Zakkaya Weekly No.55

バックナンバー Homepage Ryo Onishi 6/1/97

アメリカに住んでいる読者の皆さんはほとんどの方が車で通勤、買い物されていると思いますが、長―い運転中、みなさんは車の中で何をされているのか興味がありますね。「前を見て運転していまーす」と応えられると話がそこで終わってしまいますので、そうじゃない応えを期待しています。中にはカラオケの練習に利用している方もいらっしゃるのではないでしょうか?私がアメリカに来た頃、英会話がうまくできなかったので英会話の練習に利用していました。英会話の練習といってもテープを聞いてやるのではなく、実際に会う予定の顧客(米人)と何を話すかを想像しながらやるのです。まあ言ってみればバーチャルカンバセーションとでもいうのでしょうか。ある日、信号で止まった時、ふと横を見ると、隣の車の人が変な顔でこちらを見ているではありませんか。目が会ったので、その人に「はーい」と笑顔を見せてごまかしている私でした。そうです、この国では、独り言を言っている人は、頭がおかしいと思われるので、これは気をつけなければいけません。「何、そんなことしていない」失礼しました。 (R.O)

言 葉 の 年 齢 (2)

−−−前号よりの続き−−−

日本語の中でも 比較的若い言葉で 似たようなものに 例えば 「会話」 、「愛」 など まだまだ 沢山あります。

「会話」 は“Conversation”の訳語だと どこかで読んだ事があり、これも比較的新しい日本語のようです。従って、「私は 昨日 ○○さんと 会話をしました」 と言うより 「私は 昨日 ○○さんと 話(又は おしゃべり)をしました」 の方が 現時点では自然に聞こえます。

また 日本人が「愛しています」 となかなか 口に出せない一つの理由は この 「愛」 いう言葉が 今のような意味で使われはじめてまだ 歴史が浅いからだという説もあります。 (「愛」 という言葉についての私見は、また 別の機会に述べたいと思います)

今回 ここに取り上げた 「社会」、「会話」、「愛」 という 三つの言葉に共通しているものは、現在 我々が理解している意味で 世の中に出現してから まだ100年ちょっとしか経たず、言葉としての年齢が まだ若く、あらゆる人に充分 浸透しきっていないという事です。確かに 日本人でも 年代が低い若者達は これらに対する 違和感が少なくなっており、今や日本人でも10代のヤングにとっては、「愛してます」 とか“I love you”なんて 何の抵抗も 違和感も無くなっており、これまで述べた 私の見解など理解できない人も いるかもしれません。それはそれで結構というか 自然の成り行きであり、違和感を持つ私が時代遅れになったのか 又は言葉のほうが年齢を増して成人し、世の中に 認知されるようになったのだ という事なのでしょう。言葉にも 年齢があり、成長するのは 当然の成り行きだと思います。ただ 出来る事なら 明るく 素直で たくましい成人になって欲しいと願っています。

言葉も年とともに成長し、世の中に 認知されていく過程で 時には 変身し、本来の意味から かけ離れたものになることも あるようです。「あなおかし」 といっても 今でいう「面白可笑しい」 とは全く違うようなものです。 最近、ある新聞 に載っていた内容を拝借し、私なりに脚色した 実例を以下 ご紹介します。

「やおら」 ・・・現在 、この言葉は 、「急に/ 突然に」 という意味で使うのが一般的ですが もともとは「ゆっくりと」 という意味であって、現に 前記 広辞苑には「そろそろ。静かに。ゆっくり。やわら。」 としか書いてありません。「やおら ベッドから 起き上がった」 というと それは ベットから「突然にガバット」 起き上がったのではなく、「そろそろと ゆっくり」 起きたのです。即ち、ここでは 本来の意味から いつのまにか ほぼ逆の意味になってしまった例です。

