Zakkaya Weekly No.173

Ryo Onishi       9/6/99  バックナンバー ホーム

雑貨屋のひとり言

 今週はとても悲しいニュースがあります。雑貨屋の初期のころからの投稿者であり、愛読者であり、よきアドバイザー、そして人生の先輩であった三本松さんが突然亡くなられました。先日、自分の事務所でお話させていただいたところなので「なんでこんなことに…」と思ってしまいます。サウスベイでは彼のことを知らない人はいないくらい、いろいろなところで地域貢献されていたので、彼の死は大きな衝撃になっています。楽しく勉強することを教えていただき、ユーモアと笑いを常にわれわれに与えてくれた三本松さんは永遠に私たちの心の中に刻み込まれています。三本松さんありがとう。心よりご冥福をお祈りします。(R.O.)

番外.『 三 本 松 誠 氏 逝 く 』

54才とは、まさに人生の盛りです。9月2日夜、肝臓移植手術中とはいえ、三本松さんの全く予期しなかったその死に言葉もありません。

三本松さんはアメリカ大手会計事務所の元パートナーであり、引退後も当地で経営コンサルタントとして活躍し、私達とは何か事ある度に顔を合わせたり、E-Mail を交換していただけに突然の出来事がまったく信じられない思いです。

私が彼と最後に顔を合わせたのは8月17日(火)の一期会(仲間内のビジネス勉強会)でした。

いつもと変わらず、ジョークを交え楽しい会話をしました。

 また彼からの最後のE-Mail は亡くなる前日(9月1日)の午後受信した、三本松家の「急募中の住込みお手伝いさん決定」に関する私達からの冷やかしへのユーモアたっぷりの返事でした。

私達が三本松さんから「肝臓癌」告白のE-Mail を受信したのが5ヶ月前の4月1日で、そこには、自分が肝臓癌に冒されていること、それは2月下旬に行なわれた定期の超音波診断で肝臓癌らしきものが発見され、3月の上旬に行なわれた肝臓のCT Scanで肝臓ガンが2つある事が判明したこと、医師達による検討の結果、肝臓移植によってしか救う道はないという結論になり即刻移植のための登録が行なわれたこと、自分は血液型がAB型なので順番が早くまわって来そうで期待できること、肝臓移植の生存率はかなり高い(90%位?)という事なので、人が良いという事は何でも試し、生ある限りは極く普通の生活を続けたい、などと記されていました。

また追々、時に触れて闘病の様子やガン患者の日米比較、病院や医師の日米比較などを皆さんにお知らせしていこうと思っている、とも書かれていました。

そして彼のE-Mail は最後に「尚、念の為申し添えますが、今日は4月1日ですが、このメールはエイプリルフールの類ではございませんので左様御承知おき下さい」とあり、彼らしい締めくくりに、これを読む私の方がかえってショックを覚えたのでした。

このE-Mail に対し、私は即刻彼に電話を入れ、「E-Mail は読んだけど、いまどき肝臓移植なんてアメリカでは珍しくも何ともないし、癌だ、移植だといわれた程度で私はあなたを特別扱いはしませんからね」と慰めたのか、突き放したのかわからない話をしました。

三本松さんは、ご本人の話によると過去に脳の大手術の経験があり、何度か死線を越えて生き抜いてきたそうで、私達もこんな人は意外と長生きするに違いないと信じていたのでした。

私達に癌と移植待ちの告白をした後も外見は一切これまでと変わらない(と言うより一層意識的に明るく、積極的、前向きに振舞っていた)彼に私達も心底では気を遣いながらもフランクに冗談を言い合いながら明るくしていました。三本松さんも私達も「病は気の持ち方により大きく影響される」と信じていたからです。

自分はアルコールを一切口にせず(口に出来ない)酒の席で酒のみと対等に振舞うだけでも大変だったことでしょう。

前述の通り、三本松さんはアメリカ大手会計事務所の元パートナーであり、公認会計士、経営コンサルタントの偉い先生でした。

でもそんな片鱗は私達には一切見せず、私達の前にはいつもサロペット・ジーンズ(上下通しのベルトなしのオーバーホール ―― 尤もこれも肝臓への負担を軽くするため)姿で現れ、「先生」と呼ばれるのを極端に嫌い、自らを「お笑い三バカ」の一人と称し、特に最近は治療の為に丸々と剃りあげた自分を出家僧侶になぞらえ、私達から「法名」を募集し、「お布施」までを要求する始末でした。

今回の三本松さんの死は、今時点で私が聞き及ぶ限りでは、肝臓移植そのものの失敗というよりは、移植手術中の腎臓の機能不良から発した心臓停止との事のようで、移植手術にはこのような危険がはらんでいる訳で、恐ろしい事です。多分、三本松さんはこんな危険性は病院側から聞かされていたに違いありません。

ふだん、私達の前では明るく振舞っていた彼だって、自分一人でいる時の心境は誰にもわかりません。少しずつ身辺の整理もされていたと聞いています。

でも少なくとも私達や他人の前での彼は、ユーモア・センスを忘れず、常に明るく、前向きで、病(やまい)を笑いと気力で克服しようという意志の強さがありました。

また周囲の人々の言う事には素直に耳を傾け、どんな療法でも積極的にとり入れ、本気で良くなろうとしていました。それだけに私達にとっては本当に残念でなりません。

三本松さんは何度かこの“Zakkaya Weekly”にも投稿されていました。もう彼の投稿をこの“Zakkaya Weekly”で読むことが出来ません。

彼のカラオケ十八番「氷雨」ももう聞くことは出来なくなりました。

内面はどんなに苦しくつらくとも、対外的にあれだけ達観できた人は珍しいと思います。

丸坊主頭で私達の日頃の溜り場である「一休(居酒屋)」に現れた「“なまぐさ”一休さん」の心は本当は本物の「聖僧、一休和尚」だったようでした。

私達の勉強会である「サウスベイ経営セミナー」でも毎年一回は講師を勤めていただき、私達の良き師、良き仲間・友であった三本松 誠氏のご逝去の報に接し、最愛の良人を失われた奥様とご遺族に対し深くお悔やみ申し上げるとともに、三本松 誠氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。(合掌)

河合 将介( skawai@wakao.com

さくらの独り言 「藍より青く」

「お世話になったね、もう会えないかもしれくなったよ。」と、告知された肝臓癌と今後の可能性について話してくれたのは、今年3月13日、雑貨屋編集長大西さん及び主筆河合さんとの会食を終えた帰り、「ちょっと話があるんだけど」と言われた時のことだった。その後2度会えて、よく電話で話して、メイル交信したけれど、9月2日、55歳の誕生日をあと数週間前にして、三本松さんは「じゃあ、またね」と、逝ってしまった。

「雑貨屋が出てないけど、どうしたんだろうねえ、大西さん急病でもしたのではないかねえ」と、おっさんこと(私に対して自分の事をいつもこう呼んでいた)三本松さんと電話で話したのは8月23日、私は日本、おっさんはコンピューターの前という国際電話が最後の声となった。そして最後となった彼からのe-mailは、8月29日、私の癌治療に対する説教の最後に「雑貨屋店主の大西さんや主筆の河合さんには連絡してある? 原稿の書きためはしてある? 何か出来る事があったら言ってね。とは言ってもこちらも先行き不透明で大きな事は言えないけどね。」(原文から抜粋)というものだった。この雑貨屋にさくらなる私が登場させてもらえたのも、何時も「継続は力なり」と続く登場を支えたのも、何かにつけ雑貨屋関係者に無責任な事をしない様にと、重い自分の病気を棚に上げてはこうして最後まで兄貴ぶったのも、おっさんだった。

「青い海が観たい」という私をNew Port Beachへ連れて行ってくれ、寒い寒いといいながら4時間も海を眺めさせてくれた。それは今年1月初旬のことだった。おっさんは、彼の青春の時々を、その戦いを、静かにゆっくり話してくれた。そこには白人社会で戦う日本人、策略と戦略、仕事と家庭、若さと遊び、健康と明日、出会いと希望、夢と運命、生と死、そして今という、数多きドラマがあった。何よりも義理と人情を重んじ、人に諂う事を嫌い、何かへ頑ななまでの拘りを持ち、いつもリズミカルな言の葉遊びを好み、独特の鋭さと侍の様な威厳が生み育てた人や出来事が、私には見事なドラマに思えた。そしてそのおっさんの人生が、まるで目の前の、その透き通る青い海底のごとく、私には揺れながら見える感じがした。

朝、旦那が私を起こす時に言っていた「おっさんからメイルきてるよ」のメイルはもう来ない。「おめえさん、何をトーキングアバウト」と言いながら私を叱咤する寅次郎はもう居ない。「この前の雑貨屋、よかったよ」と激励してくれる仕掛人はもう居ない。私にとって居なくなったこのおっさんは、ひとり藍い海へ向かって舟をこぎだし、「じゃあ、行ってくるよ」と何処かへ旅に出た様な、そんな気がする。今までそこに居たおっさんが本当にここに居なくなった現実を私が実感するのは、再びあのNew Port Beachの、藍より青い海に立った時だろうと思う。あの愛より藍い海がある限り、e-mailアドレスから「おっさん」を消せない、さくらである。貴方がたにとってそうであるように、あのオーバーオールに帽子をかぶり、少し照れながら、しかし少し厳しい眼で、「やあ」と言っては、いつかひょっと帰ってくるような、、、そんな気がする、、、さくらの独り言。

 Khr@earthlink.net

マキちゃんの健康のお話 

 「ガンは何故、不治難病なのか?」  

『ガン』とは、人体の細胞が変異して、自律的無制限に増殖し、ついには宿主(人)を死に至らしめる病である。

(明 于植 著 〔真人類の理想 〕参照)

普通、私達は、各細胞が果たす機能が、全体的に調和がとれ、バランスを保って生きている訳ですが、『ガン』化された細胞は、この調和を破って無制限に細胞増殖をするもので、この自律的増殖をする悪性の働きを『ガン』と呼んでいます。

もっとも、正常な状態でも、緊急時には、急速に細胞を増殖する事もあります。

例えば傷を負った時、その部分の細胞は急速に増殖をはじめます。

妊娠し、胎児を身ごもった時は『ガン』の数倍も上回る激しい増殖を行います。

しかし、これらは一定の大きさに至れば成長を止めます。

私達の身体は、正常な細胞の場合、細胞分裂を数回繰り返すと、分裂した2個の細胞のうち、片方は非増殖性となり、分化して、一定の期間、機能を果たすと脱落して新しい細胞と交替します。

正常な臓器は、そうやって細胞の数が一定に保たれているのだそうです。

ところが『ガン』の細胞は、分裂を繰り返す時に、分かれた2個の細胞の双方が分裂増殖を続ける為、細胞の総数はピラミッド算式に増えて止まらなくなります。

従って、『ガン』細胞と正常細胞との増殖の差は、【速さ】ではなく、【無制限増殖】が有るか無いかの差なのです。

『ガン』は、一個の細胞が『ガン』化することから始まります。

身体にとっては数十兆もある細胞のうちのひとつの変化ですから、些細な出来事ですが、『ガン』化された細胞は、本来の細胞の働きを忘れて、ひたすら分裂を繰り返し、特に悪性なものほど強烈な分裂を繰り返す為、周囲の組織は圧迫され、破壊されていきます。

また、『ガン』細胞は、まわりの細胞の働きにつれて、少しずつ移動し、ときにはアメーバのように動いて、まわりの組織を浸潤していきます。

そして血管を抜け、血液、リンパ液の流れに乗って遠くへ運ばれ、再び身体の組織に浸入して増殖をはじめていくのが、いわゆる『ガン』の転移と呼ばれている症状です。

身体には免疫対応を持っており、私達の意志とは関係なく、外部から浸入するウィルスや、細菌、寄生虫などの駆除を繰り返していますが、これにはまず、免疫監視機構によって、いったん体内に持ち込まれたものが自己か非自己かを識別することから始まります。

そして、非自己であると判断されたとき、リンパ球、ナチュラルキラー細胞、マクロファージなどが刺激され、駆除となるわけです。

しかし、『ガン』細胞が排除できない理由は、『ガン』細胞は、外部から浸入してきたわけではなく、自身に細胞から突然変異で発生したものだからなのです。

すなわち、自らつくられたものであるために、免疫監視が働かず、異物として扱われないまま、増殖するわけです。

『ガン』細胞も、元をただせば、普通の正常細胞が、何かの原因によって突然変異を起こしたものであって、外から浸入してきた訳ではありません。

しかし、『ガン』細胞は、同じ自分の組織である正常細胞を食べてしまう、考えられない行動をする細胞なのです。

『ガン』細胞は、増殖には多量の栄養物が必要なため、血流からの栄養素だけでは補いきれず、栄養獲得のために細胞を貧食しはじめたのだそうで、『ガン』細胞は、生き残っていくために自己変異、いわゆる“進化”していったのだそうです。

これまでも色々な実験を繰り返し、『ガン』細胞致死因子が検討されてきましたが、試験管の中では、ヘモグロビンとヘプトグロビンを複合した酵素は『ガン』細胞の自殺を誘導させたそうなのですが、それの直接人体に応用は不適合だったらしく、試験管の中での結果と、生体の中での反応を大きな違いがあるそうで、未だ、決定的な『ガン』細胞致死因子が作られない原因のひとつのようです。

この様な事を説明したところで、なんの結果も出せませんが、僕個人の考えとしては、『ガン』と知って余りメンタルにならない方が良いのではないかと思います。

確かに『ガン』を告知されて、動揺したり落ち込まないで平然としていられる方がオカシイ。

しかし、『ガン』は先に述べたように、よそ者ではなく、あくまでも自分の細胞なのですから、イライラしたり、落ち込んだり、怒ったり、ストレスをつくることによって増殖を増強させ、逆に、穏やかに、前向きに、活力をみなぎらせて過ごしていく事が『ガン』を完全になくす事が出来なくても、増殖を最小限に押さえる事は出来るのではないのでしょうか。

手術は、確かに多くの命を救ったり、命に関わるまでに至らない事でも、多くの人々を救っている事でしょう。

外部から及ぼされる損傷、急性疾患は、外部からの手によって治す事はできますが、自分の身体から起きてきた慢性疾患は果たして手術の成功とそうでないのとは、どのようにして見分けるのでしょう。

医者にしてみれば、手術そのものの結果をいうのかもしれませんが、患者にしてみれば、手術後、何年も経って、その手術に関連性のある箇所すべてが異常なく過ごせた時、はじめて成功したといえるのではないのでしょうか。

自動車だって場所によってはエンジンパーツを一箇所新品に交換したところ、それに関連した周りのパーツがそれに付いていけず、次々に寿命が来てしまう事もあります。ましてや私達は人間です。機械ではないのです。

『ガン』と闘うのではなく、『ガン』を医者まかせにするのではなく、『ガン』である事を受け入れ、自ら好転させていく気持ちが大切なのではないのでしょうか。

再度述べますが、『ガン』細胞は【速さ】ではなく、増殖力が違うだけの、自分の細胞なのですから..。

『ガン』のお話しは、皆さんも大変興味がお有りだったと思いますが、決定的な療法もないのに、軽はずみで掲載してはならないと思い、今迄題材にしませんでした。

しかし今回、たいしてご参考にならなかったと思いますが、『ガン』とは何かを皆さんと一緒に勉強し、少しでもその事に対して的確な行動をとれるよう、又、アドバイス出来るようになれればと、投稿させて頂きました。

この場をお借りして、三本松さんのご冥福をお祈り致します。 makita@ginga.net

川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

(川柳)

ハイチーズじいちゃんチャック開いてるよ

まな板の鯉胃カメラに口を開け

ラーメンを外れ馬券がすすってる

四打目もまだバンカーで遊んでる

鼻つまみにされても諭吉さんが好き

(コント)

「自民党総裁選、大勢は小渕支持」

みんな肩を叩いて励ましてくれる

        ―― 加藤紘一、山崎拓

「世界陸上、炎天下マラソンで一位ニ位」

燃えました   ―― 市橋選手、佐藤選手

「美人薄命」

女性の寿命がまた伸びたんだってさ、さびしいねえ

        ―― セクハラ男性族

       東京・成近

一口コラム

「逆転発想もまた楽し」

(その36)愚 問 愚 答 ジ ョ ー ク

 ここ数回、このコラムでは伝統的なジョークのパターンをご紹介しています。

 今回もそのパターンの一つである「愚問愚答(Silly questions, silly answers)ジョーク」をご紹介いたします。ある質問に対して、一般的で当たり前の答えをせず、わざとはぐらかしたような答えをするのです。これも一種の「逆転発想」と言えなくもありません。

