Zakkaya Weekly No.159

Ryo Onishi       5/23/99  バックナンバー ホームページ

雑貨屋のひとり言

 野村監督になってからの阪神タイガースはずいぶん変わりましたね。とにかく今年のタイガースは粘り強くなりましたからね。いつでしたかNHKの番組で野村さんと長島さんのことを取り上げた番組がありましたが、それを見て野村さんの素晴らしさに気づいた人もたくさんいると思います。優勝するとかしないとか、関係なく、ゲームを面白くしてくれていることは事実ですね。私も関西出身ですから阪神タイガースが活躍してくれると嬉しいです。今年の日本のプロ野球を面白くしているのはなんと言っても阪神タイガースでしょうね。(R.O.)

“ルート66”The Mother Road of America(2)

 “ルート66”からは少しはずれますが、ここでアメリカの道路と自動車の歴史を簡単に振り返ってみる事とします。

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 アメリカの場合、道路の始まりは、先住民達たちが踏みならしたあとに出来た「インディアン・トレイル」といわれ、やがて入植者と開拓前線を結ぶ「パイオニア(開拓者)道」、一般生活道路、農業道路、郵便馬車道路、西部への開拓道路(オレゴン・トレイル、カリフォルニア・トレイル等)などが作られ、そして運搬手段も人の背から荷車、馬車、鉄道、そして自動車へと変化してゆきました。

 1869年にはアメリカ大陸横断鉄道が完成し鉄道全盛の時代もありましたが19世紀末、アメリカにも初のガソリン自動車が出現し、1901年(明治33年)には早くもアメリカ全土でナンバー・プレートによる登録制度が採り入れられ、更に同じ年に各地の自動車愛好者達によって「全国グッド・ロード協会(後のAAA)」 が結成され、徐々に自動車時代に入ります。

 そして1908年、大衆向けガソリン自動車の「T型フォード」が発表されるとアメリカ国民の間に自動車用道路に対する関心が急速に深まりました。

 因みに当時のアメリカの自動車保有台数は、資料によると1910年50万台、1915年200万台、1921年900万台、1924年1,600万台となっています。

 1912年(大正元年)にはアメリカ大陸横断道路の第1号構想(“リンカーン・ハイウエイ”という名前でニューヨーク 〜 サンフランシスコ、3,150マイル)が発表され1923年完成しました。

以上のような時代背景のもとで浮上したのがアメリカ中西部の大都市シカゴを起点とする“大陸南西部ハイウエイ構想”(のちの“ルート66”)でした。

後世“ルート66の生みの親”と言われるサイラス・アヴェリー(Cyrus Avery)がシカゴから太平洋岸の当時はまだ未開発の、だが将来性豊かで土壌の肥えたゴールデン・ステート、カリフォルニアへと通ずる道を計画したのです。

この構想は1925年(大正14年)ルートが確定し、翌1926年(昭和元年)正式に“USハイウエイ66(ルート66)”と命名されました。在来の道路を整備して繋ぎ合わせ、新たな道路を新設し、河川に橋をかけ、途中、ミシシッピー川のような大河川もあり・・と大変な仕事だったと思います。

途中、1929に始まった大恐慌時、道路建設は失業者解消対策として役立ち、1938年“ルート66”全線の舗装が完了しました。

当時のアメリカには上記“リンカーン・ハイウエイ”を始めとして既に40以上のハイウエイが存在しており、“ルート66”を含む道路の整備と自動車産業の興隆によって沿線各地でガソリン給油所など新しいビジネスが発生しました。

特に“ルート66”の場合、1920年代後半には、当時の主要な産業の中心地であったシカゴ(イリノイ州)とセントルイス(ミズーリ州)の間は数多くのトラックが走り、これらを相手に出現したのが“トラック・ストップ”で、やがて“サービス・ステーション”へと成長してゆき、終夜営業や夜食のためのコーヒー、サンドイッチ等を提供するようになり、それがやがて“ドライブイン・レストラン”へと発展してゆきます。

一方、セントルイスより西の地域であるミズーリ州やオクラホマ州などでは、まったく新しいハイウエイ・ビジネスが生まれます。

それは車での旅行者向きの宿泊施設でした。最初は道路脇に作られた特設キャンプ場で、ひと晩50セントの貸しテント程度から始まり、それが今日のモーテルへとつながり、やがて“ルート66”を始めとする“USハイウエイ”の黄金時代を迎える事になります。

