Zakkaya Weekly No.60

Ryo Onishi 7/6/97 バックナンバー Homepage

読者のみなさんはこの週末どこかに出かけられたんでしょうか?

Eメールでお送りしている雑貨屋WeeklyのWORD文書が文字化けして読者の皆さんにご迷惑をおかけしました。でも、みなさんが雑貨屋を読んでくれていることが改めてわかり、嬉しく思いました。まだ良く分からないのですが、MS OFFICE95のWORDで作成して送ると問題ないようなので、これからそうします。

雑貨屋のホームページも最新のZAKKAYA WEEKLYを載せていますので、もし文字化けが起こっても、そちらのほうで見ていただくことができます。

河合さんの「あまり知られていないLAの観光スポット」のページも一新し(No.19まで載せてあります)、写真も載せましたので、是非ご覧ください。http://home.earthlink.net/~ronishiを覗いてみてください。(R.O)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(19)

Fort MacArthur Museum

(L.A.サウスベイの観光スポット−3)

Palos Verdes半島の最南端、San Pedro海岸を見下ろす位置にあるAngeles Gate Park は元々は 軍事要塞“Fort MacArthur”の一部であり、そこの 要塞跡を利用したMilitary Museumが“Fort MacArthur Museum”です。

“Fort MacArthur要塞”は 1914年に建造が始まり、ロサンゼルス港周辺の防衛の中枢拠点としての役目を担った所です。名前の“MacArthur”とはLt. Gen. Arthur MacArthur (Douglas MacArthur将軍の父) に由来し、1946年12月の日米開戦後は 砦間の地下トンネルが掘られたり、新しい砲台が設置されたりして補強され、一時はかなり大規模なものだったとのことです。 第二次大戦後は ミサイル他 近代兵器の出現で 大砲等は撤去されましたが、1951年には ここが新たに ロサンゼルス地域防空軍の司令部となり、1954年初め登場した対空ミサイル「ナイキ」がここにも据えられた時期もあったようです。

1974年 ナイキ・ミサイルシステムは現役を退き、この要塞もその役割を終え 敷地は ロサンゼルス市とアメリカ空軍に引き継がれ現在に至っています。要塞の一部は“National Historical place”として登録・保存され、“Fort MacArthur Museum”となっています。

Museumといっても、もともと軍事要塞跡ですから中は 頑丈で薄暗く、狭い小部屋に仕切られ、身も心もヒンヤリ寒々と いった雰囲気です。さらに展示物には 対日戦争関係の資料や品物も多く、我々日本人にとっては 心の痛む展示物もあり、必ずしもうれしいものではありませんがますが、日本とアメリカの間には こんな時期もあったのだという事も知っておく必要もあるのではないでしょうか。カリフォルニアの底抜けに明るい日差しから一歩地下を覗いて見ると、ほんの最近までこんな歴史もあったのです。

平和の大切さを痛感させられる遺跡です。ぜひ一度出かけて見てください。

前回の「観光スポット(The Friendship Bell)」と 同じ敷地の中です。

(*Open Hourは土曜日 及び 日曜日のみ、12:00−5:00PMまで)

行き方は 次の通り(Freeway #110方面よりの場合)

FWY#110(Harbor Freeway) 南の終点を出ると 道路はそのままGaffey St. になるの で そのままGaffey St.を約2 .5マイル進み(南下)、37Th. Streetのすぐ手前のLeavenworth Dr. を右折、案内板に従う。(途中 25Th. Streetと出会うが 左へ曲がり、Gaffey Streetをそのまま進む)

全行程(片道、FWY #110終点から) ;約2.5マイル、約15分

河合さんのあまり知られていないLAの観光スポットシリーズはこちらをクリックしてください

生きがい・健康・幸せの旅をさらに高めてくれたもの 西尾誠一郎

今年の四月、妻と九州大分の赤峰農園に行ってきたことは皆様にすでにお伝えしました。赤峰農園の玄米食以外は、友人、弟、義姉の家庭で10日間白米と日本でしか食べられないようなごちそうをたっぷりと食べてきました。アメリカに帰って来ると胃がにぶく痛み出し、玄米を茶碗に1/3ほどしか食べられません。玄米を朝・昼・晩と平均1.5杯ほどきちんと食べていた私としては、おかずを含めても全体の1/4も食べられなくなりました。

アメリカに来る15年前までは、度々飲みすぎて胃が痛くなることがありました。そんな時はアロエを一葉の1/4ほどかじるとすぐに良くなりました。ところが今回はアロエをかじってもかじっても痛みはおさまらないのです。それどころか痛みは背中のほうまで少しずつ広がってくるではありませんか。一ヶ月ほど自分で治そうと、いろいろ頑張りましたが良くなりません。妻と母の強いすすめもあってついに医者に行きました。胃と腎臓に問題があると判明。

四年半前に親友を糖尿病で失って、いろいろ健康に関する本を読み。いいと思われることはドンドン実行し、この健康の方程式も書き、自分は一生病気とは無縁だと思い上がっていた私としては、ガツンと頭を殴られた思いでした。しかし、すぐ薬に頼らないで、食事を中心とする自然治癒力を高めるやり方で治そうと思いました。そして6月上旬。日本へ行き、森下敬一先生の自然医食療法と瓜生良介先生の快医学療法を受けてきました。メキシコのティファナの自然療法もいろいろ学んでいましたが、玄米をずっと食べてきた私にとっては、日本の食事療法の方に私の体もなじんでいるし、母や妻の食事作りにも、さらに新しい負担をかけなくてすむと思ったからです。森下先生と瓜生先生の食事指導には多少違いがあり、私は結局瓜生先生のすすめに従って一ヶ月ほど、胚芽米に麦3割、そして有機野菜を少々という食事にしました。145ポンドの体重もこの2ヶ月で123ポンドまで減り、会う人ごとに「どうしたんですか、どこか具合でも悪いんですか?」と聞かれました。でもお蔭様で、胃の痛みはなくなり、体重も123ポンドを維持しています。

健康の方程式を書く資格もなくなったのではという思いもチラっと頭をかすめましたが、今は全く逆のことを考えています。というのは今まで読んだ健康に関する本を読み返してみると、新しい視点で読めるではありませんか。著者が何が言いたいのか前よりずっと深くわかる気がするのです。

クリントン大統領が何かの演説で引用したとかいう幕末の歌人、橘あけみの「愉しみは朝の散歩で昨日まで見ざりし花の咲ける見るとき」という短歌がなぜか良く分かる気がするのです。胚芽米の、そして一つ一つの野菜の持つほのかな甘みがなんともおいしく感じられるではありませんか。そして「これはうちでとれたEMかぼちゃだからおいしいよ」とか「裏庭でとれた桃です。これを食べて早くよくなって」などなど。妻と母の無農薬野菜の料理と毎日2種類の薬草菜。母の真光の手かざしや、Kさんの免疫力を高める「気」の手当て。私は今、サンノゼの友人が言った言葉を何度もかみしめています。「西尾さん、今あなたが病気になったのは、あなたにそういう使命が与えられたからですよ。自然食を中心とする自然流の生き方こそ、幸せで健康な生き方だということを身をもって多くの人に示せという使命ですよ。」

最近食欲が出てきました。この病気が感謝できる日がもうそこまで来ています。

(西尾さん記事を読んで安心しました。 雑貨屋)

川柳はいかがですか?

おもしろいWEBサイトをご紹介します。だれでも参加できる第一生命主催の川柳コンクールに寄せられた優秀作品が紹介されています。ちょっと川柳を紹介しましょう。

SMAPを どこの地図だと 聞くおやじ

ウィンドウズ 窓は開けたが 閉められず

といった具合です。

これだったら、なんとか自分でも作れそうだなと思われる方は、応募されたらいかがでしょうか?

http://www.dai-ichi-life.co.jp/CPJ/senryu.html

編集後記

雑貨屋が60号まできました。創刊号からの雑貨屋ニュースはフロッピーディスク二枚分の大きさになります。毎号のコピーをファイルしているのですが、もういっぱいになりました。時々、読み返し、日記のように楽しんでいます。

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net