Zakkaya Weekly No.212 Ryo Onishi 6/4/2000
■ワイフと「どら平太」という映画を観に行きました。日本で映画をそれもワイフと観たのは、おそらく20年以上も前のことだと思います。市川崑監督、役所広司、浅野ゆう子出演の時代劇ですが、なかなか痛快な映画でした。
■夕陽が六甲山系に落ちはじめ、心地よい風が吹いているベランダで本を読んでいます。本当にさわやかでいい季節ですよね〜。そしてバックからサザエさんの歌が聞こえてくる。うーん、私は、日本にいるんだな〜と思います。(R.O.)
先日、知人からこんな質問を受けました。「昔からの諺(ことわざ)に“早起き(または朝起き)は三文のトク”というのがあるけれど、この場合の“トク”とは“徳”なのか“得”なのか、どちらでしょうね」
普段、何となく使っている諺ですが、改めて聞かれると、不確かな事が良くあるものです。
私は子供の頃、母親から「朝早く起きれば、寝坊するより三文も得するんだよ」と言われ続けた思い出があるので当然“三文の得”だと思っていましたが、急に自信がなくなり、その知人に「調べてみるので、時間を下さい」と答えたのでした。
こう言う時は先ずは国語辞典の権威を頼るしかありません。早速手許の国語辞典で調べてみました。(岩波書店広辞苑第二版、三省堂国語辞典第二版、講談社国語辞典新版の三辞典)
結論は“三文の徳”としているのが広辞苑と講談社国語辞典の二つ、そして三省堂国語辞典が“三文の得”となっていました。ただし、諺の意味については各辞典ともほとんど同じで「早起きすればればなにがしかの利益があるというたとえ」と言った意味合いでした。また“徳”という文字には“利益”という意味があることも知りました。
私は次にインターネットを開き、Yahoo Japanでこの諺を検索してみました。私がいくつかあたってみた範囲内では“三文の徳(得)”のように“徳”と“得”を併記した文章もありましたが、どうも“三文の徳”派が何となく優勢といった感じでした。
ここまで調べたところで、私ははじめに質問を寄せた知人に“三文の徳”が正解らしいと報告したのでした。やはり、天下の「広辞苑」の解釈が私には絶対の決め手といえたでしょう。
知人に報告した後、念の為にと思い、今度は“三文”の意味を辞典で調べてみました。
各辞典ともほぼ同じような説明が載っていました。
例えば、三文:(1)わずかのおかね。(例;三文の価値もない)(2)ねうちがないこと(例;三文文学・三文文士、三文判)といったところです。
どうも“三文”とは“値打ちのない、くだらない”という意味なのです。それならば、早起きしてもたいして値打ちのない、くだらない事だ、と言う事になってしまいます。
これでは上記国後辞典解釈にも反するし、私が昔、母親から言われ続けた教訓にも反します。
“三文の徳”でも“得”でもどちらでも良いけれど、少なくともこの諺は早起きを奨励する古来の日本思想に根ざすものではなければならず、したがって“三文”にも特別な意味がある筈であり、そこのところを確認したくなりました。
この諺の語源を知る事は出来ないだろうか。そんな思いで再びインターネットの上をさまよっていたら、遂に興味あるサイトを見つけました。
「いごっそう随想」というホームページ(URLは下記)に掲載されている随想のひとつに“三文のトク”の語源について書いてあったのです。
語源説明の部分はおおよそ次の通りです。
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1600年代の中頃、土佐山内家の執政であった野中兼山は藩政改革に力を発揮した。
彼の大きな功績の一つに、現在の高知県仁淀川下流に八田堰(はたぜき)を造り一帯の洪水を防ぎ、不毛だった東岸一帯(現在の春野町・西武ライオンズのキャンプ地として最近は有名)を美田化したことがあげられる。
兼山は造らせた堤を早く固める為に領民に対し、早起きをして堤の上を歩かせ、実行した者に褒美として三文(当時のおかねの単位)ずつ与えたのだそうだ。
これが「早起きは三文の得」の語源であると大学三年の時、「日本経済史」の講義で教わったことがある。
( http://village.infoweb.ne.jp/%7Efwij7854/igosso.htm )
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野中兼山という人物について、改めてインターネットで調べてみたら、確かに実在した人であることがわかりました。( 1615〜1663 )
