Zakkaya Weekly
No.147 Ryo Onishi 3/7/99 バックナンバー ホームページ雑貨屋のひとり言
わずか4日間という短い日本での滞在で、法事だけを済まして帰ってきました。体調もようやく元に戻ってきました。今回は回復にずいぶん時間がかかりました。昨年からちょっと体調がおかしかったので、あるきっかけでどっと悪いところが出たという感じです。でもおかげ様で体も気分もすっきりしました。汗といっしょに流れ出てしまったのかもしれません。ワイフも土曜日に娘といっしょに帰ってきました。来週は息子もロスに来るので久しぶりに家族四人が揃いにぎやかになります。(R.O.)
あまり知られていないL.A. 観光スポット(42)
雨の少ないロサンゼルスでは水は貴重品です。そんな当地で水に囲まれた生活は最高の贅沢ではないでしょうか。
ロサンゼルス・カウンティ(Westlake Village市) とベンチュラ・カウンティ(Thousand Oaks 市) の境界線が湖の中央を横切っている Westlakeは湖岸にボートの桟橋を持つ住宅群に取り囲まれ、とても落ち着いた雰囲気です。
そしてこの湖の真ん中には大きな中ノ島がありますが、そこへは橋がなく、この島の住人は全員がボートで外と往来しているようです。こんなところで悠々と生活をしている人とは どんな人達なのでしょうか。
湖の東南の端に“The Landing”と看板の出ている一角があり、そこが駐車場のあるショッピングセンターのようですが、一般のショッピングセンターと違い、駐車場は商店の裏に面しており 多くの店は駐車場脇から湖畔沿い歩ける水辺の散策路に面しています。レストランやコーヒーハウスもあり、人懐っこい水鳥が群れる湖を眺めながら静かなひとときを過ごす事が出来ます。
なお折角ここまで来たら、ついでにもう一つの湖(Lake Sherwood)にも足を伸ばすのも良いかと思います。この湖はWestlake の西にあり、Westlakeから 十数分のドライブです。
行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
河合将介
skawai@wakao.com http://home.earthlink.net/~ronishi/laspot42.htm をご覧ください。さくらの独り言 「言葉」
人間と他の動物との大きな違いのひとつに「人間は言葉を持っていること」だということはよく耳にする。私たちは、この言葉という媒介を通して、物事や思いを伝え合ったり、確認し合ったり、理解し合ったり、許し合ったりして、社会というふたり以上の人が集まるこの人間社会で生活している。
「言葉はその人柄を表す」ともよく耳にする。このことは、言葉が私たちの生活や心の動きと非常に密接な関係をもっているということである。同じ言葉でも「話す人」の話し方(言葉やトーンの使い方)によって、「聴き手の受け取り方(理解のしかた)に大きな変化が生じる。このことは同時に、言葉を使うことの難しさを私達に教えてくれている。しかしもっとも注目すべきことは、話し手と聴き手の信頼関係ではないだろうか?
日本で有名な漫才家がある時のインタビューで「貴方はどうしてこの様に多くの人を笑わせることができるのですか。その秘訣を教えて下さい。」という質問に、こう応えていた。「私の言葉や話を漫才にしてくれるのは、聴き手のお客さんなんです。ほら、よくしらける人がいるでしょう?、おかしなもので、その様な人は何も話さなくても、ただそこにいるだけで、そこにいるみ〜んながしらけちゃうということがあるでしょう? 逆に、その人が居ただけで、み〜んなが愉快になっちゃうという人、そのような人が笑いにもならないようなくだらない冗談を言っても、それがまた大受けしちゃうというということがあるでしょう。それは、聴き手が話し手に安心して心を開き(信頼し)、同時に理解しようと無意識に変えられているんです。それが前者の場合、逆なんですよ。なかなかいい冗談を言っても皮肉に取られてしまう。生き様そのものなんですよ。分かってもらおうとか笑ってもらおうとか思っているうちは、自分が自分の為に漫才しているんです。そこではもう漫才家ではなくなってしまうんですよ。客さんに仕える、信頼する(相手を信頼しなきゃ冗談なんて本当は決して言えない)、そこでお客は私たちの「まいど馬鹿馬鹿しい話」に笑ってくれるんです。冗談は信頼して向かい会う事ができた時、冗談として理解し、楽しまれる物なんです。だから私は弟子に小話をうまく作ることより、まず自分の生き様を問うことから求めます。これが秘訣でしょうな。」と。冗談と漫才をうまく区別しながらうまく素人に応えているものだと感心した。(20年も前に聞いたこの概要をもっとうまく説明できない自分が情けないが、読者は分かってくれるでしょう、と信頼して、、、。)
