Zakkaya Weekly No.100

祝100号

NO.99 Ryo Onishi 4/12/98 Index Homepage

雑貨屋がついに第100号まできました。月並みですがこれも読者のみなさんの暖かいご声援とご協力があったからだと感謝しています。ありがとうございます。読者のみなさんといっしょにお祝いしたいと思います。「雑貨屋に乾杯!」

96年5月、突然ニュースレターをつくりたくなって、創刊予告号をサウスベイの仲間にEメールで送ったのが雑貨屋ウィークリーの始まりです。当初、サウスベイの仲間や私の知人に気楽に身近なことをお知らせしたり、仲間からの情報を紹介したりして、ローカル情報ネットワークを創れたらいいなあと考えながら、週一のペースで発行を目指そうと思いました。Eメールのお陰でプリントして切手を貼ることもないので、私のような不精者でもできると思ったからです。気がついたら毎週、雑貨屋を発行するのが習慣となって、私の生活の一部になっています。記事の内容も私が当初、考えていたもの以上に内容の濃いものになってきています。第20号から河合さんのシリーズものが始まり、第28号からは西尾さんの「健康の方程式」が始まりました。すばらしい記事を毎週執筆されているお二人にはただただ感心させられるばかりです。ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。現在、私がEメールで直接ニュースレターを送っているのは50名くらいですが、口伝えでもっと多くの方に配布されているようです。97年3月には念願の雑貨屋ホームページができ、もっとたくさんの方にも読んで(観て)いただけるようになりました。第100号を迎えた今でも、私の雑貨屋の目指しているものは変わっていません。みなさんといっしょに創るネットワークです。サウスベイだけでなく世界中の仲間とのネットワークづくりです。読者のみなさんがもっと気楽に参加できるような工夫をしていきたいと思います。この雑貨屋を利用して身近なことや面白いアイデアを紹介していただければと思っています。これからも雑貨屋をごひいきのほどよろしくお願いします。 雑貨屋店主 大西良衛

読者のみなさんから、100号のご祝辞をいただきましたのでご紹介させていただきます。ご声援ありがとうございます。

雑貨屋 Weekly 時にふれホームペイジを開けて読ませて頂いておりますが、週 一 回の発行で もう 100回とは今更ながら時の経つのが早いことを感じさせられます。”継続は力 なり”と言いま すが、毎週の中身の濃い記事の掲載には本当に頭の下がる思いがします。
96年夏に11年間の勤務を終えて、帰国後既に1年8ヶ月も経過しますと、すっかり 日本の空気に馴染み、政治、経済の貧困を嘆きながらも、今更ながら自分の無力さに苛立たしさを覚える此の頃> です。日本にいると、ぬるま湯で居心地が良く、段々と物事に対する批判力が衰えるのを心配 します。 矢張り、日本を客観的に見るには、国の外からみるのが一番でしょう。 良い例は 96号の西尾様の記事「美味しい駅弁が食べたい!」で駅弁、コンビニの弁 当には全部 防腐剤をスプレイしてあるとか、これらの事は、一般の日本人には一切知らされてい な いのです。
常識のある人なら誰しも不思議に、そしてこれらの事はオカシイと思うはずなのにマ スコミは我々にこの様な事実は一切公表しないのです。
この様な事からも、是非日本の人達が知る必要のある記事を、今後ともアメリカから発信して欲しく 思うのです。
Zakkaya Weekly万歳! 田中 利彦

大西様   先日はわたしの投稿をホームページに載せて頂きありがとうございました。 そして河合さんより、早速素晴らしくリニューアルされたわたしの作品を頂きました。  本当は先週届いていたのですが、お礼がすっかり遅くなってしまい、すみません。 わたしにとって、ホームページに載せていただいたことで、たくさんの方からメッセージを頂き、顔はまだ見ぬ メール友達が(年上の方にこんな言い方でいいんでしょうか??)できたこと
はよい財産となりました。 今までメールは便利に使っていましたが、より一層、外国も近いんだなあ〜。と思って感心しています。 これからも毎週楽しく拝見させていただきますので、より長く続けて頂きたいです。そして、日本からわたしのメッセージ もたまに載せてくださいね・・・。(100号にはなむけのメッセージです)   今年の秋、たぶんロスカボスへ行った帰り、ロスへ立ち寄ることを計画していま
す。(1$200円超えてしまったら、やっぱり通貨暴落しているアジア方面に旅行した方がいいかなあ〜)
本物のみなさんに会ってみたいなあと思っているので、お伺いすることとなったら是非・是非その機会を作って頂ける とうれしいです。そして、円安にならないことを願っててください!!     取り急ぎ、日本の読者よりのメッセージです。 MIKA     INABA