 ―― 以下次号へ続く ――

★【参照・引用資料:「ルート66」(東 理夫著、丸善ライブラリー)、「パクス・アメリカーナの光と陰」(上杉 忍著、講談社現代新書)、インターネット掲載資料他】

河合 将介 ( skawai@wakao.com

さくらの独り言     「失  恋」

「あの人の様になりたい、、、」、人の成長の原点はここにある。事実一昔前のこどもは、「大人になったら、、、」という願いの中に、「お父さんの様に〜、お母さんの様に〜、」から「先生の様に〜」等と身近に出会う人々に憧れ、心ときめきながら成長する。大人になった後も「あの人の様に〜」と出会う先輩の生き様や後姿に自分を叱咤激励し、七不思議人生を体験しながら成長する。「恋」である。深くて暗い河の男女の恋のみが恋ならず、されど人と人のこの様なときめきの出会い、、、私はこれを「恋」と呼ぶ。

時に私は「あの人のようにはなりたくない」と恋心を失し、空しさに埋もれる時がある。ときめく心はどこかに置き忘れ去られ、何のロマンの香もなく、冷ややかな想いの自分が残る。時には痛み、時には苛立ち、そして時には嫌悪さえ伴い、悲しく疲れてしまう。そして「うたかたのロマンだった」と諦める。どこか痛む傷口に手を当てながら、、、私はこれを「失恋」と呼ぶ。

定年間じかなZさんに、私は恋をしていた。遠き昔、日本の片田舎から船で来米したというZさんの、私の知らぬその彼のロマンに、私は至極心ひかれていた。酒も女もカラオケも、遊びの一つもなく生きてきて「面白みのない人」と他人が陰でささやく処のZさんにも、私は私なりに人生のロマンを感じていた。地道な生き方を

する彼を、侍の様な男だと私は憧れていた。いつも頑固で、真面目で照れ屋な、そして時々投げやりな、そんな彼が私は大好きだった。その彼が、変動する会社組織や生活に失望し、「自分-会社の名前=何もない」現実の中で、三無主義(無気力、無感動、無関心)に陥り、その空しさと不安で孤立していった。現実からの出発を拒む彼は、過去の栄光にすがり、まるで同極磁石の様に人と自分自身のマイナスばかりを向かい合わせながらはねつけ合い、破壊を引き起こしていった。

彼は自分と戦うことを恐れている様で、まるですねた3つ児の様な状態になってしまった。私は恋心を失し、久々の「失恋」をしてしまった。そんな彼を未だ好きだという自分と、「こんなものか」という冷ややかな自分とが同居している。誰しも心身健康な時ばかりではないのは百も承知だ。しかし孤独と孤立をはきちがえると、百年の恋も冷めてしまうのである。そして何よりも、失恋した自分を悲しく思うのである。

職場に定年退職はあっても、人生に停年はない。「何をするか」や「何ができるか」が問われた会社社会や時代とは異なり、「どう生きてきたか」や「どう生きるか」を問われる時に、その人がどの様な香と息吹を持っているかが私の恋心をくすぐるのだ。頭は禿げていても心は青年、光る頭に劣らぬ輝くハートを持っている人、私はそんな人に失することのない恋をする。

その人は、現実からの出発を恐れず、孤立を拒むが孤独を愛し、自分と戦う術を知っている。欠点だらけと自他伴に云っても、私は「この人に出会えてよかった」と断言できる何かがある(多くの場合は、周りもその人の優れて優しい人が多い)。そして何よりも恋する自分、そんな出会いができる自分を喜べる。しかし残念ながら、今回の失恋の痛手は思ったより大きい。でも実る恋あれば実らぬ恋もある。それでいいと自分に言い聞かせながら、「失恋」した自分を慰めている、、、さくらの独り言。

マキちゃんの健康のお話  「安眠のお話し」  

以前、雑貨屋141号に登載した、《−もう寝ようと思ってしまうお話し。−》 の最後で、「眠れない時は暖かいミルクが効く。」と述べました。

それで今回は、もうチョット詳しく、どうすれば眠れるのか?っていうお話し。

人間、疲労が極度に達すれば、何処でも眠れますよねぇ。

日本では、通勤電車で立ったまま眠ったり、知らず知らず隣の人の肩にもたれてしまって嫌がられたりと、通勤の合間を利用して睡眠不足を補っている方も多くいらっしゃいます。

だけど、車社会のここロスアンゼルスでは、「通勤イコール、車の運転。」って方が大半なので、居眠りは直接、交通事故につながっちゃいます。睡眠不足は命に関わる大問題。

それでは、この頃どうも眠れない。っという方、さぁ、ナゼなのかーッ?