人には多かれ少なかれ人の好き嫌いや向き不向き、相性の良し悪しと呼ばれるものがあり、私たちの意識を超えて自分の言葉使いや話(話す内容であったり、受け取り方であったり)が左右される場合もある。そんな言葉の世界の厳しさを分かっていながらも失敗することもある。なるべく失敗をしないで楽しいジョークの世界を楽しむために、さくら冗談3箇条がある。
1)私は嫌いな人には絶対冗談を言わない。皮肉に成ってしまうから。
2)私は嫌いな人に褒め言葉を使わない。嘘になってしまうから。
3)いつもきれいな冗談が談じれるといいなあ、と思いながら、自分の知らない世界をもっと知りたいと願い続けようと思っている。未知の世界を知ることは、ユーモラスな世界を理解するツールのひとつだから。 さくら
健康のお話 「C調なお話」 蒔田 龍人
- 姿勢と健康のお話しPart2−
お話しの前に、先日、“がんばってくださいね、トキタさんっ!”っと、爽やかに励ましのお言葉を頂きましたが、実は僕は
“マキタ” です。もしかすると、今迄 “トキタ タツト” と読んでいらっしゃった方、大変近いのですが、“ マキタ タツヒト” と申します。改めまして、宜しくお願いいたします。さて、どうでも良い事はここまでにして、142号では、『姿勢』を正す事は、健康を維持する事と密接な関係が有る、と言う事をお伝えしましたが、今回は、そのPart2。
ほとんどの人が実は背骨が曲がっていると言われていますが、どのように曲がっているかは人それぞれ。
日頃のちょっとしたクセが日々重なって、曲げていく原因となるのです。
背骨を支えている骨盤が傾いている為、そこから延びている背骨が並行を保とうと逆方向に曲がってのびるので、S字型に曲がる事になる訳です。
要するに、骨盤が右上がりの人は、左斜めに背骨が延びる為、バランスを取ろうと右に曲がり、従って、右肩が下がる事になります。
右腰が上がっているということは、右足も一見、短くなっているように見えるのです。
よく、「私、片方の足が短いの。」というお話しを耳にしますが、実は足の長さは左右均等で、ただ、その足の付け根である骨盤が、傾いているだけなのです。
カイロプラクターや、整体士のごく一部の方々は、この事を大事件の様に患者に伝えたり、中には「これは生まれつきで、直らないから高さの違う靴を履くしかない。」といわれて、特注だからと高価な靴を買わされたという人もいらっしゃいました。
この事は、大変に間違った情報で、信用してしまったままの人が、現在も多くいらっしゃる筈です。
もし、あなたの周りにそういう方がいらっしゃれば、是非、上記の事を御伝え下さい。
そして一言、こう言って下さい「自分次第で元に戻るヨ!」と。
又、女性に多くみられる、「外反母趾」も、立ち姿勢が悪く、体を支えきれずに変形してしまった結果ですので、立ち姿勢を正せば、戻ります。
手術で外反母趾を削ったという方もいらっしゃいますが、そんなもの削った所で、立っている時のバランスが悪いから又出てくるのは時間の問題で、削られた為に体を支える事が出来ず、転びやすくなってしまったという事も耳にします。(既に削ってしまった方には申し訳有りませんが、削り損ですゾ。)
人の体は一つ一つ全て必要なのに、取ってしまったり、削ってしまったりしては全てのバランスがくずれてしまいます。
だから、姿勢に限らず、自分の体は、本来自分がもっている自然治癒力で正していくのが一番です。
それではどうすれば、骨格を正す事が出来るのか?っというとー、一番簡単な事は、『歩く。』
一日40分(約2,7km)以上をサッサと歩くのが一番良いのです。
歩く事によって、起立筋という、2本足で立っている時に使われている筋肉群が強化されて、体を起こし、姿勢を整えます。骨格の崩れは、骨そのものよりも、周りの筋肉が弱体化し、体を正常に支えられず、それに伴って起こるので、筋肉を強化し、又、常にほぐれていれば骨格は元の正常な状態に自分で戻るのです。 要するに、体が右に傾いている人は、背骨を中心として左側の筋肉よりも、右側の筋肉の方が短く縮んでしまっているので、左右均等に筋肉を伸ばしてあげればまっすぐな姿勢になります。
猫背の人は、胸の筋肉が全体的に縮んでしまっている為、胸の筋肉を強化し、伸ばしてあげれば解決する訳です。
『歩く』ことは、背筋や腹筋も使っていますから、背骨の改善にはとても効果的で、血流も改善、神経系の働きが活性化し、脳の働きも活発になるという、まさに良い事ずくめなのです。
問題はナカナカ『歩く』機会が無い..。アメリカでは殆どが車で移動..。治安の問題もあるので、時間によっては散歩もできない..。
そういう時は、『歩く』よりも遥かに効果はありませんが、ちょっとした事を意識してみるのも良いと思います。
例えば、右肩が下がっている人は、椅子から立ち上がる時は右方向から立ち上がる。
鞄も右手で持つようにする振り向く時も右回りで..。と、何事も右からを意識する。
左肩が下がっている人はその逆で..。 つい、いつもバランスを取る為に、知らず知らずに下がった方と逆側で事を済ませてしまっている筈なので、これは結構効果的ですヨ。これだけでも日々積み重ねで変ってくるものなのです。
Part1では、僕のモニターが斜め右にある為、右にねじれるのではないか?っという事で、本当にモニターを左斜めに前にした所、元々右肩が下がっていたのが、なんと、もっと下がってしまいました。逆側の方が効果的かと思いましたが、頭で考えても体は違った反応をするものなんですねー。
それで思い出しましたが、もし、二人以上で食事に出かけて、相手の料理が早く運ばれた時、待たされている人の殆どが、その瞬間、手元にある飲み物を口にするそうです。
アメリカのレストランは同時にくる事が殆どですが、もし、そういう機会があった時はよ〜く観察してみてください。日本人の暗黙のお約束で、皆の料理が揃ったところでスタートですが、大体の方は、「どうぞ、冷めないうちにお先にっ。」と、薦めてくれます。
その時、僕が拝見してきたところ、お相手の方の80%位は、確かに飲み物を口にしていました。 無意識のうちにしてしまう条件反射って怖いですね。
あっ、今日は姿勢のお話しだったんだっ。
これはこれはシッセィしましたー。(大変にキツイおやじギャグだったーっ!)
一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その
12)もの忘れでなく、もの覚えの問題
昨年末の“雑貨屋ウイークリー”に「老いと物忘れ」に関する文章が掲載されていました。(Zakkaya Weekly136,137号『物忘れ人生バンザイ-1、2』)
年をとるに従って、昨日の出来事さえ思い出すのに時間が必要だったりして、記憶能力の減退ではないかと思う事がしばしばあるが、これは決して年をとったから記憶力が減退した訳ではないのだというようなことが書かれていました。
ある人が言っていました。「年をとると、物忘れがひどくなるのではなく、もの覚えが悪くなっているのだ」と。
子供の頃は誰でも好奇心が強く、世の中のものすべてが新鮮であり、感動であるで脳裏に強く焼きつく― すなわち記憶するわけでしょう。
ところが年をとるに従い、世の中に対して感動しなくなり、好奇心もうすれ、見るものも聞くものも脳裏に焼きつかない― すなわちはじめから記憶する気がないのです。
ものを忘れると言う以上は、まず何かを記憶し、のちにその記憶したことを忘れることなのですから、はじめから記憶してなければ話になりません。
人間、何歳になっても感動し、胸をときめかす必要があるようです。
――― 羅府の庄助さん ―――
編集後記
昨年末、処理速度の速い、メモリーも多いPCを購入し、快適に使っています。でもまだまだ使いこなせないというか、奥が深いというか、わからないことばかりです。
でもこの愛用のPCを使って今週も雑貨屋ニュースレターを発行します。みなさん問題なく読めているでしょうか?
中身も充実していますので、もし良かったらお友達や知り合いの方に紹介してあげてください。
河合さんのあまり知られていないLAの観光スポット42をホームページに掲載しましたので、ご覧ください。
http://home.earthlink.net/~ronishi/unkwnLA.htm
雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけます。
http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm/Zakkaya Weekly No.147
雑貨屋 店主 大西良衛
ronishi@earthlink.net