Zakkaya Weekly No.221

Ryo Onishi      8/6/2000

雑貨屋のひとり言

トニー・マサさん

さくらの独り言

川 柳 & コ ン ト

 

健康の方程式

一口コラム

編集後記

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雑貨屋のひとり言

■先週、さくらさんが師と仰ぐ牧師の友納さんにお会いしました。友納さん、さくらさん、高島さん、そして私の4人で、大阪のこれまたとても気分のいいお店で食事をしました。初対面なのでどんな話からしたらいいのかなあと思っていたのですが、いきなりジョークから入ったら大受けで、ほっとしました。友納さんのお話を聞いていると、うーん、とうなずいてしまいます。また素晴らしい人に会えました。(感謝!)

■暑い日が続きますが夏バテしてませんかー。うだるような暑さとはこのことなんですね。寝苦しくて睡眠不足になるし、クーラーをつけて寝ると寝冷えしておなかをこわすし…で、バテるんでしょうね。ずいぶん前(25年以上前)のことですが、8月に北海道旅行に行ったことがあります。さぞかし涼しいだろうと期待していったのですが、残念ながら異常気象で北海道も猛暑で、泊まった宿にはクーラーもなく、寝れない夜が続きがっかりしたことがありました。今年も異常気象で同じようなことが起こっているようです。(R.O.)

トニー・マサさん

 私達の月例ボランティア勉強会「サウスベイ経営セミナー」では、2000年7月度講師として、トニー・マサさんを招き、講演をしてもらいました。

 トニー・マサさんは、目下、本場アメリカのエンターテイメントの世界で、タップダンサー、俳優として活躍中の人です。

 彼は最近、日本の大手航空会社の全米向けテレビ・コマーシャルにも出演しており、軽快なタップを披露してくれていますので、私達、在米の日本人にもお馴染みになりました。

 彼は12歳の時、東京でダンスショウを見に行き、アメリカ人ダンサーのリーダーに握手をしてもらったのがきっかけで、この世界に入ったのだそうです。

 18才の時、そのダンサーと再会する機会に恵まれ、その人が開いていた東京福生(ふっさ)市の米空軍基地内のダンス・スクールに通って本格的にダンス修行をしたとのことです。

 現在の芸名である「トニー」というのも、その時の、ダンスの先生のステージ・ネーム「トニー・ゴー・ゴー」から譲り受けたのだそうです。

 彼は日本でも一時芸能プロに在籍した後、アメリカにわたり、ニューヨークでさらにダンスの修行を重ね、遂には世界大会で第3位にまでなりました。

 マサさんは、アメリカ・エンターテインメントの第一線で華々しく活躍しているにもかかわらず、気負うことなく、自然体を保ちながら、自分の芸風を作り上げている人で、そんな姿勢が彼の話の端々から感じられます。

 たいへん好感の持てる青年(といっても44才だそうですが)という印象を与える人です。

 「メゲそうになるのはどんな時でしたか? また、そんな時はどうしましたか?」 ―― 

受講者からの質問に、マサさんは、「自分は好きな事をやっているので、メゲたことは一度もありませんでした」と答えていましたが、ただでさえ厳しいこの世界でメゲない筈はなく、このへんにマサさんの“負けじ魂”と“ポジティブ発想”を感じ、アメリカのショウ・ビジネスでのプロ根性、プロ魂の何であるかを知らされた思いでした。

 その上、彼は、どんな時でも、日本人としての誇りを持ち、アメリカで舞台に立つ時、「ジャパニーズ、ナンバー、ワン」と言い聞かせて、自分を元気づけているそうです。

 マサさんは最近、活動の拠点をニューヨークからロサンゼルスへ移しました。彼の話の中で、東(ニューヨーク)と西(ロサンゼルス)の違いや、私達の日常からは知り得ないショウ・ビジネスの裏側の話など、興味ある内容でした。

 また、もともとタップダンスは黒人社会のリズムであるので、彼は異人種コミュニティ、特に黒人社会の実態などに詳しく、それら異文化との接し方など、さすが経験者ならではの具体的・実際的な説明をしてくれ、私達がつい見落としがちなポイントを改めて再認識させられた思いでした。

