Zakkaya Weekly No.347
謹賀新年
Ryo Onishi                1/5/2003

雑貨屋のひとり言 2003年 正 月 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒楽しみ方 教育の方程式 おいしいLA 健康のお話 雑貨屋ホーム

「本年も雑貨屋をごひいきにお願いします」

みなさん新年あけましておめでとうございます。
長―いお休み、みなさんどう過ごされましたか?私はほとんど家でじーっとしているだけでした。でも元気よく、この雑貨屋を発行しています。本年も雑貨屋らしい話題をお届けしていきますのでどうぞごひいきにお願いします。新年号も強力なレギュラー執筆者からの原稿が届き、たいへん楽しい雑貨屋になっています。(R.O.)

新しい年、2003年を迎えました。日米を始め、世界的な不況と社会不安の真っ只中でのスタートですが、今年こそ、暗く長いトンネルから抜け出すきっかけの年となるよう願わずにはいられません。
一年前の正月、私はこの欄で次のような趣旨のことを書きました。

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私達は、一年前の今日、“新しい夢と希望と期待”を持って21世紀を迎えたが、この一年間、アメリカ中枢同時テロ、アフガンなど対テロ戦争、世界的な景気後退など、忌まわしい事件や不況のニュースが相続いた年となってしまった。新しい世紀、千年紀の第1年が“テロ”と“テロに対する戦争”でスタートするとは・・。

100年後、千年後の歴史書に「それまでの国家対国家の戦争から“国境無きテロ戦争時代”になったのが 21世紀の特徴である」なんて書かれるのだろうか・・。 

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あれから一年、私達を取り巻く経済、政治、生活環境には一向に改善された様子がありません。

米国を中心に世界はますます臨戦体制とも言うべき「きな臭い」雰囲気を漂わせ、経済・景気はいまだ暗いトンネルの中です。

戦争が始まれば景気が良くなるという説がありますが、戦争なしで明るい世の中は出来ないものなのでしょうか?

昨年末の米国クリスマス・年末商戦は、当初11月下旬頃は出足は好調で、大幅ディスカウント・ショップに人波は繰り出したようですが、その後、米消費者の財布の紐は緩まず、12月中旬の段階での予想売上が、対前年比で6%減少との調査速報がロサンゼルス・タイムズ紙に発表され、さらに年末に近付くにつれ、予想は下方修正を繰り返し、結局、年末時点では全体で、対前年比マイナス11%と記録史上最低の「伸び率?」との低調予測になってしまいました。

政府の公式数字は1月に発表されますが、いずれにしても景気回復にはまだ程遠いといえるようです。

この結果を受け、米国小売チェーンやファッション・チェーンなどの大量閉店が今年2003年は異常大発生するとの極めて暗い経済アナリストの予測を、ロサンゼルスタイムズ紙が具体的な店舗名を挙げて報じています。

もうひとつの暗雲であるテロ、戦争への懸念も次第に現実味を帯びてきました。昨年11月、アメリカのブッシュ大統領は対テロ対策強化のため、「米国国家安全保障省(Department of Homeland Security)」設置に関する法案に署名、これまでの関連機構を統合し、強力な組織を発足させました。

これに伴い、アメリカ国家としての安全保障は強化されましたが、生活上の不自由も多くなっていることは確かです。ある程度はやむをえないことなのでしょうが・・。
 
一例を挙げれば、米空港での手荷物などのチェック体制がこの元日(2003年1月1日)から一新され、検査基準がますます厳しくなりました。

新ルールでは担当官が疑問を抱けば、機内預けのトランクも鍵を壊して開けてチェック出来ることになったそうです。

また、チーズやチョコレートは場合によっては危険物(プラスチック爆弾など)と疑われる恐れもあるとのことです。

これからは、うっかりトランクに施錠したり、お土産用のチョコレートをトランク内に積め込むことも出来なくなるかも知れません。

ロサンゼルスの日本企業も一部を除いて全般的に厳しいビジネス環境にあるようです。私が3年前からレギュラー出演していたロサンゼルスの日本語ラジオ局も昨年12月から休局となり、放送が途絶えています。

ただ、こちらは技術的な問題が主たる理由ということになっていますが、民間ラジオ放送ですから、このような場合、ますます経営を圧迫することになりかねません。

おかげで毎週2回(金曜日、日曜日)レギュラー出演していたアイドル・タレント(私のこと!?!)も失業です。 ―― と言っても、もともとボランティア出演なのだから「失業」とは言わないか!!

