Zakkaya Weekly No.199

Ryo Onishi       3/5/2000  バックナンバー HOME

3月です。だんだん陽がながくなってきました。なんとなくウキウキします。先週の後半から暖かくなり、体が楽でした。長〜く、寒〜い冬でしたから、春が本当に待ち遠しいです。17年ぶりの日本の桜を心待ちにしています。

65歳になってEメールを始められた元NHKアナウンサーの内山龍一郎さんは、これからEメールを始めようとしている人、年配者のための入門書を出版されました。題して「ネコでもできるEメールのはじめ方(中経出版)」です。その中にサウスベイの河合さん、渡辺さん、雑貨屋が紹介されています。192ページから200ページに記事が載っています。土曜日、本屋に行ったら、店頭に並んでいました。うれしいですね。

(R.O.)

新 人 歌 手 デ ビ ュ ー

 ニュー・ミレニアム2000という年を迎え、今年も1月だけでなく、2月に入ってもまだ新年会が続いていましたが、さすが2月中旬を過ぎたらようやく一段落したようです。

 私も、仲間うちのニューイヤー・パーティから、各種団体の新年挨拶会まで、これが引退生活なのかと疑うほどの各種新年会に顔を出させてもらいました。

 でも、私にとって今年の圧巻は、何と言っても他人様の新年会に『歌手』として招かれ、厚かましくもギャラ(といっても“お車代”)まで頂いてきた事でしょう。こんな経験は、もうありえないでしょうから私の一生の思い出になりそうな出来事でした。

 当地ロサンゼルスには「パイオニア・プロジェクト」という非営利団体があり、65才以上の日系人の皆さんが加盟しています。日系人といっても古くは100年以上も前(明治初年)に移民としてアメリカへ渡って来た人達とその子孫(現在は三世、四世の時代になっています)、そして戦後帰米移民、新一世・・と、いろいろな人達から構成されていますが、いずれにしても多くの“お年寄り”日系人が当地に在住されている事になります。

 そういった日系人の“お年寄り”が楽しみにしているのが「パイオニア・プロジェクト・ニューイヤー・パーティ」で、今年は2月13日(日)に近くのJ.C.I.(日系人文化会館)で開催されました。

 このアトラクション(演芸の部)にナント私がノミネートされ歌謡曲を2曲歌う事になったのです。私がノミネートされた経緯は、この団体の世話役と私が顔見知りであり、彼が“歌好き”の“ヘンなおやじ(私のこと)”に歌わせてみよう、と思っただけの事のようです。

 プロの歌手を呼べば高額なギャラを払わねばならぬし、素人でも特定な“カラオケ同好会”などでは自薦・他薦でもめるし・・、あまり上手な人では聴衆が距離を感じてしまうし・・等々の理由が“歌手、庄助さん”の誕生につながったのでした。

 当日は11時30分の開始にもかかわらず、1時間半前の10時には430の席が完全に埋まる盛況振りで、初体験の私には驚きでした。

 演芸の部は、民謡(西村会)、舞踊(藤間勘須磨流)―― ここまではプロ ―― それに歌謡曲4人(アマチュア)で、私がトップ・バッターでした。曲目は“お年寄り”向きに「柿の木坂の家」と「憧れのハワイ航路」の2曲、(まさか安室奈美恵やSMAP、Kinki Kidsという訳にもゆかないものねエ)、ブーイングもなく、一応拍手(それにピーという口笛もありました)をいただき、引き下がる事ができました。

 5年前に「海外に在住する我々日本人にも日本の国政選挙に投票させろ」と当地の日系スーパー(ヤオハン)入り口で署名集めの運動に参加した時も、「アメリカまで来て、何でこんな事をしてるのだろう」と思いましたが、今回の出来事もその時以来の感銘ででした。

 人間、年を重ねると恥を忘れ、厚かましくなるものだと、痛感する毎日です。

 でも、生きているうちが人生なのだから、チャンスがあれば何にでも挑戦しなっきゃ!!

