Zakkaya Weekly No.160

Ryo Onishi       6/6/99  バックナンバー Homepage

雑貨屋のひとり言

 インターネットのお陰で情報の交換がとても簡単になりましたね。雑貨屋を毎週、欠かさず発行できているのも投稿者のみなさんからEメールで送っていただいた原稿をそのまま利用できるからで、このお陰で私のような不精者でも毎週雑貨屋を発行できているのです。もっとも投稿者の皆さんにとっては毎週原稿を書くのは大変だろうなあといつも思っています。毎週原稿をありがとうございます。(多謝)投稿者の方にファンレターを送りたい方は本人直接か雑貨屋までどうぞ。もちろん雑貨屋へのファンレターも大歓迎です。 (R.O.)

“ルート66”The Mother Road of America(3)

 ―― 前号より続く ―― 

ルート66”の黄金時代

1929年(昭和4年)に始まったアメリカ大恐慌の真っ只中の1933年に就任した第32代のF. D. ルーズベルト大統領はニューディール(新規まき直し)政策を実行し、失業者のための大規模な公共事業を行いました。

その中には道路建設も含まれ、アメリカの道路は飛躍的に整備されたのでした。その上、このF.ルーズベルト政権はそれまでの禁酒法を解除したため、例えば“ルート66”などでは到る所に酒があふれ、ダンスホールなどが出現し、賑わいは一層増す事になるのです。

1934年(昭和9年)から1940年(昭和15年)までアメリカ南西部を襲ったダストストーム(大砂嵐)は農業に大きな被害を与え、人々の多くは土地を手放し、代わりに買った車に家財道具一式を積んで、砂嵐の来ない豊かな土地であると信じるカリフォルニアを目指しました。

ジョン・スタインベック(John Steinbeck)は1939年に発表した小説“The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)”で、オクラホマから“ルート66”でカリフォルニアへ逃げ出す移民たちのことを書き、その年のピューリッツアー賞を受賞しました。この作品でスタインベックは“ルート66”を“マザー・ロード”とも“バックボーン・オブ・アメリカ”とも呼んでこの道を称えています。

この小説は、2年後の1941年(昭和16年)ジョン・フォード監督によって映画化され、アカデミー賞を獲得し、一躍“オクラホマ難民”と“ルート66”の存在が全国に知れ渡るのです。

1948年には、モーリス、リチャードのマクドナルド兄弟が、現在に至るハンバーガー・ショップの原型を作ります。

第2次世界大戦後は、人々が再び自動車の旅を始め、“ルート66”は活気を深めます。またその頃、戦後移民と呼ばれる西部移住がブームとなった時代がありました。

そのブームのひとつのきっかけとなったのが、1946年に発表され、ナット・キング・コール・トリオによって歌われ大ヒットした“ルート66”(Bobby Troup 詞・曲)でした。

そして戦後の好景気から、アメリカがそのアメリカらしさを謳歌する興隆期を迎えた1950年代から1960年代の初めにかけて、その好景気を支える輸送網の中心、主要幹線道路が“ルート66”であり、この時代、“ルート66”はアメリカで最も忙しく、最も晴れやかな道路だったと言えたでしょう。即ち“ルート66”こそが、世界に繁栄する栄光のアメリカ時代のシンボルでもあった訳なのです。

しかし、時はやがて“ハイウエイ時代”から“スーパー・ハイウエイ時代”へと急速に進む事になり、それに伴い“US ハイウエイ66(ルート66)”も時代の荒波に押しやられ、以外に早くその終末を迎える事になります。

 ―― 以下次号へ続く ――

★【参照・引用資料:「ルート66」(東 理夫著、丸善ライブラリー)、「パクス・アメリカーナの光と陰」(上杉 忍著、講談社現代新書)、インターネット掲載資料他】 河合 将介 ( skawai@wakao.com

さくらの独り言     「

"I have a dream" と言ったマーティンルーサーキングも、「夢」と言い続けた本田宗一郎も、それぞれに生きた世界こそ違え「夢−ドリーム」というものを、その時代の人々に、何らかの形で強烈に残した代表すべき人物だ。お目にかかったこともないこの二人には、時に私の人生を変える程の何か不思議なものを感じる。

どんな「夢」であれ、「夢」を持っているいる人には、若さがある。何故若さがあるのかというと、「夢」に燃える情熱があるからである。夢は燃えるランプの炎の如く、情熱は輝く炎の燃料となる。「夢」に自らの情熱を費やす喜びをもっているから、その人もその夢もパワーをもっている。