しばらくは私も少し自由な時間が出来ました。この時間を前向きに利用し、これまでより少しは遠いところまで旅行できそうです。

年の初めから暗く湿っぽい話になってしまいました。でも考えてみるに「ピンチこそ最大のチャンス」です。

暗い話はこれくらいにして、さあ、今年も「前向き発想」で未来を信じて明るく頑張るとすることにしよう。
河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言新芽

12月中旬、知人がゆずを贈ってくれた。冬至より数日早く、私は「ゆず湯」を楽んだ。冬は始まったばかりの東京だった。1年ぶりの米国出張に続けた冬季休暇も、今終わろうとしている。数多い旧友と交友を深める事ができ、過ぎ去りし日々を懐かしみ、予期せぬ年末年始となった。時折郊外へ車を走らせ、森や公園を独り静かに歩く。枝にとまる鷲たちの優々たる様を観、新しき年への力を得た想いになる。ふと気付くと、なんと落葉しきった裸体の枝先は既に赤く、「新芽」の準備をしているではないか。自然は、もう次の季節への準備を始めている。そういえば年が明けると日本では「新春」というが、なんだかそれがとても意味深く感じている新年だ。

自然が既に次の季節への準備を成していることを実感し、それに日本人の感性を結び付けた時、徒然草155偏を想い出す。「春暮れて後夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通い、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。この葉の落つるも、先ず落ちて恵みにあらず、下より萌しつはるに堪えずして落つるなり。迎うる気、下にもうけたる故に、待ちとる序甚だ速し。生、老、病、死の移り来る事、またこれに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後ろより迫れり。人皆死ある事を知りて、待つ事しか急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満るがごとし」。

1年で最も昼の短い日を冬至といい、この日を境に昼が長くなっていく。古来日本ではこの時に太陽が蘇ると信じられ、祝された。またそれは「一陽来福」ともいい、春の訪れを告げる時でもあった。この冬至(春告げる日)にゆず湯に入るのは、「湯治」(湯につかって病を治す)と「ゆずが効くように」(融通が利くように)との掛け言葉から習慣化したという。日本人の知恵や工夫、自然の中に閑静と音を楽しむ「遊び」の豊かさに、改めて新年に待つ光を観る(ゆずの効果については、いずれ「蒔ちゃん」に書いてもらう事にしよう)。ここにも日本人の季節の先取り、つまり「新芽」を鋭く見抜き、生活に取り入れる歴史と文化を知る。そういえば「一年の計は元旦にあり」というのも、「新芽」の先取りとは言えまいか。

今年も兄貴こと玉三郎(中條氏)から、箱根駅伝のスタート風景写真を受信した。そこには私たちの忘れし青き春の、その光り輝く汗を観る。そして何故か興奮し、過ぎ去りし頃を回想する。今年も彼等の中に自分のこれからを見い出さんと、つまり未だ観ぬ自分の「新芽」のエネルギーを頂く想いになった。人生はまるで箱根駅伝のようだと呟きながら。この3日間の箱根駅伝が終わると、社会の時計が新たに動きだす様にさえ感じる。駅伝の燃える炎が、「新芽」への準備をしている木々の、その赤く色づいた部分と重なり、それが新しい年への炎(光)とならんことを願う。今年43歳になる元旦に、1本の白髪を見つけた。生まれて初めての白髪、初物だ。これも次の季節への準備、「新芽」だと喜んだ。今年も何かいいことありそうだわんっと、今日も呟くさくらの独り言。 

sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

マキちゃんの健康のお話

−お酒と上手に付き合う方法。のお話しー

皆様、あけまして、あっ、おめでとう〜ごぉ〜ざぁ〜い〜まぁ〜すぅ〜。(歌舞伎調)
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さんはどんなお正月をお過ごしでしたか?