 このパターンで古典的で有名なものを例示しますと、次の通りです。

*******************

・質問「トーマス・ジェファーソンが独立宣言に署名したのはどこでしたか?」

・解答「独立宣言書上の署名欄でした」

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・質問「ネルソン提督が戦死したのは、どの戦いでしたか?」

・解答「彼の最後の戦いでした」

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・質問 「あなたはどこで生まれたのですか?」

・解答 「病院の産婦人科病棟だったそうです」

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・父親がぐうたら息子に向かって「お前は何で毎日ちゃんとご飯が食べられるか知っているのか!」

・息子「箸と茶碗で食べられるよ」

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・息子 「今日は学校の帰りにいつものバスに乗らず、バスの後を走ってきたのでバス代をうかした よ。

・父親 「なぜ、タクシーの後を走ってこなかったんだ!」

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・妻 「昨夜、宝くじで1,000ドル当てた夢をみたわ」

・夫 「どうせ見るなら、なぜ100万ドル当てた夢を見ない!」

********************

・赤信号で止まったタクシーの乗客 「運転手さん、ここは何というまち(町)ですか?」

・タクシーの運転手 「お客さん、ここはしんごうまち(信号待ち)ですよ」

――― 羅府の庄助さん ―――

「コント、読み違い??」

(その7)ユ ー モ ア 千 社 札 ( その1)

 前回、日本の友人が送ってくれたミニュチア版「ユーモア千社札」をご紹介しました。

 これは東京の落語家である立川談志師匠の弟子の立川文志師匠が「寄席文字」で書いた大変おもしろい一口ユーモア、ジョーク集です。

 以下、このミニュチア版「ユーモア千社札」の中から愉快な同音意義的なものをいくつかご紹介し、笑いのお裾分けをいたします。

 「勤煙(禁煙)中」、「愛裸婦遊(あいらぶゆー)」、「同情(どうぞ)よろしく」、「求円(救援)頼む」、「禁男(禁断)症状」、「離煙(離縁)状」、「金女(近所)つきあい」、「託救便(宅急便)」、「酒業中(修行中)」、「お酒(お先)に失礼」、「逸等賞(一等賞)」、「愛好意(後遺)症」、

―― 以下、次号へ続く。

 ―― 羅府の庄助さん ――

読者からのお便り

前々号の170号でLAの観光スポット53回目で『ラフレシア』等の事が記事で掲載されていましたが、2〜3点思う処があるのでチョット書きます。

一番古い記憶は『手塚治の鉄腕アトム』の中での登場です、次に幼児向けの本でキンダーブック(ブウーフが正しい?)で世界で一番大きい物特集で載っていた事。ここでいきなり最近に時間を進めて上記のLAの件は朝の海外の話題でTVに放映されたと思もいます。寝起きで記憶が定かでは無いので。

他は雑誌に『ボルネオの森にラフレシアの開花を追って』と言う記事を読んだ日に170号を受け取ったので偶然と思いました。等等でした。

先週の休日に邦画を見て来ました。題名は『メッセンジャー』です、あらすじは自転車便がバイク便と勝負をするといった内容で私が以前住んで慣れ親しんでいた品川駅周辺が舞台で町の風景が変わったなぁーと風景も楽しんで見ました。

その中でバイク便は世界で日本しか無く環境の問題で今後自転車便に取って変わっていくのだ! と台詞で役者さんが言っていた事が印象に残ってます。

今年の夏見た他の映画で エピソード1より数段良かったです。邦画頑張れです。 市原 聖

編集後記

久々に家族4人で暮らしています。にぎやかな生活です。やはり家族はいっしょがいいです。

ダウンしたPCがようやく戻ってきました。でも元に戻すのが大変です。まだしばらくは古いPCで雑貨屋を発行する予定です。

雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.173

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net