Zakkaya Weekly No.345
Ryo Onishi                12/22/2002

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先週また腰が痛くなりました。これまでと違い、回復に少し時間がかかっています。医者からは安静にするしかないと言われたのでおとなしくしています。同じ姿勢でずっと仕事すると良くないそうです。背筋を鍛える必要があるようです。これで来年の目標が決まりました。腹筋と背筋を鍛えることにします。先週は宴会が3回予定されていたのですが、腰痛のせいで2回ミスしました。年末のゴルフもキャンセルしました。無理してやっていたらとんでもないことになっていたかもしれません。年末年始は腰痛なしで迎えたいものです。(R.O.)

『クリスマス・デコレーション案内』
毎年 クリスマス シーズンには、色々なところで家や街並みがイルミネーションで美しく飾られます。

そのうちのいくつかは、毎年恒例の名所として遠くから見物客も押し寄せています。
 そんな X’mas デコレーションの名所のからいくつかをご紹介いたします。 

(1) Robert Road、Torrance(ロバート・ロード、トーランス)
トーランス周辺にお住まいの方には最も身近なスポットです。

P.C.H.(Pacific Coast Highway)から Robert Road へ入ってゆくと、周辺一帯はイルミネーションと光のるつぼです。

特にこの一帯は家々の飾りに加え、街路樹も無数の豆電球で覆われ見事です。
 
 場所は Torrance市で、Calle Mayor のすぐ西の Robert Road を入ったところです。

(2) Daisy Ave.(デイジー・アベニュー)
ロングビーチ市(Long Beach)の Daisy Ave. 沿いの一帯は道路の両脇の家々はもちろんのこと、道路の中央分離帯の芝生も素晴らしい飾り付けがなされています。

そこにはロングビーチ市にゆかりのある建物のミニュチアなども飾られており、X’masイルミネーションと共に見物客を楽しませてくれます。
 
 行き方はFWY #405(南) → FWY # 710(南)で P.C.H.(Pacific Coast Hwy)でFWYを降り左折(東へ)。4ブロックほど進み、Daisy Ave.を左折(北へ)したところ。

(3) Candy Cane Lane(キャンディ・ケーン・レーン)
ウッドランド・ヒルス(Woodland Hills)にある通称“Candy Cane Lane”と呼ばれる一帯で、ここのコミュニティがまとまって飾っています。12月始めから年末まで見られます。

 行き方はFWY #405(北) → FWY #101(西)で Winnetka Ave.で降り右折(北へ)。
すぐのHatteras St.を右折すると、もうそこにきらびやかな家々があります。

(4) Balian House(バリアン・ハウス)
アルタディナ市(Altadena)にある豪邸で、3.5エーカーの敷地に広がる芝庭園と建物は数万個の電球と電飾で飾り立てられ、眩いばかりになります。

L.A.地域の X’masデコレーションとして最も有名な場所の一つです。12月15日から年末日まで見ることが出来ます。

場所は、Altadena市で、行き方はFWY #210 を Lake Ave.で降り北へ。Mendocino St.を右折(東へ)し、Allen Ave.との角にあります。

(5) Upper Hastings Yule(アッパー・ヘイスティングス・ユール)
パサディナ市(Pasadena)のHastings Ranch Dr.周辺のコミュニティがまとまり、道路ごとにテーマを決めて毎年X’masデコレーションを競っています。

これは上記(4)のBalian Houseと異なり、広い範囲で多くの家々が飾りたてているのが特徴です。ここも12月15日から年末日まで見ることが出来ます。

 場所は、Pasadena市で、行き方はFWY #210 を Sierra Madre Blvd.で降り北へ。Hastings Ranch Dr.を左折(北へ)するとすぐわかります。
河合将介( skawai@earthlink.net )
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さくらの独り言おもちゃ

「さくらさんも、いよいよ地球人ですね」と部下にからかわれた。私用の携帯電話機を購入したからだ。個人用としては、初物だ。「頼むから、携帯電話でメールができる様にしてよ」との暴言親友の言葉に「そうね」と言いながら2年が経った。やっと購入したさくら第一号携帯電話機はカメラ付きの最新型、おまけにクリスマスのハズミでPDAまで買ってしまった。マニュアルを読むだけでも大変だ。新しいおもちゃを買ってもらった子供時代の気分だが、何故か複雑な心境のさくらである。

今回の私用携帯電話機入手は、「持たされ」ていた携帯電話が「持つ」という関係へ変わることを意味する。私は1990年初期、州政府のイベント時は重さ2s近いショルダー電話を担ぎ、1990年半ばには、会社推薦の自動車兼携帯電話を渋々と受領し、日本着任した2000年からは、義務付けられた会社支給のPHSを常に携帯した。私にとって「携帯電話」の部類は、あくまでも「仕事」に必要な、もしくは仕事上強制された部品(ツール)であって、自分の意志で積極的に「持つ」もの、もしくは何かを楽しむ「おもちゃ」などとは程遠いモノだった。今、自分が初めて「持つ」多種多様の機能を備えた携帯電話のマニュアルを読みながら、必要/不要と機能/実活用の違いを痛感している。そして携帯電話商戦は、日本国内利用者7000万人という大衆の広がりと個々の趣味好み満足という狭間で、著しく繰り広げられているのだと知る。

音声生理学者グラハムエジソンによって発明され、その後トマスエジソンらによって改良された電話と、イタリアの電気学者モルコーニが発明した無線通信技術の実用化が、携帯電話の両親と言える。日本における携帯は、1953年に開始された湾岸電話に発し、1979年に登場した自動車電話がそのルーツである。日本における実用化の波は、小型化や軽量化のみならず著しい低価格化にも見られる。1985年に発売された「携帯電話」ショルダーホンは重さ3s、現在の携帯電話機はわずか70g、入手/購入も10万円を越す高額なレンタル式から、数千円代の買い上げへと移行した。また、店頭では旧機種(6ヶ月前のもの)などが、なんと1円で販売される今日になった。そして「次世代携帯電話生活」が話題となって、規格改善や電波の確保等により、映像、メモリー、使用範囲、料金、ナビゲ−トシステム等、地球人は宇宙人に勝る通信技術を用いて、地球の小さな世界作りに貢献する様子である。今や「電話通信」は、必要品から「おもちゃ」へと移行していると言っても過言ではあるまいか?

12月20日、年末最後の仕事でサンフランシスコへ飛んできた。1年ぶりのアメリカ大国だ。雨のサンフランシスコ空港で愕然としたもの、それは今迄になかった米国、携帯電話文化だ。アメリカに追い越せ追いつけだった日本、しかし携帯電話に関すれば出遅れのアメリカ、文化の違いがあったにせよ否めない事実だ。それは携帯電話の普及や技術発展ばかりでなく、マナーの面でも同じ。マナーやエチケットにあれ程うるさかった良きアメリカに、4年前の日本に感じた不快な携帯電話習慣を観た思いだった。アメリカ到着後、出迎えの友人を2時間待った。昔から携帯電話を持たない主義の人だった。彼の職場へ空港の公衆電話から連絡を試みたが、公衆電話は皆壊れていた。東京の街で電話ボックスを捜せないのと同様だと悟った。時差ぼけの自分がラゲージエリアの待合い室で携帯電話マニュアルを真面目に喜んで読んでいたが、次世代スクリーンでそんな自分を写し出されている思いになり、自分に嫌悪さえ感じた。「おもちゃ」という言葉の語源は、「華美な服装、飾り物」であったことを思い出し、購入したばかりの私の携帯電話がそんなおもちゃに終わらないようにしなきゃと悟りつつ、課題を残した。日本で私用携帯電話を買えよとアドバイスをくれた前述した親友は、私への最初のメール及び電話の発信者となったことを思い起こし、現代のおもちゃを手にした宇宙人さくらが、携帯電話をコミュニケーションツールのひとつとして活用し、さらに楽しみを増やし広める工夫と知恵を持ちたいと考えなおしている、その親友が教えてくれたようにと。たかが携帯電話、されど携帯電話である、っとつぶやいている、時差ぼけさくらの独り言。
sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

旧友が 喪中葉書で 来た別れ

今年まだ もう一仕事 今日柚子湯

リストラで バイト サンタに 寒い風

キリストでなくて 子等には サンタの日

春夏春秋 吹き荒れていた不況


( ニュースやぶにらみ )

「大統領に民主党の慮氏」

韓国がまぶしい ――― 菅代表

「松井選手、3年で25億円」

何に使うのだろう ――― 田中 耕一

「借金苦」

気にするな、国の予算なんて44%が借金だ ――― ノー天気

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)

あっこのおいしいロサンゼルス

まんぷくしたら食休み(49)
「京都の口福」
初冬の京都。12月1日から3泊4日で訪問。山口からロサンゼルスに帰る夫を最寄りの新幹線駅で見送り、私もその足で友人と合流、いざ京都へ。山口から2時間半、京都でさらにもう1人と合流。

翌日からは大阪在住の友人、京都在住の友人夫妻がお付き合い下さり、総勢6名での京都巡りとなった。いずれもロサンゼルス滞在経験者ばかり。久し振りの再会にロサンゼルスのアレコレなどで話も弾む。12月だというのに思ったほど寒くも無くお天気も上々。

私は京都をよく知らない。京都ハイライトコースも知らないくらいだ。20年以上前、晴れ着を求めて母と呉服屋さんに連れられて来たときは、鞍馬、貴船とかなり渋いコースを巡った。それ以来の京都だ。今回の行き先は京都在住のご夫妻に全てお任せ。それに私たちの希望を少しずつ取り入れてもらったわけだが、他の友人と違って、京都がわからない私は特に希望も無かった。すでにグルメコースも予定に入っているという。それなら安心、何も言うことは無い。

観光1日目はバスに乗って、嵯峨野、嵐山方面へ。大覚寺、念仏寺、祇王寺などを参拝して、お昼は湯豆腐。友人夫妻は天竜寺境内にある西山草堂を予定。ところが何せ熟女の散策、あちこちと寄り道も多い。名残の紅葉を見つけては記念撮影、野辺に咲く可憐な花を見つけては記念撮影、かわいらしい小物屋さんを見つけては足が止まり、京漬物の試食があろうものならバリバリと遠慮なく頂く。すぐそこに次のお寺があってもその道のりのなんと遠いことか。

黒一点のご主人などきっとイライラされたに違いないが、そこは全くのお構いなしの5人の熟女たち。とうとうお昼時分になっても天竜寺にはたどり着かず、近い所にある清涼寺(釈迦堂)境内にある湯豆腐料理の「竹仙」へ変更。ここも嵐山の湯豆腐では評判のお店の一つだとか。

お昼のメニューは湯豆腐3.500円。これを皆で頂くことにした。まず、赤いお膳でお料理が運ばれ、湯豆腐の土鍋が用意される。お料理は精進、京料理の代表のひろうす、胡麻豆腐はもちろん湯葉や生麩を使ったものがかなりおいしい。なかでも、白和えは京菜、豆腐、生湯葉が味噌で和えてあり、やや甘口の味噌の香りがなんとも言えず美味しく、忘れられない味の一つ。湯豆腐のお出汁も昆布が上品な味を出し、柚のすっぱいタレを和らげてくれる。豆腐も適度な歯ごたえと柔らかさがあり、口の中でさわやかに溶けていく。まさに京の口福。

湯豆腐を堪能した後は、落柿舎、常寂光寺、大河内山荘、竹林を抜けて天竜寺へ。天竜寺では拝観時間もそろそろ終了、ではせめてお庭だけでもと拝見し、その後夕暮れの渡月橋を散策。京福電鉄嵐山線駅のお土産やさんで夕食に向かう前の熟女たちは、ここでもまたまたお買い物。

夕食は友人夫妻のおもてなしによる鳴滝の割烹「蔵羅」へ。めずらしいことに駅の構内にあるほどの近さ。その名のとおり、蔵をお店にした建物。ここでは、女性好みの会席を頂く。お酒も会話も弾み、踊る人も出る始末。よく歩き、よく食べた京の口福一日目。

さて、翌日は前日とは真反対の東山方面へ。さてこの日の私だが、前日よく飲み、よく食べ、ついでに踊ったのにもかかわらず、何だか調子悪い。夜中から、胃がきりきりと痛む。ホテルでの朝食も食欲なし。これはいったいどうしたことだ。興奮と食べ過ぎのツケがきたのか…。
さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

 

一口コラム

羅府の庄助   skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

編集後記

先日、宿泊した由布院のホテルから、カレンダーが送られてきました。ホテルのオーナーが画家で、カレンダーには彼女が描いた画でした。ユニークなホテルでしたが、この心遣いはうれしいですね。
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Zakkaya Weekly No.345

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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