今年のカリフォルニアは皆さんご存知の通り、暖かいを通り越して暑いっ、異常気象もいいとこ。
おかげでビーチに近い僕の部屋から水着で歩道を歩いている若者が見えて、ハワイでお正月を迎えたような経験をさせてもらいました。
寒ーい寒ーい日本の皆さんから怒られそうですが、たまには寒いなかコタツに入ってお正月を迎えなきゃ季節感がなくてつまりませんねぇー。

さて、今回は昨年末にお話しした「お酒」と、いかにして上手に楽しく付き合えるのか?っをお話ししてみたいと思います。

前回は「お酒」はナゼ愛されるのか?いいとこ悪いとこをちょっとだけお話ししましたが、短時間に大量の「お酒」を飲むと人間の運動機能をつかさどる小脳までも麻痺してしまい、歩くことどころか、意識もモウロウとしてきます。こんなんなったらせっかくの「お酒」と楽しく付き合えない。

「お酒」と楽しく付き合うには、己(おのれ)の適量をまず知る事。
適量とは、朝起きたときに血中アルコール濃度がゼロになってる量。
大体ですが、男性の場合、飲める人でアルコール度数4.5%のビールにして大瓶3.8本、少々飲める人で3.5本、女性で飲める人2.5本、少々飲める人2.3本程度なんですってー。
日本酒だと、飲める男性3.9合、少々が3.6合、女性の飲める2.5合、少々2.3合なんだそう。
ちなみに厚生省は、健康のために日本酒にして、1日2合、一週間に最低2日は休肝日をつくる事を薦めています。

「お酒」のカロリーにカラクリがあるのは既に皆さんご存知ですよねー、ビールの大ジョッキで246kcalなんですが、本当の摂取カロリーは89kcalしかないんです。
他の「お酒」ももちろんその通り。一合で42カロリー。
これは゛エンプティ−カロリー"といって、原料以外のカロリーは熱となって体外に放出されちゃうんです。
昔から、日本酒一杯でご飯なん杯分、なんていってましたが、あれはウソだったんですね。

だからといって、仲間と楽しく飲んでいてドンドン度を越してきて、悪酔いしたり二日酔いなんてー事、皆さん有りますよね。
この原因物質は、゛アセトアルデヒド"っていうアルコールの分解過程で生まれる物質。
飲みすぎや肝臓の疲れによってこれを分解する作用が遅れて血液から体中にまわり、やがて脳に達して、゛ようこそ頭痛、悪酔いワールドへー"、っとなります。

こういった経験をしないよう、肝臓の機能を高めておくことが大事。
どうするか、良質のたんぱく質を摂るんですねぇー。
牡蠣、イカ、タコ、ホタテ、枝豆、豆腐、焼き鳥、納豆、焼き魚、貝類などなど。

あとは゛システィン゛。
ゴマ、ウズラの卵、そば、キウイなどに多く含まれています。

「お酒」を飲んだ翌朝は、柿、りんごの果糖が効果的。
もちろん、梅干しに緑茶もお勧めです。

一方、「お酒」好きがたたって、知らず知らずに゛アルコール依存症"になっている事も..。
アルコール依存症の兆候としては、
●休日に朝から「お酒」を飲む。
●二日酔いで迎い酒を飲む。
●一日中延々と「お酒」を飲む。

そこまではいくらなんでも行ってません、っていう方、これは?
●手先の細かい仕事ができない。
●寝汗をかく。
●「お酒」を飲まないと眠れない。

該当する項目がひとつでもあれば要注意です。

また、最近の傾向として女性のアルコール依存症が増えてきているんだそうで、依存症の女性の約90%は、こうなる前に拒食症や過食症を経験しているんだそうです。
これは、間違ったダイエットの皺寄せ。
これはあまり楽しいお話しではないですね、女性の皆さん、くれぐれもムリなさらずに。

