Zakkaya Weekly No.120

Ryo Onishi 8/30/98 Index Homepage

雑貨屋のひとり言

暑いですねー。土曜日は夜まで暑くてなかなか眠れませんでした。みなさんはいかがでしたか?夏だから暑いのは当たり前だといえばそれまでですが、この乾燥しているロスも最近蒸し暑くなっているような気がしませんか?

河合さんのあまり知られていないLAの観光スポット案内No.2で紹介されている滝(Millard Canyon Fall)に、河合さん、若尾ご夫妻、藤本さん、そして私の五人で行ってきました。川伝いに歩き、水面に浮かぶあめんぼうを観察しながら、約25分歩くと滝に到着。季節がらちょっと水の量は少なかったですが、ロスにも滝があるということを、この目で確かめてきました。そのあとサンガブリエルの町へ行き、飲茶(やむちゃ)をいただきました。せっかく汗を流して体重を減らした?のですが、また元に戻ってしまったようです。でもおいしかったー。楽しかったー。 (R.O.)

あまり 知られていないL.A.の 観光スポット(34)

Planes of Fame Flying Museum (空の博物館、その2)

ロサンゼルス近郊にある常設の“空軍博物館”として前回、リバーサイド・カウンティにある“Air Museum at March Field”をご紹介しましたが、今回は San Bernardinoカウンティ・Chino市の“Planes of Fame Flying Museum”をご紹介いたします。

ここにある航空機のいくつかは、ただの展示物にとどまらず、実際に現在でも飛行できるのが特色です。しかも“Planes of Fame”という名前のとおり、歴史上の名機が 本物・模型を含め揃っています。退役した飛行機の復活・修理作業をいたるところで行っており、ミュージアムと言うより 航空機の修理工場的な雰囲気です。

敷地の中にある建物のうち、ギフトショップ(博物館入り口)、資料展示室、南北2つのハンガー(格納庫)に一般見学者は入る事が出来ます。資料展示室には各種アメリカ空軍資料、子供のための部屋、多分1,000機 以上はありそうなミニュチュア航空機の展示室などがあり、また、2つのハンガーには本物の航空機がところ狭しと並んでいます。

この2つのハンガー(格納庫)のうち、北ハンガーには 第2次大戦中の日本とドイツの軍用飛行機も揃っており、特にその中でも 日本の産んだ世界の名機、ゼロ戦(ここにあるのは三菱 A6M5 ゼロ式戦闘機、1944年6月、サイパンで捕獲されたもの)がいつでも飛び立てる体勢で待機しているのが印象的です。またこのハンガーの奥には戦時中にニューギニアに墜落した日本軍の輸送機(三菱G4M1)がジャングルの中で発見された当時のままの姿で展示されており、日本人としては大変つらい思いがします。

ハンガーの外にも多くの航空機や戦車が並んでいます。その中には世界で最初に(1949年)ノンストップで地球を一回りした ボーイングB-50A“Lucky LadyU”の胴体も見ることが出来ます。

この“Planes of Fame Flying Museum”まで行ったら、ついでにすぐ隣にある“The Fighter Jets And Air Racers Museum”にも足をのばしてみましょう。ここにはノースロップの三角翼機(Flying Wing)他の展示、宇宙ロケットの模型など見ることが出来ます。

● 開館日 :毎日、但しThanksgiving Day、Christmas Dayは休み。

時 間 :9:00AM〜 5:00PM

入場料 :大人 $8.95、子供(12歳以下) $1.95 、5才以下 無料。

(“The Fighter Jets And Air Racers Museum”は、“Planes of Fame Flying Museum”の入場料領収書を見せれば無料)

● 駐車料 :無 料。

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)

FWY#91 (東へ)− FWY# 710、FWY# 605、FWY#5, FWY# 57、を通り過ぎ、さらに東へ向かい、FWY# 15の少し手前の Corona Expressway(71)で降りる。

