Zakkaya Weekly No.158

Ryo Onishi       5/23/99  バックナンバー ホームページ

雑貨屋のひとり言

サンディエゴにあるLA COSTAという有名なゴルフ場で1日2ラウンドプレーしてきました。とても美しいコースで暑くもなく気持ちのいい天気の中でプレーできました。距離が長い上に、バンカー、川、池が多くてむつかしいコースでした。設計者の思惑通り、何度も罠にはまってしまいました。でもチャレンジャブルなコースなのでいつかまたプレーしてみたいと思います。(R.O.)

“ルート66”The Mother Road of America(1)

 ドライブが好きな私にとって「道路」は関心事のひとつです。

 この広大なアメリカ大陸の「道路」にはどのようなものがあり、どのように人々の生活にかかわり、そしてどんなドラマがあったのだろう。ひとつひとつの「道路」に秘められた歴史を辿ればそれはそのままアメリカの歴史であり、また草の根の人々の歴史でもあるのだろう。

 こんな思いに至った時、私の頭の中を最初によぎったアメリカの「道路」が“ルート66”でした。

 今から35年以上も前、1960年(昭和35年)年代初め、アメリカ製のテレビ・ドラマに“ルート66”と言うのがあり、当時日本でも放映されました。

  日本でテレビジョンというものが正式に放映開始されたのが1953年(昭和28年)であり、経済白書が「もはや戦後ではない」という副題を掲げ、戦後の荒廃期の脱出宣言をしたのが1956年(昭和31年)でしたから、1960年代初めとはテレビ時代に入ってまだ10年そこそこ(とは言っても、その頃日本のテレビ設置台数は早くも1,000万台を突破)、日本国民の生活水準もまだまだであり、また自動車の台数も少なかった日本にとって、既にモータリゼーション(自動車社会)時代に入り、きらびやかで黄金時代を謳歌するアメリカとは格段の差があった時代でした。

  そんな頃の“ルート66”というテレビ・ドラマは、まだ20代初めで若かりし頃の私にとって驚きと憧れ以外の何物でもなく、白黒テレビ画面に目を凝らし、胸をときめかしたものでした。(アメリカの原画はカラーだったのかも知れませんが)

 あれから30余年、今、縁あってアメリカに滞在する身となり、身体的には忙しく、慌しい毎日には変わりないものの、精神的には余裕を見つけられるようになり、改めて“ルート66”に思いを馳せる事になったわけです。

 “ルート66”(正式には“US Highway 66”)とはアメリカ中部のシカゴからカリフォルニア西部の当地ロサンゼルス(サンタモニカ海岸)までの約2,500マイル(約4,000キロメートル)にわたるインターステート・ハイウエイである事は私も知っていましたが、いざアメリカ合衆国の地図を開いて該当しそうなどこを探しても見つかりません。

 調べた結果、“ルート66”という正式なUS ハイウエイは既になく、1985年にアメリカの公式地図からは完全に抹消されてしまっている事を知りました。

 “ルート66”のようなハイウエイ(現在アメリカに張り巡らされている高速道路とは違い、一般道路の延長に過ぎない道路、現在で言えば“パシフィック・コースト・ハイウエイ”)は長距離州間(インターステイト)道路としての役割は既に終了し、代わって州間高速道路(インターステイト・フリーウエイ)が交通の主役になっていたのでした。

 例えばシカゴ 〜 ロサンゼルス間の交通は、I-55、I-44、I-40、I-15、I-10という5つの高速道路を乗り継ぐ事により、より早く、より便利に行き来出来る様になっています。

 かつて35年以上前、若き頃の私が目を丸くし、憧れとときめきを持って見つめた“ルート66”は時代の波に押し流され、道路としての主役の座から既に退いていたのみならず、その名前さえも存在していないのです。

 そして、かつて“ルート66”が走っていた一部道路の跡には、わずかに“Historic Route 66”という標識だけが散在し、古き良きアメリカを偲ぶ郷愁だけが取り残されている事を知りました。

