Zakkaya Weekly No.400
祝400号記念
Ryo Onishi                                      1/11/2004

雑貨屋のひとり言 皆様からのご祝辞 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒の楽しみ方  河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム

毎週日曜日になると、雑貨屋ウィークリーのことが気になり記事の編集にとりかかるというのがこの7年8ヶ月の雑貨屋店主の習慣になっています。しかし決してそれが苦になっているわけではありません。毎週起きた変化をどう表現しようかといつも楽しみながら考えています。そんなことができる自分が幸せ者だと思っています。
1996年5月に雑貨屋を創刊して以来、400週間という月日が経ちました。雑貨屋バックナンバーに毎週ひとつずつ号を増やしていきますが、そのたびにずいぶん増えてきたなあと感心していました。バックナンバーリストをごらんになればお解りのように100号ごとに色を変えています。401号からは何色にしようかと今、考えているところです。ここまでこれたのはいうまでもなく、河合さん、西尾さん、蒔田さん、さくらさん、成近さん、さっかさん、その他みなさんの投稿があったからです。毎週、ありがたいことだと感謝しています。そして創刊から応援してくださっている読者のみなさんの支えがあったからです。みなさんこれからも雑貨屋をごひいきによろしくお願いします。
いつか皆さんと会える日を楽しみにしています。
皆様からいただいた、ありがたいお祝いの言葉を掲載させていただきました。ありがとうございました。 感激しています! 雑貨屋店主 大西良衛

Zakkaya Weeklyの創刊400号にあたり、 雑貨屋店主 大西さんに心から祝意と敬意を表します。

しかもこの400回がただの一度も休むことなく連続400週(創刊予告号も含めれば、連続401週)であり、大西店主に対し、ただ感嘆・尊敬あるのみです。

  昨年は江戸幕府が開かれて400年目だったそうですが、雑貨屋の400もそれに勝る快挙です。(江戸幕府は260年余りで崩壊したのですから)

ここまで来たら、日本の人気長寿テレビ番組の『水戸黄門』(1,000回超)、『笑点』(間もなく1,900回)を目標に頑張ろうじゃあありませんか!

 今から7年半前の1996年5月、当地ロサンゼルス・サウスベイに誕生していた、教育ボランティア・グループのJ.R.C.(現在のJ.E.R.C.)がその活動の一環としてインターネット・クラスを開講しました。その時講師を引きうけた一人がのちの、我らが「雑貨屋店主」の大西さんでした。
 
当時私は定年引退を1年後に控え、おくればせながらようやくデジタル革命の大きさに気付き、慌ててパソコン入門クラスに顔を突っ込んだばかりでした。

当時、私も J.R.C.のボードメンバーでしたので、大西さんが何かやっているな、とは知ってはいましたが、一体何をしているのか、―― ウェブがどうの、ドット・コムがどうの・・と、当時の私にとってはまるで“エイリアン(異星人)語”以外の何ものでもなかったのです。

そのうちに、大西さんが「インターネット・クラスの皆さんの為にニュースレターを発行します」とJ.R.C.の役員会で発言があり、私など「じゃあ、紙はどうするの?、コピー機は?」と確か聞いたような記憶があります。
 
 そのウエブ・ニュースレターが『創刊予告号』『創刊号』としてスタートし、以来タイトル名は「News Letter from Ryo Onishi」 → 「雑貨屋 News Letter」 → 「Zakkaya Weekly」と変りながらも7年7ヶ月、一度も休むことなく、遂にめでたく400号を迎えたわけです。
 
さて、『創刊号』の頃は、チンプンカンプンだった私も、意外と早く“エイリアン”の仲間入りを果たすことになり、ナント「News Letter from Ryo Onishi、第16号」に初投稿し、次が第19号、そして次の第20号から“あまり知られていないL.A.観光スポット”シリーズをスタートさせました。

以後、私もサラリーマン(駐在員)、定年退職と環境は大きく変ったものの、“Zakkaya”への投稿を続け、気がついたらこの原稿で383回(連続では382回)の投稿になりました。

“観光スポット”シリーズも、多くの皆さんからの好評を得、160ヶ所以上を紹介しています。この間、各種グループから講演依頼を受けたり、多くの方々から反響をいただいています。