Corona Expressway(71)を北へ約4マイル、途中からEuclid Ave.(83)をさらに北へ。

Euclid Ave.(83)へ入って約5マイル、Merrill Ave.(信号機はない)を右折。

Chino Airport を右に見ながら少し進み、Cal Aero Dr. を右折すれば まもなく“Museum”の建物が見える。

次の“The Fighter Jets And Air Racers Museum”へ行くには、上記“Museum”の駐車場を出、Cal Aero Dr.を 左へ、最初の道(Merrill Ave.まで行かない)を左折、“The Fighter Jets And Air Racers Museum”と書かれた建物が見えてくる。

全行程 ;(Torrance方面からの場合)約52マイル、ドライブ約1時間半。 河合将介 skawai@wakao.Com

(追伸):前回の「観光スポット(33):Air Museum at March Field」 の中でこのMuseum の所在地を「オレンジ・カウンティ」 と書きましたが、「リバーサイド・カウンティ」 の間違いでした。お詫びして訂正いたします。(河合)

日本からこんにちは 長野県諏訪市、稲葉 幹佳

こんにちは。先週に引き続き、アメリカ人の生徒の感想文をお送りします。

ここに紹介する生徒は、わたしの英語をつまらなそうに聞いていた子供の一人でした。短い期間でしかも2日に一回ホームステイ先が変わるというハードなスケジュールの中、子供たちはいつも疲れた顔をしていて、その上、わたしのような下手な英語とコミュニケーションをとらなければならなかったことはストレスも溜まったことでしょう。それでも彼女の積極的、好意的に日本を受け入れてくれた感想に本当にうれしく思いました。

(アメリカの生徒の感想文)

日本の学校はアメリカと違うけれど似ているところもあります。算数や国語、音楽、体育などの授業があります。一番違うと思ったことは、教室の造りと生徒の責任です。

学校に入る時、玄関で靴を脱ぐように言われました。スリッパが用意されていて室内ではそれを履くのです。日本の生徒は靴を履いていましたが、たぶんあれは室内

履きだったと思います。何故なら玄関の四角い箱が外履きでいっぱいになっていたから。

昼食は初めてのことだらけでした。盛り付ける係りの生徒にびっくりしました。何人かがエプロンを付けマスクをして帽子をかぶっていました。わたしたちはスープが入った大きなバケツと他の食べ物が来るまで何が起こっているのか全くわかりませんでした。彼らはランチルームヘルパーの仕事をしていたのです。生徒は昼食を自分達で盛り付け、自分達の教室で食べます。

昼食にも驚きましたが、その後学校中掃除が始まったことにはもっとびっくりしました!あるひとたちは窓ガラスを拭き、モップをかけたり、トイレ掃除をしていました。それはわたしたちの学校の習慣ではありませんが、学校がきれいであることに生徒が責任を持つということのよい点に気づきました。

日本の生徒は机や壁に落書きをしません。教室は清潔でした。

日本にいる間わたしは二つの家庭にホームステイしました。(一部略) あたたかいテーブルはわたしにとって初めての物でした。それは低いデーブルで電気のコードを使います。下側についているヒーターは気持ちよくて足元が寒い時に最高です。アレックス・マックのショーを見ました。アメリカの家でも見ているのですが、日本語に訳されているのは面白いことだと思いました。家族と話す時、手振りがわたしたちの強い味方でした。まるで長いジェスチャーゲームのようでした。英語が壁となりましたが、彼らのもてなしが、家族同然のような気持ちにさせてくれました。

彼らと一緒に笑ったり一緒居ることを楽しむためには同じ言葉を話す必要がありませんでした。

日本に行くということは夢であっても決して自分の身には起こらないと思う事の一つです。そこに行くまでの間、あらかじめ日本について勉強はしてはいてもどれだけアメリカと異なるかは想像がつきませんでした。普段は大事だと思わないこと、些細なこと、入浴やトイレ、食べ物などが常に新しい経験でした。わたしが学んだもっとも大きな事の一つは、’ちがいはちがい’であってどちらが良いわけでも悪いわけでも、奇妙なものでもなく、ただ違うとくことです。