河合将介( skawai@earthlink.net )

(追伸):このたび、私の E-Mailアドレスが skawai@earthlink.net に変更になりました。

ご意見、ご感想は新しい E-Mailアドレスへお願いいたします。(河合)

さくらの独り言 「百年の孤独」

 今日は3月3日、雛祭り。いつもなら赤ワインを飲みながら原稿を叩く金曜日のさくらだが、今晩はちょっと違う。友人手作りのお雛様を独り愛でながら、白酒に代わって焼酎「百年の孤独」を味わいつつ、例年より一足早い春の訪れに、琥珀色の孤独とトキメキを味わっている、さくらの独り言。

 「焼酎なら麦、女性だから匂わないものを」が口癖の私だったが、美味しい物には目がない私、「麦でも米でも何でも恋(来い、コイ)」となるのが私の性分。好きな焼酎は「博多の華」、「吉四六」、「いいちこ」だったが、友人から頂いた事を機に「天草」、「駒」、「綾」、「石蔵」と、レパートリーが増えた。いずれもオンザロックでレモンを入れて頂く。毎日飲むわけではないが、雑貨屋の原稿を書く時には欠かせない氷水だ。そしてこの焼酎がなければ、カラオケにも前回告白した腹話術にも必要な、七色の声が作れない。誠に不思議な水である。

 日本酒嗜好者だった旦那は、私の友人が彼の為に持たせてくれる良質の日本酒のおかげで益々日本酒党になった。特に「出羽桜」には殊の外惚れ込んでいる様子である。空になってもこの「出羽桜」の瓶だけは飾ってある。これは中條氏の影響だ。そして銘柄で飲むというより、友人の想いを感じながら飲める日本酒が美味しいと旦那は云う。また旦那は説明書に何と書いてあろうが、自分が一口飲んで冷やか熱燗かを決める、変な米人である。「これは冷やして飲んで下さいと書いてあるよ」と言っても「解ってる」と言いつつ熱燗で飲む。数すくないお猪口もとっくりも、お酒によって使い分けている様だ。いずれにしも、旦那と私が嗜好品による合戦がない事は幸いである。

 有名な物や人気商品にはあまり興味を示さない、私。稀少価値=いい味だとは限らないという自説を持っている、私。何度か「百年の孤独」をお土産に頂いたが、くじ運悪い私はいつも誰かに横取りされていた。「まあいいか」と思いながらも、一度は家でゆっくりと飲んでみたいとは思っていた。友人Fさんが、くじ運の悪さに気づかないふりをして「こんどこそはさくらに」という願いを、「百年の孤独」に劣らず静かにひっそりと眠らせていてくれた。Fさんの願いに酔いながら、揺れる氷の音と琥珀色の、その眠りから覚めた調和が何とも云えず、人生の孤独を味わって頬も桃色に染まったさくらの、桃節句。

sakuratsubomi@earthlink.net)                                                              

川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

( 川 柳 )

ライバルに勝てそう朝飯が旨い

旧友といえど争う椅子一つ

札束に反発妥協せぬと決め

相打ちの意地油揚げをさらわれる

敗者復活無欲よそおってる野心

( コ ン ト )

   「耳の日(3月3日)」

小渕さん聞こえますか  −不支持43%の声

   「変わり雛」

ーこの延々と行列しているのは?

ープレステ2雛です

   「警察不信」

包み隠さず喋れ  県警幹部殿  −容疑者

(東京・成近) E-mail kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp

健康の方程式 

−EMXで大腸癌を克服した川本さん− 西尾誠一郎

 94年に大腸癌ために手術で大腸を大きく切り取られた川本さんは今も元気でEM(有用微生物群)の普及に努力されています。 彼女はEMXで命を救われましたが、正確にはEMに巡り会ってポジティヴに物事を考え、行動できるように成長したから元気になったのです。

97年2月にLAのEM普及会が出した川本さんの記事をここでご紹介します。

皆さんがもし「あなたは癌です」と言われたらどうしますか? 今から2年ちょっと前、便の出血で異常に気がついた私は病院に行き、そこで「あなたは大腸癌です」と言われたのです。 目の前が真っ暗になりました。 「なんで私が…」と思いました。 幸いにも早期の発見だったので、すぐに手術をしました。 大腸を15センチほど残して後は切り取られ、小腸を一部大腸に変えるという手術でした。 その時私の体の癌と戦う抗体(癌に対する防御の第一線として位置付けられているナチュラルキラー“NK細胞)が普通の人と比べ少ないために、癌細胞に対抗できず、科学療法でその癌細胞が増えないようにしなければなりませんでした。 手術後、1年間、化学療法(Chemotherapy)を続けなければならなかったのですが、副作用で心臓に負担がかかって気分が悪くなり、とても我慢できないほどでした。 それで4ヶ月で止めてしまいました。 ドクターからは今止めたらまた癌が再発すると言われたのですが、続けない事にしたのです。 