 何の世界でも、その道を極めた人の話には、ひとを引きつける迫力を感じます。

 約1時間半の講演と質疑のあと、実際に披露してもらったタップの演技は、さすが目を見張る感動でした。

 トニー・マサさんは目下、9月に公演を予定している「ア・ヒューマン・カタログ」という「一人芝居」(とご本人は言っています)に向け、それこそ、一人で企画、演技、スポンサー集めをしているそうです。この公演の成功を心から祈っています。

河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言 「ありがとう」と「ごめんなさい」

「さくらさんは、『ありがとう!』って沢山言うよね」っと、お客さんに言われた。先日日本出張の折、レストランで食事をご一緒している時のことだった。「エッ?!、そうですか?」と、とっさに私は答え、この会話はそこで終った。このお客さんとの会話を思い出したのは、私が浜松町JR駅で人とぶつかり、「東京(日本)へ来て1日何回『ごめんなさい』と言わなきゃならないんだろう?!」っと、自問した時だ。日本出張の度、オウムの如く発する言葉、「ごめんなさい」に悲しくなってしまった時だった。

 

米国の生活では、例えば職場の受付のおばちゃんや秘書が、もしくはファーストフードレストランで係りの人が、当たり前の仕事(業務上求められるべき最低限の仕事内容)をしても、"thank you"っと言葉にする習慣がある。勿論状況によってトーンは違う。それはまるで録音されたロボットの言葉の様であったり、又は本当の気持ちが伝わる言の葉であったりする。いずれにしても多くの場合、軽い「ありがとう」を沢山口にする生活が、ここにはある。

 

「ウエイトレスに頭を下げたりしては駄目!」と上司に叱られたことがある。今から4年程前のことである。「さくらさんは、まだまだね。もっとシャンとしなさい、シャンと!」と叱られた。当時市内に2つしかない日本食レストランでのひとシーン、「ありがとう」の言葉と共に無意識に頭を下げた時のこと。当時私は学術関係(大学や政府)の仕事からビジネス界(会社)へ入ったばかりで、日本食レストランへ来て好きな物を注文できることに慣れていなかった。そして何であれ、日本語で注文を受けあこがれの日本食を配膳してくれる日本人ウエイトレスは、私にとっては女神、そしてまた貴賎なき同国人なのであった。そんな気持ちが「ありがとう」の言葉と共につい頭をさげてしまったのだった。

 

今回米国へ戻って気がついた。電車にも乗らず、人混みの中も歩かない車社会の生活では、人にぶつかることも少なく「ごめんなさい」を発することもない。せいぜいエレーやドアで出交す位だろう。今度日本へ行った時、試しに数えてみるつもり、自分がどれ位「ありがとう」と「すみません」を発すか。勿論「ありがとう」を沢山言えればいいが、なかなかそれは難しい。カルチャーショックに悩みながらのさくらの日本滞在は、「ごめんなさい」の連続なのだ。宇宙人さくらにとって果たして日本は母国の星になりうるか、ちょっと首をかしげる、さくらの独り言。

sakuratsubomi@earthlink.net)                                                              

川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

( 川 柳 )

土の香を知らずに猫の血統書

老猫がゴロリあくせくしなさんな

初孫に主役取られたポチの鬱

急追もそこまでだった万馬券

昼寝してゴールの夢を見る兎

( コ ン ト )

「中尾元建設相殿」

署中お見舞い申し上げます  −若築建設

「受刑者リスト流失」

ずさんな職員のリストは極秘 ー名古屋刑務所

「選考基準の明確化を」

首にスズをつけられた    −日本水連

(東京・成近) E-mail kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp

健康の方程式

鼻血は生活習慣病ではなかった?

ここ1週間、鼻血に悩まされています。鼻血についてありのままに見れず、素直に対処できませんでした。 教室も5日間、完全に休んでしまいました。

実は、公文の第1回北米指導者大会が7/21〜23までシカゴで開かれ妻も私も参加しました。 参加しただけでなく、2人ともLAを代表して日頃の研究成果を発表したのです。 発表のタイトルは 『 Retention(続けること)、Listen(聞くこと)、Analyze(分析すること)、Encourage(励ますこと)、& Praise(誉めること)』です。