これまで、この“観光スポット・シリーズ”は、地元日系紙(羅府新報)にも連載中であり、また一昨年12月までの3年間、ローカル・ラジオ局のマイクを通して私が週一回放送までさせてもらいました。

この“観光スポット”への問い合わせのおかげで、日本とアメリカの見ず知らずの多くの人々とも知り合いになることも出来、また、実際にツアーを計画してご一緒させてもらったこともあり、楽しい思い出も出来ました。

これらはすべて“ひょんなことから”雑貨屋に投稿するようになった結果であり、思いもかけぬ成果に当事者である私が一番驚いています。

 雑貨屋ウイークリーがますます発行記録を伸ばし、飛躍(100)の四重奏(400)からさらに大きなオーケストラへと成長することを期待しています。400号おめでとう!!
                             河合将介(skawai@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

 

さくらの独り言 一歩

さぁ2004年が始まった。甲申年にふさわしく、10年後の成果の帰する回天の年にしようと意気込んではみたものの、どうもしっくりこない。それもそのはず、ギブスはとれたが、大のおとなが自分の足では歩けないからだ。お世話になっている松葉杖と「いちにぃ、いちにぃ」とリズムも合わせ、4脚でどうにか「一歩」を前に踏み出している。時に、必要に応じて後退するテクニックも向上。そして立ち止まり、ある時は天を、ある時は周囲を、またある時は地面を、じっと見詰める。なんとも、人生の様だとニンマリして、また歩き出す。そんな時、日めくりカレンダーの言葉を思い出す、「一歩、踏み出せば近づくじゃん!」。よし、今年はこれで行くことにしよう、っと、決めた!

ギブスがとれ、リハビリテーションがはじまった。『障害や事故・疾病で後遺症が残ったものなどを対象とし、身体的・心理的・職業的・社会的に最大限にその能力を回復させるために行う訓練・療法や援助、社会復帰』(大辞林)とあるように、このリハビリテーションとは、私の身体的骨折治癒の訓練・療法のみならず、家庭や社会生活という全ての面におけるリハビリテーション、つまり準備でありチャレンジである。前者においては、両松葉杖で立ち、ボルツ入り足首腹を床に着けることが最初の一歩。次にその足に体重の30%のみをかけながら、実際に4脚で一歩前へ歩く。この2ヶ月間、3脚(両松葉杖と左足)歩行によるスピードが速かっただけに、4脚になって落ちるスピードに我慢しきれず、つい3脚で飛び歩いてしまうか、松葉杖なしで健常者の如く歩き出す衝動にかられる。歩くことより、歩かないことの訓練もかね備わるリハビリテーションでもあり、滑稽だ。今後、2本の松葉杖が1本になり、その1本が0になり、本来の自分の2脚で歩き、そしてその2脚で何かができるようになるのは、桜開花の頃だろう。日めくりを一枚いちまいめくりながら、一日一歩、そうすれば開花に近づくのだと思うと、今のリハビリテーションは、恋や仕事にも共通することの多さに驚かされる。

動くことが当たり前の身体(骨・筋肉・精神)や組織(人や物事)が、硬直したり、動かなくなったりする。骨折の治癒段階で面白いのは、折れた骨の蘇生・くっつきよりも、ギブス固定によって固まった筋肉の戻りが遅いことである。そして損傷骨固定手術の痛みに比較したら、リハビリテーション時の痛みは、はるかに長く辛い。辛いからとリハビリテーションを止めたら、その時点で回復・改善は止まってしまう。一回いっかいの、一日いちにちのリハビリテーションの、眼に見えない効果を将来に期待しないなら、そこで全ては硬直してしまう。このリハビリテーションは、企業経営と似ているなぁと、病院と会社を行き来する車の中で思ったリもする。結果や成果物の出る時期とその評価や決断の時期の見極め方などに、共通するプロセスや真髄があるように思われた。そして、いずれも(身体や組織・物事)も人間というものが関わり作るものである以上、「一歩」という人間の意志と行動のみが何かを創造する力になるのだろうと、自分で自分を励ます。とはいえ、激変する組織・プロジェクトやマーケットへ突然ワープして舞い戻った自分は、休職した2ヶ月のブランクの大きさに戸惑ってみたり、焦ってみたりして、一喜一憂の仕事初めの週だった。

