Zakkaya Weekly No.161

Ryo Onishi       6/13/99  バックナンバー ホームページ

雑貨屋のひとり言

 最近は技術が進んで、本人の実力を上回る性能がでるクラブが開発されているようです。少々芯がずれてもまっすぐ飛び、飛距離も出るドライバー、スイートスポットの広いオーバーサイズのアイアン、ウッドのドライバーより飛ぶアイアン、フェア―ウェイバンカーからグリーンを狙えるクラブ、バックスピンがかかってピンにからむウェッジなどなど“これであなたのスコアもぐーんとアップしますよ…”とテレビのコマーシャルでやっています。これを見た人は自分の腕前や努力のことは忘れて「そうかあのクラブさえあれば俺だって・・」と思ってみなさん買うんでしょうね。やはりゴルフは道具なんですかねー。こんなことを考えている私は自分の腕前に行き詰まりを感じてきているのかもしれません。 (R.O.)

“ルート66”The Mother Road of America(4)

 ―― 前号より続く ―― 

高速道路(インターステート・スーパー・ハイウエイ)の出現

“ルート66”が黄金時代を迎えていた頃、アメリカにも本格的な高速道路建設の動きが出てきました。

ヨーロッパのドイツでは1924年には早くもアウトバーンが着工し、着々と本格的な高速道路が建設されていました。そしてアメリカでも1934年には時の大統領F. ルーズベルトが“アメリカ大陸横断スーパー・ハイウエイ構想”の検討を始めます。

しかし結果的には不況、資金難のため国家レベルでは実現できず、わずかに州レベルで一部が実現したにとどまりました。そのひとつが1940年完成した“アロヨ・セコ・パークウエイ”で、後の“パサデナ・フリーウエイ#110”です。

第2次世界大戦後、本格的に高速道路建設を推進したのは第34代大統領のアイゼンハワーでした。

軍人出身の彼は若き中尉の頃、アメリカ陸軍の輸送トラック部隊を率いてアメリカ大陸を横断した事がありましたが、それは悪路に悩まされた苦い経験でした。加えて彼は第2次大戦でヨーロッパ戦線司令官時代、ドイツ軍がアウトバーンを使い素早い補給と移動を可能にしているのを目の当たりにしているので、道路の軍事的役割について深い認識を持っていました。

そこで彼は道路問題を国防問題と位置付け、総額500億ドルという巨費を計上してアメリカ全土に40,000マイルの高速道路(スーパー・ハイウエイ)を建設する事を発表するのです。

当時のアメリカ連邦政府の年間予算が710億ドルですので、これと比較してこの道路予算が、多年度にわたるものとはいえ、いかに巨額であったかが想像できます。

そして、更にこの時の決定で驚かされる事はこの「アメリカ史上最大の公共事業」と言われた巨大プロジェクトの費用の捻出についてです。

通常、国家が高速道路を作る場合、建設費は有料道路にするか、目的税(ガソリン税など)を新設するかするものです。日本の高速道路は原則としてすべて有料、しかもかなりの高額です。その上、目的税も課せられています。

ところがアイゼンハワー政権と議会は前述のように、道路問題を国防問題と位置付け、建設費のほゞ90%を連邦予算、残りを州政府予算から支出する事を決めます。

そしてこのプロジェクトの名称も当初の「全国高速道路網“National Express Way Network”」から「州間及び国防ハイウエイ全国網“National System of Interstate and Defense Highway”」と変え立法化しました。

これにより高速道路料金の原則無料化が実現するのです。現在、私達は原則無料が当たり前のように思って利用している“フリーウエイ”もこのような経緯から実現したのでした。

因みに当時、議会側でこの問題に努力したのがアルバート・ゴア連邦上院議員(現在のゴア副大統領の父)でした。

ただ現実にはこれら高速道路の建設工事は当初の予想以上に時間と予算がかかり、議会は早期完成を目的とした資金調達のため、ガソリン税の2%値上げが実施されました。

高速道路の出現はその後のアメリカ人の生き方を大きく変えました。例えば、それまでなかった大規模店舗が生まれ、小規模店舗の集合体であるショッピング・モールが出現し、また市街地の「ドーナッツ現象」が起こり、住民が町の中心から郊外へ移り住み、町のダウンタウンの廃墟化が進んだりと、今日私達が日常見かける現象がこの頃から始まっています。

高速道路沿いには宿泊施設が立ち並び、公園やさまざまなリクリエーション施設が家族旅行客を受け入れるようになります。1955年にはディズニーランドもオープンしました。

そして戦後のベビーブームによる人口・住宅の増加はアメリカの自動車文化を一層興隆させ、道路整備の更なる促進を求めるようになるのです。

高速道路が整備され長距離を快適に移動出来るようになるに従い、“ルート66”を始めとする在来の一般道路の延長に過ぎないインターステイト・ハイウエイはその存在意義が縮小し、やがて終焉を迎える運命を辿る事になります。 ―― 以下次号へ続く ――

★【参照・引用資料:「ルート66」(東 理夫著、丸善ライブラリー)、「パクス・アメリカーナの光と陰」(上杉 忍著、講談社現代新書)、インターネット掲載資料他】

河合 将介 ( skawai@wakao.com

さくらの独り言     「時の声/時の音(ね)」

現在の私たちの生活には、その昔刻を告げ知らせた鐘に代わり、様々な「時の音(ね)」がある。氾濫するその「音や声」に、どれが正しいのかと戸惑う時さえもある。そんな時、コンピューターも柱・腕時計も置き捨てて、ちょっとだけ自分の五感を澄ませてみることにした。

今私は、ブルーグラスがニックネームのケンッタッキー州から、エバーグリーンがそれのワシントン州に旅している。動物が大好きな私も「鳥」はどうも苦手で、バードウオッチングさえあまり興味がなかった。しかし、新聞、ラジオ、テレビのない生活の中で「音(ね)」のするものは外の音以外何もなく、無意識に「鳥の声」に耳を傾ける毎日となり、小鳥のさえずりで目を覚まし、そして小鳥のさえずりで時を知らされながら日々を過ごしている。

カッコー時計に劣らぬ自然に生きる鳥の「時の声」、その刻々に、違った鳥が、もしくは同じ鳥が違う音色で、ピーチクパーチクとおしゃべりを交す。それに耳を傾けながら『ああ、鳥の言葉が理解できたらなあ〜』と、その鳥の声にうっしながら「時」を確認するのである。

言葉、日本語や英語でも「聞く」 (Hear)と「聴く」(Listen)を区別する様に、私たち人間の聴覚システムは音(声)を聴き選んでいる。ところが、機械/補聴器は使用者を囲む全ての音を取り入れる為、聴きたい「音(ね)や声」が雑音で遮られ、うまく聞き取れない。つまり、聞きたい音や声と、そうでない音や声を選択できなくなるのである。このことは、自分の「心の耳」に機械/補聴器を着けていないかどうかの問いかけにもなる。

私の、音を聞き取るシステム(聴覚)は幸いな事に未だ、機械を必要としない。

しかし、人として「聴く」=「心を傾けて聴く」という時や傾きを、例え小鳥のさえずりにでも持つ「人間らしさ」があるのだろうか?と、自分の生活を顧みつつ問いかけた。歴史には社会・会社・家庭・個人の方向や生死に何かが起こる時、「時の声」や「時の音(ね)」を聴くと物語られている。しかしそれは、 歴史を変えた人々や大きな出来事にのみよらず、私たちの日々の生活の中にもそれがあるような、そんな気がする、、、チュンチュン、、、さくらの独り言。

マキちゃんの健康のお話  「潜在力と健康−のお話し」  

 前回号で、動物と人間(人間も動物ですが..)の違いをほんのチョット述べましたが、面白いかな?っと思って、今回は人間特有ではないのかな?という、メンタル的なお話し。

前回号にお肉だけ食べてるとどうなるか?については述べなかったので、(雑貨屋140号の『おならのお話し』で、チョット述べましたが)先にご説明しますとー、食べる時は美味しいくてボリューム満点で良いのでしょうが、問題は出す時。

