Zakkaya Weekly No.329
Ryo Onishi                9/1/2002

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教育の方程式 一口コラム おいしいLA 健康のお話 雑貨屋ホーム

9月になりました。ちょっと前からせみの声が聞こえなくなり、夏も終盤に近づきつつありますが、まだまだ蒸し暑い日が続きますねー。もうすこしの我慢です。
先週、フルハムに移籍した稲本選手がハットトリックを達成したニュースが報道されていましたがワールドサッカーの記憶がよみがえりましたね。(R.O.)

霊 感

 私の日本のメル友の一人から以下のような話を受信しました。

(前略)これは僕の身近にあった怖い話です。本当にあった話です。

私が最初に勤めた会社は北海道の工場で、合板(ベニヤ板)を製造していました。そこでのお話です。

25年くらい前でしょうか、その工場は帯広市から20キロぐらい離れた、十勝平野にありました。

当時の工場長はA氏でしたが、胃ガンの手術をすることになり帯広市の病院に入院しました。

その手術の当日、工場で事故が起きました。合板工場では、消毒や害虫退治のために、原木の煮沸をする工程があります。プールのような煮沸槽に80度くらいの湯を入れ、その中に大きな丸太を浸けるのです。

 この中に人が落ちて火傷をする事故が時々あり、当時の合板工場の泣き所になっていました。その日も若い工員のS君が煮沸槽に転落して亡くなりました。

 翌朝,総務課長のM氏が工場長の入院している病院に報告と見舞いに行きました。

 なんといっても重大事故です。手術直後と言えども、工場長の耳に入れないわけにはいきません。

 病室を訪れたM氏に、いきなりA夫人が、麻酔から覚めた主人が、S君が熱い熱いと言って夢枕に来たと言うのですが、工場で何かありましたかと言ったそうです。

 M氏は本当に背筋が寒くなり、絶句したというのです。S君は野球部のスター選手で、みんなの人気者でした。工場長も野球が好きで、彼のことは可愛がっていました。彼は工場長に別れを告げに来たのでしょうか。

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 私は、基本的に怪談じみた『荒唐無稽な話』は信じないのですが、上記、北海道の工場での事故犠牲者が工場長の夢枕に別れを告げに来た話は、決して『荒唐無稽な話』ではなく 『ありうる話』 だと思っています。

 ただ、この種の現象が現代の科学で充分に解明されていないだけではないでしょうか。

 例えば、空中を電波が飛び交い、遠いところの映像や音が見られ、聞こえるなどということは、数百年前ではありえない『荒唐無稽な話』であったはずです。

 今世紀の末頃には、人の生命、脳波、テレパシー、などが もっと解明され、科学の一部として、当たり前のこととなるのかも知れません。

ところで、9月3日は私達の仲間であり、我らが同人、“さくら氏”が兄とも慕っていた S氏が急逝して満3年を迎えます。(S氏急逝については、『雑貨屋ウイークリー、173号』参照下さい)

S氏は私にとってかけがえのない仲間であり、友人であったので、いまだに彼の急逝を語るのは辛く苦しい思いですが、それでも3年と言う月日が彼を偲ぶ気持ちを起こさせてくれるようになりました。

 彼が突然亡くなった時のエピソードにこんなことがありました。

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 S氏は数年間、肝臓ガンを患い、肝臓移植を受けるべく待機していたところ、ドナーが現れ、移植手術を受けたのですが、手術中に不幸にも亡くなりました。

 S氏の場合、臓器移植は生体間移植ではないので、手術は突然行われました。 したがってこの手術開始は彼の家族以外、誰も知りませんでした。(彼が臓器移植のため、待機中であることは勿論私達は知っていましたが・・)

 彼は午後10時過ぎに入院、そして翌朝明ける前には亡くなっていました。

 夜明けとともにS氏夫人が私に電話をしてくれたそうですが、その時、私は電話機の届かぬところにいたため、直接夫人から訃報を受けることが出来ませんでしたが、その直後に間接的に訃報を受けました。そして私はすぐに友人知人へ E-Mail 、電話他で連絡をしたのが午前7時過ぎでした。

 私からの訃報を受けた一人が私と S氏の共通の友人 N氏でした。N氏が悲報を知ったのはこの私からの連絡でした。後でN氏から聞いた話ですが、私からの連絡をオフィス出勤後知ったN氏はすぐ自宅の夫人へ訃報を知らせたそうです。

 そうしたら氏夫人が言うには、「Sさんが亡くなったのは今朝の2時過ぎでしょう? 夜中の2時過ぎにきちんと背広を着た Sさんが我が家へ来ましたよ。多分あの時だったのでしょうね」と言われたそうです。