上杉鷹山、熊沢藩山と並んで日本の三山といわれた人だそうで、土佐藩の家老として南学振興、 新田開発、河川の整備などに力を注ぎ、高知市の五台山中腹には兼山神社が今もあるという事がわかりました。
ただし、兼山と“早起き”“三文”のエピソードは前記のホームページ以外では見つけ出すことは出来ませんでした。
結局“早起きは三文の得”の語源と兼山との関わりについて、確実に真偽を確認できませんでしたが、兼山と“三文”のエピソードは話として、たいへん興味があることでした。
これならば、三文の意味も納得出来、私が昔、母親から聞かされ続けた早起き奨励の言葉にもきちんとつながり、何かホッとするものを感じ得るからです。
一つの“ことわざ”も時代と共に変化したり、またいろいろ深い想いが込められて、引き継がれてゆくもののようです。
(蛇足:どうも最近、私にとってトクになる事が少ないと思ったら“朝寝坊”が原因だったようです。ニュー・ミレニアムを期して、少し早起きを心がけようかな)
河合将介( skawai@earthlink.net )
さくらの独り言 「違った風景」
ワープして戻って来た気分で自宅のドアを開く、午後11時55分。LAを出たのは午後2時なのに、家に着くのはこの時間。3時間の時差と乗継ぎを含めた飛行時間が半日を食ってしまう。まるで日本から帰って来た時の様に重い身体を感じる。同時に、この大陸の大きさも実感する。この4週間で2度訪ねたLAは、今までのそれとは違った気持で過ごした。それは、今迄とこれからの「自分の仕事や生活」を多面的に問われたものだった。いつもと変わらぬLAが、ちょっと違た風景にさえ感じた旅だった。
LAへ行く時はダウンタウンかトーランスにと、その時々の目的や活動に応じて宿泊先を選ぶ。今回はお客さんに合わせて、トーランスに泊まった。皆さんご存じの衣音さんがマネジャーを勤める「ホリディイン」である。懐かしい出来事が、私の中で行き来する。オッサンが彼の病状について話してくれたのも、雑貨屋の大西さんの送別会に参加したのも、さくらの「サイン」を求められたのも、ここだった。複雑な気持ちになる。風にふかれるパームトゥリーが窓の外には立っていた、いつもと変わりない風景の様に。
過去LAに遊びで来た時は、主筆の河合さん、店主の大西さん、玉三郎の中條さん、そして今は亡きおっさんこと三本松さん達が、手となり足となって私のお世話をしてくれた。私はただ黙って居るだけでよかった。何処にでも連れて行ってくれ、美味しい物を食べたり飲んだり唄ったりして、楽しい時を過ごした。そんな今までのLA訪問は、「自分で何か」ではなく「誰かが何か」をいつもやってくれた。でも今回は、あの世に行っちまったオッサンは勿論、店主も玉三郎も帰国して不在、頼りの親分、河合主筆も訪日中で留守。仕方なく田舎なのか都会なのか、米国なのか日本島なのかと混乱しながら、東西南北を自分で探る日々だった。そんな時、LAでは見慣れているつもりのパームトゥリーが、自分を心細くさえさせる。今までの自分の米国生活とは違う風景の中に、独りで居ることを改めて実感させられる。
パームトゥリーのない風景の中西部に戻ってきて、一日の長さと疲れを感じる。そんなワープした様な気持ちの中で、「自分が何処から来て何処へ行くのか」という、「人」の「生」(旅)を思う。これを一般にはアイディンティティと呼ぶ。今まで見慣れた変わらない風景が、違ったモノに感じる。そんな時人は、自分のアイディンティティの新たな確立に挑んでいるのだという。今度はLAを、レンタカーで走り回ってみるつもり。その時はまた違った風景が楽しめるかもしれない、と、心細かったさくらの、強がりつっぱり独り言。
川 柳 & コ ン ト (東京・成近)
( 川 柳 )
後継を誇示してみても薄い影
創業の亡父(ちち)がまだいる社長室
スキャンダル記者に裏門まで張られ
野次馬の目になりきれぬ元刑事
敗軍の将にマイクが突き刺さる
( コ ン ト )
「有珠噴火、終息の可能性」
このまま治まってくれるといいが − 不況風
「初心を忘れず」
出来たら偉い 雅山関へ − 政治家
「たなぼた総理」
賞味期限が心配になってきた − 国民
(東京・成近) E-mail
kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp
健康の方程式 −正直で十分な人生を!