どんな「夢」であれ、根底には「生きている」ということが「夢」実現の第一歩になる故、「生きている」ことを喜び、そしてそれを感謝している。だからこそ、「夢」がある人は不断の学びと努力を続けている。だから若い。私はそう理解している。

たまに人の「夢」をきいて、批判/非難する人に逢う。『あの人の夢は小さいとかあの夢は云々、、、』と述賜う。「夢」はその人のもの、例え夫婦兄弟でも、ましてや他人なぞ決して非難してはいけない。「夢」があることは素晴しいことなのである。その夢が何であれ、「夢」を持っているということは、「生きる」ということを望みそして喜んでいることなのだから。

例えば夢について、ある人は好きな彼女と結婚すること、ある人はプール付の家を持つこと、ある人は好きな車を買うこと、ある人は部長や社長になること、ある人はゴルフを毎週すること、そしてまたある人は世界旅行をすること等など、各々である。

また続けて、ある人は言う、夢は仕事を得ること、家族に会うこと、子供を与えられること、今日の糧を得ること、そしてまたある人は言う「今日を生きる命です」と。どれをとってみても貴賤がない。それが夢なのである。「夢も希望もない」というどん底から、人並みの「夢」にしろ、世界を変える「夢」にしろ、夢は「生きている命」あっての夢だから、貴重なのである。決して非難してはいけない。それが夢をもっている人の真のルールでもある。

前号の「失恋」について自己分析した私、、、男女問わず「夢」がない人に私は恋心を失するのであると。友人M子がこう言った、「私の夢はね〜、子供が成人するまで、自分の胃癌が私の命を奪わないことよ」と。また友人E氏は言った「俺の夢はね〜、俺の山小屋を建てること」、知人A氏は言った「穏便に退職することだ」と。

『そんな夢っておかしいよ』友人Cはそう言った。しかし私は言う「どんな夢でもいいのです、あなたは、夢がありますか?」有るか否か、それが重要なことだと、自分にも問う、夢見るさくらの独り言。

マキちゃんの健康のお話  「早起きは3文の得。のお話し」  

皆さんは、朝はいつも何時に起きますか?

早起きは苦手でねぇ..。っという方、少なくないと思います。

子供の頃は、なぜか休みの日は早起きしてたなぁ..。っという方もいらっしゃるはず。

ゴルフの日はなぜか早起きしても苦痛じゃぁないんだよなぁ..。っという方がほとんどでは?

そんなこんなで、早起きは健康に良いとされていますが、今回は『早起き』のお話し。

そもそも人間は昼行性の動物です。

昼行性の動物には共通点した習性があって、それは何かと言うと、朝、日が昇る時間にはパッと目を覚ますことです。 身近なところでは、朝、とても早くから小鳥はチュンチュンさえずっていますよねぇ。

自然界の動物は、夜行性のものを除いては、みんな朝は早いものです。

これが自然の法則とか、自然のリズムとかいっています。

だがしかしっ、人間だけが、この自然のリズムを無視しがちなのです。

この本来、動物がもっているリズムを忘れると、積極的な意欲に欠けてくるし、病気にもなりやすい。

シャキシャキして元気ハツラツの朝寝坊の人なんて見た事がない。これ当然。

ある調査機関のデータによると、「毎朝、7時半までに社長が出社する会社で、いまだかつて倒産したケースはありません。」っとの事。(これは、最近不況に陥っている日本では、当てはまらなくなっているかも?)

かつて、自衛隊で早起き部隊と遅起き部隊を編成して、一年間まったく同じ作業をさせたところ、互いの能率比は、150対100、すなわち早起きは、遅起きより、5割も能率が上がることが解ったんですってー。

結局、何事も優秀な成績を上げている人は、共通して早出勤の習慣を保っていますよねぇ。

じゃぁ、早起き人間になる為には、どうしたら良いの?って事なんですがーっ、それは簡単。早く寝る。

そのためには前回号の−安眠のお話し。−を、もう一回読み返してみるのがヨイッ!ウン。

「夜の12時以前の1時間の睡眠は、それを過ぎた後の2時間以上に相当する。」っと、多くのドクターは言っております。ッハイ。

深夜になる前に床につく習慣が大事だ。って事がわかっていても、深夜に近づくほど、色々と面白い事が待ち伏せしていますよねぇー。自制心がなければ出来ません。 っという事は、自己抑制が出来るから早起きが出来る。っで、自己抑制が出来るくらいの人は、必然的に仕事も出来るっていう事になりますよねぇ。