私の通うリハビリルームには、様々な障害を様々な方法で能力回復へ向けた訓練をしている人に出会う。その様は決して一様ではないが、みな同様にそれぞれの「一歩」を、次に、上に、ベターにと、開かれ創られるものを期待し信じている。そして、この「一歩」を、現実的に身近なところから意識しながら行動すると、開かれる何か、創られる何かに近づくことも学ぶ。それはとても身近なところから・・・自分自身、恋人や家族、仕事そのものや仕事メンバーという具合に。そう考えるとリハビリテーションは、訓練というよりは日常の、日々の、明日への、生きるということを共にする身体的・心理的・職業的・社会的な人・物事の関係や能力を最大限にするための「一歩、一歩」に他ならない。うん、「一歩、踏み出せば近づくじゃん!」・・・っと呟くさくらの独り言。kukimi@ff.iij4u.or.jpbut_up.gif (232 バイト)

 

川 柳 & コント(東京・成近)

400号おめでとうございます。
Zakkaya-Weeklyの創刊から7年8ヶ月、一週も休まずに発行を続けた熱意に頭が下
がります。

私が投稿させて頂いたのが166号からで、仕事をリタイヤして間もなくの頃でした。
私の第二の人生はZakkayaといつも一緒、これからも大西さんの後をついて、
Zakkaya1,000号を当面の目標に頑張るつもりです。
よろしくお願い致します。

( 川 柳 )

この路地に嫁いで花と住み慣れる

子が五人貧乏神も居て陽気

定年の財務 外務は妻任せ

飲み過ぎとうちの会計検査院

阪妻とエノケンと酌む祖父の酒

( ニュースやぶにらみ )

「海底五千メートルに部品」

海底探査機をつければよかった ーHUAロケット

「いよいよ本番」

SARSには負けられません −インフルエンザ

「自衛隊に派遣命令」

怖く聞いた   −新成人

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

ロスの森田のりえさんから

  雑貨屋ウィクリー400号、おめでとうございます。
どんな些細なことでも、継続には努力がなければできることではありません。
これから倍の800号も、お祝いの言葉を書かせていただけることを願っております。

マサシ
 十一月末の夜遅く、アーバインに住む従兄弟のタモツから電話がきた。いつもは疎遠なだけに、こんな時間におかしいなと思いながらも「あら、久しぶりねぇ、元気? 」と、つい弾んだ声を出してしまった。だが、受話器から聞こえてくる声は重く沈んでいた。
「マサシが死んだ」
 マサシというのは母親の連れ子で、タモツには父親違いの兄にあたる。
「きのう、青森から報せてきたんだ。葬式は終わったけど、行こうかどうしょうか迷っている。義姉が『わざわざ来なくてもいい』と言ってたけど、でもねぇ、一人しかいない兄貴だし。一年前、家族そろってボクに逢いにきたけど、その時ねぇ……」
 といって、タモツは声を詰まらせた。
「顔が半分しかないんだ。半分の顔でボクに逢いにきたんだよ」
 ふいに『オペラ座の怪人』のような顔が脳裏をかすめ、私は次の言葉がでなかった。
「喉頭ガンで何度も手術したがダメだった。ついに顎の骨に転移して削ったんだ。それから、一年も生きられたのが不思議なんだって、五十四歳だった。兄貴のことを考えるとかわいそうで、親父と合わなかったしさ」
 ハワイ生まれの伯父は、終戦後、マンザナ強制収容所から出たあとに両親の郷里広島へ帰った。最初の奥さんと死に別れた伯父は、幼いマサシを連れた女性と再婚し、タモツが生まれた。次に女の子が生まれた四年後に、母親は子宮ガンで亡くなった。
 マサシはいたずらっ子だった。
 あれは私が中学生のころだ。秋の農繁期に、マサシがぶらりと我が家にやってきた。一時間も歩いて。一家総出で農作業の手伝いをしていた。マサシは、田んぼの一角にある用水池と庭の池辺りを行ったり来たりし、鶏小屋の戸を開け、飛び出した鶏を追っかけて一人で遊んでいたが、知らぬ間に帰ってしまった。
 その直後だった。庭の池にいた鯉が一匹もいない。用水池にはいるはずのない鯉が泳いでいた。集めた卵を鶏小屋に戻したり、姉の財布からお金もなくなっていた。
「わりぃ子じゃのう、マサシは。不憫じゃが、兄さんも気苦労なことよのう」
 母は嘆いた。四十数年前のおぼろげな記憶の彼方をたどれば、聞き分けのない継子に、伯父は格別厳しかったような気がする。それから六年後、伯父は自分の子供二人を連れてアメリカに戻ってきた。マサシは母方の実家へ引き取られたのである。
 私がマサシの消息を知ったのは、一九七〇年、伯父を頼ってロサンゼルスへきた時だった。マサシは中学を卒業するとアメリカへ呼び寄せられ高校へ通っていたが、伯父との折り合いが悪く、卒業と同時に日本へ帰ってしまったそうだ。
 そんなマサシから、十年前に電話がかかった。
 今、旅行会社で働いている。今度、団体客を連れてアメリカに行くけれど、タモツの電話がつながらない。何か知っていたら教えてほしいという。タモツは家を引っ越して電話番号が変わったと告げて、私はマサシの近状を尋ねた。
「女房の実家がある青森に住み、男の子が十七、女の子が十五。ボクは英語が少しできるから、海外ツアーのガイドをしています。ヨーロッパへも度々いきました」
 うれしかった。つい、あなたのことは覚えているわよと、親しみを込めたつもりで池の鯉の話をした。すると、マサシはいった。
「親の愛情に飢えていたんですねぇ。母親が亡くなったのが九歳ですから、しかも長い間病に臥せっていたから甘えることもできず、おまけに父からは叱られてばかり。責任を転嫁するつもりはありませんが、しぜんと僻みっぽい性格になったんですねぇ。不運な少年時代だったからこそ、家族だけは大切にしようと思っています」

