Zakkaya Weekly No.141

Ryo Onishi 1/24/99  バックナンバー  Homepage

雑貨屋のひとり言

 最近電話のプリペイドカードをこのアメリカでもいろんなところで見かけるようになりました。先日、出張先から、そのカードを使ってワイフに電話してみました。カードの裏に書いてある電話番号にダイアルし、PIN#とやらをプッシュ、それから目的の電話番号をダイヤルすると、「何分残っています。」と知らせてくれます。小銭がなくてもどこにでもかけられるのでとても便利ですね。残り時間が短い時に電話したら途中で切れてしまうのかなあと、つまらないことを考えています。どなたかご存知ですか? (R.O.)

複雑は単純に、単純は複雑に

以下は大阪・船場出身の俳人、楠本憲吉氏の講演会のテープからの借用です。

 詩人、島崎藤村と民族学者の柳田国男の二人は親友同志であり、ある時 二人が 今で言う “ヒッチハイク” で 伊良湖岬(愛知県 渥美半島の先端)まで行ったそうです。

海を眺めながら語り合っていた二人の目の前の海岸に 「椰子(やし)の実」 が一つ流れ着いていました。ご承知のように 「椰子の実」 は 遥か南方の国々にしかないものなので、その椰子の実は 遠い南から流れ着いた事になります。

それを見た 柳田国男は海上にもきっと南から日本へ向かう道があるに違いないと考え、それが彼の有名な 「日本民族、南方渡来説」 のもとになったのだそうです。

一方 島崎藤村はその椰子の実を題材にして “名も知らぬ遠き島より・・” という不朽の名詩 「椰子の実」 をつくりました。

私達がつい見落してしまうような たかが 「椰子の実」 一つから偉大な学説や不朽の名詩を導き出すのですから 藤村、国男の二人はさすがです。

私達は 何か複雑なことを考える時、いろいろ複雑に考えすぎて 「ものの本質」 をつかめず 焦点が定まらないで終わってしまう事がしばしばです。上記 柳田国男のように日本民族の発祥という複雑な問題を 「流れ着いた椰子の実」 という単純な事実に置き換え、偉大な学説にまで展開させるやり方は何か私達にも示唆するものがあると思います。

私など ただでさえ単純な頭脳の構造なので複雑な世の中を複雑に考えたら、脳みそが壊れてしまいかねません。 「複雑な事は出来るだけ単純な事から」 考えるのは現代の複雑な時代をいかに生きるかという難問に対する一つの答えになるかもしれません。

また同時に前記のエピソードは 「単純な事柄は出来るだけ複雑に」 という先程とは反対の示唆も含んでいそうです。たかが一個の 「椰子の実」 という単純なものから 複雑な学説、名詩が生まれるのですから普段 単純・明快で疑問も何も感じない事象も安易に見逃さず追求して行けば意外と重大な発見・発明にたどり着くかも知れません。

「複雑な事は単純な事から考え」、「単純な事は複雑に考え」ること。これもストレスのない人生を有意義に送る一つのヒントになるでしょう。

ところで もし私が 藤村、国男の二人と一緒に椰子の実を見つけたとしたら、早速 実を割って食べられるかどうか 調べ、だめなら実を蹴っ飛ばして終わり・・なんてところがオチでしょう。

――― まあ、そんなところでしょうネ。これじゃあダメか。

 河合 将介 ( skawai@wakao.com )

さくらの独り言 「めざしになりたい」

さくら:「ただいまあ〜」

母:「おかえりなさい」

さくら:「おなかすいた、おひるなあ〜に?」

母:「めざしと唐芋よ」

さくら「えっー!!!」

おなかをすかして帰宅した秋の土曜日、こんな情景がそこにはあった、さくら小学生、今から30年(ホント)位前の事である。腹ぺこで帰宅する「戦争を知らずに生まれ育った」私にとって、”めざしと唐芋”のお昼は”ランチ”ではなく強力パンチであった。