「ヘエー、それで彼は何か言ったかい?」とN氏が聞いたら、 「ただ、私に向って手を挙げて『バイバイ』と言って帰って行きました」とのことだったそうです。

 N氏が悲報を知ったのはこの私からの連絡でしたし、勿論N氏夫人はそれまで何も知りませんでした。

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 こんな話は常識では考えられないことですが、前述の如く、それは、現在の常識ではありえなくとも、いつの日か将来、これらの現象は“科学的に”解明さるのだと思います。

 人間には、いわゆる『霊感』の敏感な人と、そうでない人がいます。

 N氏夫人は台湾出身の方で、普段から霊感の強い人です。 私など、『霊感』に対して最低に鈍感な人間のようです。(亡くなった S氏は 当然、親友の一人である私のところに別れの挨拶をしに来た筈なのに、私はまったく気付きませんでした。私は彼の葬儀委員長を務めたほどの関係だったのに・・)

 それとも、彼は意図的にN氏夫人のところだけに行ったのカモ? もしそうだったなら ケシカラン話だ!!(そんなことはありません。Sさん、ごめんなさい)

 後になって、聞いたところ、 S氏が “挨拶に行った” のは結局 N氏夫人のところだけだったようです。

そこで、私は仲間に宣言しました。 『私がこの世とお別れする時は、どうせ鈍感な皆さんのところに挨拶に行っても無駄だから、N氏夫人のところだけに行き、他の誰のところへも行かないヨ 』

 この宣言に対し、友人達の反応は、―― 『モチロン、大いに結構!』 だってサ。

 何たる薄情な友人達よ!―― エツ?、挨拶に行かないオマエのほうがよほど薄情だって?、アッ、ソーダッタ!!

河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

さくらの独り言ヤメテェ〜

日本へ来て2年が過ぎようとしている。不思議な想いに埋もれる。やっと日本の生活を楽しんでいる自分が居る。まるで帰国子女同様のプロセスだ。母国日本、変るもの変らぬもの、美しきもの醜きもの、喜ぶべきもの悲しむべきもの、様々だ。何だかんだと言え、「平和な日本」である。その平和の中で生活しながら、小さな愚痴をこぼしてもいいだろうか。「ヤメテェ〜」と歌った辺見マリを真似ての「ヤメテ欲しいな、その10」ご紹介。

@ながらタバコ:歩きながらの喫煙は最悪だ。後方の歩行者を直撃する煙はたまらない。その上、火のついたタバコを持った手が振り子の如く前後して、腕に火傷させられそうで恐怖である。レストランで火のついたタバコを灰皿に置きながら、話に夢中の喫煙者。吸わないなら火をつけるなとお願いしたい。Aながらメールや電話:歩きながらの携帯電話使用は、周りの迷惑である。歩いているのにブロックされて前へ進めない。歩行者の進行を妨げないよう、せめて脇によって欲しいものである。B寝たフリごまかし:50代男性に多い。バスや電車で老人の同乗を見て知っても、目を閉じて知ら〜んフリ。「全く男らしくない奴ですね、あなたは」と心の中で大きく叫びながら、睨み付けるさくらである。C逆さま順番:電車もエレベーターもレストランも、出る人が出て入れるのに、出る人が出られない様に押し入って来る。また順番待ちのラインに並んでいても、後ろの人が白々と先へ出たりする。平気の平爺平婆の類である。私は堂々と言うことにしている「すみません、並んでいます」と。Dタラタラ占領:エスカレーターを降りた処で立ち止まったり話し込む。エスカレーターで続いて上がったり下がったりする他の人々がそこで団子汁化してとても危険。また、二人以上の仲間が横列でしゃべりながら道をゆ〜っくり歩くタラタラ症候群である。これもA同様、歩行者の進行の妨げになり迷惑極まりない。E傘の武器:眼が潰されるんじゃないかと愕いたことがある。ささない傘の持ち方を知らない人の仕業である。傘を脇にはさんだり前後に振りながら歩いたりエスカレーターに乗る人。「後ろにも人がいます」と言ったことがある。F香りの乱用:色気ムンムンのお姉さん、香水は少量にしてくださいな、食べている料理の味もせず、密室電車内では息がつまりそう。G誤関係:レストランや売店で働く人に向かって、自分の使用人か家族かの様に失礼な話し方をする人がいる。自分が客だということをわかっていないか、お客ということに傲慢になっているかの誤解派族。自分に害は発生しないものの、不愉快である。H自然破壊:指し出す名刺が再生紙だと自慢しながら、空弁当箱と缶ビールを一緒に捨てるビジネスマン。I混乱教育:資源は人だといいながら教育費を削減し続ける企業や政府。っと、日常生活で感じている「ヤメテ欲しいその10」、独断と偏見を搾り出してみた。