 マサシの訃報に、私は胸が痛んだ。
 なぜあの時、立派になったとか、よかったとか幸せそうねとか言えなかったのだろう。古傷を蒸し返すような残酷なことを平気でいってしまった。
                                             森田のりえ

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成岡流お酒の楽しみ方

木桶仕込は日本酒のルネサンスになるか?
木桶仕込み酒は日本酒不況の救世主
吟醸酒蔵みゅーじあむ 館 長 成岡卓翁

 みゅーじあむ会員の井手さんからメールがあり「近つ飛鳥」のお酒が手に入りますか?という。何だか近つ飛鳥ファンに「9月末で廃業」という情報を伝えたら、慌てて蔵の前にあるアンテナショップまで買いに行かれたが、すでに月末を待たずにクローズしていたとのこと。そうなるとどうしても欲しくなるのが心理。
 取引先の京都六条の名酒館タキモトの瀧本洋一さんに電話するもなく、やむなく蔵元に電話をして有りそうなところを紹介してもらうがそこでも「本醸造が三本有るだけです」との返事。近つ飛鳥のHPからHPを持っている酒販店に片っ端からアクセスするが、横浜の酒販店以外見あたらない。後は電話で大阪の酒販店に問い合わすしかないと井手さんにメール。
 その時電話のやり取りをした瀧本さんから「大阪で木桶仕込みに関する集まりが有りまがご存じ?」と聞かれ、「初耳です」とお答えするとFAXすると言われ、案内を送ってもらった。昼間の集まりなので、メールで申し込みを済ませ行ってきましたので、それをレポートします。

  日本酒と三人の外国人

 日本酒離れが「焼酎ブーム」で加速している中、海外では日本酒それも吟醸クラスのお酒が評価され始めている。
 私が4年前にお邪魔したパリの三ツ星レストランのソムリエも、吟醸酒の勉強をしていて、いずれこちらのレストランでも提供することになるだろうと予測していた。
 海外の例を出すまでもなく日本にいる外国人でも、日本のお酒に傾倒している人を何人か知っている。その中で二人は、日本酒の英語版辞書を発行している、ジョン・ゴントナー氏(米国)にフィリップ・ハーパー氏(英国)だ。
 この二人の共通項はETとして日本に英語教師としてきて、日本酒に魅せられ、帰国せずに日本酒業界で活躍している。ゴントナー氏は日本酒ジャーナリストとして、ハーパー氏は蔵人として今茨城県の須藤本家で働いておられると聞く(以前は奈良県の梅乃宿、大阪府の大門酒造で働いておられた)。
 そして、もう一人は女性の米国人。91年に交換留学生として関西外大に来て、長野オリンピックに関わる仕事で長野県に行ったのがきっかけで、今は竃争齊s村酒造場の取締役として蔵お越しに参画、2000年に木桶での酒造りを復活させ、ソサエティー作りを提唱して30ほどの蔵の参加を得ている。
 ということは知っていたが、どんな大阪の集まりなのかはハッキリ分からず、雨の中を9月21日大阪天満橋に建つ大阪府立ドーン・センターに向かった。