日本の人たちは家族や友達と仲が良く、学ぶことが好きで楽しむことも新しい体験をするのが好きです。わたしたちは見た目は違いますが、内面ではたくさんの共通点があります。わたしの髪の毛は学校の生徒には珍しいものだったようです。わたしが日本に持っていった本当に小さな違いです。彼らはわたしの髪の毛を気軽に触っていきました。わたしはとても驚きましたが、彼らにとってただ単に興味深いものだったのでしょう。

日本の人たちが自分達の文化に私たちのものを取り入れていることも気づきました。西洋式トイレは家の中や公共の場で多く見られます。また服装も私たちと似ています。特別な時に着物を着ますが、ほとんどの人は普段着としていないようです。

日本に行って直接、景色や音・におい、天気そういったものを経験したことはわたしの人生で大きな機会でした。何年もある国について本で学んでも理解出来ないことがたった一週間でわかったと思います。日本はあったかく優しい国です。わたしにとって日本はよい思い出に満ちた特別な場所であり続けるでしょう。

彼女はカンサス州出身者なのですが、日本人はまだ着物を着て生活しているというイメージが強いのでしょうか?実際、わたしは10年前フィリピン人のクラスメートが日本人以上におしゃれで、金を体中に付けていることを不思議に思ったことがあります。これは完全にアジア蔑視と思われて当然なのですが、今だから日本にフィリピンからのたくさんの方が滞在しているけれど、あの当時TVでも貧困地帯しか映し出されてなかったため、このような疑問を持ったのでした。

先日やっと話題のタイタニックを観てきました。アメリカ映画ってロマンチックですよね〜。日本人が演じてもなかなかあのようには絵にならない気がします。最後おばあさんになったローズ が船の先端に立って夕日の海を見ている姿と彼女の足の指先の赤いマニュキアをも映し出しているところは、’いつまでの粋なアメリカ人のおばあちゃん’という感じがしました。年をとっても赤い服を着たりマニュキアをしたりするおばあちゃんに日本人はなかなかなれないので、そんなおばちゃんになりたいなあと思いました。

MIKA INABA Inaba.Mika@exc.epson.co.jp

一口コラム:「日本語って何だろう?(その6)」

前回のこのコラム(「日本語って何だろう?〈その5〉」)でも似たような事を書きましたが、われわれ日本人は、何か問題が発生すると 基本はそのままにして、表現だけを変えて(即ち 解釈を変更して) お互い暗黙のうちに納得・了解しあう癖があるようです。

最近読んだ日本の終戦(敗戦)秘話に関する書物によると、1945年7月、日本は連合国側から、所謂「ポツダム宣言」 を突きつけられ 無条件降伏を迫られた時、日本の政府(当時の帝国政府)は最後まで、「国体の護持」、即ち 天皇制の維持にこだわったとのことです。日本政府から 「国体の護持」という条件について再考を求められた連合国側は、この件について次のように回答してきました。

「・・・・降伏ノ時ヨリ、天皇及ビ日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ・・(略)・・連合国最高司令官ノ “shall be subject to” トナルモノトスル。・・・・」

この“shall be subject to” が問題で、連合国側の意図は当然 「“shall be subject to” =服従する/ 支配される」 であることは明らかであったのに、日本側はこの部分を 「制限のもとに置かれるものとする」 と翻訳したのです。そして勝手に 「国体は護持される」 事にして 徹底抗戦派を説得したのだそうです。 こういう意図的な 「誤訳」 がまかり通るのだから、日本という国は不思議な国です。

「日本国憲法」は半世紀経っても 一字一句どころか句読点すら変わっていません。国家も社会も世界もこんなに大きく変化しているのに 我々の憲法が変わらないのは、日本が変化に応じ、都合よく解釈を変えているからです。例えて言うなら 長さを測る「モノサシ」を生ゴムで作っておいて、必要に応じて その「生ゴム製モノサシ」を伸ばしたり縮めたりして 長さを測っているようなものです。日本って実に便利なところです。――― でも日本の中ではこれでも良いかもしれないし、私自身は こんな日本が大好きなのですが、国際社会という厳しい荒波に 果たしてこれで耐えてゆけるのでしょうか、どうも心配です。 ――― 羅府の庄助さん ―――