これら「ヤメテ欲しいその10」を簡単に分析すると、空間的共有に関する感覚の麻痺、社会生活基本原則のズレ、言動不一致の法則、羞恥心の欠如、適所適応不能などがある。そしてその原因はいずれも教育の混乱が作り出したもの、家庭、学校、企業、そして地域社会、全て我々の責任である。アメリカのエッセイスト、ロバート・フルガムの書「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(池央耿訳/河出書房新社)を想い出す。『何でもみんなで分け合うこと。ズルをしないこと。人をぶたないこと。使ったものはもとのところに戻すこと。ちらかしたら自分で片付けをすること。人のものに手をださないこと。誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言う事。食事の前には手を洗うこと。トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。焼きたてのクッキーと冷たいミルクは身体にいい。釣り合いのとれた生活をすること、毎日少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして、少し働くこと、毎日必ず昼寝をすること。表に出る時は車に気を付け、手をつないで離れ離れにならないようにすること。不思議だなと思う気持ちを大切にすること。発砲スチロールのカップに蒔いた小さな種のことを忘れないように。種から芽が出て、根が伸びて、草花が育つ。どうしてそんなことが起きるのか、本当のところは誰も知らない。でも、人間だって同じだ。金魚も、ハムスターも、二十日鼠も、発砲スチロールのカップに蒔いた小さな種さえもいつかは死ぬ。人間も死から逃れることはできない。リックとジェーンを主人公にした子供の本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な意味をもつ言葉「見てごごらん」。』(原文のまま)

田舎に帰省する度、この「ヤメテ欲しいその10」を家族に話す。「黙っておきなさいよ、刺されでもしたらどうするの」と母から窘められる。世の中で起こっている大変なことに比べれば、確かに大したことでもない。ならばこんな小さな愚痴などたたかず、「ヤメナイデその10」でも考えながら楽しみを探し続けようか日本生活3年目っと、さくらの独り言。

sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

教育の方程式

公文の北米研究大会で優勝しました。

 前回お伝えしましたように、8月の2,3日とシアトルで行われた公文北米研究大会に参加しました。 3年前から北米で公文の研究大会が開かれ、シカゴ、トロントと私の参加する自主研究会の成果を発表してきました。

今回は、27ある支部の中から発表者を5組に絞り、その5組が4つの分科会を全部回って発表する形式になりました。 そして600名の参加者全員の投票で優勝を決めました。 

大会最後の北米公文社長のスピーチで私が1位に選ばれたことが発表され、出席者全員に大きな拍手を送っていただきました。 

スピーチの最初に私の病気のことに触れ、「5年経ったら元気になってみんなの前でスピーチしたい」という自分への約束が果たせて本当に嬉しいと話した時、期せずして会場から大きな拍手をいただいたのも忘れられません。 1回目のスピーチの最後に、丁度会場にいた妻と2人の筆頭助手を紹介しながら、「彼らのサポートがなかったら、1日たりとも教室を運営することはできなかった。 心から感謝したい」と言った時は、涙が出て声が出ませんでした。

5年間色々ありました。 穂高の山中で1人療養していた時は、ちょっとした道も歩けなくなり、道端で長い間寝転んでいたこと。 でも数週間後には心に決めていた1時間の散策をして、森の中の喫茶店まで行ったこと。  LAでもヘモグロビンの数値が急激に下がって一歩も歩けなくなり救急車で運ばれたこと。 入院中も3週間後にある甥の結婚式のためのスピーチ原稿を書き、式当日はスピーチもし、歌も歌い、ワインも飲めたこと。  

元気になったのは新薬グリーベックのお陰もあるけれど、何と言っても神との対話にでてくる“実現のための3つの道具”を使ったからだと思っています。 しかも、その本を読む前からそのことを実践していたことは、限りない誇りとなりました。

3つの道具とは思考・言葉・行為です。

思考…まずこの病気を克服すること、言葉…それを公にすること、行為…それを実行することです。

今私は、生徒たちと目標を共有することで世界一の公文教室にしたいと頑張っています。 大会でもMy Next Goal Cardと題してそのことの大切さと具体的なやり方を発表しました。 教室で生徒たちがレベル終了テストを終わった時、次のレベルをいつまでに終われるか、そして最終目標についても話し合い、カードに記入します。 最終目標について生徒と話し合う時の彼らの表情を観察することが今、一番嬉しい時です。

長い間の目標のひとつだった生徒数500名は、今600名を越え、目標を共有することの大切さを私に教えてくれています。 

西尾 誠一郎

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川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

人類が試されている原子の火

核ボタン疑心暗鬼がまだ磨き

霊長類エゴ属のホモサピエンス

宇宙から見る国境のない地球

クローンの指パンドラの箱に触れ

( ニュースやぶにらみ )

