Zakkaya Weekly No.401
Ryo Onishi                                      1/18/2004

雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

日本列島はとても寒くなってきました。
この時期になると4年前の近所のおばちゃまとのエレベーターでの会話を思い出します。
そのときの会話
私:『今日は寒いですねー?』おばちゃま:『この時期寒くないとおかしいでしょう?』私:『・・・』私:『そっ、そうですよねー、この寒さがあるから春が待ち遠しいんですよねー!』あれ以来、おばちゃまと会うたびに楽しい会話になります。
今度会ったら、『寒いですねー』と言いたいと思います。どんな返事が返ってくるか楽しみです。
今日はなぜか天気もよく、とても暖かい一日でした。こんなことでも幸せに感じられる日本はいいなあと思います。(R.O.)

今年の干支は「申(猿)年」です。栃木県の日光東照宮、神厩舎(神馬をつなぐ建物)の長押(なげし)の上には猿の彫刻が飾られています。ここには全部で8面掲げられ、猿の一生を表現しています。昔から猿は馬を病気から守るとされているのだそうです。

 その中でも有名なのが「見ザル、言わザル、聞かザル」の三猿(さんざる)の彫刻でしょう。   
子どものときは悪いことを「見ザル、言わザル、聞かザル」で、素直に育つべきという教育論の意味が込められているようです。

幼い子どもの教育ならば「三ザル」も結構ですが、いまや成人社会、特に現代の世の中では「三ザル」は通用しないし、またそれでは発展はありえません。

昨年末、日本の小泉首相は年末最後の「小泉内閣メルマガ」の中で、『申(さる)に、人という字をたすと「伸」になります。来年が、「ものごとが伸展し、発展していく年」になることを期待しています』と述べていました。ぜひそう願いたいもので、政府はもちろん、私たち国民も気を引き締めて一年のスタートを切らねばなりません。

そのためには現実を良く見、言うべきことを言い、他人の意見を聞くことが肝要でしょう。これからは同じ「三ザル」でも、「目を覆わザル、口をつぐまザル、耳を塞がザル」ではないでしょうか。

ところで最近はいわゆる「三ザル」は子どもたちにも通用しない時代になっているようです。情報過多、自己主張の時代に生きる子どもたちにとっても、今の世の中はいやでも「見え、聞こえ、そして言わさせられ」てしまう時代と言えそうです。

「見ザル、言わザル、聞かザル」が良いのか、「見え、聞こえ、そして言わさせられる」のが良いのか、いちど日光の猿軍団にも意見を聞いてみたいですね。                             
河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言 はじめてのおつかい

「やればできるじゃん!」と自分を激励しながら、一息ついた。グロッサリーストアーへ、独りで出かけ、無事帰宅できたのだ。術後初めてのことだ。小雪が舞っていた。未だ両松葉杖を使って歩く今の自分にとって、病院とオフィス以外へ出かけ用を済ませることは、未知との遭遇物語なのだ。「はじめてのおつかい」(日本テレビ系)のこどもに似た気分だった。そして、ほんの些細な短い間の出来事だけど、自力でやれたこの「はじめてのおつかい」(お買い物)で、様々な思い・体験ができ、その喜怒哀楽がとっても嬉しかった。

天気予報によると週末は雪が積もるという。連日連夜の残業で朝帰りの続いた我が家の冷蔵庫は空っぽ。週末に来てくれる予定だった友人も叔母も来られない。おなかは泣く。出前はうんざり。食料以外で必要なものもある。配達ストアーに問い合わせても、配達区域外もしくは週末は未配達と返事も空しい。心も泣く。そこで「エィッ!」と思い立ち、最低限必要なものをメモ書きし、リュックを背負ってでかけた。行きはよいよい、帰りは恐いとはこのことである。ストアーの陳列棚の前に立つと、メモにないが欲しいものが目に入り、手にとってみる。自分の背負って帰るリュックに入るかどうか、また今この品の要不要を検討し、手を出したり引っ込めたりする自分が滑稽だった。遠い昔、週$8で生活をした時代、東洋食品店へ行き、賞味期限は切れているものの現地食材より割高の日本食料品に手を伸ばしたり引っ込めたりした頃の自分が重なり、懐かしかった。こうして数少なく買ったつもりでもレジでリュックに詰めると、蓋がしまらない。レジの人は商品価値が下がらないようにと懸命だが、私はどうにかして持って帰れることに必死だった。私は買った食パンを「エイヤッツ!」と潰して蓋をした。店を出る時、閉まりかけた自動ドアに背中のリュックがはさまれた。松葉杖杖が片方、地面に振れ落ちた。でも私は、片松葉杖でしっかりと立った。それは、片松葉杖で私がはじめて立てた瞬間だった。「できるじゃん!」と、汗をかきながら一呼吸した。おつかいの半行程が終わり「はじめてのおつかい」という番組に私も出して欲しいものだと思い、独りにんまりとした。

日本テレビ系の「はじめてのおつかい」という番組は、3歳から5歳の幼いこどもが初めておつかいに行く様子を、通行人に扮したカメラマンが追っていく。はじめての体験、使命感と不安の緊張関係、成功と失敗の連続、笑ったり泣いたりするこどもの表情が、なんとも可愛いい。テレビ嫌いの私がたまたま観て友人にも紹介したいと思ったが、視聴率20.3%を記録するというから、もうすでに人気番組なのかもしれない。ところで、こどもをもつお母さんに是非お勧めしたいのが、絵本「はじめてのおつかい」(著者:筒井頼、出版:福音館)。「はじめてのおつかい」から戻るこどもを待っていてくれるのは、テレビでも絵本でも、「おかあさん」である。