パラダイム・シフト(Paradigm Shift)

         三本松 誠

ここ一、二年程の間にしきりにマスコミに登場するようになった「パラダイム・シフト」という事について過去何カ月かの間真剣に考える機会を持った。パラダイムという言葉は哲学者であり科学史家でもあるトーマス・クーンがその著書「科学革命の構造」(1962年初版)の中で初めて提唱したものでありギリシャ語でパターンを意味する「パラディグマ」に由来している。この概念は「特定の科学の基礎となっている支配的な理論的枠組」を意味するものである。例えば中世ヨーロッパに於ける天動説から地動説へのパラダイム・シフトは単に科学領域のみでなく社会全体に大変動をもたらしたのである。コペルニクスやガリレオから始った地動説の論証、またリンゴが木から落ちるのを見てニュートンが万有引力の法則を発見したように「特定の科学の基礎となっている支配的な理論的枠組」が大きくシフトしたのである。

現代に目を転じて見ると「特定の科学の基礎となっている支配的な理論的枠組」の一部である唯物論や資本主義というものが人々に究極的な「幸福感」というものをもたらしていないのではないかという懐疑が生じてしまうのである。資本主義社会が進めば進む程、地球資源を食い潰し、環境破壊が進行しするのである。人々の幸福度はGNPだの GDPだのといった$Valueによってのみ表され、人々はそれに何ら不思議も感じないようになってしまうのである。

筆者の疑念は先ず現代社会にはシフトすべきパラダイムが存在してるのかどうかという事から始りパラダイムが存在しているとすればそれはシフトすべきものなのか、とすればどのような方向にシフトしようとしているのかという思考過程をたどった。

ある学者は現代のパラダイムシフトの定義を「脱工業化」や「知識集約化」で言い表そうとし「集約された知識」を社会共有の知的資産として蓄え体系的に取り出せるようになった事であると言っている。しかしながらこの定義付けはトーマス・クーンの提唱した概念とは大きくかけ離れており(進化しておりと言うべきか或いはシフトしたと言うべきなの?)これでは「支配的な理論的枠組」とは言えないのではないだろうか。

「脱工業化」や「知識集約化」は科学技術の進歩によって自然にもたらされるものであり、そこには何ら「特定の科学の基礎となっている支配的な理論的枠組」のシフトは見えないのである。どうやら本当のパラダイムシフトを実現するためには現代の思想家や哲学者、科学者などが人類の平和と幸福の実現のためには何が必要なのかを真剣に考える必要がありそうである。

読者諸賢の御高見を賜りたくお待ち申し上げております。

ジョーク

日本の本社出張を前に日本語を教えてもらった日系企業の米人副社長、有り難うをどうしてもおぼえられないので、「アリゲーターを思い出しなさい」と教えられ、いよいよ本社代表取締役とのご挨拶、ソファーにこしかけることをすすめられて思わず「クロコダイ」と力強く、自信をもって大きな声で言った。付き人以外その事実を知らない。

レストラン情報

今日の昼をサンぺドロに住んでいるアメリカ人の友達と一緒にしました。美味しい魚が食べたいといったらCANETTI'S SEAFOOD GROTTOに連れて行ってくれました。ここで50年もビジネスをしているということでした。飾りっけのないごく普通のレストランですが美味しかったです。 なぜかというとすぐとなりに新鮮な魚が入って来るFISH MARKET( 築地のサンペドロ版) があるのです。FISH MARKET は土曜日の朝4時半からパブリックにオープンするそうです。私も次の機会に是非朝早く起きて新鮮な魚かロブスターでも買いに行こうと思っています。 喜子

CANETTI'S SEAFOOD GROTTO M-THUR 6AM-2PM FRI-SAT 6AM-8 OR 9PM SUN

6AM-1PM

ADDRESS: 309 EAST 22ND ST.SAN PEDRO, CA 90731 TEL 310-831-4036

編集後記

雑貨屋120号も大変にぎやかで嬉しい限りです。

読者の皆さんも、安くておいしいレストランや面白い場所などがありましたらご紹介ください。

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Zakkaya Weekly No.120

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net