この度は、創刊100号おめでとうございます。これからも益々紙面が充実する事を切に希望致します。
今までのご尽力に敬意を表します。しかし、大きく発展し品揃えが豊富になっても店の名前は、幾らアメリカといえどスーパーマーケットとはならない様お願いいたします。芸名羅府の玉三郎こと、本名 中條 石 chujoh@wakao.com

雑貨屋100号おめでとうございます。前にも同じこと言ったと思いますが継続は力です。三日坊主の私としてはただただ敬服させて頂くのみです。新しい企画は面白そうで私もそのうち参加させていただこうと思っています。 北野さん

Zakkaya Weeklyが創刊以来100号を迎える事を心から御祝い申し上げます。大西様の絶えざるご尽力に感謝いたしますと共に、私も読者の一人として、投稿の機会を持たせて頂いて、皆様といっしょに雑貨屋の更なる発展をシェアーさせていただきたいと思っています。
土屋さん サウスベイ在住

雑貨屋100回目おめでとうございます。本当に大変な事だと思います。よくここまでやることができたと感心しています。日本へ出張のときも忙しい時も欠かさず続けたことに私は頭が下がります。おめでとうございます。そして有り難うございました。少し不精にしても良いのではありませんか?

表彰状 雑貨屋店主こと大西良衛殿
貴方は雑貨屋創刊号予告号からすでに2年間毎週凝りもせず飽きもせず皆に笑い、 と知恵、知識をふんだんに盛り込み、よく続けられた努力と研鑚を重ねたことをここに100回記念として表彰いたします。
創刊号よりのメンバー ゲルマン喜子

創刊100号おめでとうございます。毎週毎週かかさず続けられるのは すごいものです。根気と信念と熱情がなくてはできません。私も一読者としてただただ読ませて頂いてるだけですが、感心し、また大変感謝しております。これからも どんどん読者を増やしてがんばって下さい。私も微力をつくして 協力させて頂きます。
三島さん サウスベイ在住

100号おめでとうございます。名刺を離れてきちんと話せる日本人が何人いるか、自分は大丈夫か?と最近よく自問しております。ちょっと車を検討するときなどに勤め先を書く欄を見つけほっとしている自分に気がつくと私も要するに典型的な日本の会社員だな思います。もっと偉ければ話しは違いますが私のレベルでこんなですからいやになってしまいます。会社とは関係なくこういった活動を、しかも継続しておやりになっているということを知るだけでも何か勇気づけられます。アクセスする人が暖かい気持ちになれるような、心のオアシスのようなマガジンにしていただきたいと思います。今後も頑張って下さい。
高山 洋 さん 長野県松本市在住

雑貨屋100号記念おめでとうございます。わたしは50号のころからの読者ですが、日々の店主氏、ならびに店子のみなさんのご苦労はなみなみならぬものでありましょう。特に日曜の夜に編集活動には頭がさがる思いです。 山脇智志マンハッタン、NYより

毎々お世話様になっております。
雑貨屋もとうとう100号を迎えるという報に接し大西さんの御努力に頭が下がる思いです。心より厚く御礼申し上げますと共にお祝いを申し上げます。大西さんはこの他にもJERCでのインターネット教室の先生されていたりサウスベイ経営セミナーの活動にも積極的に参加されていたりとその地域社会への貢献活動には本当に頭の下がる思いです。
地域社会への貢献には新聞の社会面を飾るような大口献金や寄付などによるものや大西さんのやっておられるような新聞には出ないけれどもどちらかと云えば地味で地道な活動があると思います。大西さんのやってらっしゃる事は正に地域社会への貢献活動の基本は自分の所属するコミュニティの中で自分に出来る事を行っていくというその基本的な貢献活動の形態を実践されているような気がします。
一般的に駐在員は地域社会への貢献に無関心であると云われている中にあって大西さんのような地道な努力を重ねていらっしゃる方がおられるという事は余り世の中に知られていないのが残念です。駐在員という仕事を続けながら雑貨屋の編集をされるのには大変な努力と犠牲を払っておられるのではないかと拝察申し上げます。今後とも十分御自愛の上、今迄以上に地域社会の貢献に御尽力下さる事を念願致しております。
三本松さん オレンジカウンティー在住

