Zakkaya Weekly No.166

Ryo Onishi       7/18/99  バックナンバー ホームページ

雑貨屋のひとり言

河合さんが日本で雑貨屋の読者を増やして帰ってこられました。ご苦労様でした。新しい読者のみなさん、ごひいきにお願いします。雑貨屋ウィークリーはWord文書で読まれている方とHTMLファイルをブラウザ―で読まれている方、それからコピーして読まれている方がいると思います。いずれにしても発行者の私としては、プリントする必要もなく、封筒も切手も不要で日曜日の夕方から夜にかけて、パソコンの前に座り、雑貨屋ホームページを更新し、WORD文書をご希望の読者の方にEメールで配布しています。この雑貨屋ウィークリーがたくさんの方に読んでいただけていると思うだけでうれしくなりますねー。 願わくば雑貨屋になにかご意見願えればもっと嬉しいのですが。(R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(50)

“Historicルート66”をドライブしよう

今回は「観光スポット」ではなく、「観光ルート」のご紹介なので「あまり 知られていない観光スポット」というタイトルとは外れます。

前回もご紹介しましたが、アメリカのインターステイト・ハイウエイの代表的存在であった“USハイウエイ66”即ち“ルート66”はイリノイ州シカゴからカリフォルニア州、ロサンゼルス(サンタモニカ)まで、合計8つの州にまたがる約2,500マイル(約4,000Km)のハイウエイで、“アメリカのメイン・ストリート”とも、また“母なる道(The Mother Road)”とも称された由緒ある、誇り高き道路でした。

20世紀の始め、アメリカにハイウエイ時代の幕が開き、1925年に全ルートが確定、翌26年“ルート66”と名付けられ、38年に全線の舗装が完了したこの道路は1950年代にはその黄金時代を迎え、アメリカン・ドリーム実現への道としてもてはやされました。

その後のスーパー・ハイウエイ時代の到来と共にこの道路は、インターステイト・ハイウエイとしての役割を終え、ある部分は所謂フリーウエイに作り変えられ、またある部分は名前を変えて一般道路に変身し、そして “ルート66”という名誉ある名前はなくなる運命をたどりました。

現在では、かつて“ルート66”だった道は“Historic Route 66”として名を残しています。“Historic Route 66”はカリフォルニア州だけで約320マイル(約510Km)にわたり、今でも沿道の所々で1930年代から50年代にかけて(時にはもっと古い時代)の面影を偲べる建物、施設、看板等を見つける事が出来、良きアメリカの時代を感じ取る事が出来ます。

ロサンゼルスから日帰りの観光ドライブをする場合、サンタモニカ〜ビクタービル(約90マイル)くらいが適当で楽しいかと思います。

サンタモニカのスタート地点(または終点)であるSanta Monica Blvd.がOcean Ave.に突き当たった海岸崖上の公園に“ルート66”の名前を記したウイル・ロジャースの記念碑(Plaque)が置かれています。

この区間の“Historic Route 66”の主要なルートは次の通りです。

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★ サンタモニカ発:Santa Monica Blvd.〜 Free Way#110 〜 Arroyo Park Way(Pasadena) 〜 Colorado Blvd(Pasadena、Arcadia) 〜 Huntington Dr.(Monrovia、Duarte) 〜 Foothill Blvd.(Azusa、Glendora、San Dimas、La Verne、Claremont、Upland、Rancho Cucamonga、Fontana、San Bernardino) 〜 Cajon Blvd.( San Bernardino、Devore) 〜 Free Way#15〜Victorville着

(注:詳細に付いてはインターネット・サイト http://route66.netvision.be/ に詳しく載っていますので、ご参照下さい)

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San Bernardinoには19世紀末(1883年)に初列車を迎えた鉄道駅があります。今でも貨物列車とメトロリンク(通勤鉄道)の重要拠点になっており、“Historic Route 66”も線路に沿って走っています。