「こだわる」 ・・・ 今の我々は、この言葉は2通りの意味に使っています。一つは「どうでもよい事に こだわる」 場合と、「美味しい料理を作る為、材料に こだわる」場合の 二つです。前者は「意味のない事に執着する」 という意味であり、後者は 前者の意味とは 異なり、はるか前向き・積極的に 「細かい事に気を使う」状態を意味します。従って ここでは ほぼ 相反する二つの意味が共存しており、上記(1)の「やおら」に比べまだ進化の途中で、逆の意味になりきっていない状態だといえそうです。

こうしてみると、言葉も生き物なのだという事がよくわかります。

言葉の意味が変われば それを使う人間の方も変わり、(本当は 人間が変わったので 言葉の意味が変わったのでしょうが)同じ言葉を使っても、言っている主旨が違う事もあります。例えば、「彼は 暇さえあれば 鏡を覗き、自分の容姿(ルックス)に こだわっている」 という文章が あったとします。昔なら 「男の勝負は 中身であり、外観ではない。容姿みたいな どうでもよい事に こだわるな。」 と 理解されました。ところが現在では、「男も ルックスは 大切だ。おおいにこだわるべきだ。」 となるでしょう。見事に 「こだわる」 の意味が 逆転しています。言葉とは それを使う人間とその時代を反映する 「鏡」 なんですね。

河合 将介 skawai@wakao.com

健康の方程式 自由に選択できる可能性を広げよう 西尾誠一郎

私の友人、川本さんの例をひくまでもなく、ガンにかかった多くの人は「自分はガンになるとは思わなかった」といいます。しかし、30歳以上の人では、3人に1人はガンになると統計が示しています。ですからある日突然、医者に「あなたはガンです」と宣告された時、どういう選択の余地があるのか、前もって知っておくことがとても大切ではないでしょうか。今日は「病を克服する家」という例えで患者に自由に平等に、公平にどういう療法を選択するか、特に代替え療法の正しい知識と情報を提供している埼玉県川越市の帯津三敬病院長、帯津良一先生を紹介しましょう。先生はメモタル出版の「医学大革命EMX」の中で、次のように述べています。「治療で一番大切なのは心です。まずあなたの心の中に希望を灯し続けること」「次の大切なのが、食事と気功です。食事の内容に配慮し、心を込めて気功を続けてください。この3つが出来上がって、初めてさまざまな治療法が登場するのです。治療法には西洋医学、東洋医学、代替医学がありますが、それぞれについて考えてみましょう。」先生はEMXを2階の一部屋である代替療法の戦術の一つとして使っています。
先生からこれにしなさいと押し付けることはしません。しかし代替療法の正しい知識と情報を提供して、患者さんに、自由に選択させるのです。私は救急医療に対する現代医学の進歩はすばらしいと思います。私は不幸にもケガをした時、その大半は現代医学(西洋医学)に委ねます。4年前まで毎月のように肩こりからくる頭痛の時はハリ治療を受けました。つまり東洋医学を選んだのです。私は自分がガンになったら、代替医学を選びます。その理由を一口で言うのは難しいですが、簡単に言うとガンは自然治癒力が何らかの理由で衰弱しているという現れです。ですから免疫力のあを高めること、そのためのライフスタイルの改善に役立つのが代替療法なのです。ところがみなさん科学が進歩すればするほど、私達は一つの分野だけにくわしいということになりがちだと思いませんか。それは医者にも起こります。ガンに対する三大治療はもちろん手術、抗ガン剤、放射線の治療です。その専門の医者が、帯津先生のように、心の問題、食事と気功のこと、そして西洋医学、東洋医学、代替医学の3つから自由に選択しなさいというはずがありません。第一もし皆さんがガンと宣告され、手術を仮に強くすすめられた時、おもむろに代替医学を勉強する気になるでしょうか。ならないでしょう。ですから元気なうちに、自然治癒力を高めるための本を何冊か読んでおくことをすすめます。まず角川書店から出ているアンドレー・ワイルの「癒す心・治る力」はどうでしょうか。

編集後記

雑貨屋54号は西尾さんの記事が来る直前に、発行してしまいました。あとで修正版をおくるのも変なので、今週号に回しました。これで一週間の余裕ができたかなと勝手に喜んでいます。

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net