ZAKKAYA WEEKLY 100年を迎え一言お祝い申しあげます。
私は、長野県茅野市に住んでおります隠れZakkaya Weeklyのフアンの一人です。
毎回、生活に密着した医療問題あり、経済問題あり、文化・思想問題有りで楽しみに拝見させていただいております。特に同じ日本人で有りながら狭い国土から離れた時空間からの視点の意見は非常に参考になります。これからも、多種・多彩な記事を楽しみにしています。いずれの日か私も、筆力が先輩諸氏の様になったら投稿させて戴きたいと思っております。今後の益々の発展を祈ります。
日本国屋根裏県屋根裏部屋より

100号を迎えた雑貨屋を祝福し、店主の大西さんご苦労様でした。あと4号で2周年ですね。 2年前と言えば、e-mailが普及し始めた頃で、この先、200号を迎える頃にはe-mailと雑貨屋は時を同じくして共に歩んできたと、言えるのではないでしょうか。雑貨屋の存在こそ、読者の誇りです。 どうぞ末永く存在して下さい。
松田さん サウスベイ在住

 

100号年記念おめでとうございます。これからも、ロサンゼルスの生の情報を世界中に発信し続けて下さい。
Congratulations! ケン 清原

旧知のKさんとE-mailを初めてまだ1年も経たないが、時折KさんがZakkayaに寄稿されたものをを紹介していただき興味深く拝見している。今回このホ−ムペ−ジが100号を迎えるという。週刊で100号はこれは凄い! ここまで続いたのはメンバ−の熱意(粘り)と内容が支えたものと思う。今後とも信州そばのように細く?長く続けられることを期待します。
信州 諏訪在住 和泉屋敬二(リタイヤ−ド)

いつもながらの言い訳から始まりますが、もっと早くお伝えしようと思いながら、今日までのびのびになって申し訳ありませんでした。雑貨屋100回連続出版おめでとうございます!一口に100回と言いますけれど、時間をかければいつかは到達するのでしょうが、これが連続一回も休まずにするとなると、これは超人的な集中力とネバリがないととても出来ることではありませんね。例えば、広島カープの衣笠選手でも、あれで一回でも休んでいたら「鉄人」の称号は与えられなかったでしょう。また、小生も昔夜学へ行っていた頃、先輩の女性で4年間精勤(無遅刻無欠席)という人が居て、ご存じの通り夜学というのは昼間会社へ行かなければ行けませんし、遊びたい盛りでもあるし、また昼の会社の行事もありますから、精勤というのは想像を絶する大変な努力の結果なんですが、あのときそれを達成した先輩を文句無くエライと思いました。
同じように、このほぼ2年間大西さんもこの記録達成の裏側には人に言えないご苦労が多々有ったと思いますが、掛け値無くこの偉業に脱帽いたします。今後もこの種がどんどん大きくなって、世界中の日本語を読める人に愛読され、E-mail史の中に草分けとして記録されることを望みます。
追記:もし、記念行事として、一杯飲む機会があるのでしたら、小生をお忘れ無く。諸橋さん ロス在住

雑貨屋100号おめでとうございます。
私も、よく読ませていただいていますが、アメリカでの様子が目に浮かび本当に近くに感じます。
健康によいことや、いろいろと参考にさせていただくことがあり嬉しくおもいます。オリンピックの感想も、我が社の女性のをアメリカ経由で読ませて戴けるのも楽しいものです。これからも、お待ちしておりますので、是非末永くお続けくださる様に、ますますの御発展をお祈りいたします。
山田節子さん 長野県諏訪市

いつも「Zakkaya Weekly」の配信、ありがとうございます。あと少しで100号なんですね。おめでとうございます。これからも、楽しくてタメになる情報の提供を期待しています。三好さん 神戸

#93よりの読者です。100号おめでとうございます。足掛け三年になろうとするところでしょうか。パソコン初心者でも、遠い所の見知らぬ方々の、楽しい、ためになる、考えさせられる、教えられる、内容の濃い文章に 接することができ、毎週楽しみです。
読み人知らず。

ZAKKAYA WEEKLY 100号記念 おめでとうございます!!
河合将介さんからこの ”ZAKKAYA WEEKLY”をご紹介頂いてから楽しく拝見させて頂いています。画面上の文章が文字ではなくて、実際にその人から話を聞いているような感じを味わっています♪。 L.A.にお住まいの日本の方たちの話題に興味深々です。これからも、いろいろなお話を楽しみにしてます。
桜吹雪をまだ楽しんでいる/下嶋もとみ 東京在住

雑貨屋100号おめでとうございます。
しばらくインターネットクラスには行ってませんが、大西さんの雑貨屋は読んでますよ。リタイヤなされた河合さんが、文筆家のように新聞などにも投稿してがんばっているので、私の出る幕じゃあないと思ってましたが、今回、特別のお誘いで、身の回りのこと書いてみます。(投稿コラム)小倉やすこ

100号にちなんで 河合将介

Zakkaya Weekly第100号にあたり、 雑貨屋店主 大西さんに心から祝意と敬意を表します。世の中には3日坊主と言うのはいくらでもありますが、対象が何であっても 、一つの事を休まず100回も続けるとはただ尊敬あるのみです。

今回はZakkaya Weekly 100号にちなんで以下、「100 (百)」を意識して書いてみたいと思います。

漢字の「百」を辞典で調べてみると、そのなりたちは『 「一(数のはじめ)」と、音符白(ハク:大きい意)とから成り、大きな数の意を表わす』と書いてありました。(角川新字源)

要するに「百」 とは単に10 X 10というだけの意味ではなく、「多くの、たくさんの、またはすべての」 という意味合いが含まれている事がわかります。そういえば、「百」という文字を含む熟語の多くは 「百」をただ数字の単位というよりは、「数え切れないほどたくさんの又はすべての」 という意味で使われているのが目立ちます。例えば 百貨店、百科事典、百獣の王、議論百出、百日咳、百害、百聞、百態、百般、百面相、百薬の長、百発百中、勇気百倍、諸事百般、百鬼夜行、百戦錬磨(何度も戦って鍛えられる事)、百花繚乱(多くの花が咲き乱れるさま)、百折不撓(ひゃくせつふとう:幾たび失敗してもくじけない志の堅固なさま)、百代(非常に長い年代、永遠)、百計(あらゆる計略)等々・・。

「百」について調べているうちに興味深い発見がいくつかありました。例えば「百姓」 という言葉があります。現代日本ではこの言葉は何となく差別語的に扱われ、「農民・農家」を少々卑しみ見下した言い方のように思われていますが、この言葉はその昔、中国で編まれ選び集められたアンソロジイ(anthology:詩文選集)でその後の日本語漢字の基礎ともなった「文選(もんぜん)」にも載っている由緒正しい言葉である事を知りました。因みに「百姓」とは本来「一般の庶民、公民」という意味で日本へ来てから百姓=農民となったようです。

Zakkaya Weeklyに何か書く事は 自分の勉強になります。今回 「百」 にこだわって 国語辞典や参考書を見渡したお陰でいろいろ新しい事を知りました。その上最近はインターネットという新兵器の出現で 知りたいという欲望と熱意さえあれば、かなりの情報が容易に入手出来ることも実感しました。便利な世の中になったものです。

1950年代の中頃、中国(中華人民共和国)では当時の毛沢東主席が「百花斉放・百家争鳴」という言葉で多くの人民・学者にさまざまな議論を自由に展開させ、社会主義建設のため、論争する事を奨励した一時期がありました。残念ながらほぼ10年後の「文化大革命」の抑圧再開によって跡形もなくなってしまいましたが、お互いに自分の意見を述べ、議論をする事は大切な事であり、今私はアメリカ南カリフォルニアにいて自由な議論の大切さ、有難さを毎日のように身をもって実感しています。尤も「百聞は一見に如かず」、「百の議論よりも一つの実行」 という言葉もある通り、実(又は実行)の伴わない議論の無意味さを同時に実感出来るのもまたこの地であるようですが。

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とりとめのない事を書いたついでに、もう一つ、「百」にちなんだクイズ形式のコントを考えましたので、以下記します。こんなのはいかがでしょうか。

百足=ムカデ、百目= レーザーアンテナ、百口=おしゃべり又は騒音、百耳=地獄耳または情報通、百手=プロの将棋差し、百歌=百人一首と、それぞれ読ませます。さてそれでは 「百舌」 と書いて何と読ませるでしょう?――エッ、何ですって? 「百の舌」 だから「ペテン師か政治家」って読ませるのだろうって!!――とんでもない、「百舌」 は「もず」 と読み鳥の名です。(なぜ「百舌」が「もず」なのかは、私は知りません。言語学者に聞いて下さい)―― オソマツデシタ。