  父にその昔お世話になったという律儀な方が、毎年その季節になると自家製薩摩芋を届けてくれた。この唐芋が届けられると、母は厚手の鍋でそれを蒸し、同時に”めざし”を焼いて食卓に備えてくれた。その唐芋は紫色で、まるで栗の様な甘みのあるものだった。そしてそんな時は決まって、説教好きの父が「戦時中(戦後)は、、、、」とか、「自分が小さい頃は、、、」とか、激動の時代と食料不足についておやじ太鼓を鳴らしまくり、私たちは芋の味も分からぬ程うんざりとするのだった。そして戦争を知らないこどもの私にとって、この”めざしと唐芋”は 期待はずれのランチであり、「今日のお昼は”めざしと唐芋”だった」なんて恥ずかしくて、とても友人には言えなかった。友人宅のランチメニューは”三段重ねのホットケーキ”、”オムライス”、”グラタン”そして”肉まん”や”お好み焼き”といったものだったから。中には”隣のてんぷらやの薩摩揚げとコロッケ”という子も居たけど。唐芋もめざしも、そして父の自慢話を含む貴重な体験談も、その時代小学生だった私にとって真に味わうことは、大変難しかった。

今月訪ねたLAの海岸で、青く透き通る海に釣り糸を垂れている人々の側を通った。餌魚は自分が餌であることも忘れ、大海に放たれ喜び勇んで泳いでいた。その魚はちょうど”めざし”の様な大きさだった。同時にまた紫色した唐芋を思い出した。”めざし”は塩をした小魚の目をわらや竹串で刺して干された干物の一種でことで、カルシウムたっぷりの食品である。また唐芋は薩摩芋の別名である。これは私たちの生命維持・生活活動に必要なエネルギーを供給し、熱量素とも呼ばれる3大栄養素、脂肪、炭水化物、タンパク質でいうところの炭水化物であり、体内で糖分に分解されエネルギー源となる。私は栄養学専門ではないので、そのカルシウムとこのデンブン質がどのような相互作用をするのか、知らない。しかし、このカルシウムと炭水化物の組み合わせは、疑う予知のない日本人の知恵が隠されている気がする。   その昔食糧難の中、生活活動に必要なエネルギー補給としてバランスのとれたものだったに違いない。だから何となく私は「芋にはめざしが最高」と思い込んでしまっている。(こ

の科学的栄養学的分析は、河合主筆にでもいつかリサーチして頂くことにしよう。)

「さくらさんの好みって(好きなタイプって)芋よね!絶対!」(誤解のないように雑貨屋130号”恋”を参読下さい)と、ある友人がよく言う。その度に「そうかなあ?!、いや〜私が好きな人って”男のロマン”があると思いません?、何かほらロマンが、、、この汚いオハイオ川の岸辺に一日中一緒に座っていても飽きない、そして語らずとも伝わるロマンが、、、男らしいというか、何というか、、、」「エッ?ロマン?、ただ芋くさいだけよ、芋よ芋!」と言われ続けている。先日この友人が私の知らない人を説明した時「あの人はさくらさんの好みかもね」なんて言ったのに対し、「そのお方、芋っていうこと?」と無意識に応えていた。

戦中戦後の知恵を伝えようとした父、そして世話になったといいながら一時的に高価な品を届けるでなく、手製の物を毎年届けてくれたその人、私の育った時代の食事を熟知しておきながらめざしを焼いた母、なんだかやっぱりロマンなのだ、わたしにとって。そして今、友人が言う様に『私の好みが”芋”』ならば、せめて私は”めざし”になりたいと、願うさくらなのである。さくらに恋された人、それはもう『あなたは”芋”!』と調印を押されたようなもの。それでもかまワンともし貴方が言えるなら、貴方は紫衣を身に纏う高貴なお方なのかもしれないね。だって紫芋は貴重なのだから。先日電話で母が言っていた「もう紫色の薩摩芋は姿を消してしまったわ。」と。ロマンと芋、それはつながらない言葉だけれど、それでもいい。私はめざしになりたい。もしも貴方が芋ならば、、、。   さくら

クッキーの怠慢・自慢・味自慢

怠慢フルーツサラダ

材料:

お好みのフルーツ (バナナ、リンゴ、ぶどう、パイナップル、メロン、スイカ等)

オレンジシュースもしくはパイナップル缶のジュース少々

JELL-O ジェロ(ストロベリー)

オプションとしてクルミやレーズンなど

作り方:

1)お好みのフルーツは小指の第一関節くらいの大きさに切っておく。ぶどうは、半分に切る。

2)ボールに1)とジュースTB2位入れる。

3)ジェロの粉を振りかけ、まぜる。

4)冷蔵庫で10分程冷やして、召し上がれ。

好みにあわせてナッツや木の実を加えてもいい。

ポトラック、こどものデザート、米人とのパーティーの一皿に、サラダ代わりに、アイスクリームのトッピングにどうぞ。

健康のお話「もう寝ようと思ってしまう、お話」 

蒔田 龍人

  140号では「皆さんの反響によっては最初で最後かも。」と述べましたが、かえって暖かいご支援をいただきましたので(ありがとうございました、クーッ。)、調子に乗って第2回。

  先週は「物言わぬ臓器」といわれ、病んでいても症状がでない肝臓の調子は、『おなら』の匂いが参考になる。という内容でしたが、今回は『睡眠』。

 一時とても話題になった、アルファー波がどうした、って言う事は、僕自身勉強不足で、昔は授業中に寝ていると、先生に、「コラッ、おまえ何やっているんだ!」って言われて、「今、アルファー波を出していました。」って訳の解らない言い訳に使う材料程度でしたので、ここではご勘弁させてもらって、もっと簡単なお話。

 いまさら『睡眠』なんて、っと思う方もいらっしゃるでしょうが、これがナカナカくせもの。

皆さんは、一日平均何時間位、寝ていらっしゃいますか?

多分、なにかとご多忙な皆さんの事、寝る間も惜しんで...という方、沢山いらっしゃると思います。

『睡眠』は健康管理の中で大切な事、皆さん良く知っている筈なのに、つい、疎かにしてはいませんか?

 さて、この『睡眠』、基本的に1日7時間から9時間が理想的で、7時間以下でも9時間以上でも体には良くないそうです。(基本的に、と述べたのは、量より質で、短時間でしっかり上記の時間と同じ位、熟睡できる人もいる為。)寝不足は勿論だし、寝過ぎもボケちゃいますもんねぇ。

それでは、なぜ『睡眠』は健康に欠かせないかというと、睡眠中は各種のホルモンが分泌されて体調を整え、又、免疫機能(自然治癒力)も高めているそうです。

要するに、皆さんが寝ている時間に、自分で自分の体をオーバーホールしているのです。

  『睡眠』中に体温がちょっと上がるのも、この為でもあるそうで、一日中、常に行われている細胞の製造も、『睡眠』中が最も活発なのだそうです。皆さんも、思春期で体が成長している時や、風邪をひいて熱が出たり、事故なんかで怪我をしてしまった時は、やたらと寝ていた、という経験があったと思います。

  又、僕が今までお会いしてきた方々の中で、顔の色艶が良く、お肌もイキイキスベスベで、化粧のノリも良いけど、ぜんぜん寝る暇が無いからいつも寝不足ョ。という人は、残念ながら未だにいらっしゃいません。

それだけ、毎日の『睡眠』が健康維持には大切な事なのです。 なのですがーっ、現在のアメリカ人の5人にひとり、日本では何と、3人にひとりが睡眠障害(いわゆる寝不足が原因で起きる障害。)になっているそうです。

健康もさる事ながら、こういった睡眠障害によって、居眠り運転なんかの事故等を起こしてしまわないとも限りませんので、そういった意味でも『睡眠』を充分とれる様、心がけてみてはいかがでしょうか?

 ねっ、これを読んで少しは、「もう寝よう。」って思いませんか?えっ、なかなか寝付けないから睡眠時間が短い?そういう時は、暖かいミルクと難しい本。これ効きますヨー。

  なにっ?不眠症?これにも効く方法があります。実は僕が不眠症になった時にした事、− 寝ない−。そう、意地でも−寝ない- ...。 1日で終わります。もし、重病の方でも、もう眠くて眠くてたまらない状態になるまで3日かからないでしょう。それでも日中、我慢できなくなって寝てはいけません...。 −夜まで寝ない− 。 翌朝爽快。

  羅府の庄助さんの逆転発想みたいなもんです。 寝ようとするから不眠症と言う事になる訳で、最初から寝なければ、それは不眠症とは呼ばない。寝れない、じゃなくて、起きている。という事だから気が楽になる。