河合 将介 ( skawai@wakao.com

さくらの独り言     「もしもしよりも、もしもです。 」

  携帯電話使用中の自動車電話事故が多発しているここ日本では、今秋秋から運転中の電話使用が禁止される。それに先駆け某電話会社が全国から標語を募集し、入賞作品が昨日ラジオで紹介された。最優秀作品は「もしもしよりも、もしもです。」その他の入選作品には「命賭けても、かけますか?」等があった。タクシーで移動中に流れたこのラジオ、終わるや否やベルが鳴り出した。プロの運転手は、電話に出ることが出来なかった。

  ここ日本へ帰国するたび驚く事の一つに、この携帯電話使用の多さがある。ホテルのロビーやレストラン、電車の中やホームで、車を運転しながらや歩きながらの道端でも、子供も大人も携帯電話。時に二つの携帯電話を左右の手と耳を使って器用に話している人もいる。昔、列ができた街の公衆電話ボックスは、静かな透明箱と化してしまっている。静かなボックスのドアを開く瞬間、私の話も侵されず、そして空気も侵さない安心がある。

  「店内での携帯電話の使用はご遠慮ください」、「携帯電話使用は車両デッキでお願いします」という張り紙やアナウンスがあるにもかかわらず、平気で、しかも大きな声で話し続ける人がいる。そして、張り紙を貼った主も使用人も、はたまた車掌までも、ルール違反者に対して無言、対処なし、という社会。私は大きなお尻を持ち上げて。「もしもしちょっとあなた様、携帯電話はご遠慮くださいと書いてありますよ」と告げてしまう。携帯電話は便利だが、便利さの基に守らなければならないルールや常識があることを、多くの使用者は忘れているのではないだろうか。「どうぞみなさんご自由に」と無視できない私はだんだんこの日本社会から取り残されて行くのだろうか?

  ニューヨーク市では、昨年から運転中の携帯電話使用が禁止されている。多発する事故防止の一つである。私も米国では車電話を持っている。旧式の車電話である。仕事で必要な時のみ使用している。これを入手する時、一つだけ旦那に約束させられた。『運転中は絶対電話をしないこと』。私は時々この約束を破ってしまう。しかしながら電話や公衆(電車や道端、レストランやストアー、ホテルのロビー等の)場所での使用は一切しない。空気は私たちだけのものではないからだ。と思う、この異国から、清い水と清い空気、そして静けさが失われていく様な、、、そんな『もしも』の不安が心をかすめた、、、わがままな さくらの独り言、、。

マキちゃんの健康のお話 

 「血のお味、のお話し」  

皆さん、突然変な事をお聞きしますが、最近、ご自分の『血』を舐めた事、有りますか?

舐めるまではいかなくても、ご覧になった事ありますか?

ナゼこんな事を聞くかというと、実は日常、ささいな事で起きる、ネガティブな感情や情念によって、自分の体内に流れている『血』の性質が変ってしまうからなのです。

この事、雑貨屋153号でも述べましたが憶えていましたか?

憶えて実行なさっている方は、平気で怒ったり、憎んだり、恐れたりはしない筈。

っで、先程聞いていた『血』を舐めたり、観たりしたかをお聞きしたのは、人間、怒ると『血』は直ちに黒褐色になって味が渋くなり、悲しむと茶褐色になって味が苦くなる。恐怖を感じると丹青色になって、味が今度は酢っぱくなるんだそうです。

こういう時は、『血』やリンパの本来持っている大事な仕事を、ちゃんと行っていない状態なんですねぇ。

『血』には、2つの大事な役目が有ります。お分かりですか?