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最近日本では本物の「雑貨屋さん」が だんだん少なくなり、特に都市部では スーパーマーケット、デパートメントストアなどの進出により、「雑貨屋」という商売をしている店舗もあまり見られなくなってきています。そのうち本来の「雑貨屋」という言葉も死語化する運命なのかも知れません。何時の日か将来、「雑貨屋」を現代用語辞典でひいたら、『「アメリカ南カリフォルニアからの便り」 の事をいう』 なんて書いてあったりして・・・・。こういうのを「百年河清(かせい)を俟(ま)つ」 って言うんですかね。

河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式 「ありのままに生きる」西尾誠一郎

「4月6日から28日まで日本に行ってきますから、健康の方程式は休みます」と大西さんに電話すると「西尾さん、たしか4月12日で雑貨屋も100号になりますので何とかなりませんか」とのこと。そう言われちゃ期待に応えなくてはと思いました。河合さんも大西さんも楽しみながらよくがんばっていますね。
私も28号から協力させていただき、健康の方程式を書くことを通して深く学ぶことができました。そういう場を与えてもらったことを感謝しています。
でも今まで言いたいことを100%自由に書いたわけではありません。この100号を記念してもう一度原点に戻って、真実をありのままに書こうと思ったのです。
私は腎臓が悪い、胃と膵臓にも問題があると書きました。森下敬一先生や瓜生良介先生に最初そう言われたのです。しかし昨年5月23日、一番最初にヘントリック博士に告げられた私の病名は慢性骨髄性白血病だったのです。その日のうちに血液専門の医者の検査を受け、再度同じことを言われました。そして0年から5年で慢性は急性になり、急性になると命があぶないと言われました。白血病は未熟な白血球が増える病気ですが、慢性のうちは未熟で不十分でも白血病の働きをなんとかしてくれるのです。私の白血球の数は19.2万(正常値は4千〜8千)と非常に高く、血液専門医からは2つの薬で白血球の数値を下げるところから始めようと言われたのです。私の歳(56歳)では、骨髄移植はリスクが高くてできないとも言われました。でも薬の一つは抗がん剤で、めまいから脱毛までずらり副作用が明記されていました。
私はこの健康の方程式を書いていたお陰でわりと冷静に事態を受け止めることができました。病名を知らされた次の日の朝9時には、妻と2人でサクラメントのくもんの教室を見学していました。引き続きくもんの2泊3泊のレイク・タホ自主研を行いました。私が問題提起者だったので、欠席するわけにはいかなかったのです。その後もくもんのサンフランシスコ研修会、ホノルル研修会、そして今、例年通り日本でくもんの教室見学もしています。自主研を終えて、兄弟・家族会議を開き、くもんの父兄に動揺を与えてはまずいという判断で病名を伏せておくことにしました。私の中でもその方がいいという気持ちと、正直に言ったほうがよいという気持ちがありましたが、私の尊敬する森下敬一先生にも、もっと健康になるまで病名は公にしない方がいいと言われ、従うことにしました。でも一方では病名を公表して、健康の方程式を書けば、もう一つ私の腹もすわるし、必要な情報もいろんな方から寄せられるのにという思いがいつもありました。実は2、3名の方に病名を告げますと、その方々から励ましや貴重な情報が寄せられたのです。でも考えてみればおかしなことです。日本ではたいていは家族がまず病名を知らされ、本人に告げるべきかどうか悩むのに、私の場合は病気の当時者周りの人々に告げるべきかどうか迷っているのですから。

いずれにしろ私は抗がん剤を使わず、いろいろの免疫療法を使って自分の自然治癒力を高め、その力で白血病を克服することに決めました。抗がん剤を使わないで、生命・生活の質(QOL)を落とさないで、元気に働いて長生きする。

そのことを多くの人々に知らせ、夢と希望と勇気を与えたい、そしてその体験をまとめて、本にした、それが私の夢なのです。

私の白血球の数は19,2万(5/97)→24万(6/97)→18.2万→(11/97)→19.6万(2/98)→15.5万(4/98)と少しずつよくなっています。今は2時間ぐらい働いて疲れたら休み、平均1日4時間から6時間ぐらい働いています。