 “ルート66”に関して詳しく述べられた「ルート66」(東 理夫著、丸善ライブラリー)という本があります。

 この本の記述内容を中心に、その他の資料も踏まえ、“ルート66”について、以下ご紹介したいと思います。

―― 以下次号へ続く ――

河合 将介 ( skawai@wakao.com )  

さくらの独り言     「良きリーダーは良きメンバー、良きメンバーは良きリーダー」

「さくらさんは昔先生だったんですよね、でも僕は、いつも生徒ばかりで先生になったことがないんです。」笑顔で日本酒を美味しそうに呑みながらこう切り出したMさん、LAでの初対面の時だった。彼は自分を『いつでも生徒』と、とてもうれしそうにサラッと呼んだ。Mさんがどんな仕事、生活、活動、そして生き方をしているか何も知らなかった私だったが、自分を『いつでも生徒』とMさんが呼んだ時、彼が良きリーダーであり且つ良きメンバーであることを私は確信した。

最近、「リーダー/リーダーシップの欠如」等とよく耳にする。世界の政治、経済、教育、宗教の各界におけるリーダーやそのリーダーシップが取り沙汰され、批判/非難される。特に日本の政治グループは誰もがリーダーに成りたがり、自分がメンバーであることを喜べない。いや忘れているのかもしれない。

「自分はリーダーには成れない」から駄目な政治家だと卑屈になり協力を拒むか、「あいつなんかがリーダーなら自分こそがリーダーに」と傲慢になったりする。そして我々の世論を伝えるべく存在するマスメディアは、リーダーを批判/非難はしても、リーダーも我々もそのリーダー率いるいちメンバーであるという認識に欠け、リーダーとメンバーを全く違った世界に存在させてしまっている。

この大きな問題は、リーダーとメンバー、そしてメンバーとリーダーという関係論が間違っているからだと思う。リーダーもメンバーも、リーダーシップの有無や質を非難する前に、自分の頭にぺタンシップでもシップして、「メンバーとリーダー関係論」を考察したらいいのかもしれない。

時々、 一人で何かをする、もしくはリーダーとして何かをする時は、誰も真似のできない程の才能を発揮し皆の注目と賞賛を浴びるのに、コアリーダーとして誰かと、もしくはリーダーではなくグループのいちメンバーとしての活躍を求められると、たちまち無能ないや寧ろトラブルメーカーにさえなる人に会う。リーダーの活動や名前は喜べるが、いちメンバーになることやその活動は苦手だという部類の人だ。

才能や権威を人から羨ましがられても、その「人柄」は決して惜しまれず疎まれてしまう。認められる自分の存在はあっても認めてくれている他人の存在が欠如している結果だ。

この様な問題の多くは、その人の幼児期における体験、特に母親との関係にまで遡ることで理解できる場合がある。無償な母親の愛を受けるべきその時代に、不幸にもそそがれなかった愛情の欠落は、その人のアイディンティティ(自分とは何者かという自己認識)形成において、そのままの自分や他者を受け入れ喜ぶことに臆病になるからだと、私は思う。良きリーダーになれるも、良きメンバーになれるも、自分を喜ぶ人と、自分を喜ぶ自分の育成があってこそできることかもしれない。

文頭に紹介したMさんは、「生徒(メンバー)であることに誇りと喜び」を持っていた。私の周りにはこの様によきメンバーで良きリーダー、良きリーダーで良きメンバーの人が沢山いる。

だから私は、「鏡よ鏡よ鏡さん、私もあの人達の様に、良きメンバーで良きリーダーとしての自分を喜べるようにしてチョーダーイ!!!」と財津一郎の様にガッツポーズのお呪いをして、出かける時がある。会社にも、地域活動やサークルにも、そして一日の生活にも、、、つまらないさくらの独り言。

マキちゃんの健康のお話  「オミズは花道。のお話し」  

皆さんもご承知の事でしょうが、人間の体は60〜70%が水分で出来てますねぇ。

それでもって、最近、世間でも体に対するお水の大切さ、っというのも再認識され、皆さんも大変お詳しいと思いますが、あらためて今回はその『お水』のお話し。

皆さんは、一日に『お水』をどれ位飲んでいますか?

