムと言っても片足分を買う寺内さんと、土産物でも多岐に渡る。
 そこそこ落ち着いたところで早めの昼食を有名な「緑波廊」ですることにする。時間が早かったので席を確保でき、小龍包などこの店の自慢の料理を注文。しかし「名物に旨いもの無し」とか言われるが、我々をあっと驚かすほどのものは出てこなかった。6名で326元(4890円)を払い、店の前で記念撮影の後、車へ12時45分に戻り、次は外灘地区に向かう。
 すぐ近くなので、車を降りて船着場で適当なクルーズを探すと、丁度1時出帆の1時間クルーズ船が出発するところ。慌ただしく船に乗り込んだところで動き出した。左側に旧疎開のヨーロピアンスタイルのビルが並び、右側は高層ビルや、テレビ塔が林立している。この場所で2010年「上海万博」をやるらしい。
 船は大きな吊り橋のところまで行ってUターン。きっと日本のプロジェクトが掛けた橋だろう。それにしても上海の変貌するエネルギーには驚嘆させられる。約1時間のクルーズを終え、護岸に上がった我々は、外灘を見渡せる店に入って中国茶で喉を潤し、次ぎに中国食材を求めて車に乗り込んだが、どうも案内役の彼女が日頃買い物をしているスーパーや大型店に連れて行くので、食材にうるさい寺内氏や私たちの欲しい物が手に入らずじまいでホテルに引っ返すことになった。
 
【まさかのカメラ落下事件】

 ホテル千鶴賓館に5時10分に帰り着いた我々は、佐分利さんと同僚のお二人と共に、例によってペットボトルクーラーをぶら下げて、上海の最後の夜を楽しむべくホテルを後にした。
 そう離れてないところに、半年ほど前にオープンしてめちゃフーバーしている鍋料理店に向かったが、交通渋滞で思うように車が進まない。聞くところではこの店は予約を受け付けないらしいが、こんな状態だったら予約時間に来てくれそうもないので、やむを得ないだろう。
 日頃の行いが良いのか、我々が着いた6時35分には、テーブルが一つだけ空いていた。通された2階奥の部屋には2つの円テーブルがあり、既に奥のテーブルには地元の人が陣取っている。
 私は入口に近い席に着き、すぐ横の給仕用のテーブルに、撮影がすぐ出来るようにカメラを置いた。まもなく担当の若い女性がおしぼり・箸・ストローなどワンセットにした袋を配るために私の後ろを通った時に第3のカメラ事件が起こった。
 カメラを首から掛けるためのベルトを引っかけ、カメラを床に落としてしまったのだ。カメラを拾い上げると、万の悪いことにズームレンズ側から落ちたようで「グシャ」っとへしゃがっている。最近のレンズは軽量化を図るためにプラスチックで本体を作っているため実にきゃしゃに出来ている。
 給仕女子も真っ青、勿論岡さんから借りている私も血の気が引いた。一同も声を失っている。その間も準備は進められ、穴の空いたテーブルの中心には大きな土鍋がセットされる。この中には豚のヒール(かかと)がごっそり入っていて、それを出汁にした水炊きで、ストローは髄液をすするために使うらしい。
 佐分利さんが「どうします?」と私に尋ねる。「借りている物やから、やっぱり店に責任取ってもらわなしゃあないね。」と私。そこで責任者を呼ぶように佐分利さんから言ってもらった。
 しばらくすると、ふっくら美人の女性がやってきて、同席している中国人女性からことの成り行きを聞いて帰った。今度は三〇代のきりっとスリムな美人が一緒にやって来た。幾つかのやり取りがあったが、「本人に弁償させます」と言う。そんなこと出来ないだろうと思うが、井上さんの息子さんの「四万円はする」という査定を相手側に伝える。

【 徹底抗戦でいく?】

 食事の方はセットされている肉や野菜の他にも追加注文が出来る。さすがに流行っているだけに「珍味」であっさりしているので食は進む。
 店側の返事が遅いので督促に行ってもらってしばらくすると、「本人がお金を取りに帰っている」と言う。まさかそんな大金を彼女が持っている訳ないと思うが、取り合えず待ってみる。しばらくしてその彼女が泣き泣き現れ、「ごめんなさい、ごめんなさい」の一点張り。百戦錬磨の佐分利さんは「泣き脅しには乗らないでいこう」と言って、我々は「不慮の事故だから、あなたの責任で弁償してもらおうと思っていない。」と慰め、もう一度責任者に「店としての責任を果たせ。」と佐分利さんらが掛け合いに行ってくれる。
 しかし、「当事者間の問題で、給仕は正社員ではないので、店として責任は取れない。」と言っている。こちら側は「そんなことは知ったことか、彼女に会うためにこの店に来た訳ではない」その理屈に反発。とことん責任を取らそうということになる。
 もう食事も終わり、一同手持ち無沙汰。明日帰る準備があるからと、私と在上海組を残しホテルに帰ってもらうことにする。
(それはそうと、相性診断の結果はばらばらで、評価を下すことが出来なかった。)
 話はこうちゃく状態、そこで佐分利さんは示談書案なるものを書き出した。彼によると議論が堂々巡りになり、終いには時間切れになり諦めさせるのを防ぐためだ。彼の経験がそうさすのだろう。
 次に給仕女子が一人戻ってきて「こんな店辞めてやる」開き直った。確かに自分一人責任を取らそうとする上司に憤りを持ったのだろう。我々も「気持ちは分かる、我々も君を責めていない。」と彼女の味方をする。
 そうこうしている間に日は変わって七日目の十七日(木)になっている。佐分利さんも同僚や中国人女性に、「明日の仕事に差し障るから帰ってくれ。」といって帰ってもらった。