眠れないのは、大脳皮質が考えをやめないからで、興奮したり、クヨクヨしたり、悩みがあるとなかなか眠りに入りません。

眠りに入るという事は、自律神経の働きなんですねぇ。

逆に、眠ってはいけない、っと絶えず言い聞かせていると、徹夜だって出来ちゃう。

ところが、体が疲れていて、自律神経の方が勝ってしまうと、いくら頑張っていても、自然に眠っちゃいます。

また、目覚めも神経の働きで、目覚し時計の音なんかが神経を刺激するので、目が覚めるわけですねー。

しかーし、睡眠を持続させるのは、神経ではなく、体液の働きによってなのです。

モノアミンという睡眠物質がそれで、これはカゼインにおおく含まれているそうです。ッハイ。

そんじゃぁ、そのカゼインって、一体なにに含まれているの?っという事ですがー、それが、牛乳、チーズ、ヨーグルトなどだそうで、ここで前回述べた、「眠る前のミルク。」が繋がってくるんですねー、っこれが。

夜中によく目が覚める、眠りが浅い、といった訴えは比較的高年齢の方に多いんですが、これは睡眠を持続させるモノアミン物質が不足ぎみなのだそうで、..っという事は、歳をとるに従って牛乳や乳製品なんかの摂取量を増やしてみるのも良い、っとなります。

そのほか、聴覚を働かせて思考をゼロにするのも入眠には効果的なんだそう。

静か〜なバックグランドミュージックや、環境音などを流しっぱなしにするとか..。

雨音なんかタマ〜に聞くと僕は落ち着きます。

世の奥様方の中には、ご主人のイビキを聞くと眠りに入る、っていう人もいるんですってー。

エーッ?と思う人もいらっしゃるでしょうが、イビキを神経にさわる、うるさいなどと考えれば、考える事自体が眠りを妨げてしまいます。

要は考える事って、映像を浮かべることだから、映像を消して音にすれば良いってことですねー。

僕は、アメリカのテレビ番組を見ずに流しっぱなしにしていれば、言ってる意味が分からず、充分、寝る前のBGMになります。

そういえば、日本にいた時、深夜にやっていたF-1のレース中継を観ると、翌朝は必ず、テレビがつけっぱなしになったままという状態でした。

どうやら僕は、暖かいミルクより、F-1のレース中継を観てる方が、早く、そして深く眠れるようです..。

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その24)

アメリカは日本のどっちにあるの?

 私達は学校の地理の時間に「アメリカは太平洋をはさんで日本の東にある大きな国です」と習いました。だから(かどうか知りませんが)私達は「日本はアメリカの西、アメリカは日本の東」と単略的に決め込んでいます。

 「太平洋をはさんで」みれば確かにその通りですが、地球は球形なのだから「太平洋をはさまなければ」西へ行っても、また北極・南極経由なら少し方位はずれるけど、北や南に向かってもアメリカに行ける訳です。

 世界の中の日本を考える時、「アメリカは日本より東にある国」という認識だけで終わるのではなく、お互いがいろいろな方角に存在しているのだと自覚する事って以外に重要な事ではないでしょうか。

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

皆さん3連休はどうお過ごしですか?旅行に出かけられてる人もいるのでしょうね。

私はワイフといっしょにゴルフを楽しみました。土曜日は二人でバレンシアGCに行きラウンド、日曜日はハーバーの9ホールで楽しみました。ワイフにゴルフを教えながら、私自身も一打一打を楽しみました。いつもならケンカになって、こちらも崩れてしまうのですが、私もだいぶ大人になったみたいで、スコアはまあまあでした。 

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Zakkaya Weekly No.159

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net