 昔の木桶仕込みに有らず

 主催は「日本酒に親しむ会」で、会を主宰されているのは板倉白雨さんといって、朝日カルチャサロンで「日本酒講座」をもっておられる方。(そういった意味で私の同業)
 最初に「木桶仕込みの日本酒」ということで、板倉さんが「戦後ホーロータンクに取って代わられた酒仕込みを、半世紀を経て蘇り、木桶を通して日本酒の美味しさと日本文化の素晴らしさを再発見してください」と挨拶された後、木桶を製作されている立場で堺の潟Eッドワークの上芝雄史さんが、製作者としての苦労話と、温もりと味わいのあるお酒造りには、木桶が有効という旨の解説がなされた。
 続いて、実際に木桶仕込みを50年ぶりに復活させた福島県会津若松市の末廣酒造鰍フ商品開発部長の橿渕正孝さんは、酒造りおける木桶についての時代考査から、なぜ今木桶仕込みに回帰したのかを丁寧に報告されたのが印象的。
 また、旧知の岩手県の酒蔵鞄部美人の久慈浩介さん(2003年吟功績賞受賞)は東京の酒の会とバッティングしたためビデオレターで、並々ならぬ木桶仕込みに掛ける意気込みを伝えてくれた。

 面白い味は出ているが?

 その他何人かが司会者から紹介され、挨拶をされた後、木桶仕込みのお酒の試飲に入った。今まで静かだった会場も次第に騒がしくなり、私をここに紹介して頂いた瀧本洋一さんと二人で、遠慮がちに?き酒を始めた。
 
  木桶仕込みの試飲酒リスト
岩手県 南部美人「桶の民」全麹
岩手県 あさ開「減三」純米大吟
山形県 清泉川「木桶仕込み」純米
山形県 亀の井酒造「くどき上手」純米
福島県 末廣酒造「木桶仕込み」生もと純米
福島県 大七「楽天命」生もと純米
茨城県 須藤本家「郷乃誉霞山」生もと純米
東京都 澤乃井「彩か」生もと純米
長野県 桝一市村酒造場「白金」山廃
              純米
三重県 高橋酒造 天遊琳「とろあわ」にごり・古酒
大阪府 秋鹿酒造 「朴」生もと純米
兵庫県 田治米酒造 竹泉「木桶仕込み」 純米
奈良県 梅乃宿「木桶仕込み」生もと純米・純吟
島根県 王禄「にごり」

何十年ぶりに木桶で仕込んだわけで、杜氏歴30年の持ち主でも経験したかどうかという、ある意味では初体験に近い状態での酒造り。色々な味が出ていて「面白い」けれど、数多ある日本酒の中で、このお酒が選ばれるかとなると難しい感じがした。

木桶仕込みに未来はあるのか

 そうした?き酒をしていると、先ほど挨拶に立たれた東京から来られているライターの加藤薫さんを紹介された。
 何かインタビューでも受けているような格好での会話となり、木桶仕込みの今後についての意見を聞かれた。
 近代化の波の中で、酒蔵も木桶からホーロータンクに、そして石川県の菊姫に代表されるようにオールステンレスタンクに変貌を遂げてきた経緯を考えた時、末廣酒造の橿渕さんがレポートされていたように、懐古趣味ではない、時代の流れとして新たな「木桶仕込み」があるだろうが、その木桶を本当に使いこなせるのか、また新たな味造りが愛飲家に受け入れられるのかについて不安を抱いていることを話した。

新春のテーマとして酒を!