みなさんと本音で話し合える間柄になりたいと思って、病名や心境を発表しました。どうぞよろしく。

投稿コラム 小倉やすこ oguraflute@earthlink.net

我が家の愛犬、ランディが年の暮れに13才で死にました。14の息子が、赤ん坊の時から遊び相手にしていたので、その息子が一番悲しみました。死亡原因はテーブルフードのあげすぎによる心筋梗塞でした。

みなさん、犬は人間様の食べ物では、塩分の取りすぎになることは知ってましたか?わがランディはドッグフードをあげてもプイッとよこを向いて食べないものですから、家族の食事の残りを混ぜてあげてました。焼き肉や、すき焼きなどしようものなら、座っている家族に前足でトントンとたたいて、「早く僕にもちょうだいよー。」とばかりテーブルのうえのごちそうをおねだりをしたものでした。

しかし、かわいがりしすぎて、人間様の味付けの食べ物をしょっちゅうあげたのが良くなかったのです。人間の食べ物は犬にとっては多すぎる塩分が含まれているのです。夏を迎える頃、遠くからやってくる息子に向かって走り出したとおもったら、[キャンキャーン」と鳴いて、急に倒れたのが始まりでした。興奮すると、何度もこの症状が出るのでドクターに連れていったら、心拍が普通の倍の速さであると言われました。即刻 「ノー ソールト、ノーテーブルフード アットオール」でダイエットのドッグフードのみを食べさせるよう薦められました。しかし、暑い夏の盛りは入院するなどして、小康状態になっても、とうとう年齢と病気を克服できませんでした。

私は食事を与えていた中心の家族として、ランディにほんとうに悪かったと反省させられました。みなさん、自分のペットがかわいかったら、人間と同じような味付けの物を、愛犬にあげないようにしましょうね。

投稿コラム Ryuichi Tsuchiya

私の近況は昨年アメリカ市民になって以来、もはや、日本にいつかは帰るという心を断ち切った事をポジティブにとらえて、日系アメリカ人として、どのように日米両国に貢献すべきか謙虚に先輩のJapanese-Americanの足跡をたどって見聞したり、私自身もアメリカのPublic High Schoolの教師として2年目を迎え、Good American Citizenを育てるという、最近まで日本人だった私にとっては今後どうなるのか見当もつかない壮大な実験を自ら探したりして、結構充実した毎日ですが、アメリカンモードにシフトしている最中なので、日本からも抜けきらない一方で、アメリカにも同化しきっていないという何か不思議な空間に、ただよっている気分です。

投稿コラム まつしま

今晩は、99号読みました。西尾様の文の続きとして、この様な文は如何でしようか。  夫婦幸せのための十ヶ条 1.    2人が同時に怒る事勿れ。 2.   火事のとき以外か大声で怒鳴ることなかれ。 3.   勝敗を決する必要あらば、相手に勝ちを譲るべし。 4.   批判は愛を持って控えめにすべし。 5.   過去の過ちを語ることなかれ。 6.   まず、二人のことを第一に考えるべし。 7.   論争に決着をみずして寝ることなかれ。 8.   日毎に最低一つの善語を語るべし。 9.   自ら招いた誤りを認め許しを請うべし。 10. 口論は二者にして可能なり。  また、言い過ぎるものは誤りなり。     

お知らせ

浦田紘司さんの講演会

気功家で有名な浦田紘司さんの講演会が5月9日土曜日(午後1:45-4:45)にHoliday Inn Torranceで開催されます。(入場料は5ドル、先着130名)主催:“ラ・クー”浦田紘司と楽しく生きる会 協賛:Holiday Inn Torrance

浦田さんの意識エネルギーの力強さは、多くのマスメディアや「船井幸雄」さん等の著書でも紹介されています。4年間も車椅子の生活をしていた方が、30秒気を入れただけで歩いたり、子宮筋腫やアトピーが治ったなどの話しがいっぱいあるそうです。

編集後記

今週は100号記念ということもあってWord文書で6ページになってしました。西尾さんは日本からファックスで記事を送ってくれました。次号からも読者からのお便りをどんどん載せていきます。是非、みなさんも参加してくださいね。身近なことや、本の紹介、レストランの紹介、インターネットで見つけた面白い、役に立つホームページの紹介、パソコン、インターネットについての質問等、なんでも結構ですから、かしこまらずにトライしてみませんか。
雑貨屋ホームページに創刊号、創刊予告号も載せましたのでご覧ください。http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.100

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net