私達はシカゴで発表したことをさらに徹底し、発展させ、今いる生徒一人ひとりをもっともっと伸ばしてあげたいと考えています。 

8月・9月は個人面談をして、もっと生徒・父母の意見を聞き、10月にはAward Ceremonyを実施してトロフィーやメダルで生徒の日頃の努力を評価し、来年7月には2回目の公文北米大会でその成果を発表しようと考えていました。

ところが、その1年計画の出鼻を鼻血で挫かれたのです。 ちょうど1年半前、白血球の数が45万になって緊急入院する前にもしばらくの間、鼻血が続きました。

それを思い出して血液検査を受けました。 5月の数値1.05万から1.45万にと、ちょっと増えてきています。 かかりつけの医者からはハイドレア(経口抗がん剤)を1日2錠から1日おきに1錠増やすように指示されました。 なるべき近い将来にハイドレアを0にしたいと考えている私としては残念ですが、止むをえません。

それでも、鼻血は止まりません。 1日4〜5回出ました。 弟には鼻の粘膜を焼くように忠告されました。 彼自身がそうしたからです。

1週間様子をみようと思っていた6日目、近くの本屋の喫茶室で勉強していた時、鼻血が出ました。 普段は5分ぐらいで止まるのですが、その時は全然止まらないのです。 何人もの人がいろいろとアドバイスをくれ、中には氷を持ってきてくれた人もいました。

30分ぐらいしてやっと止まった時、明日は絶対医者に行こうと思いました。次の日、医者は「粘膜が傷ついていますよ」と、錠剤を鼻の中に入れてくれました。それで鼻血はピタッと止まってしまいました。 

私にはこういう経験が何度かあります。 最初は約2年前、日本で倒れて輸血をしてもらったときです。 あの800CCの輸血でみるみる精気が甦った時、その前に行った穂高養生園での食事と運動療法は正しかったのかとチラリと思いました。

また、約1年半前、緊急入院して大量輸血や抗がん剤投与などの西洋医学で強引に白血球の数値を標準値に下げた時も、その前の長い間の食事療法はいったい何だったのか、という思いがよぎりました。

でも、「自分の健康は自分で守る」を基本に努力することが一番大切であることは間違いありません。 効率ばかりを追求する西洋医学だけではなく、根本治療を目指す東洋医学とのバランスの良い組み合わせが大事だと信じています。

今朝、少し無理をしたため、この原稿を書いている今も鼻血が止まりません。もう1時間以上鼻血は続いています。 妻が心配して救急車を手配してくれました。今から精密検査を受けることになると思います。 

皆様にご心配をおかけしてばかりで恐縮ですが、この続きは次回に見送らせていただきます。

西尾 誠一郎   wtkumon@flash.net

一口コラム

「コント、読み違い??」

(その55)魚介類の読み方

先週のこのコラムで『 鮭・鮫・鱈・鯉 』という魚の名前を持ち出したので、今回は魚介類の漢字の読み方について取り上げました。

皆さんは、このうち、いくつ読めましたか? 私が読めた数は・・、自慢になる数ではなく、恥ずかしいので伏せさせていただきます。

☆問題の漢字

(1)鮎、(2)鯵、(3)鮑、(4)烏賊、(5)鰯、(6)鰻、(7)牡蠣、(8)鰹、(9)蟹、(10)鰈、(11)鮭、(12)鯖、(13)鮫、(14)細魚、(15)鰆、(16)秋刀魚、(17)鯛、(18)蛸、(19)太刀魚、(20)鱈、(21)鰊、(22)鯱、(23)蛤、(24)鮒。

☆解答(漢字の読み方)

(1)あゆ、(2)あじ、(3)あわび、(4)いか、(5)いわし、(6)うなぎ、(7)かき、(8)かつお、(9)かに、(10)かれい、(11)さけ、(12)さば、(13)さめ、(14)さより、(15)さわら、(16)さんま、(17)たい、(18)たこ、(19)たちうお、(20)たら、(21)にしん、(22)しゃち、(23)はまぐり、(24)ふな。

―― 羅府の庄助さん ――

編集後記

西尾さんの投稿記事を読んで、救急車で入院されたと聞いてビックリしました。特に問題ないことを祈っています。無理はなさらないで下さいね。

下記のURLで雑貨屋をご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/index.htm

バックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.221

雑貨屋 店主 大西良衛 zakkaya@news.email.ne.jp