 そうして、開館時間が迫ってきたので、お開きを待たずに会場を後にした。
 日本酒離れ、いやアルコール飲料離れが進む中で、造る側、飲む側、それを結ぶ側が手を取り合って、次代を担う酒について、大いに語り行動することが問われていると思われる。酒造りで「濡れ手で泡」のように暴利を貪ったり、それに多大な税金をかけて巻き上げたり、するようなことに決別できるか、伝統文化としての酒・食について、美味しいお屠蘇(昔はみりんでしたが今は広義にお酒を意味します)を飲んで、新春大いに議論して頂きたいもです。
 私も、一月二日正午から恒例にした『新春初笑鴨鍋会』で、美酒・美食をいただきながら、ディスカッションするつもりです。

 

祝辞をいただきましたのでご紹介します

■新年のご挨拶と共に、「雑貨屋」400号の達成本当におめでとうございます。
在社中に河合さんから紹介され、第1号から毎週楽しみに読ませて戴いています。
皆さんの楽しい投稿もさることながら、店主の大西さんのたゆまぬご努力がこの偉業を達成させていると、心から感謝申し上げます。
家に居ながら世界のあちこちで活躍されている方の、お考えや情報が見られるなんて、なんと贅沢なことかと感謝しております。
これからも是非読者の皆さんのために、ご健康に気をつけて500号目指して頑張ってください。毎週月曜の朝を楽しみにしています。
長野県諏訪市 山田節子(s-yamada@wave.plala.or.jp)

■雑貨屋ウィークリー400号を迎えお祝い申し上げます。
 創刊から8年目を迎える事になると思います。その間メンバーの不幸にしてお亡くなりになった方、日本に帰られた方、新規に参加された方等、メンバーの入れ替えあったと拝察されますが、ここまで続いたのは店主の大西さん、常連の河合さん達の努力の賜物と思います。いろいろな人が、それぞれの立場から幅広い内容で投稿され、楽しく覘いています。1000回を目指し頑張ってください。    長野県茅野市:松浦 信之

■この度は、「雑貨屋ウイークリー」400号記念を迎えられ心よりお祝い申し上げます。
丁度私がサウスベイクラシックセミナーで当地の皆さんとお付き合いをさせていただいていた頃、大西さんが「雑貨屋ウイークリー」を始められたとお聞きしたのは8年ほど前だったでしょうか。まだ私にはパソコンが今一つ馴染まない頃でした。その後、日本に戻りましたがいつもご親切に送信して頂き思い出のロスが身近に在るようで楽しませて頂いています。400号とはその継続に誠に敬服いたします。
私が継続が苦手で、いつも「継続は力なり」と自分に言い聞かせながら、途中倒れするだけになおさらです。今後も、貴台、大西さんをはじめ関係者のご努力を期待し、益々のご発展をお祈りします。 長澤エイ一

■継続は力なりと申しますがよくぞここまで続けられたものだと驚嘆と尊敬を致します。  
  本当に素晴らしき事だと思います。これからもよろしくお願いいたします。
   心よりお祝い申し上げます。   小川ケン勝義

■雑貨屋ウイークリーが創刊以来400号を達成されたそうで心からお祝い申し上げます。
 私も時々雑貨屋さんのページを開き、河合さんをはじめ皆さんの文章や、観光スポット案内を興味深く拝見させていただいています。
 昨年末12月1日、東京で映画の日の催しがあり、昔の映画俳優仲間はじめ多くの皆さんと盛り上がりました。私もこれからは日米の掛け橋としてお役に立ちたいと思います。
雑貨屋ウイークリーもご一緒にがんばりましょう。今後ご発展を期待いたしております。
                           ロサンゼルスより、杉 葉子

■400号発刊おめでとうございます。
   河合さんの記事を今後ともよろしくお願いいたします。--
   Casey Takayama、Challenge USA, Inc.