人間の身体をうまく機能させるには、無用のものはドンドン出さなければならないのですねぇ。

ところが我々は、老廃物を出さないうちに次から次へと食べ物を詰め込んでます。

出し切っていないうちに又詰め込むと、大腸の中に老廃物がドンドン溜まってきます。

現代人はたとえ便秘ではない人でも、大腸の中に相当の老廃物を溜めているんですよぉー。

こうした老廃物が長ーく腸内に貯えられると、今度は有害物質を逆吸収されて、悪い影響を与えるのです。

そうすると今度は、これを分解する為に色々な物質を人体は分泌するんですが、これが出過ぎると、それによっての副作用までも起きちゃいます。

あるいは、人体には望ましくない細菌なんかも増殖するんですってー。

そうした諸々のことが原因となって、しまいには大腸ガンの発症となる可能性も..。恐ろしー。

っで、肉食ばかりで繊維質の野菜をあまり採らない人は便秘がちになります。

じゃあ、便秘がちになったらどうなるの?は、先に述べた通りとなる訳なのです。ッハイ。

これは、出し入れのバランスを崩すと部分的な異常が、しまいには全体に波及するというよい例だと思います。

この事は情報等の出し入れについても同様で、ただ入れるばかりではなく、出す事にも努力する必要があるのではないかな?と思いますねぇ。

食物ではないけれど、それと同様に、生命を活かす情報はドンドン取り入れるべきでしょうが、腸内の老廃物の様に身体に悪影響を及ぼす情報は、できるだけ早く出してしまった方が良いのではないのでしょうか。

憎み、怒り、悲しみ、妬み等の感情は身体の生理状況に、ただちに悪影響を及ぼします。

こういった精神的な情報は、自律神経系とホルモン分泌系、及び免疫系の働きのバランスを崩し、生理機能の異常を引起こすのだそうです。

人間である以上、これは避けられません。

だがしかーし、人間は“忘れる”っという機能も、持っている。

だから、腹が立つ、おもしろくない等の事があったら、なるべく忘れる。

これはあくまでも、マイナス感情の事であって、今後、失敗しない教訓となる様な事は、忘れてはイケマセンヨー。(この境目の判断がムズカシイですねー。)

あとは、変にリキみすぎでもいけないし、あ〜ぁ、やんなっちゃったなぁ。とか、どうせ俺なんて..。なんて諦めちゃって腑抜けになるのも良くない。

健康に対しても、あまりにも神経質になりすぎると、かえってストレスを溜めちゃう事になるので程々に..。

そうやって考えると、健康な人は、感情という情報においても、プラスの情報を充分取り入れ、マイナスの情報をプラスに置き換えたり、早く頭から削除し、あまり煮詰まることなく、気楽に構え、こういった事によって、自然に生命の潜在能力を引き出す事も上手いのではないのでしょうか?

僕も子供の頃、隠していた事が先生にばれたり、見つかったりした瞬間、ドーンと体の中で何かが下に落ちていく気持ちに何度かあった事が有ります。吐きそうにもなったなぁ..。

あれが、今回のお話しを一番実感できる事なんでしょうネ。

そんな経験、皆さんは一度か二度、お持ちじゃなかったですか?

それとも先生に見つかっちゃぁマズイ事をやった思い出があるのは、僕だけかーッ?

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その26)

夫 婦 喧 嘩

  夫婦とは、もともと縁もゆかりもなかった(生まれた時から夫婦だった人なんて聞いた事がない)二人、しかも男と女(最近は同性同志と言うのもあるらしいけれど)が如何なる因果か一緒に生活を共にしているのだからトラブルが全く無いなんて本来ありえない事でしょう。

 喧嘩は“悪い事”だからしないほうが良い、というのが一般常識です。でも夫婦喧嘩に限っては必ずしも“悪い事”とは限らないのではないでしょうか。

 お互いが“相手と家庭”を大切にするという最低のルールを守ってさえいれば、多少のトラブルは前向き・積極的に捉えた方が最終的にはうまくいく事の方が多いと思いますが、皆さんのご家庭では如何でしょうか。

 一番良くないのが“相互無視”。いつか見た新聞投稿川柳にこんなのがありました。―― 「いざこざの種が尽きたら倦怠期」

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

 トーランスでいちばん仲のいい私達夫婦は最近、ゴルフに凝っていていっしょになって実力向上を目指しています。だからいまのところ、トラブルはありません。どんなときでも相互無視はいけないと思います。ところで河合さんご夫妻もトラブルはあるのでしょうか?

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Zakkaya Weekly No.161

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net