さて、はじめてのおつかいを終え、店を出た私は、背負ったリュックの重みで頭が下がり、地面につけているだけの厄介な右足を見つめながら、少しずつ少しずつ歩き、待っている人の居ない家へむかった。その時、リハビリの先生の言葉「なるべく下を向かないで前を向いて歩く」を思い出した。地面から顔を上げた。小雪が強い風にのって私の頬に舞い降りた。緊張と重労働でほてった身体に、とても気持ちよく感じた。帰宅して潰れた食パンと卵をリュックから取り出し、直ぐに焼いて食べた。いつもより、しょっぱく感じた。「はじめてのおつかい」の味だろう。心ではこどもみたいに泣いたり笑ったりのひとコマだった。それでも「やればできるじゃん!」っと、呟くさくらの独り言。kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

暗算の得意な指を絡ませる

寝返りの目が測ってる射程距離

豹変の新主流派という手品

持久戦ボーデーブローが効いてくる

あの時の金に転んでから落ち目

( ニュースやぶにらみ )

「煮ても焼いても食えない」
人間だけじゃないなんて…  −牛、鯉、鶏

   「春闘スタート」
     ♪春は名のみの〜 −景気

「死語」
  苦節十年  −芥川賞

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 昨年の暮、昼食時のことである。
 けたたましい救急車のサイレン音が聞えた。しだいに音が近づいてくる。何事かと思い外へ飛び出た。すると、救急車は斜向かいのジョンの家でとまっている。パトカーと消防車が三台も追ってきた。見ていると、ストレッチャーに乗せられたジョンが運びだされてきた。左腕で顔を覆っている。奥さんのクリスが蒼白な顔をして救急車に乗り込んだ。
 ジョンは今年七十歳。太り過ぎを医者に注意され、毎日一時間の散歩をしていた。今朝も窓ごしに、その姿を見たばかりである。
 ジョンは庭いじりをしている私を見ると、必ず立ち止まって二言三言声をかけた。いつだったか、梯子にのぼってペンキ塗りをしていると「ママサン、アブナイ」などという。『朝鮮動乱』後に日本へ駐屯していたころ覚えた日本語である。
 ジョンの訃報は、それから一週間後だった。
 クリスは泣きながら「He was so nice.」とくり返す。私は慰めるスベもなく、クリスを抱きしめたまま涙を誘われてしまった。
 葬儀の日がきた。
 ステンドグラスから差し込む冬のやわかな陽が、ゴシック様式のカトリック教会内に満ち溢れていた。バイプオルガンが厳かに奏でられ、賛美歌がひびきわたる。白い式服をまとった神父が短く話す。その度に参列者は立って賛美歌をうたい、膝をついてお祈りをする。鈴やトライアングルが鳴る。カトリック式葬儀にはじめて出席した私は、何も分からない。みんなと同じことを真似ていると、突然『アベェ・マリア』の独唱になった。澄みきったテノールに、魂を奪われたように聴き惚れた。
 仏式でいえば焼香だと思えばいい。参列者が順次立っていき、祭壇のまえでお菓子をもらい口をうごかしながら、胸に十字をきり席に戻ってくる。
 私の番がきた。テレビでみたことがある、あれだな、と思った。
 お菓子係の前で手を合わすと自然に頭が下がった。そして、口をポカッと開けた。と、お菓子係が目を丸くして後ろにのけぞった。口にお菓子を入れようか、どうしょうかと迷っている。気恥ずかしくなり、私は口をパクパクさせてしまった。
 そうだ。これが聖体拝領の儀式なのだ。
 お菓子はイエスの肉、ぶどう酒は血をあらわすと聞いたがある。手のひらでお菓子を受け取ればよかったと気がついたときは、自分の席に戻っていた。
 式は何事もなく進行し、ジョンの妹婿が壇上に立ち、故人の生い立ちを話はじめた。
「一九三三年、ジョンはアドリア海に面したイストリア半島の漁村で生まれました。第二次大戦後、ラテン系イタリヤ人のジョンの父親は家族とともにアメリカに渡ってきたのです。当時のユーゴスラビア政府は海外への財産持ち出し限度を決めていましたので、家も田畑もなにもかも置き去りにしての移住でした。最初、ニューヨークへ着いたが仕事がなく、ユーゴ移民の多いカリフォルニヤ州のサン・ペイドロ市にやってきました。しかし、人の嫌がる汚れ仕事しかなく、それでも見つかればいい方でした。父親はどうにか三人の子供を育て、長男のジョンは高校を卒業し漁師になったのです。週七日、日に十六時間の労働にも不平をいわず、働けることを感謝していました。誠実で責任感の強いジョンはついに自分で会社を経営するまでになったのです」
 ユーモアを交えて語る妹婿は、最後をこういって締めくくった。
「みなさん、目を瞑ってください。ジョンの生まれた小さな漁村にある教会の鐘の音が聞えてきますよ」
 チーン、チーン、チーン、かすかに鳴った。
 私はジョンを思った。
 日本からアメリカにきた新一世の私たち夫婦が、英語もろくに話せないまま、一生懸命に働く姿を見て、ジョンは自分の両親を思い出していたのではかなろうか。
 一番仲良しの隣人が逝ってしまった。
 機会があれば、ジョンの故郷へ行ってみたいものである。
                                             森田のりえ

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コンピュータ周辺がややこしくなってきたので整理するためにいいアイデアはないかと近所の100円ショップに行きました。最近はすべての商品が100円ではなく、中には150円、200円のものも出てきましたが、それなりに価値はあるなあと思いました。それでいいものは見つかったかって?はい、今日はしめて550円でしたがなかなか良いものが見つかりました。
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Zakkaya Weekly No.401

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp