Zakkaya Weekly No.180

Ryo Onishi       10/23/99  バックナンバー HOME

雑貨屋のひとり言

 先週号でお知らせしましたが、私はこのロスアンゼルスから離れ、日本に住むことになりました。引越しは来月末を予定していまして、今日もワイフと家の中のガラクタ整理をしているところです。

雑貨屋はサウスベイからのたよりと題してお送りしているように、もともとはサウスベイとその周辺の仲間との交流のためにZAKKAYA WEEKLYをEメールによって配信したのがその始まりです。あれから3年半が経ち、おかげさまで、サウスベイだけでなくそれ以外の地域や国のたくさんのすばらしい仲間と出会うことができました。ありがたいことだと感謝しています。この雑貨屋を通じて、学べたことは、自分から何かを発信することで、そこからまた新しい何かが生まれるということです。たくさんの方からのご声援をいただいているこの雑貨屋はどこにいこうとも、発行していきますので、これからもごひいきにお願いします。(R.O.)

歴 史 か ら 学 ぶ

振り返ってみると私にとって「歴史」とは、中学や高校時代に学んだ授業の一科目であり、更にその授業とはイコール“受験勉強”でした。

 例えば日本史とは旧石器時代、新石器時代のような大昔にどこの遺跡の土器がどうした、土偶がこうしたといった事から始まり、その後の各時代の出来事と年号などを必死に暗記し、受験に備えたのです。

 そして「歴史授業」は時代に沿って下り、江戸・明治・大正・昭和の始め頃までくると学年度が終わってしまい、時間切れで現代史は学ばず仕舞いといったパターンが常でした。

 先日、私の遠い親戚の高校一年生に50数年前の太平洋戦争の話をしたら、「ヘエー、日本ってアメリカと戦争をしたんだ?。おじさん、それで日本とアメリカ、どっちが勝ったの?」―― 私としては二の句が継げませんでした。

 君はそんな事も知らないのか!―― と憤慨してはみたものの、でもよく考えてみればこの年代の若者は戦争の体験者でもなければ学校でも教わっていないのなら知らないのは当然で、問題とすべきはむしろ我々年長者サイドと日本の歴史教育の方なのかもしれません。

 そこで私は日本の「歴史教育」の現状とあり方に対し、次のような発想と提案をいたします。

(1)、年号や出来事をむやみと丸暗記させる「歴史教育」は歴史への興味をそぐだけでマイナス効果しかないと思います。学校の「歴史教育」では世の中の大きな時代の流れをつかむこと、歴史の学び方だけを中心に教え、あとは各個人が関心と興味のわいたテーマを自分で学び、何かをつかむようにさせたら如何でしょうか。

(2)、時代の流れをつかむ場合でも、先史時代から現代への流れでなく、先ず今の時代から始め、過去に遡った方がかえって時代背景、因果関係がはっきり見えるのではないでしょうか。それにどうせ太古の遺物の話を聞いても、考古学上の新発見がある都度それまでの定説は簡単に覆えってしまうのですから。

    私が学校時代に習った歴史の教科書によると、日本で初めて鋳造された貨幣は「和同開珎(わどうかいちん、又はわどうかいほう)」であり、日本での米作りは、弥生時代に始まったと書いてありましたが、最近では「和同開珎」より古い「富本銭(ふほんせん)」が発掘され、またコメとほかの穀物を組み合わせた農耕が縄文時代前期からすでに存在していたことを示す発見があったりしています。

    また、現代を起点にする「歴史の流れを考える教育」にしたら、前述の「それで日本とアメリカ、どっちが勝ったの?」なんて事もなくなるでしょう。

(3)、歴史の試験問題は上記の考え方による問題に限定し、丸暗記を要求する問題は一切出さないようにする。

 暗記が苦手な私にとって学校時代の「歴史」の授業はたいくつでつまらない時間でした。

  でも最近の私は身近な歴史をも含めて「歴史もの」に大変興味を持っています。例えば、ここ広いアメリカの「道路」について、その生い立ち、各時代を背景とする「道路」の意味と意義、個々の道路と沿線住民への関わり、インターステイト・ハイウエイの光と影等々・・。

  資料や本で調べたり、実際に現地に行ってみたり、すべてがわくわくするほど興味がわくのです。そしてその結果、本来のテーマであった「道」だけでなく、そこから発展して自分でも驚くほどいろいろな事を学んでいる事を知りました。

 誰からも強制されないテーマとはこれほど楽しく、生き甲斐にもなりうるのだとい うことを実感した次第です。そして「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史から学ぶ」のだということもようやく最近身をもって感じ始めました。

河合将介( skawai@wakao.com )