「原発の歌」
♪ ないしょ ないしょ
  ないしょの話はあのねのね   −東京電力

「小泉首相9月訪朝」
お土産は米何俵?   ー北朝鮮

「防災の日」
 災害は天災だけじゃないよ  ー人災、戦災

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)

あっこのおいしいロサンゼルス

満腹したら食休み(41)

「食に感謝」

日本では食の信頼を裏切る事件が続発している。その一つ一つを羅列するには及ばないと思うが、最近のテレビニュースでは、お詫びのシーンばかりがやたらと目に付く。いったいこのお詫びのシーンは日本社会特有のものなのだろうか。それともマスコミが記者会見でのこういうシーンを好んで使うのだろうか。そういえばアメリカでのテレビニュースでも不祥事などがあった会社の記者会見の様子は目にするが、そこでこういうお詫びのシーンが映ることはないような気がする。

会社の幹部が頭を下げる日本流のこのお詫びのシーンはこれからも繰り返されるのだろうか。目にするたびに、経済大国といわれる日本の一流会社とはこんな程度のものなのかと、日本というブランドそのものの信用もボロボロと薄れていくようで、なんだかしらけてしまう。

今年初めから文部科学省が始めたプロジェクトで食農教育者を養成するというのがある。これは食と農の総合教育システムを開発し、その指導者を育てるというものらしい。具体的には指導者養成所のような所で合宿しながら、農業、食品加工、資源リサイクル、販売までを学び、生産→消費→資源循環に至る食のすべてを指導者の立場で学ぶそうだ。

このプロジェクトができたということは、以前なら経験しながら自然と身についていた食と農の知識が、もはや教育プロジェクトという立派なものに姿を変えねばならないほど、この国の食は本当に危機なのだなと実感する。

 私が子どもの頃は、ご飯粒をお茶碗に残すと目がつぶれる、お百姓さんに感謝しなさいと、明治生まれの祖母によく言われた。そして近所には田んぼや畑がまだまだたくさんあり、作物が生長していく様子やお百姓さんの生活も垣間見られた。自宅でも家庭菜園程度の野菜は作っており、夏など毎日トマト三昧だった。その味は日向の匂いがして、今でも忘れられない夏の味の一つだ。

また、魚釣りに行って今まで生きていた魚を料理するということもあったし、祖父が貰った鶏を絞めているのを恐々と見ていたこともある。それらすべては、命を食べることそのものでもあった。そしてそこにはいつも感謝の気持ちがあったような気がする。いまだに食べ残すことに罪悪感をかじるのもこの子ども時代の食の経験がそうさせているに違いない。

食の信頼を裏切る事件がこうも続くと、消費者も無知ではおれない。賢い消費者になるためにも、そして何よりも目の前に食べ物が豊富にある現代の子供たちにも、この教育プロジェクトは必須であろうと思う。いやいやその前に、まず受講してもらわなければならないのは、食品会社の人々かもしれない。そして食の原点を見直して欲しい。飽食のしっぺ返しがこんな形でもう芽を吹き始めている。

さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

一口コラム:「今週の時事ジョーク(46)」

ラスベガスへの日本人観光客が大幅減

地元の新聞 「羅府新報」によると、昨年9月の同時テロ以降、ラスベガスへの観光客が一時大きく減少したものの、その後徐々に回復傾向なのだそうですが、ただ、日本からラスベガスを訪れる観光客はいまだに大幅に減少が続き、現地の経済に大きな影響を及ぼしているようです。

ラスベガス市観光局によると、ラスベガスを訪れる外国人では、これまで日本人が最大で、2000年には51万人以上の日本人が訪れ、ギャンブルを除いても市に3億2千万ドルの利益をもたらしたそうです。

それが、今年は例えば、1月〜6月までの間に日本航空を利用してラスベガスを訪れた日本人観光客は、昨年同期比で62%も減少しているようです。

――― さて、これからがジョークです。

日本人観光客にもっと来てもらいたいラスベガス市は空港や街の中に“日本語で歓迎の看板”を設置しました。

しかし、一向に日本人観光客は増えません。どうもおかしいと改めて“日本語の看板”を良く見たら、そこには“ウエルカム日本人”と書くところをなんと“ウエルカモ日本人”としてしまっていました。(日本人は“カモ”だと言われてはねえ)

羅府の庄助 ( skawai@earthlink.net

編集後記

今年になってから、3度目となるWindowsの再インストールをしました。雑貨屋を編集するためのソフト、発行するためのソフト、そしてウィルスに対応するソフトなどなど、雑貨屋を作成するにもけっこうたくさんのソフトが必要なんですね。


雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧になれます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.329

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

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