■雑貨屋ウィークリーが今度400号を迎えるとのこと心よりお祝い申し上げますとともに 河合様初め関係者の皆様の地道なご努力に敬意を表します。ウィークリーの多様かつ役立つ情報大変ありがたく思います。
 私はロスの観光情報には特に大変興味を持っています。今回もサンタフェ・スプリングスの紹介関心を持ちました。1978年来ロスにいますが知らないことばかりです。数ヶ月で桜の季節になり Balboaの桜など教えていただき感謝しています。益々雑貨屋ウィークリーが成功されますよう祈ります。    すもり・ともゆき

■雑貨屋ウイークリー400号達成、誠におめでとうございます。創刊以来400号まで一度も休む事がなかったそうですが、関係者皆様のご努力に心から敬意を表したいと思います。私は半年に満たない新米読者にすぎませんが、お蔭様で毎回楽しませて頂いております。「継続は力なり」とも言いますので、これからも500号、600号と続いていく事を念じております。     宮坂 修平

■祝400号記念版誠におめでとうございます。毎週お元気で400回が発行できます事は誠に記念すべき事と自分のことのように喜びいさんでいます。一口に400回と申しますがこの400号までには信じられない努力が秘められていると感じています。いつもすばらしい情報有難うございます。 木下和孝

■大西さんが私にComputerの初歩を親切に手を取って教えて呉れたのは未だ昨年のような気が致します。其の時の状況を写真のように良く覚えて居ります。大西さんや河合さんが雑貨屋を始めてから400週になるとは信じられません。長年の海外生活の後で日本の生活に帰ることは大変な努力と苦労が続きます。私は丁度40年前に其の苦労を体験しましたが、その様な生活習慣の切替の取り込み中も休刊することなく私たち読者を楽しませて呉れた大西さんの熱意と努力に対して心から敬意を表します。
大西さんの協力者の河合さんやさくらさんの絶えざる投稿,そして其の内容の高さ,深さには何時も感動致して居ります。目さんのレストラン案内も大変な物でした。足とお金と強靭な胃袋と繊細な舌の賜物です。皆さん有難う御座いました。
これからも毎週の配達を楽しみにして居ります。  Walter 渡辺

■「雑貨屋ウイークリー」400号到達おめでとうございます。 これは凄い事です。 私の個人的感覚では40回でもう十二分に凄いです。私もパサデナセミナー会と云う勉強会、講演回を去年始めからやっていまして、性格の少し違う自発活動ですが雑貨屋さんが毎回発行を作業して纏めて送り出す仕事内容の質量はある程度想像できるのでして、40回でも大変なものだなあと思いますが、それが100回、200回、300回と来てここに400回! 素晴らしいです。 ご苦労様でした。 途中私もパサデナセミナー会のお知らせを送らせて頂くなどしてお世話様になりました。 400回到達してここでもう疲れた止めたと云うのでなく「単に通過点です」とカッコ良いせりふで更に次に向かって進まれるのでしょうからここはひとつくつろぎのコーヒー、或いは憩いの一服は身体に悪いので止めるとして、お祝いと安らぎの一杯くらい飲んで自分で自分を誉めて上げてから叉次の通過点500回を目指してスタートされて下さい。 一回一回の地道なご活動に敬意を表し、今回の偉業達成をお祝いし、また次の一里塚到達を楽しみにしております。 
                  パサデナセミナー会、 半田 俊夫 

■「雑貨屋ウイークリー」400号、おめでとうございます。継続は力なりという言葉がありますが、毎週休むことなく発行されるというのは、並大抵のことではないですね。
これからも南カリフォルニアと日本を結ぶ、楽しく有益な情報を期待しております。
                  横田 康子

■自由で前向きに、先を捕えて、地域のご活動に立ち向かわれて 生き生きと日々を送られている様子が、よくわかります。1996年以来のウイクリ-とは恐れいいりました。在米で御覧になられている皆様の、意気込みが伝わってまいります。 400号を休まずに続けられた事、故国日本からも "オメデトウ御座います”の敬意をお送りいたします。
 Congratulations on this happy day. The best of all good things For this 400 issues and all the many more come.Please add my warmest congratulations to your honour.
雑貨屋 ウイクリ-の記事に時折、川柳をお見受けいたします。 私は深くは嗜みませんが、好きで拝見しております。海外旅行が盛んで、日本でも毎年多くの人がお出かけなのは、ご存知でしょう。そこで二つほど、ご披露させてください
     1. 旅【海外旅行】に出て、夢はブランド 駆けめぐり
     2.パリ-でのグルメはフォアグラ、カップめん
                       鎌倉にて、 市井 雅敏

