Zakkaya Weekly No.341
Ryo Onishi                11/24/2002

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山は紅葉できれいに色づいています。紅葉を楽しんでいますか?先日、大勢の幼稚園児たちが枯葉の上で何かを拾っている姿を見かけました。昔、私も小学校の先生に連れられて、近くの公園でイチョウの葉や木の実などを拾ったことをふと思い出しました。毎年、当たり前のように変わる日本の季節を感じれるのはうれしいことです。今週も暖かな週末でした。もう少し、続いてもらいたいものです。(R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(136)

ミッション・イン・ホテル(Mission Inn, Riverside)
ロサンゼルス・カウンティの東に位置するリバーサイド・カウンティの中心的都市であり、サンタ・アナ川沿いの広い内陸平野に位置するリバーサイド市は古くからオレンジを始めとする柑橘類の産地としても知られ、嘗てはアメリカの中で人口一人当り最も裕福な都市とも言われたほどです。

今でも、リバーサイド・ダウンタウン中心街は輝かしい往年の名残りを留めた歴史的建造物が多く残っていますが、その中でもひときわ目立つのがミッション・イン・ホテルです。この建物自体がそのまゝ歴史博物館と言っても過言ではないでしょう。

この建物は“National Historic Landmark”及び“California Registered Historical Landmark”に指定された国宝級の建造物であり、カリフォルニア州にある建造物としては、州議事堂(サクラメント)、ハースト・キャッスル(サン・シメオン)と並んで評価されているもので、まさにアメリカとカリフォルニアの宝とも言えるものです。

このホテルは創立者フランク・ミラー(Frank Miller)によって 1876年に開業し、その後彼は30年以上の歳月をかけ、精巧なドーム、鐘楼、時計台、5階までの螺旋階段付き建物、聖フランシス礼拝堂、コートヤード、パテオ等のある荘厳なミッション・スタイルのホテルを作り上げました。

同時に彼は金額にして500万ドル以上の金を投じ、ホテルのために美術品、骨董品を購入しました。

収集品の中にはティファニー・ステンドグラス、木彫製の天使、大理石像、オリジナルのミッションベル、ブロンズ製菩薩、実物の大聖堂オルガンなどが含まれています。

ホテルロビーには歴史に残る21のカリフォルニア・ミッションが織り込まれた絨毯(じゅーたん)が敷きつめられ、壁には最近の合衆国大統領の肖像画が何枚も飾られています。

これまでも多くの賓客がこのホテルを利用しており、例えば、サラ・ベルナール、アルバート・アインシュタイン、アンドリュー・カーネギー、W.C.フィールド、セオドア・ルーズベルトなど枚挙にいとまがありません。

故ニクソン元大統領がパット夫人と結婚したのも、またレーガン元大統領がナンシー夫人と新婚旅行に訪れたのもこのホテルでした。ハンフリー・ボガートもここで結婚式をあげた一人だそうです。

 通常、ホテルというものは宿泊、食事、パーティ、会議などのために訪れるものですが、このホテルに限っては、もうひとつ“見学”という目的で訪れるのも意味があるでしょう。

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●住 所 : 3649 Mission Inn Ave., Riverside, CA 92501
●電 話 : (909) 784- 0300
●Web Site: http://www.missioninn.com/

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行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY#91を東へ。
(2)リバーサイド・カウンティへ入り、FWY#15を通過してから更に約10マイル程FWY#91を東へ進み、University Ave.出口でFWYを降りる。
(3)FWY を降りたらUniversity Ave.を左折(北西へ)。
(4)今来たFWYの下をくぐり、最初の道路であるLime St.を右折(北東へ)、更に最初の道路のMission Inn Ave.を左折(北西へ)、2つ目の信号機のある交差点(Mission Inn Ave. x Orange St.)にホテルの建物がある。駐車場は周囲に公共駐車場があるのでそこを利用する。
(5)全行程 ;(Torrance方面からの場合)約60マイル、ドライブ約1時間。
河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言カリスマ

初めて会った瞬間、「この人の下で仕事をしてみたい」と想った。今から7年程前、社内全米ミーティングの時だった。彼の人柄とリーダーシップの素晴らしさ、そして不思議な「カリスマ性」は、日米社内(米国人/日本人社員の間)でも有名だった。彼の名は、与那嶺ポール、2年前、米国から日本へ私を連れてきた張本人だ。日本異動と同時にNYやCAへの異動話も進む中、あえて私が日本を選んだのも、彼の持つカリスマ性ゆえかもしれない。最近「大企業病」に侵される管理者や経営者に出会う度、カリスマ性に飛んだ人望厚きリーダーの下で仕事ができる今の自分を、心の底から幸いに想う。

企業が成長し大規模化すると、組織は肥大化し官僚的になり硬直化する。その結果、業務は形式的なものとなり、それに携わる「人」は安全性を求めはじめ、創造することを求めなくなる。知名度の高い「大企業」に多い傾向だ。リーダーシップもカリスマもないリーダー達が煩雑化した業務の合間から、それとなく整理された書類を提出する滞りない会合が増え、それでシャンシャンとなる。砂の上に建てる家の如くである。そこには、「人」のカリスマ性を感じない囚人世界の匂いさえ感じる。「この人について行きたい」と思うものを持たない、持ちたくないという企業人に出会うたび、私は悲しくなる。これは宇宙人の私だからかと、自分を責める。同時に自分には「この人が居る限り」と思えるリーダーの元に居ることを幸いに想い、感謝する。

「カリスマ」とは、「超自然的/人間的な資質・能力」(広辞苑)、「人々を信服させる教祖的な指導力」(講談社)である。これはもともとギリシャ語で恩恵を意味するkharisから発生している(添付チャート参照)。また「カリスマ」とは、「人」そのもの、つまり人々から無条件に信頼され、またついて行きたいと思わせられるような不思議な力を持っている人を指す。これはどの国においても同様に使用されている。宗教、社会、歴史、言語、文化そして心理の学問的な分野における分析や定義は別として、「融合」という観点において、「大企業病」に悩む企業の処方箋に上げてはいかがかと想うこと多い。「カリスマ」のひとつである「人」を無条件に動かせる賜物を持った人材を活かし産むことを、日本企業が今こそ注目しなければならない、いや、求められている事ではないかと切に想う。(参照Charisma.pdf)

与那嶺ポールのカリスマは、「人の心」や「人の道」を大切にする魂の熱だ。男性というよりはむしろ人としての、基本的欲望や熱望を支え助けてくれるという信頼感だ。何もない平地に鋤で共に溝を作っていこうとする姿の根本(ラーニングの語原)だ。これこそティームを包括する神秘的リーダーだと信じている。そして彼のそのカリスマは「日本の心」から生まれていることも否定できない。先日、出張で疲れた私を乗せたエレベーターのドアが開いた。オフィスのある階についた時だった。開いたドアの向こうにポールが立っていた、地上へと降りようとする人並みのだった。彼は私が降りてきたエレベーターを見送り(に乗らず)、私を捕まえて10分足らずの対話をした。その時私は、「この人がいる限り、この会社を辞められないな!」と想った。東京着任の2年前、いや、彼と初めて会ったあの頃を思い出させた瞬間だった。「企業」とは、人を止める業と描く。それはリーダーの「カリスマ」、企業の資質のひとつと痛感した。ポールに出会ったことも、大切に育ててもらっていることも、感謝した瞬間だった。人には、生まれながら与えられた「カリスマ」と生きながら培うそれがある。私もなにか、無条件に人に感じさせられる何か、「カリスマ」が欲しいと、東京の冬空に祈りを捧げた、、、さくらの独り言。

sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

空咳で言い訳してる電話口

ついでにと妻にも子にも使われる

隙間風ともかく目張りして夫婦

宮仕え男にもある更年期

初めての上座で明日から無職

( ニュースやぶにらみ )

「国債30兆枠突破」
小泉公約も偽装が多いな  −雪印食品他

「勤労感謝の日」
力士の皆さんご苦労さん  −貴乃花、武蔵丸

「朝青龍優勝」
感動した!   −モンゴルの首相


(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)

あっこのおいしいロサンゼルス

満腹したら食休み(47)

「帰省」
 1年半ぶりの日本だ。不思議なことに久しぶりという実感がまったくない。その間の日本に居なかったという時間の中断が感じられないのだ。いつもであれば、飛行機が着陸態勢に入ると、気もそぞろ、胸がキュッと締め付けられるような興奮がじわじわと湧いてきて、鼻息も荒くなりわずか数分がとても長く感じられる。それが今回は、ついウトウトしてしまい、着陸するときの振動で目が覚めた。そして空港で入国手続きをするときも、いつも感じるかすかな緊張感さえないのだ。どうしたことだろう。ベルトコンベアーから出てくる荷物を待ちながら、考えてみた。

まず、1年半という期間はそう長くはない。浦島太郎でもなく、ロサンゼルスでは日本語テレビを毎日見て、日系スーパーの豊富な日本の食材に囲まれ、外食も何でもあり、日本語の書籍も不自由なく手に入る。特に最近その便利さはますます加速してきたように思う。そして普段付き合う友人もほとんど日本人。よって日本語どっぷりの生活。100%日本と同じ生活ができるわけではないが、私の日常の殆どは日本なのだ。

次に疲れていた。出発の前日は日ごろの不精がたたって、始末しておかなければならないことに追われて、結局徹夜をした。機中で眠れない性分なので、中途半端に寝るより、睡眠不足であれば眠られるだろうという開き直りもあった。夜明けの荷造りだけでもうクタクタ。それでも早めに空港に着いて、離陸30分前には搭乗完了。いよいよ離陸かと思われる頃、後燃料タンクの不備のため離陸が2時間遅れるというアナウンス。おまけに風が強いということで、飛行時間が12時間という。結局飛行機に14時間半座りっぱなしだったわけだ。当然、関西空港間への到着も遅れ、挙句に福岡までの乗り継ぎ便にも乗り遅れた。JALから支給された新幹線代で、乗り換え乗換えで山口に帰ることになった。これを聞いただけで疲れて、緊張感もどこかへ消えた。

今回の帰省は夫と一緒だ。夫の父の法事が主な目的で、夫にとっては2年半ぶりの帰省になるが、考えてみると一番の理由は多分夫と一緒という安心感。一人でああして、こうしてという緊張感が半分で済む。そして何かトラブルが起これば、夫にそれを預けてしまえばいいのだ。こんな楽なことはない。妻にとってまことに都合のよい勝手だが、それは多分夫にとっても同じこと。妻だって役に立っていることは十分にあるのだから。

一人で帰省するのも気楽でいいが、連れが居るというのもよいものだ。今回、よく言えば穏やかな気持ちで、ある意味緊張感のない帰省は、夫がいたからかという理由が一番大きいようだ。

今、夫の実家でこの雑文を書いているが、心温かく無条件に受け入れてくれる故郷の家族たちに何よりも感謝。そして、今夜から食べられる故郷の味も楽しみ。

さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

 

吟醸みゅーじあむ 成岡流お酒の楽しみ方

中華人民共和国相性診断の旅A上海・紹興編
上海蟹づくしと第2回相性診断・紹興酒の本場で第3回相性診断

天安門広場前は駐停車禁止

 三日目の13日(日)は上海へ移動する日。午前中にユネスコ世界文化遺産の故宮博物院を見学しようと、徒歩組とタクシー組に分かれ、集合予定を天安門前に9時として、徒歩組がホテルを出発したのが8時28分。
 ところが、徒歩でも意外と時間がかかり、9時12分着。しかし、タクシー組が見あたらない。よく見ると天安門広場前の道路は駐停車禁止、多分遠くで降ろされたのだろうと探していると、「Stop!ゆうてんのに止まってくれへんねん。ずーと行き過ぎた所で降ろされてん!」と憤慨しながらやって来たのが23分。
日曜日ということなのか天安門をくぐるところは人人人。
 故宮博物院の入場料一人40元(600円)を払って9時42分入場。この広さと人出では迷子になってしまってはいかんということで、グループ単位で12時ホテルに帰り着くことにする。
 橋本・岡さんと私は、午門をくぐったところで「ガイド器」なるものを40元で1台借りて、私がそれを復唱することにして先に進む。

