Zakkaya Weekly No.99

Ryo Onishi 4/5/98 バックナンバー  Homepage

今日からサマータイムがスタートしました。 タイムが一時間進んだのでいろいろ問題も起きたのではないかと思いますが、読者の皆さんはトラブルはなかったでしょうか?アメリカ国内でもサマータイムを採用していない州がありますが、サマータイムに変わるたのしみがあるカリフォルニア州にいて良かった思います。サマータイムになると日が長くなるので、なんとなくたのしくなるのは私だけでしょうか? (R.O)

Made in Occupied Japan

日本が戦争に敗れ、焦土から再生を期してから50数年、その間 国民の総力を挙げた必死の努力の甲斐あって日本は今や世界に冠たる技術・貿易大国にまで成長しました。戦中及び荒廃した戦後を生き延びてきた私にとって、現在の日本の姿はまさに夢を見ている思いです。

確かにその反面、物質文明のみが成長し、心の豊かさや感性と言ったものが置き去りにされてしまっている現状は決して褒められたものではありませんが、(でもこの際、物と心のバランスは21世紀への課題という事にして)我々日本と日本人がこの50数年間に成し遂げた成果は成果として世界の歴史に残る誇るべき偉業であるといっても過言ではないと思います。かつて「舶来品」 という呼び方がありました。「舶来品」 とは主として欧米から輸入した品物を言い優秀品の代名詞であり、その逆が「国産品」 でこれは「安かろう悪かろう」 の代名詞でした。“Made in Japan”が粗悪品の代名詞だなんて今の人々には理解出来ない事でしょう。日本の輸出品だって初めから優秀だった訳ではなかったのです。

現在年間10兆円を越える日本の国際収支の黒字額も決して1年や2年で達成されたわけではなく長い実績の結果です。日本は明治の開国以来、海外との貿易を積極的に行いましたが、でも1945年8月のポツダム宣言の受諾(無条件降伏)で一旦はすべてゼロ同様になってしまいました。だから私は現在の通商・貿易立国日本の出発点は この敗戦時だと思っています。そこで私は戦後の日本の輸出の原点について興味を持ち、少し調べてみたくなりました。 そして調べてゆくうちに今の日本を作り上げた貿易(特に輸出)の原点としてたどり着いたのが“Made in Occupied Japan”という文言で、以降これについて説明します。

戦争終結直後の日本は荒廃と混乱のため、すぐに貿易が再開された訳ではありません。第一、日本国民がろくに食べるものもなく外貨もない状態であり、その上日本はアメリカ始め連合軍に占領されている国なのです。どうやって貿易など出来得ましょうか。私事になりますが、私は当時東京の下町に住んでいましたが、食べるものがなく、親が何処かで工面してきた「どんぐりや、乾燥した笹の葉を挽いた粉」で“すいとん”を作ってもらい食べた記憶さえあります・・

この頃の関連資料を調べたら次の事がわかりました。

1945年8月:日本、ポツダム宣言受諾(無条件降伏)

1947年 :GHQ(連合軍総司令部)、民間貿易一部再開許可

1949年4月:GHQ、単一為替レート(1ドル=360円)を設定

1950年6月:朝鮮動乱(南北朝鮮戦争)勃発

1951年9月:サンフランシスコ講和条約(日本の主権回復)

上記の表から、日本が敗戦後の混乱を多少なりとも脱してある程度本格的に貿易を再開出来たのは 1949年4月に 1ドル=360円という単一為替レートを決めてもらった頃ではなかったか推察出来ます。1949年4月以前の日本は 殆ど貿易どころではなく、従って円・ドルの換算レートすら決められていなかったのでしょう。