今年のお正月は、昨年暮れにちょっとした事があって大人しぃーくしていましたが、来年あたりは又楽しく騒いで『2003年はいい年だったなぁー、今年もがんばるぞぉー』なんて言いながら迎えるゾーっと正月早々考えている蒔田のひとり言でありました。

蒔田 龍人
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教育の方程式

「朝4時起きで、かなりのことができる」

枝広淳子さんの「朝2時起きで何でもできる」を読んで、私も「よし、朝4時に起きて、3年以内に公文についての英語の本を書く」と決心しました。 枝広さんは「決心したことは他人に喋らない」と言っていますが、私の場合は逆に宣言して自分にプレッシャーをかける方がいいのです。 枝広さんは29歳まで、外人を見れば逃げていたような普通の主婦でしたが、夫の転勤でアメリカに2年滞在することになり、「アメリカで英語の勉強をしよう。 その成果を活かすため、日本に帰ったら同時通訳者になろう」と決意するのです。
大学時代の友人が「彼女が同時通訳者になるなんて信じられない」と言うほどの英語の実力だった彼女でした。 そんな彼女がどうして合計4年程で同時通訳者になり、その後、環境問題に関して同道と自分の意見を発言できる人に成長していったのかが、この本には具体的に書かれています。
この本のカバー表紙に「あなたにも魔法がかかる」とありましたが、私にも魔法がかかり、気がついたら自主研究会の仲間や一緒にスペイン旅行に行った仲間にも本の内容を話しました。 旅行中の飛行機の中で、4人の仲間がこの本を読み、今も誰かの所を回っていますが、それぞれに魔法がかかったようです。 私を含めて10人全部が新年の決意を披露しあいました。 中には「今年中にボーイフレンドを!」といった切実(?)な決意もありました。 
本の中身について少し書き出してみると、彼女がまず立てた作戦は、@早い英語に慣れる(相手の言うことがわかる)、 A英単語をできるだけたくさん日本語で言えるようにする、 などです。 @のために、彼女は2年間1日最低3時間はテレビの前に座り、いろんな番組を聞くのです。 最初はチンプンカンプンだった彼女は、それこそ薄紙を1枚ずつはがすように英語が分かるようになり、帰る時にはどんな番組でも8割程度は内容がわかったそうです。 20年間もアメリカにいて、番組によってはかなり内容がわからないことのある私が一番刺激を受けたことでした。 Aの「単語を覚える」でも、素晴らしい工夫をしています。 単語の数を増やすには忘れる数を最小限にすることです。 人は1日経つとその8割以上を忘れます。 記憶の量で成績が決まる学校教育では、この忘却曲線の原理を知らないので失敗するのです。 頭の良し悪しで成績が決まるのではありません。 とにかく彼女は、夫に次の日・3日後・5日後・7日後・2週間後と、その単語を覚えているかどうかをチェックしてもらうシステムをコンピューター化してもらい、どんな単語も最低5日は復習し、爆発的に知っている単語の数を増やしていったのです。 次の日に忘れていた単語は、初めからチェックされることになり、最低6回はチェックされます。 このやり方には感心しました。 
もうひとつ感心したことは、「バック・キャスティング」です。 天気などを「予報する」という言葉にフォアキャストというのがあります。 その逆で、ある未来にあるべき姿・目標を設定して、そこから現在何をしなければならないか光を当てるのです。 公文でも到達点主義といって、よく利用するやり方です。 私が「5年後病気を克服して、生徒数は500人にし、公文の指導者大会で発表する」と決意して成功したやり方です。 幸せに生きるキーワードは、自分が成長し続けること。 この本はその他にも色々と参考になりました。 あなたも是非一度、魔法にかかってみてください。      
西尾 誠一郎but_up.gif (232 バイト)

