Zakkaya Weekly No.146

Ryo Onishi 2/28/99  バックナンバー ホームページ

雑貨屋のひとり言

インフルエンザにかかったので、日本でのスケジュールが狂ってしまいましたが、この週末は日本に来ています。サウスベイに住んでいる私達にとって、日本の冬は寒いです。10数年前、妹がロスに送ってくれたマフラーとトロントで着ていたコートが役に立っています。今日は用事があって奈良の方に出かけましたが、電車の座席で日に当たっているとぽかぽか気持ちが良くて、もうすぐ春が来るなあと思いました。(R.O.)

あまり知られていないL.A. 観光スポット(41)

Lomita Railroad Museum

サウスベイ地区 ロミタ市にある“Lomita Railroad Museum”は こぢんまりとした鉄道博物館ですが、SL(蒸気機関車)時代を知っている人々にとっては古き良き時代を懐かしみ、また SL を知らない若い世代にとっては鉄道の歴史を知る絶好の場所と言えます。

屋外の展示物としてひときわ目立つのが 実物のSL(蒸気機関車)と機関車に繋がっている テンダー(炭水車−− 実際はこのSLの燃料は石炭ではなくオイルだそうですが)です。

機関車部分は1902年製で サザン・パシフィック鉄道他で活躍し、1958年に引退するまで各地の線路上で活躍したと言う事です。この機関車の運転席には自由に乗り込む事が出来、エンジニア(機関士)やファイヤーマン(機関助士)になった気分にさせてくれます。

屋外にあるもう一つの実物は“Caboose(貨物列車の乗務員車)”で、1910年製、これも中に入って見学できます。

屋内展示場には SL の模型をはじめ、SL 時代の各種道具、機具、資料、写真などが整然と展示され、同時に蒸気ピストンのしくみの説明などがあり、見学者を楽しまさせてくれます。

博物館前の道路(W. 250th Street)を挟んで反対側にも小公園があり、ここでは1910年代と20年代の貨車とオイル貨車の実物を見る事が出来ます。

この博物館についての情報はインターネットでも知る事が出来ます。サイトのURLは次の通りです。 http://lomita-rr.org/

● 時 間 : 10:00AM〜 5:00PM

http://home.earthlink.net/~ronishi/laspot41.htm をご覧ください。

さくらの独り言  「親友」 

私には「親友」と呼び合う友人が数人いる。その中で、互いをベストフレンズと呼び合うのも数人いる(文法的単数複数の取扱がおかしいけれど)。アメリカには一人だけ、日本には数人いるこのベストフレンド達は、いうまでもなく私の最高の財産である。このアメリカに住む只一人のベストフレンドは、旦那である。良き夫婦とは口が裂けても決して呼べない私たち、しかし(だからこそ)彼はベストフレンドだと確信をもって断言する。そして日本に住むベストフレンズの一人は姉である。実姉をベストフレンドと呼べることを、私は心から誇りに思い、大きな声で叫びたい程、幸せに思う。

7つ違いの私たちは、小さい頃から一緒に遊ぶことは殆どなかった。私が物心着いて間もなく、姉は私立の高校へ通うために上京し、それから二人が会う機会は、本当に限られていた。姉が上京する頃までの私はおてんばでやんちゃ、おしゃべりでいつもうるさい末っ子で、決して上品で育ちの良い姉とは似ても似つかぬ妹だった。勝ち気な姉にめちゃくちゃな妹の私は、いつもいじめられていたように思う。「あんなにいじめられても姉を慕う貴女が不憫に思われた」といつか母が話すように、私にとっての姉は、冷たく、プライドが高く、勝ち気で、間違いのない、私とは程遠い存在だった。逆に姉にしても私という妹は、野蛮でいつもうるさいめちゃくちゃな、恥ずかしくてとても姉妹だと他人には言いたくない程の、受け入れがたい存在だったに違いない。しかし今は、「ちょっと無理をしても会えるときは会いたい」存在・関係になってしまった。これは奇跡にほかならない。そしてこの関係は姉に留まらず、姉の家族にも広がっている。

3人の姉の子供たちは、私が彼らを訪ねると「お母さん、明日学校休んでもいい?、だって、さくらねえちゃんと徹夜で話したいけん。」と申し出る。姉は「いいんじゃない、自分できめれば。」と応える。こんな姉の子供たちにとって、「登校拒否」という言葉は縁遠い。高校卒業したての姪、高校2年の甥、そして中学2年の甥とは、神様について、自分について、友人について、恋人について、世界について、将来について、夢について、失敗について、ジョークについて、趣味について、人について、空しさについて、親について、お金について、外国について、語学について、仕事について、大人について、技術について、そして私の知らない現代日本について、それぞれ息せききって話を交わす。そこには年齢の差も男女の差もなく、ただ対等に、徒然なるままに話を交わす。答も助言もない。ただ想いを交わす。そして気づいた時は辺りがうっすら明るくなっている。