故宮博物院は馬鹿でかい

 金水橋を渡り、太和門から外朝に入り、太和殿→中和殿→保和殿に進み、保和殿裏の階段横にある故宮最大の「雲竜石彫」を上から下から眺める。ガイド器によると「重さ200トンを越す大理石の1枚岩で、北京郊外にあったものを、2万人の人夫が28日間を費やし、様々な工夫をこらして運んで来た」という。何でも「540b毎に井戸を掘り、寒い日にそれを汲み上げ凍らせ、丸太を並べて転ばして運んだ」とか。
 その後乾清門から内廷に足を踏み入れるも、時間が無い。皇帝たちが月見をしたといわれる「堆秀山」を見上げたところで引き返すことにして、ここの売店でも記念のプレートを40元で買い求め、足早に午門のガイド器を借りたところに戻る。ところが、身分保証のために預けた私の運転免許証は、北の神武門に持って行ったと言う。どう考えても三人共聞いた記憶がない。多分受け付けた時はごった返していたので、説明したつもりだったのだろう。時間があれば我々がもう一度見学しながら行けばよい話だが時間が迫っている。結局受け付けた青年が自転車で神武門まで、取りに行ってくれることになった。待つこと10分余り、もらって急いで午門前のタクシーに乗り込み、ホテル礼士賓館に戻ったのは11時50分とインタイム。それにしても故宮は広かった。

チェックアウト事件とチェックイン事件? 

 全員が揃ったところでチェックアウト。すると、二人の延泊分のお金440元(6,600円)を払ってくれと言う。「何でや?」と聞くと、昨日チェックアウトしてないと言う。「そんなことはない。昨日ホテルの車で空港へ行ったではないか」と言うと、ドアーのカードを返してないと言う。「そんなことはない、本人に私がチェックアウトを確認している」と食い下がり、カードの袋をゴミ箱から探し出してくれと言うと、カウンターの下のテーブルからカードの入った袋を出し、今朝9時頃チェックアウトしただろうと言い出す。「こちらは、その時間には故宮に行って居てないし、本人らは上海に居る」と言うと、今度は折半で220元にするから払えと言う。「こちらのミスでないのに何で払わなあかんねん!」と応じない。ついにはフロントの男女の責任者同士が責任をなすくり合っているようで、ついには男性は紙を投げつけて食事に行ってしまって、唖然としたまま話は終わってしまった。
 それでも、我々がホテルの専用車に乗り込んだところで、次の時から割引になるVIPカードを持ってきた。そして、ホテルを出発したのが12時39分、昨日よりは少し時間がかかって13時15分北京首都国際空港に到着。順調にチェックインを終え、13時40分セキュリティーチェックを済ませていざ上海というところで私が引っかかった。
 いつも携帯しているソムリエナイフがX線で見つかったのだ。国際線を使う時はスーツケースに入れているが、うっかりしていた。係官は、時間はあるからもう一度それを預けに行けと言う。やむなく先のカウンターに戻ると、22番カウンターへ行けと言う。そう言えば我々がチェックインしている時に大騒ぎしていたカウンターである。小さな箱にナイフを入れてもらい、もときたゲートに戻ると、今度は「ペットボトルクーラー」の中身はなんだと言い出す。日本酒だと言うと「それは税金を払ったか」「爆発しないか」としつこい。結果「飲んでみるか?」とコップに注ぎかけると、もういいと言ってようやく通過。

北京〜上海は国際線?

 余裕の他のメンバーと会って経過を説明して、時間を惜しんでスタンドで18元の激辛カップラーメンを食べ始めると搭乗開始。えらい早いやんかと思いながらも半分残して41ゲートをくぐると、結果バスに乗せられて国際線の9番ゲートに駐機している飛行機に乗せられた。即ち、中国東方航空公司の成田発北京経由上海行きの国際線は、北京からの国内線MU5152と同じなのである。15時25分離陸して17時03分上海虹橋国際空港国内線に着陸した。
 空港には寺内さんの会社で中国の責任者の佐分利さんが出迎えに来てもらっている。
みんなを待たせて、今日からの参加の杉原さんを国際線到着ロビーまで探しに行き、無事キャッチして一同キャブタクシーに乗り込み、本日の宿舎千鶴賓館に到着したのは18時05分。このホテルも第一候補のホテルが満室で取れなくて、虹橋空港に近いということで佐分利さんが取ってくれたホテル。三つ星ホテルなので北京よりは高級感はある。

カニにはえにし?