川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

青空を画布にベランダからの富士

いいことがあったか手話がよく笑う

背丈子に越され小言も遠慮がち

この鏡太って見えるから嫌い
           
自分史の余白に花の種を蒔く


( ニュースやぶにらみ )

(1)「お正月の歌」

  ♪もういくつ寝るとそうせんきょ〜 ―――国会議員 

(2)「今年の気懸り」

  不況風より解散風 ――― 永田町

(3)「駒大が連覇」

  今年もウマ年 ――― 箱根駅伝

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)

あっこのおいしいロサンゼルス

満腹したら食休み(51)
「関東の口福」
明けましておめでとうございます。
今年も食べ続けの1年になりそうですが、皆様お付き合いくださいませ。
昨年11月後半から1ヶ月の日本滞在、その間の私の口福はまだまだ続きます。さて、今回は、前回、前々回の京都から場所は関東に移ります。

新幹線中で名残の京都の味を楽しみながら、次の目的地東京へ。12月1日に実家のある宇部を出発して4日目、今回の最終目的地、茨城県日立市までこの旅は美味と共にまだ続く。

東京に着いた夜は、ロサンゼルス滞在経験のある友人達とここでも再会。京都での再会が関西支部ならさしずめ関東支部というところか。集合場所はもちろんおいしいお店。両国駅近くにある「吉葉」(墨田区横網2-14-5 03-3623-4480)というちゃんこ料理の店。横綱吉葉山が昭和35年に宮城野親方を襲名し宮城野部屋をこの地に建てた。後にそこを料理屋に改装したもの。以前は相撲部屋だけあって、稽古土俵がそのまま残され、その周りをーブル席がぐるりと囲み、砂被りで鍋をつつくこともできる。

ちょうど忘年会のシーズンだったこともあって、平日にもかかわらず、お店はあれよあれよという間に満席。この日ばかりは不景気風もどこへやら、サラリーマンの皆さんも日頃の憂さを忘れて各テーブル盛り上がっていた。吉葉鍋(一人前2200円)は17種類の具がたっぷり入った名物鍋。出汁はお酒をたっぷり使い香りも良い。酒好きだった吉葉山も納得の味か。この日はラッキーなことに週3回ある相撲甚句のライブ(というのかな)の日。ちょうどお酒も程よく回ってきた頃、相撲甚句がますます相撲部屋の雰囲気を盛り上げてくれた。

その夜からは千葉の流山市の友人宅に2泊ほどお世話になった。流山は私たちの自宅がある柏市に隣接しており、おかげで2年ぶりの柏での用事も無事済ますことができた。さて、久し振りの柏では食べつづけた日本料理にも少し飽きたので中華料理を食べることにした。「知味斎(ちみさい)」(柏市柏4-5-23 04-7167-8638)は香港駐在から帰国後、なかなか満足のいく中華料理に出会えなかった私たちが、ここならと思った店。以前あった場所から引っ越していたので少々探すのに迷ったが味はやはり日本人に合う中華料理としては変わらず美味しかった。

翌日茨城へ向かう前に今は貸家にしている自宅をチラッと見に行った。我が家なれど新築後住んだのはたった4年、その後9年近く他人様が住んでいる。しかもバブルの絶頂期の家、ローンだけは今もせっせと払い続けている我が家の不良債権でもある。だけどもやはり愛着があるのか、違う表札がかかる我が家を見るのは、別れた恋人に出会ったようで何とも切ない。

さて、その日のお昼は、そば懐石「あずみ野」(流山市野々下6-104-2 04-7145-1222)でお昼のみの、あずみ野膳(3500円)を味わう。信州そばを懐石風にして食べさせてくれる。もちろんそばだけを楽しむこともできる。店は民家を改装した造りで、玄関から入るとどこかのお宅にお呼ばれしたような気にさせてくれる。和洋折衷、どっしりとして、お庭も気持ちよく手入れされている。ここでもお昼のお客は近隣のミセスばかり。その多くがやはりこのあずみ野膳を食べているようだ。日本はやはり豊な国なのだろうか。