姉と二人で話す時は、電話であれ、会ってであれ、心の奥深い部分の話をする。人生について、こどもについて、喜びのことも悲しみのことも、ただ「あのね、」といって時には泣き、時には笑いながら、互いを感謝し、互いを尊敬し、互いをいたわり、そして互いに愛し合っていることを確信しながら、深〜い深〜い心の部分に、そっ〜と、そっ〜とふれ合いながら語り合う。決して交わることのないであろうそれぞれの活きている生活の中から飛び出して、互いの存在が真実に”出会う”。私は、実の姉妹でこんな風に”出会い”を感じることができるというのは、希なことだと思っている。「姉妹でこんな出会いができるって、思いもよらなかったよね。」と首を傾げながらも、「この出会いに感謝するよ」と互いに言い合う。「貴女のおかげよ」と互いに言い合う。そして心のどこかで「あなたなら分かってくれると想うけど、、、」と言葉に出さなくても存在するクッションを感じ、そしてまたいつの日か、会って、互いに深い、もっと深い部分のところで、自然に「出会う」ことを待ち望むという様な気持ちになる。弱さを表現できるというよりは、弱さも強さも忍耐も愚かさも全て、全てその状況の中に在る互いを、自然にあるがまま見つ合い、受けとめ会っている自由と信頼、希望と平安があるように思われる。単なるあらそえない「血」ではなく、不思議な出合いの力を感じるものである。

昨年秋、姉の旦那は出勤途中、この世を去った。心筋梗塞、49歳だった。私がベストフレンドの姉に会えたのは、それから一カ月経った12月半ばだった。疲れた姉に会う言葉を探せなかった妹を待っていたものは、自然で静かな再会だった。私たち二人の間には俗にいうところの「お悔やみ」の言の葉はなく、「貴女なら分かると想うけど、、、」と、口には出さない再会だった。途方に迷う不安より気丈な姉の生き様が、戻らぬ過去を返すより現実を生きようという姉の勇気が、人や事を憎むより全てを感謝に変えようとする姉の生きざまが、世を去った義兄の、地に落ちた一粒の種の様で、私にとっては悲しいのか嬉しいのか、分からない静けさの中の再会だった。妹であることが悔しいほどに、素直に姉をハグできない立場の”妹”なる自分に、日本人を悟った。

2月13日、日本出張の折、また二人でお酒を飲んだ。二人とも酔っ払ってしまい、最後はろれつが回らなくなってしまった。姉が泣いたり笑ったりしながら尽きぬ話をし、時にはうなずき、時にはもらい泣きをして、ほんのつかのまの友情を交わした。最近は、姉が泣きながら私にいたわりの言葉をかけ、私がもらい泣きをすることが多い。息せききって、話題を飛ばしながらも姉が話し、私が「ふんふん」と頷きながら聞いている光景で、「どっちが姉か妹かわかんないね」と私たちは互いに笑う。3人の子供を育てる姉は話題も忍耐も、私よりずっとずっと豊富なのだ。会えなかった母にも酔っ払った勢いで電話し、二人とも母に何を話しているのかわからない様子だった。しかし母は、このような私たちが「生きがい」だと、電話の向うで喜びながら泣いていた。私は「また、お母さんを泣かしてしまったよ。」といいながら、電話を切った。なんとも幸せなひと時だった。

「姉は私のベストフレンズの一人です」といえること、それはその関係や存在を含めて、私の数少ない「誇り」なのである。互いの所有物や過去や性格や利害に寄らず、対等に、互いを尊敬し、信じ、希望し、愛する関係の中で、鏡に向かい合った自分の分身の様に、大切にこよなくいとおしく想うものである。私はいつも、この出会いは神様が、姉の忍耐故に、私に与えてくれた人生の、大きな、大きな恵みだと感謝している。そしてもっともっと、姉を愛する自分がうれしい。どこからみても「日本女性」の私の姉は、「私のかけがえのない、ベストフレンドなのです。」と、大きな声で叫びたい、さくらの独り言。

健康のお話 「C調なお話」   蒔田 龍人

最近、インフルエンザが巷で流行っているようですが、皆さんはいかがですか?

大西さんは、さすが流行にうるさいだけあって、早速かかっちゃったらしいのですが、実は僕もかかってしまい、熱が出て大変でした。

僕はクスリが大嫌いなので、風邪にかかると一大事ですが、異常なほどビタミンCとプロポリスを摂って、今回は2日高熱を出したものの、その後は引きずることなく、ケロッと良くなりました。

そこで今回は【蒔田が風邪ひいたけどすぐ直った記念。】に、ちなんで『ビタミンC』のお話し。

もう皆さんの中でも、毎日意識して摂っている方も多くいらっしゃるであろう『ビタミンC』。

色々な効果がある『ビタミンC』。特に、ノーベル賞を2度受賞したライナスポーリング博士が1970年に出版した【ビタミンCと風邪】によって、『ビタミンC』は単なる必要栄養素としてだけでなく、風邪をはじめとして様々な病にも治癒効果があるものとして、全米で大きなセンセーションを巻き起こしたそうです。

『ビタミンC』には普遍的な抗ウイルス作用があり、風邪だけでなく、インフルエンザ、伝染性単核症(腺熱)