 荷物を解いてお酒をぶら下げ、「上海名物」の上海蟹など色々な蟹を食べさせてくれる「百蟹園」に向けて18時55分出発。交通渋滞の中をくねくねと道を迂回しているのかしていないのか、さすがの中国滞在歴の長い佐分利さんも分からなくなった様子。
 分乗していたメンバーが揃い、いざ入店。二階に通されまずは、「お酒持ち込み」の許可を得、ペットボトルを冷やすために「ワインクーラー」を頼むが、11本を冷やすだけの物がない。止む終えず三本づつ冷やすことにし、残りはそれまで冷蔵庫で冷やしてもらうことになる。
 蟹の種類も色々あり、まずは一人に一匹蒸した上海蟹、高価な「酔っぱらい蟹」という生の上海蟹を五狼液(酒)に一週間程浸したものは四匹、一番大きいのが蒸しても赤くならない「雪蟹」二匹、蟹のかたちの容器に蟹味で煮込んだ白菜の煮ものなど、6〜7種類の蟹づくしならぬ蟹喰い尽くしに挑戦した。
 ご存じのように蟹を食べ出すとお酒が進まなくなるし、無口になる。それでも頑張って相性診断をしてもらったが、愛知県の「義侠・えにし縁特別純米」が常温で飲むと群を抜いて蟹に合うことが証明された。続いて、さすが蟹の本場の兵庫県の「香住鶴・吟醸純米」が二位で、石川県の「常きげん山廃純米吟醸」が三位に食い込んだ。
 蟹を堪能した我々、上海在住の二人、中国女性二人を含め計16名で締めて6,518元(約10万円)と今回の旅行での一番デラックスな夕食と相成りました。それでも、期待が大き過ぎたのか「せこがにの方が旨い」と言う声も。
 ホテルに帰り、ロビー横のバーコーナーでビールやコーヒーを飲みながら、今日一日の出来事を語り合って部屋に戻ったのは23時半を回っていた。
 4日目の14日は、高速バスに乗って紹興市に行く日。しかし、先に帰る二人を朝6時に見送り、ホテルで朝食後近くの市場に行く。活気溢れる下町の情緒を味わいながら、「中国チヂミ」を2元(30円)で買って口にほおばる。
 もう一人この日帰国する、今回のメンバーの中で最短(二泊三日)の岡さんとホテル前で記念撮影。そこで「記録用のカメラがないから私のを貸して上げる」と親切に言ってもらって、高級なズームレンズの付いた一眼レフを貸してもらった。(実はこのカメラも災難に遭遇するのであります)

一人四〇〇円の昼食代

 残った我々は、佐分利さんの案内で10時25分バスターミナルに到着。事前に発券してもらっている11時発紹興行きの高速バスを待つが、定刻を過ぎてもバスは来ないし案内もない。佐分利さんがあちこち情報を仕入に行ってくれるがらちがあかない。終いには「霧で遅れている」と言い、ついには運行中止になり、結局次発の12時30分発の便に変更を余儀なくされる。
 やむなく11時10分バスターミナル横の食堂に入って腹ごしらえ。意外や意外この食堂の味は頂ける。値段も9名でビールも飲んで250元(3,750円)と昨日の夕食とはえらい違い。
 次のバスは、ほぼ定刻の12時32分に出発。バスガイドが何か案内をしているが、ちんぷんかんぷん。確かにガスがかかってはいるがこの程度で欠航?するのは腑に落ちない。高速道路をひた走り、午後3時20分無事紹興市のバスターミナルに到着。タクシーに乗り換えホテル「紹興飯店」にチェックインしたのは3時40分。部屋割りを決め、お酒のボトルを持って再度ロビーに集まり、タクシーで魯迅記念館に向けて出発する。 しかし、時すでに4時45分と、閉館時間が迫っている。館側の計らいで通常一人40元するところを3分の一にまけてくれ、慌ただしく館内を見て回る。あちこちに売店があり、熱心に土産物を勧める。寺内さんが扇子を相当頑張って値引きして買ったが、結果最後の売店で他の数人が買った値段の方が安かったので、悔しがることこの上ない!

意外や紹興の料理には梅酒!

