Zakkaya Weekly No.80

No.79 Ryo Onishi 11/23/97 バックナンバー  Homepage

先週の土曜日の夕方、レンジで練習していたらガッシャーンという音を立てて蛍光燈が割れて、パラパラと落ちてきました。どんな風に打ったらのかよく分からないのですが、私の前で練習していた子どもが打ったボールがなぜか後ろのほうに飛んで蛍光燈に当たったようです。

これを見ていてずいぶん前のことを思い出しました。いっしょに練習していた同僚のボールが私の前で練習していた人の顔に当たったのです。同僚は左打ちでちょうどその人の真向かいで練習していたのですが、シャンクしたボールが何かにあたりそれが跳ね返ってきたようでした。びっくりして真っ青になった同僚はうーんとうずくまっているその人にどうしたらいいか分からず「大丈夫ですか?」と言うだけでした。そしたらその人「大丈夫なわけがないだろう!」とかなりの剣幕で怒鳴ってから、そのまま帰ってしまいました。「恐かったー」そのあとの練習ですか?二人ともメチャクチャでしたね。「あの人大丈夫だったかなあ」と今ごろ思い出しました。(R.O)

左 脳 と 右 脳 (2)――日本人の脳

前回、人間の脳が左脳と右脳に分かれていて、左脳は論理・理性・言葉などの機能を担当し、右脳は感情・直感・パターン認識など 感性の部分を担当すると言う事を書き、さらに我々日本人の場合は、欧米語を母国語とする西洋人と異なり、本来 理性を司る左脳で 一部感性的認知もしていると言う学説を唱える角田忠信氏(東京医科歯科大学教授)の話をご紹介しました。

この「角田理論」は 日本人の所謂 「あいまい(ファジー)思考」 について考える時、大きなヒントの一つになるのではと思われます。そこで今回ももう一度 取り上げることにしました。

このテーマについて、わかり易く解説している文章を見付けましたので以下しばらく引用します。(引用元:「JAPAN AS IS−日本タテヨコ−和英対訳版P.42」 by Gakken Co., Ltd.)

〔日本人の脳〕: 日本の音楽会は、どこへ行ってもたいへん静かだ。聴衆は皆文字どおり息を殺して演奏を聴いている。外国の指揮者などは、日本人はマナーがよいと褒めるが、実はこれは日本人の脳のしくみに原因があることが、東京医科歯科大学の角田忠信教授の研究でわかっている。

欧米型と日本型

人間の脳は左脳(言語脳)と右脳(音楽脳)に分かれ、その機能が異なる。左脳は言語や計算、論理的思考を扱い、右脳は音楽、直感的・非言語的世界をつかさどる。この脳の働きの一部が日本人と欧米人で異なるというのが、いわゆる「角田理論」である。

欧米人の脳は左で理性的認知、右で感性的認知とはっきり分かれているのに対し、日本人の左脳には理性的・感性的認知が混在している。母音、笑い声・泣き声などの感情音、風の音・虫の鳴き声のような自然音、邦楽器の音などを、日本人は欧米人とは逆に左脳で処理する。したがって、ため息・せき・嘆声などが音楽の途中に入ってくると、スイッチが左脳に切り替わり、音楽鑑賞が妨げられる。そのために日本の音楽会は静かなのである。

脳の機能の違いは、文化の差をもたらす。欧米文化の論理性、知的に自然と対決する姿勢に対し、日本文化は非論理性、情緒性、自然との融和を特色とするが、この違いは聴覚を通しての自然界の認知の仕方からくるものだと言う。

角田理論は、今 はやりの日本人論や日本文化の科学的根拠になるものとして、たいへんなブームになった。湯川秀樹博士は、「近来こんなおもしろい話を聞いたことがない」 と言ったくらいである。

日本語が原因

日本人の脳がこういうしくみになった原因は、母音優位の日本語にあると言う。欧米語(例えば英語)では、「子音+母音」(go), 「子音+母音+子音」(cat) の音節が言葉の単位になるので、母音それ自体意味を持たず、楽音として右の音楽脳で扱われる。これに対して、日本語の母音は、「い」(胃)、「え」(絵) のように単独でも意味を持つので、言葉として左の言語脳で処理される。母音と構造のよく似た多くの自然音も、同じように左脳で扱われることになる。

人間の脳は生まれたときは世界共通、生後6歳ぐらいから9歳までの使用言語によって型が決まる。今のところ、日本人と同じ脳の型は、母音の多いポリネシア語を話す人たちだけということである。同じ日本人でも欧米語を母語とする日系二世は欧米型の脳になる。

(「JAPAN AS IS−日本タテヨコ−和英対訳版P.42」 by Gakken Co., Ltd.より引用)

       ――以下次号へ続く――

河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式
「病は気から、だから読む薬をすすめたい!」
西尾誠一郎

皆さんは自分がこの世に生まれてきた最初の記憶について考えたことがありますか。私が狭くて冷たい水の中にいて、限られた空を見上げ、誰かが上の方から私に手を伸ばしているというものです。母にたずねると、私が高知県中村市で祖父といっしょに住んでいたとき、幼児にとってはかなり深いみぞに落ちて助けられたことがあったそうです。

そんな記憶といろんな本を読みすぎたせいか、小学生の頃から「死んだらどうなるんだろう?」と死が恐くてたまらなかった。いや正確にいうと、小学校時代に高知県にいた頃、田舎の夜の暗さがたまらなく恐かった記憶です。家がポツンポツンとある田舎ではもちろん外灯もなく、我が家のトイレは家の外に建てられていて、夜一人でトイレに行くのが実に嫌でした。父母は中学校、小学校の教師で、冬になると暗くなって帰ってくるのが常でした。川向こうの親類の家へ妹と弟を連れて行き、かまどでご飯を炊いて、イロリでお湯を沸かし、妹と弟の3人で、母の帰りを待ちわびたものです。ある時「おばけ!」と弟を驚かすと、弟が泣き出して抱きついてきて、私の方が声を上げて泣きたくなったこともありました。私は今でも実に臆病なのです。

でも今年の5月22日、医者から腎臓をはじめ、いろいろと内臓の働きが弱っている言われた時、かなり冷静に受け止めることができました。ですから翌日から2泊3日でやる予定のくもんの自主研にも参加できたのです。それは私が、前にも紹介した飯田史彦氏の「生きがいの創造」(PHP研究所版)を読んでいたからだと思われます。

私は大学時代から日曜日には牧師さんの話を聞きに行き、その午後は聖書研究会に出るなどして、何とか死の恐怖を宗教の側面から乗り越えたいと努力していました。しかし、どの宗教にも「まず入信して実践してみないと分からない」という壁があり、どうしても入っていくことができませんでした。私は縁あって、友人の高島さんが主催する「たの研(船井流愉しみ研究会)に出席していますが、船井さんのいう「周囲に起こることは必然であり、ベストである」という言葉も、この本を読んでやっと分かった気がします。

私は急性骨髄性白血病を克服した間瀬健一さんが「ガンになってよくなり、生きる望みがわいてきた」とおっしゃる意味が、この本のお陰で分かったと思います。

私は、私の教室にやってくるいろんな障害を持った子ども達を、以前のけなげによくやっているという見方から、もっと尊敬を持った目で見守れるようになりました。

私はこの本の素晴らしさを要約して皆さんにお伝えしようと思いましたが、たくさんの例はどれもすばらしく、うまくまとめられないのであきらめました。でも私が病気になった時、この本が病気を「またとない自分を成長させるチャンス」と私に思わせてくれたのは事実です。まだ読んでない方は是非、お読みください。そして納得される事が多ければお友達にもすすめてください。

読者からのたより 三島さん

最近3週間 出張に行ってましたのでその話を書きます。
以前大西さんはシンシナティへ出張された話を書いておられましたね。あの頃、紅葉は始まってたでしょうか? 10月の最終週はポートランドでした。紅葉真っ盛りでとてもきれいでした。アトランタに住んでた頃は毎年 紅葉を見に一泊旅行をしましたが、LAに来てからは ほとんど紅葉らしい紅葉を見てなかったので、とても嬉しかったです。出張先のポートランド郊外には あのインテル社があり、その他 いろいろコンピューター関連の企業もあり、シリコンフォレストと呼ばれているそうです。ボーイング社の部品工場もあり、ホテルはどこも満員です。空港も拡張され、景気がいいんですね。

シンシナティといえば、我が社のアメリカ本社があります。去年行った際 直行便が取れなく、ノースウエストのデトロイト経由でした。

デトロイト−シンシナティ間はプロペラ機で「大丈夫かなー?」と思いながら乗ってましたが、それからひと月くらいしてから 同じ便が墜落し、乗っていた人全員死亡しました。びっくりしました。日本人(T社の人)も乗っていたそうです。

私の会社はコンピューターで動かす機械を作ってまして、私の仕事はそのアフターサービスです。先日の出張は 新製品にソフトのバグがあり日本からソフトウェアのエンジニアが来た為そのお手伝いでした。

現地でバグを見つけて、日本に変更を指示、変更されたソフトウェアをE−メールで受け取ってそれをROMチップに入れます。夕方日本と話して翌朝メールを受け取る、そしてテスト、また変更。これを8回くらい繰り返しました。(2週間で)

もしE−メールがなかったら....OCSとか使っても 一回の変更に3日はかかったでしょうね。
全く便利になったものです。
その日本から来た人の飛行機のチケットは (シアトルまで)12万円=$1000でしたが、同時にケンタッキー(シンシナティ)から来た人のは $1600でした。何か変ですね。 三島

編集後記

雑貨屋のホームページを久しぶりに更新しました。河合さんの「あまり知られていないLAの観光スポット」もNO.27まで入れてあります。是非見てください。サーバーのスペースがいっぱいになってきたので、もっと大きなスペースをくれるプロバイダーに乗り換えようかなあと考えているところです。

http://home.earthlink.net/~ronishi

Zakkaya Weekly No.80

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net