さくらの独り言 「屋根裏物語その2」

「うちには色々面白い物があるんだよ。ほら、来て観な」と手を引かんばかりに案内してもらった所、位置こそ2階の端にあれ、そこは昔でいう屋根裏だった。私は初めてお邪魔したそのお宅の、しかも屋根裏に入る事をかなり躊躇したが、「いいから、いいから遠慮しないで、ほら、こんなもんもあるんだよ」と、工事現場用ヘルメット、柳ごおり、湯たんぽそして沢山のアルバム等など、次々に出てくる宝物に魅せられて、気がついた時既に夕陽は沈んでいた。「屋根裏物語その2」、羅府の玉三郎こと中條さんと二人っきりで過ごした屋根裏での秘密、、、。

その屋根裏を含む御自宅を設計建築なさった中條さんのお父上は、建築家として名実共に活躍なさる傍ら、旅行とカメラにも大層凝っていらした様だ。一般の日本住宅に比べ天井も高く、また広めに作られたそのひと部屋ひと部屋には、旅や四季を撮った写真が飾られ、何処そこに亡き父上の香りがあった。そしてそれ以上に屋根裏は、亡き父上の歴史と香りで充満していた。几帳面に整理されたアルバムには、未だ玉三郎形なき頃の物から玉の様に可愛かった(これはホント、皆さん信じて!)玉三郎と父上の交流が貯まっていた。そこには玉三郎がかつて開いたことも無い物まで、「へえ、こんなもんもあるぞ」と無造作に取り出しまくり与えられるその宝ものに、「ワア〜、ワア〜」と私は歓声を挙げながら、凛々しく逞しい昔の男、玉三郎の父上に惚れる想いであった。下の台所から包丁がまな板を叩く音が、近所の赤子の泣き声が、放たれた窓から聞こえていた。

昔、結婚を約束したその男は、写真を撮るのがとても上手かった。彼が撮る写真の私はみな愛らしく、それは撮る側と撮られる側のこぼれる程の愛情が、レンズを通して芸術と化したものだった。先週から、来週病院へ行く準備として、家にあるガラクタ整理を始めた。私が産声を挙げた頃からのアルバムも出てきた。自分の怠慢を嘆きながらのガラクタ整理は何日あっても進まない程、喜怒哀楽の想い出の整理、私の心の屋根裏掃除だった。

何でもかんでも取り出してそのままにしてしまった物置部屋(今回は屋根裏と呼ばせてもらった)での二人の秘密を、玉三郎の奥方に打ち明けた。「ゴトゴト音がしているから何をしているんだろうかと想ってた」と、後始末の大変さを未だ知らない幸せな返事だった。玉三郎の母上が屋根裏での秘密に加え、亡き父上のその人となりや想い出も話して下さった。笑い泣きしながら話されるそのドラマに、私は玉三郎こと中條さんの母上の、その心の屋根裏を「ちょっと」だけ覗かせてもらった気がした。母上の話を私と一緒に聞いていた鈴虫は、力強い日本語で鳴いていた、、、今年は初秋長月の、さくらの浦和屋根裏物語。

 Khr@earthlink.net

川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

( 川 柳 )

聞く耳は持たぬその手に武器を持ち

戦勝のニュースの裏の血と涙

神様も無力内戦まだ続く

立ち尽くし無力を嘆く不戦の碑

「人」の字を争う象形文字と見る

( コ ン ト )

「日産村山、京都工場閉鎖へ」

本物の粗大ゴミになっちゃう  ー産業ロボット

「西村防衛政務次官殿」

核の扱いはもっと慎重に   −東海村JCC

「落下」

コンクリートと信用        −山陽新幹線

(東京・成近) E-mail kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp       

マキちゃんの健康のお話

−突然襲ってきた時の対処法のお話し−

今回の唐突なテーマを読んで、イッタイなんの事なのかお判りにならないでしょう。

LAは物騒だから、健康のお話しを中断してでも護身術をお話ししようという訳ではありません。

考え方によっては、それよりコワイかも..。

皆さんの中で、腰痛に悩んでらっしゃる方、多分、最低でも半数を占めていると思います。

それほど我々人間とは切っても切れない仲の腰痛。

その腰痛のなかでも不意をついて襲ってくる、しかも腰痛とは今迄無縁だった人にも容赦無く、なってしまった人は、癖となって再び、いつ襲ってくるか分からない、っという冷酷極まりない『ギックリ腰』。

今回は、この『ギックリ腰』になっちゃった場合のお話し。

『ギックリ腰』は、日頃の姿勢の悪さや、疲労の蓄積、内臓がくたびれた事の身体の訴えなんですねぇ。

ですから、“今迄何でもなかったのに、急にギックリ腰やっちゃってサーッ。”っという方をチラホラお見うけ致しますが、実は今迄何でもなかったのではなくて、たまたま表沙汰にならなかっただけなのです。

だがしかーし、人間、表沙汰にならなければ、何でもないと思っちゃう。(いろーんな意味も含む)

そこで、『ギックリ腰』になったらどうするかというとーっ、

脇腹を横から深〜く、強〜く、つかむ。

自分では痛いのでナカナカ出来ませんので、誰かに、しかも出来るだけ手の大きな人にやってもらうと効きますヨ〜!