アッ!寝る時間過ぎてるっ! それでは皆さん、おやすみなさい。

『 萬 歳 三 唱 令 』 梅 野 満

 今年の某業界の某新年会の席で、その会の長老より一枚の紙をもらいました。それには、「萬歳三唱令」 − 太政官布告第百六十八号 と、書いてありました。萬歳三唱の方法が太政官布告として出ていることなど、未だかって聞いたことがありませんでしたので、ひょっとしたらヨタではないかと疑ってしまいました。しかしながら、その長老の歳を考えると、明治天皇の名前をかたっているとも思われず、信じることと致しました。これまでに、何十回、何百回も萬歳三唱をさせられてきましたが、その方法についての説明を受けたことは、一度もありません。

 この太政官布告にのっとって、萬歳三唱をすることを教わった方は、いつごろ、誰から教わったのか、思い出して、私に教えて下さい。

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萬歳三唱令

施行 明治十二年四月一日

太政官布告第百六十八号

  1. 萬歳三唱ハ大日本帝国及ヒ帝国臣民ノ天壌無窮ノ発展ヲ祈念シテ発声スルモノトスル
  2. 発声ニアッタテハソノ音頭ヲトル者ハ気力充実態度厳正ヲ心掛ケルヘシ
  3. マタ唱和スル者ハ全員ソノ心ヲ一ニシテ声高ラカニ唱和スルモノトスル

  4. 唱和要領ノ細部ニツイテハ別ニ定ム

朕萬歳三唱令ヲ裁可シ之ヲ公布セシム コノ布告ハ明治十二年四月一日ヨリ施行スヘキコトヲ命ス 御名 御璽

萬歳三唱ノ細部実施要領

一 萬歳三唱令ノ実施ニアタッテノ基本姿勢ハ直立不動ノ姿勢ナリ コノ際両手指ヲ 真ッ直ク下方ニ伸ハシ体側ニシッカリ着ケルモノトスル

ニ 萬歳ノ発声トトモニ右足ヲ半歩踏ミ出シ同時ニ両腕ヲ垂直ニ高々ト挙ケルヘシ コノ際両手指カ真ッ直クニ伸ヒカツ両掌ヲ正シク内側ニ向ケテオクコトカ肝要ナリ

三 萬歳ノ発声終了ト同時ニ素早ク元ノ直立不動ノ姿勢ニ戻ルヘシ

四 以上ノ動作ヲ両三度繰リ返シテ行ウヘシ イスレノ動作ヲトルニアッタテモ節度ヲ持シカツ気迫ヲ込メテ行ウコトカ肝要ナリ (以上)

    一口コラム:「逆転発想もまた楽し(その6)」

小は大を兼ねる

私達は普通、 「大は小を兼ねる」 と覚えてきました。世の中の事の多くはその通りでしょうけれど、最近のコンピュータの世界では必ずしもそうではないようです。仕事の内容にもよりますが、現代では高価・高性能な大型コンピュータより 小型パソコンをネットワークで繋ぎ、有効に利用した方が、かえって効率もコストもはるかに有利になる事が多い時代です。 「小が大を兼ねる」 のです。
また 「大きいことはいい事」 とも限らないようです。企業も厳しいダウンサイジングの時代を迎え、売上高・従業員数・オフィススペースが多い (広い) 事は、今や自慢にならず、高効率を求める時代です。

“ Biggest ” より “ Best ” 、“ Number One ” より “ Only One ” が求められる時代になりました。

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

  パソコン勉強会なるものを企画して、皆様といっしょに勉強しようと考えているのですが、なかなかうまく時間がとれず、申し訳ないと思っています。できるだけ開けるように努力するつもりです。提案なんですが、せっかく雑貨屋があるのですから、皆様の困っていることや勉強したいことを連絡していただき、雑貨屋で取り上げたいと思います。日ごろ、パソコンに関して疑問に思っていること、知りたいことなどをお知らせください。雑貨屋でわかるところはお答えしますし、わからないことは、皆様にお尋ねして、知恵を出し合って行けばいいと思います。きっと同じような問題や、疑問を持たれている方が多いと思いますいかがでしょうか?

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm/

Zakkaya Weekly No.141

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net