お酒類、ジュース類、コーヒー、紅茶、緑茶類ではなく、いわゆる、『お水』としてなら、全く口にしない日がある方もいらっしゃるのでは?

ところがこの『お水』、体の色々な事に効果を持っているのです。

まず、腎臓の浄化機能の負担を減らすんだそうですねー。

これは、腎臓病の方はなるべく水分は摂ってはいけないとドクターに言われている人もいらっしゃると思いますが、なんと、出来れば一日3リッターを目標に飲むと良いのだそう。

『お水』の一部は尿をつくるのに使われ、尿は腎臓内の200万もの小さなろ過装置が行う、ろ過処理によって血液から取り出した有害物質を運び出していて、その為には、3リッターの『お水』が理想的なんだそうで、そうなると、一時間毎にコップ一杯の『お水』を飲む事が必要となるのだそう。..うっぷ。

又、尿路結石(腎石)もタンパク質の中に結晶塊が出来た物であって、これも『お水』を沢山飲む事によって、防ぐ事が出来るのだそうです。ハイッ。

更に又、肉食が増えたり、ある種の臓物を大量に食べると血液の尿酸濃度が高くなり、痛風を発病する場合があるんですが、これを防ぐにも、大量の『お水』を飲むべきなんですってー。

ちなみに体の各パーツの水分比率はというとー、

血液の83%

腎臓の82.7%

心臓の79.2%

肺の79%

脾臓の75.8%

筋肉の75.6%

脳の74.8%

胃腸の74.5%

肝臓の68.3%

のそれぞれが水分で、なんとあなたっ、骨でさえ、22%が水分で構成されているんですってー。驚きです。

っという事はー、これらの諸臓器や、諸器官が病んでしまった時、良い『お水』を補給すれば、なんらかの良い結果が出るはず。

水分が少ないと血液が濃縮してくるので、更年期になると脳血管性痴呆症や、心筋梗塞などにも繋がりかねません。血液をサラサラにするという錠剤もたくさん出ていますが、『お水』をいっぱい飲む事も大切ですゾ。

じゃあ、果たして良い『お水』とは?

っという事ですが、今は色々とありますねー。「波動水」、「電子水」、「アルカリイオン水」、「機能水」等など..。続々と、ここ十数年という短期間で広く我々に浸透してきています。

アメリカ人も、塩素臭いということでボトルウォーターを飲む人は増えていますが、水道の水よりも味が良い程度で、健康のためと考えている人は未だ少数のようです。

それで思い出しましたが、色々なボトルウォーターの中で、蒸留水のものがありますが、一度沸騰させ、冷却させて出来た『お水』は、もう酸素は入っていません。

金魚やその他、水の中の生物の殆どは『お水』の中の酸素で生きている。

我々人間も『お水』の中の酸素を微量でも各細胞(ミトコンドリア)に与えていて、エネルギーにしたり、新陳代謝を活性させています。

『お水』は確かH2O、すなわち、酸素が1つに水素が2つ付く事になる。っとなるとー、蒸留水はH2ってことになる。これは化学では、『お水』ではない。ってことですよねー。 蒸留水は口当たりが良く美味しいので、喉の渇きを潤す為には最高ですが、あくまでも僕個人の意見は「健康の為のひとつ」、っとは考え無い方が良いかも..。

昔からよく、「水太り。」なんて言葉を耳にしますが、『お水』の粒子が細かなものは、体内への広がりも速く、

体に溜まりません。最初はむくんでしまう人がいらっしゃると思いますが、それは内臓の調子がチョット弱っている証拠。

これを機会に、良い『お水』をドンドン摂って、ジャンジャン汗かいて、バンバントイレに行けば、マスマス若返るかも知れませんんねー!