両脇をつかむんですが、この時、同時ではなく、別々につかむ様にします。

また、上むきに寝て、思いっきりお腹を膨らませ、腹式呼吸をします。

その時も、誰かに自分のお腹の上に手をのせて、上から強く押してもらいます。

そしてその押されている手を押し返すように力いっぱいお腹を膨らませて、息を吐きます。

この時、意気んで一生懸命複式呼吸をする事を忘れずに..。

そうして、これを2〜3回行なったら、頃合いを見計らって、力をこめてお腹を膨らませようとしたトタンに、お腹を押している人が、パッと手を離します。

するとアラ不思議、大抵の方は、これで治っちゃいます。

カンタンでしょー。

でも、先に述べた様に、これはあくまでも応急処置であって、『ギックリ腰』の原因をつくっている姿勢その他は治った訳ではないので、再発の可能性はその後のご自分次第なんですヨーッ。

今回は僕の得意分野をチョットお話ししました。

っと言う事はー、ネタが尽きてきて、自分の切り売りをはじめたって事かーっ?

一口コラム

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」

(その43)コーヒー と 癌

 コーヒーを1日に1杯以上飲む人は、肝臓がんで死ぬ危険が、飲まない人に比べて半分になるという調査結果を、日本のある大学の研究グループがまとめ、最近発表したそうです。尤もその発表は、全日本コーヒー協会主催のセミナーで行われたとのことで、何かちょっと引っかかるものがありますが・・。

 研究発表者によると、コーヒーには様々な成分が含まれており、どんな物質が効いているのかは今のところ不明だが、癌の引き金になる細胞膜や遺伝子の酸化を防ぐ物質が肝臓がんを抑制している可能性があるのだそうです。

 あの黒いコーヒーは何となく癌を誘発しそうな色をしていますが、色合いだけで決め付けてはいけないんですね。

――― 羅府の庄助さん ―――

「コント、読み違い??」

(その14)偏 執 手 帳

 先日(正確には10月10日午後)、インターネット版“Yomiuri On-Online”を開き、私の愛読コラムである「社説・コラム」欄を読もうとしたら、何と「読売社説」「よみうり寸評」と並んで「偏執手帳」というタイトルがあるのを見つけました。これは明らかに「編集手帳」の転換ミスだと思います。

 それともこの「偏執手帳」は、ミスではなく筆者が“偏見にみちた意見を書く”ために意図的に名付けたものだったのでしょうか。

 天下の読売新聞でもこういう傑作なミスを犯すのですね。「後生畏るべし」をもじって“校正おそるべし”という言葉が出版界にあるそうですが、まさにこのミス(多分ミスだったのでしょう)の見逃しはこれに当たるようです。

 なお、この「偏執手帳」は翌11日の朝には「編集手帳」に直っていました。

 ―― 羅府の庄助さん ――

レストランのご紹介

  私が最近よく行く、日本風フランス料理のレストラン「Lyon」を紹介しましょう。2ヶ月前に、娘が来たときに3人でこのお店にはじめて行きました。「フランス語でタコはどう云うのですか?」と質問したのがきっかけで、お店の方と大変親しくなり、今では行くたびにおもしろい話を期待されるようになりました。この店の特徴であるカウンター方式のフランス料理のレストランは松野さんご夫妻が20年前にロスに来て初めて開かれたそうです。以前、ロスのダウンタウンのホンダプラザでお店を開かれていたそうで、ご存知の方もいると思います。カウンター式なので1人でも気楽に行けます。(テーブルもあります。)お値段もお手ごろです。味は保証します。雑貨屋の大西の紹介だと言えば歓迎してくれます。

場所はSepulveda Blvd.とWestern Ave.の南西のコーナーです。

1730 West Sepulveda Blvd., #6 Torrance, CA. 90501

(310)539-1720

編集後記

先週はJERC(Japanese Educational Resource Center)という教育ボランティアの皆様による送別会を開いていただきました。たいしたボランティアもできなかったのですが、とても気のいい皆様と知り合えることができとても良かったと思います。日本に帰ってもインターネットを利用してお手伝いができそうなので、続けていきたいと思っています。

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Zakkaya Weekly No.180

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net