【ついにパトカーが登場?】

 そこに、彼女の援軍らしい青年が何人か我々のところにやってきた。「なぜこの子を虐めるのか?」とでもいいたそうな態度である。しかし、佐分利さんの説明を聞いて納得。彼女を励ましている。
 もうらちがあかないから、「警察(中国では公安)に行こう」ということになり、一同店を出るが、責任者の女性が付いて来てない。「どうゆうことや!」と路上で怒っていると、パトカーが2〜3台やってきた。先の応援団の誰かが携帯から110番通報したようだ。
 丁度行く手間が省けた。パトカーの責任者が、誰が電話をしたのかに始まり、認定聴取をし始める。周囲に人集りが出来、公安(警察)官はこれではいかんということで、もう一度我々の居た部屋に戻るように指示。
 ここで個別に事情聴取。二人の公安官は、「佐分利メモ」が妥当だと判断(さすが)責任者の女性にこの内容を飲んだらどうだと説得する。しかし、彼女もしぶとい。やむなく別室で個別に再度事情聴取。結果彼女が「今日の食事代を払ってくれたら指示に従うということで、私は代金を払った。持ってきた領収書は今まで見たこともない「上海市税当局認定の高級領収書」公安が来ているからだろうが、公安官も初めて目にするようで、不思議そうに見ている。

【私は責任者ではない!】

 そして、部下の女性にフルーツとお茶を出すように指示して「佐分利メモ」に基づいて覚え書きを書き始める。そして店の名前を書き、後は自分が署名すればことが終わると思ったら、「私は責任者ではない!」と言いだし、署名を拒否。また壁にぶち当たる。公安官は「明日にしようか」と言い出す始末。明日には日本に帰ってしまうということで続行。そこにまた別の公安官がやってくる。その彼も事情聴取して、今度は彼女の味方に立ち、今までの責任者と論争。しかし、結果は「佐分利メモ」で行くことで納得して帰って行った。
 公安官は彼女に「それだったら本当の責任者と相談して来なさい。」と急き立てる。彼女のホール責任者として面子が潰れるのをいやがっている様子。それでも渋々階上に行ったがなかなか戻ってこない。
 その間我々と公安官と給仕女子とその応援団で色々交流が進む。ガラス越しには、同僚が成り行きを固唾を呑んで見ている。きっと次は自分の身だということを思ってなのだろう。彼女にも笑顔が戻ってきている。きっと、どうにでもなれという気になったんだろう。

【一件〜落着〜あ〜く?】

 それにしても遅いので佐分利さんが様子を伺いに行って戻ってきた。彼女は「六〇〇元(9,000円)以上びた一文も払うな。払うなら自分の給料から差っ引く」と言われているようだった。戻ってきて約束を反故にすると言って聞かない。我々は「預ける1,300元は、レンズを修理するか、代替え品をくれれば返金する」と言っているのである。
 公安官も「こうなれば責任者をここに呼ぶしか解決の道はないから、呼んでいらっしゃい」と説得。
 ついに副支配人という男性が降りてきたのは午前二時を遙かに回っていた。彼も保証金は払わないと言うが、十七日中には修理するか代替え品を渡すという。公安官も期日がはっきりしているからその案で飲んだらどうかと調停。 我々はそれだったら保証金はいらないが、完全に元に戻す誓約書を書いてくれるように言う。
 ようやく書き終わり、佐分利さんに事後処理をお願いして、タクシーでホテルの自室に戻ったのは3時18分。僅かの睡眠で最終日7日目の午前6時起床、6時30分に空港に向けたタクシーで出発。さすがに早朝はスムーズで44分には虹橋国際空港に到着。チェックインして待合いのレストランで、私が肉うどん50元(750円)を朝食にしたのは8時7分。8時51分には搭乗のためバスに乗って飛行機まで移動。
 飛行機は9時18分離陸し、普通のパックツアーで経験出来ない、色々なアクシデントに「恵まれた」中国を後にし、無事12時10分(時差+1時間)関空に着陸した。
 カメラのレンズ事件は、1日では解決出来ず、1週間後佐分利さんの手元に修理されて返され、11月上旬に日本に一時帰国した同僚の望月さんによって、寺内さん経由で当館に届けられた。
 印で押したように、訪問した各都市で1台づつカメラにまつわる事件が起きたが、何度も訪問しなくては分からない大きな国だった。残念なことに、後日の佐分利さんからのメールでは、事故った給仕さんはあの店にはいなくなったようだ。 
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編集後記

読者のみなさんはこの雑貨屋ニュースレターをどのブラウザーで見ているのでしょうか?ネットスケープで見るとうまく見れない部分があったので、頭の部分のデザインを少し変えました。もっといいデザインがあったらどなたか送ってくれませんでしょうか?
息子の弘晃からドコモ製のハンドヘルドPC "Sigmarion"を譲り受けました。今話題のPDAやタブレットPCと同じようにどこでも使えるPCです。今主流のノートブックPCと違い、スイッチONで一瞬で立ち上がり、すぐ使えます。通勤電車の中でも、どこでもアイデアが浮かんだら、すぐにメモもできるし、MP3で録音した英会話プログラムを聴くこともできる、など、いろんなことができる優れものです。これからのユビキタス時代を先取りして楽しんでいます。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧になれます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.348

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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