午後は常磐線スーパーひたちで夫の姉の嫁ぎ先、茨城県日立市に甥の結婚式出席のため向かった。
ここで夫の兄弟、義母や甥たちと合流。日立でも美味しい魚をたらふく食べ、結婚式でのフランス料理も、地方といえども侮れずなかなかのものだった。甥夫婦の幸せを願ったのはもちろんだが、やはり関東も口福、美味しかった。
さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

成岡流お酒の楽しみ方

中華人民共和国相性診断の旅B紹興・上海編
中国一大きい紹興酒の蔵見学と30年古酒
上海・骨鍋屋で八時間の骨肉の「争い」?

【アポなしで蔵見学申込】

 二件目のカメラ消失事件を忘れるように、ホテル紹興飯店の橋本・杉原ルームで、いろいろ旅の楽しかったこと、アクシデントのことなどを、日本酒を肴に夜遅くまで語り合った我々は、5日目の15日(火)大食堂で朝食を食べた後、昨日紹興酒「古越龍山」を買った土産物店にタクシーを走らせた。理由は、その古越龍山の蔵見学の手掛かりを掴むためである。
 昨日の彼女たちがいた。佐分利さんが蔵元の住所を聞いている。そして「アポイントを取ってもらえるか?」と聞くと、アポなしで行った方がよいと言う。不安はあったが当たって砕けろと、店の前からタクシーを拾って蔵元へ。 街並みを外れた古越龍山の蔵に着いたのは9時10分、近代的な工場に見える。守衛室で佐分利さんが「日本でも有数のお酒を置いている店のオーナー」らが来ているから見学をさせて欲しいと迫っている。しばらくすると二人の女性が門まで来てくれ「どうぞ!」と言う。一人は外貿公司・副経理の肩書きを持つ潘剣英さんと、もう一人は日本語の通訳担当者。

【中国一の紹興酒蔵】

 正面左の棟に案内される。きちっと見学者用に紹興酒の出来る行程や商品などが展示されている。中には日本の某有名な梅酒メーカーのボトルもある。通訳の話では、この蔵の別の工場で製造しているという。また、ここの会社は中国一大きく歴史があり、その証拠に74年古酒を展示していると言う。また7,000年歴史を持つ紹興酒の「効能」も書かれてあった。
 突き当たりの部屋には、昔の酒造りの道具が展示されてあり、日本酒の道具と似かよっている。そこをカギの手に曲がると、紹興酒を入れる石膏製の化粧壺に絵付けをしている部屋が並ぶ。分業でそれぞれのパーツを描いている。 見学を終えると次の棟は売店である。折角だからと、思い思いの土産用に紹興酒を買っている。今回アクシデントで来られなかったMさん用に、会費から展示されている中で一番の、化粧箱に入った30年古酒を買った。こちらの通貨でも相当高額な紹興酒である。

【釣鐘を6回連打?】

 1時間近くの見学の後、門の前で潘剣英さんらと記念撮影の後、紹興市を一望出来る府山まで、またタクシーで向かう。小高い丘全体が公園になっており、入場料はガイドブックよりは上がっていて10元(150円)。
 佐分利さんを残し、我々は門の上に上がったり、越王殿を見学して、一番高い所に位置する国宝の「飛翼楼」までたどり着いた。するとその横に釣り鐘があり、6回鳴らすと最高の御利益があると書かれてある。私はみんなの幸せのために鐘をついた。さてこの音が紹興の街のどこまで響き渡ったのか?(もちろん15元と有料だが、後で記念に釣鐘のミニチュアが貰えた)
 塔に上がるとまさしく街が一望出来る。足下には我々が泊まっている紹興飯店が見える。その反対側の公園では、なにやら催しのための飾り付けが進んでいる。展望を堪能して階下に下りると売店があり、フィリピンの歌手デッサ・ケサダを彷彿とさせる可愛い女性が一人(後でメンバーの一人が歳を聞くと28歳といってたが、相当若く見えた)。
 すでに降りていたメンバーは、私が多分麦酒を注文するだろうから、冷蔵庫に入れて冷やしておくべきだとアドバイスしていた様子。「やむなく」麦酒を注文するが、当然まだ冷えていない。それでも日中友好と笑顔でいただき、ここでも記念撮影(この女性と先の古越龍山の女性達にも写真は送った)。