その頃は、死ということについてずいぶん考えました。 そんな時、ラジオの日本語放送の番組で、西尾先生が琉球大学の比嘉照夫教授やEMのことを紹介されているのを聞いたのです。 とても興味のあるお話しでしたので、比嘉照夫先生の書いた「地球を救う大変革」を読んでみました。 比嘉先生のEMでこの地球が救えるという考えを知った時、それまで「自分は癌でもう治らないかもしれない。 世界はどんどん悪い方向へ向かっている」というネガティヴな考えをしていた私は、「自分の癌は治るかもしれない」と思うようになりました。 

比嘉先生に是非お会いしたいと思っていましたら、95年の1月に比嘉先生の講演会がトーランスで開催されることを知りました。 比嘉先生やマンド―・ゴーナム博士のお話しを聞き、大変感動しました。 人間の体の中の活性酸素が、細胞を攻撃することによって癌細胞が繁殖し、癌になるということや、人間にはその活性酸素を中和する酵素があることなどを知りました。 活性酸素を中和して抗体を増やすには抗酸化力のある物質を摂取すればいいという事がわかりました。 

その物質がEM−Xだったのです。 そこで私はEM−Xを飲むことを考えました。 EM−Xを入手した私は、祈るような気持ちで毎日5CCのEM−Xを飲み続けたのです。 すると、20しかなかったナチュラルキラー(NK)細胞が3ヶ月で60に増えたのです。 普通の人のNK細胞が30〜40ですから、正常なレベルになったのです。 私はこれで癌を克服したと思いました。 これまでネガティヴだった私が癌になり、比嘉照夫先生のEMに巡り会ったお陰でポジティヴな考えができるように変わることができ、とても感謝しています。 

普通の人は癌になったことを知られたくないので隠そうとします。 しかし私は、この自分の貴重な体験を伝えることによって、現在癌や病気で苦しんでいる方々に勇気と希望を持っていただきたいと思っています。 EMによって本当に素晴らしい地球にしていくよう、私自身も皆様と一緒に努力を続けていきたいと思っています。

 

白血病と診断された私は、95年日本から帰ってきてすぐ川本さんに会い、UCLA大学のマンド―・ゴーナム博士の所へ連れていってもらいました。 ゴーナム博士は癌細胞をやっつけるNK細胞の数を無料で検査してくれるといってくれました。 私はその時、坑酸化作用としては抜群の働きをするEM−Xを毎朝キャップ2杯(約20CC)飲んでいました。 

普通の人で60ぐらいあるというNK細胞(川本さんの記事では30〜40が正常値になっている)が私の場合、たった3しかありませんでした。 私はすぐに検査をしてくれる助手の方にゴーナム博士の指導を受けている他の癌患者のNK細胞の数値はどれくらいなのか質問しました。 20人ほどの数値を見せてもらいましたが、だいたい20〜40で全員私より高いのです。 

博士はすぐに「MGN−3という丸薬を毎日2g摂りなさい。 この食品がどのようにあなたのNK細胞の数値を高めてくれるのか私も知りたい。 2週間に1度の血液検査を受けてくれれば、MGN−3を無料で進呈しよう」と言ってくれました。 私はもちろん喜んでその申し出を受けました。

MGN−3によって私のNK細胞の数値がどう変わっていったか、それは次にお話しします。

wtkumon@flash.net

一口コラム

「コント、読み違い??」

(その33)一 て・・ 

 ボーイフレンドと付き合ってもすぐ別れ、また次のボーイフレンドを見つけては、これまた別れを繰り返していた彼女はつぶやいた。―― 「一男(いちなん)去って、また一男(いちなん)・・」

―― なるほどね、「女心と飽き(秋)の空」とはよく言ったものだ」 ――。

―― 羅府の庄助さん ――

編集後記

来週は雑貨屋ニュースレターの200号です。みなさん、なにか云いたいことはありませんか〜。

雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.199

雑貨屋 店主 大西良衛 zakkaya@news.email.ne.jp