ところで当時の日本はアメリカを中心とする連合軍に占領された土地であり、GHQ(連合軍総司令部)の支配下に置かれていた訳ですから貿易を再開しても、輸出品に“Made in Japan”と刻印または記入出来ません。なぜなら当時の日本は被占領地であり、日本国ではないのですから。そこでやむを得ず使われたのが“Made in occupied Japan”という文言だったのだそうです。日本人にとって屈辱的とも言えるこの文言も当時の現実がそうであればしかたのない事だったのでしょう。そしてこの文言は、1951年9月サンフランシスコ講和条約により日本が晴れて実質主権を回復し、独立国となるまで続いた筈です。即ち、“Made in occupied Japan のマーク又は刻印のある製品こそ、ほぼ50年前、戦後日本から輸出された最初の製品群ということになり、その後の貿易(輸出)大国日本の原点であると言えるでしょう。

そこで私はその“原点”である“Made in occupied Japan のマークまたは刻印のある品物を当地で探す事にしました。原点とは出発点であり、人間でいえば母親にも相当する懐かしい存在であると同時に、その後と今を知る最大の手掛かりだと思うからです。

このマーク又は刻印の入った品物は、1ドル=360円が決まった1949年4月から日本が再独立した1951年9月の間、わずか2年半程の短期間だけ輸出されたものと考えられ、その上、このマークや刻印は当時の被占領地日本からの輸出品に付けられたものですから最大輸出先であるアメリカこそ、探すのには最適地の筈であり、きっといろいろ該当品が見つかると考えたのです。(日本国内向けの商品にわざわざこんな屈辱的なマークや刻印はしなかったでしょうから)

当時の日本の輸出統計を取り寄せ調べてみると、その頃の日本は金額こそ少ないけれど 結構それなりに多品種にわたり海外へ外貨獲得の為輸出している事が解ります。私がこれまで当地で見付けた“Made in occupied Japan 品は陶器の皿、置物、飾りなどが主なものです。変わったところでは オペラグラスを手に入れました。これは私の友人を通して彼の知人(年配のアメリカ人)から譲ってもらったもので、そのアメリカ人は 朝鮮戦争の時、アメリカ軍(国連軍)の兵士として出兵し、戦地で手に入れたとのことで、まさに上記の2年半の間にぴったり符合するものです。

当時の輸出統計には 上記陶磁器類などの他、繊維(絹製品など)、雑貨(豆電球、造花、麦藁帽子など)、玩具類(木製・ブリキ製品他)、木製品・竹製品(釣竿、熊手など)、農林水産物、お茶、味の素などいろいろ記載されていますが、それら殆どは日常消耗品であり、残っている筈のないものが中心なので、今残っている品目と絶対量はそんなに多くはないでしょう。

私は当時、小学校の低学年でしたが 母親が生活費の足しにとしていた手内職の玩具作りを手伝った記憶があります。それはブリキのオモチャとインデアンの顔の絵が印刷された小さな太鼓でした。(1個作って手間賃が5銭とか10銭といった単位だったと記憶しています)あのオモチャ達も今にして思うと、多分外貨稼ぎのための輸出品ではなかったかと想像されます。そうすると それらの製品にも“Made in occupied Japan と記されていた筈です。

何時の日か、幼かった私が母と一緒に内職で手間賃稼ぎをしたあのブリキのオモチャや インデアンの太鼓をアメリカで見つけ出し、再会するのも、実は私の“Made in occupied Japan”探しの目的の一つなのです。 河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式(結婚生活維持にもEQは大切)

西尾誠一郎

アメリカの離婚率は横ばい状態になりつつあるそうですが残念なことに新婚カップルが将来離婚する確率は依然として増加を続けています。下の表をご覧ください。夫婦を結婚した暦年別に分けて離婚率を比較してみるとちょっと心配な数字が現れてきました。離婚は悪いと一概に決め付けることはもちろんできませんが、日本のすぐキレる中学生の記事を読むにつけてもほおっておくと事態はもっと深刻になる恐れがあります。

1890年=約10% 1920年=18% 1950年=30% 1970年=50% 1990年=67%(予測)

この予測が正しければ、最近結婚したばかりの夫婦のうち最後まで添い遂げるのは3組中1組ということになります。もちろん離婚率が高くなってきたのは、無理に我慢して結婚生活を維持させてきた社会的圧力が弱まってきたせいもありますが、それならなおのこと、結婚によってお互いが成長し続ける関係を作っていく心の知能指数(EQ)を高めていくことが大切になってきます。夫婦が健康で幸せに暮らすためにも生まれてくる子が健康で幸せに生きていくためにもEQについて学習することはとても大切です。しかしこれはあくまで一般論ですので、離婚経験者のすべてのEQが低いと決めつけているわけではありません。ダニエル・ゴールマンの「EQ−心の知能指数」から、結婚生活をうまくやっていくコツのいくつかを抜き出してみましょう。

「結婚生活をうまくやっていくためには、夫婦のあいだにで意見の合わない特定の問題《−子育て、セックス、家計、家事など》ばかりに集中せず、夫婦に共通nEQを養って問題をかしこく解決する工夫をすることだ。わずかのEQ―自分の(そして相手の)感情を静める能力、共感する能力、相手の話をしっかり聞く能力―を身につけるだけでも意見の対立をうまく収められるようになる。そうなれば、夫と妻の間で『健全な意見の不一致』が可能になる。『上手なけんか』は結婚生活を豊かにし、結婚生活をおびやかす有害な思考を克服する機会になる。」

もっと具体的に言うと(1)感情に対する男女の姿勢の違いを知っておくこと、一般的には夫は結婚生活を楽天的にとらえがちで、感情的に対決する場面を避けたがるため夫婦のコミュニケーションに次第に熱心でなくなります。(2)結婚生活の危機を避けるには配偶者の行為に対する不満が行為そのものではなく人格に対する攻撃にならないこと(3)激しい口論になって脈拍があがった(相手のそれでも)と、どちらかが感じたら、けんかを一時中止すること約束をあらかじめしておくこと――外にでも出て歩いてくると良い。(4)激しい口論の末、人格攻撃をしそうになったら、ちょっと間をおいて配偶者が自分のために考えてしてくれたことの数々を思い出してみること。(5)心を開いて話し合う努力をすること。その最大の秘訣は、話の範囲を当面の問題だけに絞り、人格攻撃にエスカレートさせないこと。

ハイム・ジノットという心理学者は上手に苦情を述べる方法として「XYZ」法をすすめています。「あなたって思いやりのない人ね。自分勝手な大馬鹿者だわ。」と言うのではなく「あなたが夕食の約束に遅れるという電話をくれなかったので、私は大切に思われていない気がして腹が立った。遅くなるなら電話で知らせてくれればよかったのに。」と言えばいいのです。

危機を感じている人もいない人も「EQ―心の知能指数」をまだ読んでいない人は、その第9章の「結婚生活の愛憎」をお読みください。そしてゲイトウェイUSAの4月1日号と4月16日号の「子育てイキイキ」もどうぞ。

読者からのお便り 家のペット 松島恵子

姓は三色 名はジュンチャン フリテンのチャンと申します。

4歳と3歳の牡猫が二匹(二匹ともアメリカン ショトの雑種)がおります。

チャンタ、ジュンチャンと云う名前です。お察しのように、マージャン好きの私が名付けました。

チャンは17ポンドのデブさん、ジュンは10ポンドのスマートさんです。

チャンはいろいろと芸をしましたが、今はお座り、お預け、お手、おかわり位です。

ジュンはお座り、お預けだけですが、いろいろと遊びを作り出しては私に遊び相手のおねだりに来ます。私を頼りに生きているこの2匹が大変可愛いい存在です。

年を取ったせいでしようか、休日に1日中遊んでいるのが、元気に働ける源かも知れません。これからも仲良く生きていきたいと思っております。

編集後記

雑貨屋ウィークリーも99号まできました。ついにあと1号で100号になります。100号では読者のみなさんからいただいた祝辞や記事を紹介する予定です。読者のみなさんからのお便りをたのしみにしています。

Zakkaya Weekly No.99

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net