ウイルス性肝炎、ヘルペス等のウイルス性感染症にも有効であるとの事なのだそうです。

また、白血球が食菌活動を十分に行う、すなわち、免疫力を高めていく上でも『ビタミンC』は不可欠で、『ビタミンC』が減少してくると、免疫系の障害としてのリウマチ関節炎やアレルギー反応をはじめ、血液の凝固障害や、副臓機能の低下によるストレス対応の失調等を引き起こすそうです。

そして、生活習慣病のひとつである、糖尿病に対しても、インシュリンの注射や、食事療法に加えて、『ビタミンC』の摂取を増やす事によって大きな結果を出す事や、フェルケトン尿症、ガラクトース血症にも効果がある事が実証されています。

また、『ビタミンC』はストレスをも緩和し、術後の治癒力を促進する効果もあるそうで、ポーリング博士は手術をする時には、特に『ビタミンC』を多く摂れという事を述べております。

じゃぁ、一体どれくらい?って事になりますが、ポーリング博士によれば、一日2〜3グラム本当は必要で、

風邪をひいた人には、初期に1〜2グラムの『ビタミンC』を一時間毎に摂ると良い。との事。

しかし、この『ビタミンC』、体内で造る事が出来ないので、外から取り入れるしかないのですが、どういった一般の食物に多く含まれているかと言うと、もう皆さんの方が良くご存知とは思いますが、オレンジを代表とした柑橘系、イチゴ、アセロラ、キウイフルーツ、さつま芋、日本茶ナドナドが身近ですよね。

今は色々なビタミン剤が有りますから、直接『ビタミンC』を簡単に摂れるので、楽です。

『ビタミンC』は、クスリと違って大量に摂っても副作用の恐れが無いから、心配もいりません。

まだまだ研究中のビタミンと健康との深〜い関係。皆さん良くご存知の『ビタミンC』でも、奥が深そうです。

ところで、先日風邪をひいた事を言いましたが、クスリ無しで立ち向かった方法が、まだ有りました。

それは−鼻を洗う。−これも効きます。

これは、お塩を溶かしたぬるま湯をコップにいれ、そのコップの淵に鼻を突っ込み、お湯を鼻から吸って、口から出す。

要するに、うがいの鼻版。といったところでしょうか。鼻腔と喉とを一緒に洗うんだそうですが、これがまた、最初は苦しくて、コップで溺れそうになって一人で笑った事が有りましたが、今は一日一回やらないと気持ちが悪いくらいに病み付きになってしまいました。

これもひとえに、風邪をひいたおかげと思っております。

だがしかし、独身の方は、あまり好きな人の前ではやらない方が良さそうですが..。

それで思い出しましたが、象は確か、水を鼻から飲んでいましたよね。

やはり、象はいつも鼻を洗っている様なものだから、なかなか風邪をひきゾウにもありませんね。(苦しい..。)

一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その11

パソコンは便利な道具ではない。底意地悪い生き物だ!!

コンピュータ・ショップに行けば、いつだって最新モデルのパソコンが並び、数ヶ月前までの最新モデルは店の隅にでも展示されていればまだ良いほうだ。

 コンピュータとそれを取り巻く周辺情報機器の変貌には本当に目が回りそうな感じでついて行けない。それ程この分野は技術革新が急速だ、と言えば恰好がいいが、見方を変えれば、そんなに急速に変わらねばならない程の未完成分野であるとも言えるのではなかろうか。

現在のパソコンは、まだまだ私のような経験の浅い素人には手に負えない事が多すぎる。

膨大なマニュアルの冊子は難しくて読む気にならず、かといってキーボードのキーをひとつ間違えても絶対に動いては呉れやせぬ。

「 まあ、そんなお堅い事を言いなさんな 」 となだめてもだめ。 「 このやろう! 」 と睨み付けてももっとだめ。一体、どうすりゃあいいんだろ。

 その上、こちらが急ぎの時に限って画面が狂ったり、時にはフリーズ(画面の凍結)して、 「 スト突入 」 なんて事をしてくれる。

インターネットだっておんなじだ。どうしても知りたい情報を検索するといつまで経っても 「 呼び出し中 」 で出てこない。ようやく出たかと思うと “ File Not Found ” とか何とか言ってみせてくれない。このやろう、私に何の恨みがあるんだよ!!

今どきのパソコンは オジンいじめが好きな底意地悪く加虐趣味の生き物だ。 オジサンを困らせても反省のかけらも見せぬ代物だ。便利な道具だなんてとんでもないよ!!

私みたいな素人オジンでも優しく付き合ってくれる “ パソコンちゃん ” とは何時巡り会う事が出来るのだろう。早くそんな時代が来ないかナ。

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

河合さん、さくらさん、蒔田さんの原稿を日本で受け取り、ここで編集することになりました。いつもながらすばらしい原稿をありがとうございます。息子のコンピューターに必要なソフトウェア‐をインストールし、読者のアドレスを移植しました。今回も途切れることなく雑貨屋を発行することができました。感謝!

河合さんのあまり知られていないLAの観光スポット40と41をホームページに掲載しましたので、ご覧ください。

http://home.earthlink.net/~ronishi/unkwnLA.htm

雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけます。

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm/

Zakkaya Weekly No.146

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net