話しは変りますが、僕が子供の時、ビアガーデンに連れていってもらった事があって(その時ショータイムで殿様キングスが”女のミサオ“を歌っていた!)、ジョッキの大きさに圧倒され、よくあんなに飲めるもんだと思いましたが、いざ自分が飲むようになって解りました。入る所が違うんですねぇー。

ビールなら簡単なのに、何故か、お水だと無理って考えてしまいます。変なものですねぇ。

毎日『酢』を飲んだり、『お水』を飲んだりしても、お酒だけは、まだまだ入るスペースがあるんだよなぁ..。

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その23)

愚 妻 は 愛 妻

 「まことにつまらないものですが・・」、「粗食で、あなた様のお口にあいますかどうか・・」、

「わたしが如き、ふつつか者が・・」などと言われても100%正直に受けとめる人は普通いません。

 「とんでもございません。ご謙遜でいらっしゃる・・」と返すのが礼儀と言うものでしょう。

だって「つまらないもの」とか「粗食」、「ふつつか者」とおっしゃっている当人が、まったくそうは思っていないのが普通なのですから。

 本当は良いもので、喜んでもらえる自信のあるものを逆の言い方をして、こちらの控え目な誠意を感じさせようと言う、これも一種の「逆転の発想」ではないかと思います。

 数年前、当地に日本から女性の評論家先生が来られ講演をされた時、主催者側の挨拶に立った男性が自分の奥さんの事を「愚妻」と表現した人がいました。

 早速この講師の先生、講演の冒頭で「私はここアメリカまで来て久しぶりに『愚妻』という言葉を耳にし驚いています。いまだに日本人の男性の中に、自分の妻をこんな卑下した呼び方をされている人がいるとは・・」とおっしゃっていました。

 私も評論家先生と同じで、いくら謙遜といえども今どき「愚妻」はちょっと行き過ぎだろうと思います。

 でも強いて言わせていただけるなら、「愚妻」と言った人は決して本心から言っているわけではなく、上記のように「謙遜」しているだけなのは明らかであり、「逆転の発想」として解釈すると、これは「愛妻」以外の何物でもありません。

 日本人はこの種の「逆転の発想」の天才なのです。「いやよ、いやよ」も好きのうちかも知れません。

 一般的にアメリカ人に比べて日本人は、自分と自分の家族などをへり下した態度・表現をしがちのようです。あまり自己主張をしないのが「謙譲の美徳」と言われる所以(ゆえん)だからなのでしょう。

 確かに「愚妻」、「愚息」、「豚児」のようなものは行き過ぎとしても、それでも度を越さない程度の「謙遜・謙譲」は万国共通の美徳であっても良いのではないでしょうか。

 「世界最高!」と叫びたいのをぐっとこらえて他人様の前では少々控えめに表現すれば、言外の品位というものがにじみ出てくると思います。―― こんな話を親しい日本人の友人にしたら「あんたは甘い!。そんな発想では生存競争の厳しい国際社会の中で生き抜き、勝ち抜く事は出来ない位、あんたが一番良く知っている筈だ!!」と一蹴されてしまいました。

そうかもしれないナ。お粗末な駄文でした。――(「とんでもございません。ご謙遜でいらっしゃる・・」と返すのが一応の礼儀ですので、みなさんよろしくお願いいたします)

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

雑貨屋ホームページは毎回毎回、ファイルを追加しているので、現在サーバーには347のファイルがあり、容量もフリーで使える6メガバイトにどんどん近づいてきています。とりあえず写真のファイルを圧縮して余裕をつくろうと思っていますが、それからどうしようかなと考えています。何かいい方法はないでしょうか?

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Zakkaya Weekly No.158

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net