 追い出されるように館を後にして、すぐ近くの居酒屋「咸亨酒店」に地元の人たちと酒を酌み交わそうと行くが、時間が早いのか閑散としていて、誰も相手にしてくれず、酒の持ち込みの許可を取る必要もない。みんなで15品250元のセットを頼み、紹興酒の辛口と甘口を茶わんで買って味比べ。第3回の相性診断の結果は、意外や奈良県の「月ヶ瀬の梅酒」が1番人気で、地元紹興酒が2番に食い込んだ。
 食事も終わり同店が経営する土産物店に入り、あれこれ土産を物色。店員さんも客が我々だけなので、総出であれこれと勧めてくれる。この際我々の持ってきたお酒を彼女達に?き酒してもらうと、紹興酒に一番近い「15年古酒」を飲んで「頼り無い、紹興酒の方が美味しい」と言う。それだったらどれがお勧めかと聞くと「20年古酒」がお勧めだという。500tボトル1本170元(2,550円)を9本1,400元にまけてもらって購入。その他「紹興酒漬けの腐乳」1瓶20元を4本買ったりして記念撮影。(後日彼女らに写真は送った)
 8時半過ぎ、店の前で増田さんが輪タクの兄ちゃんに勧誘されている。遂にホテルまで1台5元で行くということになり、二人ずつ乗車して、歓楽街を通ってホテルへ。
 ホテル前で下り、若干のチップをあげてBye-Bye!。そして、橋を渡ってホテルのゲートをくぐったところで、増田さんが輪タクの座席に一眼レフカメラを忘れたことに気が付いたが……。(つづく)

一口コラム

今週の時事ジョーク(57)
☆家事の分担、男女「超」不公平
 今日取り上げる「時事問題」は日本の最近の話題から取り上げたいと思います。

日本では相変わらず家事(炊事、洗濯、育児など家庭内での仕事)の分担は男性と女性では大きな差があるようです。

最近、日本の総務省が発表した昨年(2001年)の社会生活基本調査の結果によると、日本では夫婦が共稼ぎフルタイムで働き子供を育てている家庭でも、家事や育児にかける時間は夫が1日平均36分なのに対し、妻はその6.4倍、3時間50分にのぼることがわかりました。

この家事や育児に費やす時間は5年前の調査結果と比べても、男性はわずか5年前より6分増えただけなのだそうです。そして女性は5年前より1分減っただけでした。 

「家事は妻がやるもの」で、「男子厨房(ちゅうぼう)入らず」と言う発想はなかなか根強いもののようですね。

 なお、この社会生活基本調査は5年ごとに実施され、今回で6回目。全国から無作為に抽出した7万7千世帯に住む10歳以上の約20万人のついて調べているのだそうです。

 ――― さて、これからがジョークです。

 日本では共稼ぎの家庭でさへ、家事は女性の仕事と言う発想が相変わらず主流のようです。

男性が炊事洗濯をしない現状に対し、このたび日本の奥様方の組織である「主婦連(主婦連合会)」では、その対抗策として、家庭電器メーカーに働きかけ、電気炊飯器、掃除機、洗濯機などの製品の愛称(ニックネーム)に男性名を付けさせることにしました。例えば、≪東芝電気掃除機「一郎」≫、≪ナショナル電気洗濯機「将介」≫と言う具合です。

そして奥さんは自分の旦那の名前がついた製品を買うのです。奥さんがこれら電気製品で掃除や洗濯をするたび、せめてもの腹いせに、例えば「一郎、この部屋を掃除しなさい!」とか「将介、これを洗濯しなさい!」と命令しながら掃除洗濯をすることにしたそうです。

【蛇足】1、そのうち、奥様がご主人の名前でなく、別の男性の名前の付いた「家事ロボット」を買い込んで、ロボットと二人で仲良く家事を始めたら問題ですね。
    2、私の知人で「俺は仕事は外、家事は別宅でやっている。俺は仕事も家事も自宅ではやらない主義なんだ」なんて言っている人がいました。これってどう言う意味!?
羅府の庄助   skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

編集後記

来週末は、ワイフとちょっと小旅行に出かけますので、雑貨屋の発行が月曜日になります。ご容赦のほどを。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧になれます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.341

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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