なんだか今回は解らなくなってきましたが、先日、日本のテレビ番組で、不眠症だという早朝番組の女性アナウンサーのバイオリズムを測定し、グラフにした所、通常の人のグラフと比べて乱れが大きく、原因を調査したところ、早朝番組の為、普通の人よりも、日を浴びる機会が少ないからだという事が解り、早速、日の光と同じ光度の蛍光燈を浴びていた所、通常の人と変わらないバイオリズムになり、不眠症も改善された。っというのを見ました。

植物の葉は光合成を行いますが、元来が昼行性の動物も生きていく上でも光は必要不可欠なんですねー。

これを機に、これから良い時期なので、太陽が昇る位の時間に目覚しを合わせてみては..、気持ちも良いし。

話しは変りますが、先日、またまた日本のテレビ番組の中で、古館一郎が、「野生動物は肉食と草食がいるんだから、人間だって食い物のバランスに拘らなくたって、肉が好きなら肉だけ食ってても生きていけるからいいんじゃないか。」

っと言っておりましたが(これ、ご覧になった人、多くいらっしゃると思います。)、都合の良い事だけ、野生動物と人間を一緒に考えていて、こんな事、公共の電波を通して言っていいんだろうか?っと驚きました。

野生動物は服を着ていないし、車で移動していないし、仕事のストレスで酒飲んで愚痴らないし、時期が来ないと交尾もしないし、エアコンも使わないし..。それに肉食でも、消化器官の調整で、草も食べてますもんね。

そもそも、こういった現状の中で、どうしていけば健康でいられるかを頭で考え、そして行動する事が出来るんだから人間なんじゃないのかなぁー。っと僕は思いますが、皆さんはいかがですか?

今回のお話しは、お気付きの通り、支離滅裂で(毎回の事?)、あんまりタメにはなりませんでしたね。スイマセン。

こんなんじゃぁ、まだまだタメだなぁー。(もっとダメ。)

そんなことありません。とても参考になります。(雑貨屋 店主)

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その25)

春と夏はどっちが先か

「地球は丸い」ことは子供でも知っています。現に宇宙からの写真を見ると、暗黒の宇宙空間に青く丸い地球が浮いており、「丸い地球」を実感できます。

 ところが私達は日常生活において意外に「丸い地球」の事を忘れ勝ちです。例えば、私達が東の方角だと勝手に思っている場所だって地球を逆に辿れば西の方角になります。(尤も数マイル東の地点へ行くのに、わざわざ西へ向かい地球をひと回りする人はいませんから、それで良いのですが)

 一年を四季に区切り、春・夏・秋・冬と呼びます。これだけ見ると“春”は“夏”より前で、“冬”は“秋”より後です。

 でも、ひとつの“四季”が終わると次の“四季”が始まり、春・夏・秋・冬・春・夏・秋・冬・・と続くのですから、どの季節が前で、後かという発想は無意味になります。

 前回も似た事を書きましたが、東西、南北、など「地球規模」で考えてみれば意味を失い、この発想を更に発展させると、この世に存在する“相対的なもの”(この世に“絶対”なんて殆どないのだから、この世のすべてと言ってもよいかも)は、発想の次元をほんの少し高めるだけで、まったく別の捉え方が出来る筈です。

 上下、左右、明暗、喜怒、哀楽、・・みんな“相対的なもの”です。

 私達も日々の小さな生活だけにとらわれず、時には地球規模、宇宙規模で発想してみると、以外に新しい道が開けるのではないでしょうか。

 たまには発想の次元を変えて、“地球”、“宇宙”の視点から見直して見るのが、現代「ストレス社会対応法」かも知れません。  ――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

 毎週ゴルフをしているせいか、日焼けしてきました。夜、薄暗い部屋の鏡で自分の顔を見た時なんかびっくりします。ゴルフしなくてもロスは日差しがきついので、日焼けしやすいですが、皮膚に良くないようです。帽子をかぶるとか日焼け止めクリームを塗るなどして防ぐようにしたいものです。大きなお世話でしょうか?

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Zakkaya Weekly No.160

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net