【またもバスが来ない?】

 上海へ帰るバスの時間が迫っている。公園の入口からまた輪タクに分乗してホテルへ。改修工事中の建物を通って部屋に戻り、早々チェックアウトしたのが11時36分。 タクシーを呼んでもらい12時9分に出発したが、私の車は酒蔵を教えてくれた売店の女性たちに、報告とお礼にと國乃長15年古酒をプレゼントするため遠回りをして、バスターミナルに12時22分到着。
 次の上海行きのバスは1時50分。不吉な予感はしたが、まずは腹ごしらえと、ビルの端にある食堂に入る。ここでもいろいろ注文してビールも10本飲んで、9人で198元(約3,000円)午後1時21分、食事を終えて待合室へ。刻々と出発時間は迫ってくるが、いっこうに到着する気配がなく、遂に案内表示も消えてしまった。
 佐分利さんが情報収集に案内所に行ってくれたが、またも「ガスのために遅れている」という。そうこうしていると、次発の上海行きバスが入ってきた。今回も一便遅れに乗ることになるのかと思いながら列に並ぶと、次発の切符を買っている人を乗せだした。そうなると先発の乗客が当然怒り出す。ワイワイガヤガヤ(言葉が分からない)と騒然、ようやく責任者らしき人が出てきて、別のところに移動しろと指示した。そこには確かに上海行きのバスが止まっている。どないなってるんやと思いながらも乗車、ちょっとしたアクシデントはあったが、ようやく2時53分に出発した。
 それにしても、運賃が来しな71元、帰りが70元(1050円)と1元違う。想像の域を出ないが、帰りはバスガイドがいないのでその分なのか?

【おこぜとへび料理に舌鼓?】

 5時56分夕闇迫る上海のバスターミナルに帰りついたが、タクシーが拾えない。反対方向に渡り、交通渋滞の中を遠回りして、ホテルにたどり着いたのが6時半を回っていた。会社に顔を出すという佐分利さんを見送り、荷物を部屋に持って行ってロビーに集合。
 以前寺内さんが行ったというレストランに徒歩で向かう。7時22分レストラン「上海人家」に到着したが満席。20分待たされた後、2階へ通されたが思うようにオーダー出来ず、担当の女性に美味しいのを教えてもらうことになる。
 その中に「へび料理」があった。ちゅうちょする人もいたがトライすることにする。しばらくすると一緒に頼んだおこぜとへびをバケツに入れて見せに来た。これを見たメンバーの何人かは「もうあかん」と食べる前からギブアップ気味。
 先にきたものから口に入れていると、花びらのように綺麗に盛られたお皿が出てきた。これがあのへびなのである。これだけ見たら箸を付けた人もいただろうが、生きた姿を見たものだから尻込みする人も。いざ口に入れると、「カレイの骨煎餅」といった食感で、あまり身が付いていない。増田さんなどは、へびの皮の湯引きの方がえらくお気に入り。
 エビチリソース和えや麻婆豆腐など10品近くに、名物鍋料理も頼んでいて大満腹だったが、やはり印象に残ったのはへび(結構高かった)。帰る途中「ローソン」でアルコール類を仕入れて、ホテルの自室に帰ったのは9時54分。寺内・成岡ルームで二次会を開催して、12時過ぎまで珍味談義に華を咲かせた。

次号に(雑貨屋348号)につづくbut_up.gif (232 バイト)

編集後記

新年早々、寒い日がやってきました。さあ、明日から仕事です。風邪を引かないように、今年も楽しい一年になるようにしましょう。

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http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.347

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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