こういう事は小学生が知っていて、案外、我々大人の方が知らなかったり、思い出せなかったりします。

『血』が行っている役目の一つは、我々の肉体を組織している細胞に酸素や、栄養物を運ぶ仕事。

っと言う事はー、『血』が各細胞の生命を支え、新陳代謝を支えているって事になる。

さて、『血』の役目の二つ目、これは我々の肉体各所いたるところに危害を加えようとする、バクテリヤやバチルスなんかの目には見えない敵を退治する仕事です。

この細菌は、はっきりいって、もし500倍位の顕微鏡をかけられたら、生きた心地はしない位、自分の周りにウヨウヨしています。

自分の周りだけではない、自分の体の中にもうんといるんですよぉ〜。

もしこういった細菌をそのままにしていれば、我々の肉体はとっくに生きていないっていう訳なんですが、そこで登場、我らが白血球。

日頃、平々凡々と暮らしていても、身体の中では日夜、戦いを繰り広げているんですねぇ。

だがしかーしっ、今迄述べた事は、あくまでも理想的な『血』が体内を循環していればの話し。

いろーんな病気は、『血』が本来するはずの、この2つの仕事が完全には出来ていないからなのも、原因のひとつなんです。

じゃぁ、理想的な『血』って、どんな『血』?なんですがー、

主成分が弱アルカリ性の『血』。

ところがっ、最初に述べたようなネガティブな感情、情念を起こすと起きる色や味の『血』は、弱アルカリ性ではナーイッ!のであります、ハイッ。

こういった時の『血』は酸が非常に増えている状態で、医学的に言うところのアジドージズっという『血』になっちゃっているんですねぇ。

このアジドージズ、あらゆる菌が繁殖するのには非常に都合が好い。

ちょっと例えますと、気の弱い人や、物事を大袈裟に感じ取ってしまう人は、いったん病いにかかると、どーしてもその病いが長引きます。

そして、また病いにかかりやすい。抵抗力が低いから。

『血』をアジドージズにする順位は、1番が怒る事、僕が得意とするところです。

2番が非観する事、これも頼んでないのにしょっちゅうやってる人います。

3番はいつも何かに恐れている事。

4番は憎む事。5番は恨む事。6番に焼きもちを焼く事なのだそうです。

以上は日常頻繁にムクムク起きることですねぇ。

しかしこの中のどれかが心に起きれば、たちまち『血』が変ってしまうのだから、いかに平静で楽しく暮らしていく事が私達の身体に大切かがわかりますねぇー。

ところで、先に述べましたが、僕は非常に短気で、すぐカーッと頭に血が昇っちゃいます。

そういう時の度にこのお話しを思い出して、いつも心穏やかに居たいものです..。

川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

   ビルになり消えた老舗の鬼瓦

   叱られたポチの目何か言いたそう

   蝶よ花よと天狗一匹育て上げ

   貸し借りがなくて竹馬の友でいる

   死ぬまで一緒妻とローンと水虫と                         (1)「二〇〇〇年問題」 

来年七才になるといいねえ ――きんさん・ぎんさん

(2)「国技館」

両国って日本とアメリカのことね ――曙・武蔵丸

(3)「審判総辞職決議」

選手より審判が欲しい ―日本プロ野球どの ――米大リーグ            (東京・成近)

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その31)

逆転の発想とは

 「逆転の発想」について考えていたら、ひとつの発見をしました。

 多くの「逆転の発想」とは要するに現実に起こっている物理的・客観的状況を精神的・主観的には反対に考え、それをポジティブ発想に置きかえれば良いらしいと言う事です。

 すべてがうまく進行している最良の時に最悪を考え,健康の時に病気を思い、お金のある時に貧乏を思う。 ―― そうすれば感謝の気持ちを養う事が出来るでしょう。

 また、最悪の時に「これ以上悪くならないのだから」と希望を持つ。―― そうすればがんばろうという気持ちが涌き出てくるでしょう。

 どんなにもがいても、しょせん人間の運命なんて知れたもの、それならば物事はネガティブ(否定的、うしろ向き、悲観的)に考えるより、ポジティブ(肯定的、前向き、楽観的)に発想したほうが人生は充実するだろう、要するに、人は心の持ちようである ―― これが「逆転の発想」の原点なのかもしれません。 

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

◆マキちゃんお誕生日おめでとうございます。

◆三本松さん調子はいかがですか?

◆今週より日本から川柳&コントの投稿してくれる方が現れました。うれしいですね。気楽にお願いします。

◆さくらさんは今、日本に行かれているので、今回の原稿は日本からファックスで送ってもらいました。

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Zakkaya Weekly No.166

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net