−西尾 誠一郎−
「生きなさい。 ふりかえって命を無駄にしたと後悔しないように。 生きなさい。 してきた事を悔やみ、別の生き方を望む事がないように、正直で十分な人生を生きなさい。」
これは死の概念を変えた今世紀最高の精神科医エリザベス・キューブラー・ロス博士が、沢山の臨終の患者から学んだことです。 彼らは人生を振り返り、死に関してではなく、生に関して真に意味のあるところは何だったか、博士に教えてくれました。
(「人生は廻る輪のように」角川書店 神野圭一訳 P183より)
私はこの本を5ヶ月前ほどに読んだ時、言葉で表現できないほどの感動をおぼえました。
私が小5の時、谷先生に出会って教師になろうと決心したこと。
「公文式算数の秘密」に出会って13年間の教師生活にピリオドを打ったこと。
公文式をまねて、弟と2人で西尾進級塾をやったこと。
教科書中心の教え方をゆずらない弟に教室をまかせてアメリカに来たこと。
ちょうどLAに進出してきた公文に出会い公文の指導者になったこと。
数年後、幼児方程式学習者(小学校に入る前に中学2年生の方程式またはそれ以上を学習する生徒)を持てたこと。
その学習者のご両親、細田御夫妻がくもんの指導者となり、私の妻も加わって四人で自主研を長く続けたこと。
その細田さん(ミスター)が、突然亡くなったこと。
その突然の死が残念で悔しくて、それで健康について勉強を始めたこと。
雑貨屋のご主人、大西さんとEMの普及で知り合ったこと。
雑貨屋に「癌は予防できる」を中心テーマにして「健康の方程式」を週1回書き、半年後に自分が白血病にかかったこと。
自分の病気は「「癌は自然療法だけで克服できる」を少しでも世に広めるチャンスと考えたこと。
いろんな自然療法を試しているうちに日本で倒れ、結果西洋医学(輸血)のお世話になったこと。(この時期は「健康の方程式」を中断)
快医学の菊池ゆみさんの忠告でEMXやビタミン・ミネラルなどいろいろな自然食品を摂るのをやめたら18万の白血球(正常値は3千〜1万)が3ヶ月で45万まではね上がったこと。
ヘモグロビンの数値が下がって緊急入院し、大量の輸血を受け、その際に医者のすすめでハイドレアという副作用が少ない経口抗がん剤を摂るようになったこと。
自然食品のおかげで副作用は全くなく、白血球も正常値になり、元気になったこと。
私は今、私の教室を自分の納得できる素晴らしい教室にしたいと思っています。
一人でも多くの人に自ら学ぶことの素晴らしさを十分に体験したもらうためにお子さんを公文に入れ、父母の皆さんにも学び方を学んでほしいと思っています。
自分の教室が、LAの公文の教室がそして北米の教室が少しでも良くなるように、この7月に公文の北米第1回の研究大会で3人の同士と共に入会1年間の初期入会のあり方について発表する準備をすすめています。
私のたった一つの強みは正直で十分な生き方をしていることです。 いつの日か日本で、日々真剣に努力し続けている公文の指導者の前で、自分がどう生きてきたか話をしたいと思います。
「コント、読み違い??」
(その46)怨 満 退 社
このたび、私はこれまでの勤務先を“怨満退社”し、毎日を“怨ジョイ( enjoy)”しています。。
失業生活を送るのも、何かの“怨(縁)”でしょう。頑張ってください。私も及ばずながら“支 怨(援)”しますから・・。
―― 羅府の庄助さん ――
月曜日って電車はどうしてあんなに混んでいるんでしょうね?
下記のURLで雑貨屋をご覧いただけます。
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Zakkaya Weekly No.2
12雑貨屋 店主 大西良衛
zakkaya@news.email.ne.jp