■雑貨屋ウイークリー 400号記念 本当におめでとうございます。雑貨屋の創刊以来もう400号とはあれからすでに7年半以上も過ぎているということになるわけですね。 
 今年の5月で8年目ということになるのですが、すでに雑貨屋の店主の大西さんの顔を知らない方がほとんどではないのでしょうか?今度から顔写真を載せてはいかがですか? それからあの関西弁の音声も一度入れてみたらどうでしょうか? 河合さんは定期的に日本へ帰国の際には州知事のシュワチャン顔負けの人気で皆さん帰国パーテイをしているとおききしていますが、いかがですか。 とても楽しいわれ等のウイークリーウエブマガジンで私が勤めている会社の方達にもとてもよい評判です。さくらさん、成近様、蒔ちゃん、さっかさん、西尾先生、その他関係者の方々長年有難うございます、これからももっともっと長く続いていくことを心から願っています。 ゲルマン 喜子

■祝!雑貨屋ウイークリー400号
    
      雑: 雑誌としても面白く
      貨: 貨幣価値はもちろんで
      屋: 屋根の高さほど続いてて
      ウ: うっかりしてると次が来て
      イー: いーっぱいの話題を載せて
      ク: クリエテブな書き手を揃え
      リー: リードよろしき大西店主

    そのうち「吟醸みゅうじあむ」に行ってみたいです。  LA 井出

■「雑貨屋ウイークリー」400号継続に脱帽!
 とうとう400号到達、まことにおめでとうございます。
 7日ごと発刊として約8年、よく続くものだ、と感心してしまいます。その間店主をはじめ何人かの執筆者は日本に帰国された訳ですが、それを乗り越えて今までと変わらぬペースで発行される、関係者の熱意は勿論ですが、インターネット時代を象徴しているようにも思います。
 最近の私の読み方としては、まず川柳をみてほっとしてから、文頭に戻ります。
「あまり知られていないLA観光スポット」は、日本国長野県に住んでいる身としては、すぐにはそこに行けないもどかしさを覚えながらも、そのうち行くぞ、と考えながら読みます。私の頭の中がワールドワイドになる瞬間でもあります。
 それでは今後とも頑張ってください。  長野県(もしかすると信州)、牧島 正勝

■昨年は雑貨屋便りから、幅広い情報を得て人生を豊かにできました。今回は400号
記念とのこと、大西さんの絶え間ないご尽力に心から敬意を表します。   野澤興一

■雑貨屋400号になりましたか。
ついこの間、300号でしたのに・・・・。本当に月日の経つのは早いもです。
大西編集長の御苦労はもとより、執筆されておられる皆様有難うございます。
今後とも楽しみに読ませていただきます。         中條 石

■Zakkaya 400号発行、おめでとうございます。
  以前、JERCで大西さんとボランティアをしていたことを、懐かしく思い出してお
ります。インターネットクラスの講師も勤めて頂いていましたね。あの頃から、大西さん
の信念、情熱を感じておりました。
 どうぞこれからもZakkaya の発行を続けていただいて、皆さんの要になって
いただきたいと思います。応援しております。
岩永


■雑貨屋ウイークリー 400号達成おめでとうございます!!
「あっこのおいしいL.A.」は7月27日376号からの休業以来はや24週、いまだ再開ならず、それを思うと、400週一週の休みも無く発行され続けてこられた大西店主のご努力、そして何年も継続して連載の主軸となっておられる河合主筆、兄上の成近氏、さくらさんへ敬意を表します。新たに執筆人に加われた森田さんの連載でまた一つ楽しみが加わりました。
「言うは易し行なうは難し」耳慣れた言葉ですが、雑貨屋400号発刊に当たり、改めてわが身に置き換える言葉でもあります。
新しい年とともに雑貨屋ウイークリーのご発展をお祈りいたします。
目(さっか)昭子 akikosk@sbcglobal.net

■雑貨屋ウィークリー400号記念、おめでとうございます。
支える人の輪が広がっているのでしょうが、なんといっても大西さんの努力によるものだと敬服します。
大西さんの飄々として少しも大変だという様子を見せないところにもっとも心を打たれます。これからもどうかこのユニークなウィークリーを続けていってください。
若尾龍彦but_up.gif (232 バイト)

「ラストサムライ」を観てきました。とてもすばらしい映画で感動しました。日本のすばらしさを再認識させられたような気がします。
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Zakkaya Weekly No.400

雑貨屋 店主 大西良衛  but_up.gif (232 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp