Zakkaya Weekly No.138

謹賀新年

Ryo Onishi 1/3/99 バックナンバー  Homepage

雑貨屋のひとり言

明けましておめでとうございます。年末年始、皆様からEメールでクリスマスカード、年賀状をたくさんいただきありがとうございました。雑貨屋からのご挨拶は届いたでしょうか?プールで遊んでいる子供たちの歓声を聞きながら、雑貨屋を編集しています。ロスは穏やかで暖かいお正月です。

買い物に行くとサービスコーナーにはたくさんの人が年末に買った商品を返品するために列をつくっています。これもアメリカの風物詩のひとつなんでしょうね。(R.O.)

美・感・遊・創

 1900年代最後の年を迎えました。

激動する時代の、厳しい環境に適応して生存するだけでも大変な時にもかかわらず、新年を無事迎える事が出来た幸せを噛み締め感謝しつゝ、今私はこれからの一年の日々をどのように過ごそうか思い巡らしているところです。

昨年、私達が受信した日本のニュースは過去の垢(あか)と膿(うみ)にまみれた暗澹たるものが際立っていました。世界の一流であった筈の経済も金融も経営も、そして人々のモラルまでも地に落ちた感がありました。

「日本からのニュースを見ていると、お前の国では毎日のようにどこかの会社の経営者が『ゴメンナサイ』と言って最敬礼をしているね」 なんて皮肉交じりにアメリカ人から言われ、歯ぎしりしたのも一度や二度ではありません。

今の日本と私達日本人に足りないもの、それは一体何なのでしょうか。ある人に言わせるとそれは今の日本が戦後高度成長の後始末で経済・金融不安などが表面化したため国と国民が少々自信をなくしているだけであり、1〜 2年もすればまた経済も上向き、世界の一流国へ復帰するから何の心配もないとの見解でした。この見解にも確かに一理あると思います。

ただ昨年の日本はどうも高度成長の後遺症とか景気循環と言った所謂 教科書的解説では説明しきれない何か不気味な影を見るような気がてなりません。もっと根本的なもの、例えば私達の心にいつのまにか定着している“経済(お金)と物の豊かさ”に対する偏った崇拝主義といったものが問題の根底にあるのではないでしょうか。

私は今の日本人に足りないもの、それは“心の豊かさ”ではないかと思っています。もし“心の豊かさ”なしに日本が再び経済高度成長期を迎えた時、回復するのは“自信”ではなく“傲慢”と言う事になり兼ねません。私は“心の豊かさ”とは“心のゆとり”とも相通じ、物質や名誉、欲望だけに執着するのではなく、自分の個性を磨き、自分を知り、他人を理解する事から始まるものだと思っています。

“美・感・遊・創”という言葉があります。美(美しい心で)、感(感性を磨き)、遊(遊び心を持ち)、創(創造的であれ)と私は勝手に解釈しています。 この“美・感・遊・創”を心がけるのも“心の豊かさ”のための第一歩かもしれません。尤も何が“美しい心”や“感性、遊び”で、どうすれば“創造的”なのか定義などありません。私達一人一人が自分で探し出す事なのでしょう。

当“Zakkaya Weekly”にいつも心に響く文章を投稿されている“さくら”さんが、「“遊び”はセンスの高い言葉であり、出会いの玄関である。創造の出発である。」とお書きになっていますが、まさにここで言う “遊び” は私の上記“美・感・遊・創”の“遊”に相当するものだと思います。(Zakkaya Weekly No.135、さくらの独り言「遊ぼう!」)また“さくら”さんの車のハンドルになぞらえた“あそび”の意義と程度についての記述はまさに卓見だと思います。

1999年は1900年代の 締め括りの年として、そしてまた2年後に迫った 21世紀への架け橋の年として、物・心両面のバランスのとれた真に豊かな社会造りを目指す年としたいものです。

新しい“卯(うさぎ)年”を迎え、私も兎のように良く耳を立て情報を集め、微力ながら何かこの面で成果のある役割をはたし、来るべき新世紀に備えたいと思っています。でも果たして私に何が出来るのでしょうか。あまり大きい事は言わず身の回りの小さな事から、とに角何かをさあ始めよう!。

河合 将介 ( skawai@wakao.com

 

さくらの独り言 「『トシ』をとるということ」

 『トシ』をとるということは、益々『日本人になっていく』ということを感じる。

『トシ』をとるということは、益々『日本文化に深く触れる』ことだと思う。

『トシ』をとるということ、それは丸くなるのではなく、ますます『頑固になる』と気づく。

『トシ』とるということは、益々『チャンレンジが多くなる』ことだと痛感する。

『トシ』をとるということは、『孤独の危機』、『自立の危機』、そして『死の危機』の真意を益々『問われる』ことだと知らされる。

そして『トシ』をとるということ、それは何をすることもなく、誰でも等しく『与えられるもの』だと実感する。

徒然草を描いた吉田兼好は、その155段の中でこう述べている。『春暮れて後夏になり、夏果てて秋の来るにあらず。春はやがて夏の気をもよおし、夏よりすでに秋は通い、秋はすなわち寒くなり、、、云々』。彼の鋭い洞察の通り、私たちの人生には、幼年、少年、青年、壮年、そして老年の時(季)があり、迎えるその時々の時に、既に次の時の気(季)が感じられる。青年の時はすでに壮年の、壮年の時はすでに老年の気(季)が感じられるものだと理解する。これは生の中に、つまり活きるということの中に死があり、しかし死の中に新たな命があるということを伝えていると思う。兼好法師はまた同段中『木の葉のうつるもまず落ちて恵むにはあらず。下よりきざしすはるにたえずしてうつるなり。むかうる木の下にもうけたるゆえに』とも述べている。木の葉が散っていくのは、枯れていくから落ちるのではなく、下から新しい芽(命)が出てきて、それに絶られなくなって落ちるのだと云っている。目に見えるもののみを観ていると枯れて落ちる理解に留まり、兼好の深い知識により近づこうと務めれば、「命が尽きるのではなく新しい命を観る」ということだろうか。

新年休暇に借りてきた久しぶりに見る日本テレビビデオ。数年前のものらしい。顔は知っいるが名前は知らない若いタレント達演ずる青春ドラマ。いつもは飛ばすコマー

シャルも懐かしさのあまり見てしまう。昔は下手でどうしようもなかった歌手がなかなかなコマーシャルソングを歌っている。この歌手の歌も随分成長したものだと認める。そして下手な歌もうまく聞かせてくれる先端技術の凄さも認める。その世界の中で活きている自分を知る。これって『トシ』をとるということなんじゃないかと、思う。押し出されている自分がわかる。そして今、受験時代に覚えた古典の真意を探ろ

うと思いたつ。徒然なる思いに酔う。『トシ』をとるということなのだろうか?

『トシ』をとるということは、こんなものだと限定できない。だが私が『トシ』をとるということは、序文のごとく素晴らしいこと、喜びであり、感謝である。それは微力な自分と素晴らしい生を喜ぶこと、ますます『自分のアイディンティティ確立』に

こだわること。そうありたい。「あれ、これって、『トシ』をとるっていうこと?」と自問しながら。まだまだ顔の皺は気にならない。”歳”をとることは忘れている、元旦のさくらである。

「クックの怠慢・自慢・味自慢」  クックさん

私はさくらさんの友達で、通称”クック”です。私は怠慢ですが食べることは大好き。それが私の自慢です。既にご存じのメニューやクックアイディアかもしれませんが、これから機会がある時に「雑貨屋」さんにお届けしたいと思います。今回は「怠慢つまみ-その1-」です。(子供のおやつ、酒のつまみ、夕食の一品にどうぞ)これからみなさんの知恵やレセピーを雑貨屋さんで交換できたら、楽しいですね。

材料: ・チキンささ身もしくは股肉(ホワイトミートの部分)

・普通のポテトチップス

・塩・コショウ・ガーリックパウダー

・台所用プラスチックバッグとサランラップ

作り方:

(1)チキンを2センチ位の大きさに切り、塩コショウ、ガーリックパウダーをふる。

(2)プラスチックバッグにポテトチップスを入れ、適当に叩いて割り、その中に(1)を入れ、回りにまぶす。

(3)(2)を皿に適当な間隔を空けて置き、サランラップをかぶせて2分そして裏返してもう2分、電子レンジで”チーン!”、はいできあがり!!!。

(電子レンジの大きさやチキンの大きさによって、時間は多少違います)

 一口コラム:「逆転発想もまた楽し(その3)」

 切手を貼らずに手紙を相手へ配達させる法

最近の年賀状は E-Mail による方法が増えてきましたが、それでも在来の郵送による年賀状が数の上では圧倒的に多いのが現実です。私のような不精者でも (というより普段便りを書かない不精者だからこそ) 年末・年始の時期になると日本の兄弟、親戚、友人、知人へ年賀状を書きまくり、私の “存在” を強調しています。

さて年賀状を郵送する時、当然ながら “切手” を貼らなければ 郵便局は受け付けてくれません。私はせっせと年賀状に年始の挨拶を書きながら、逆転発想をしてみました。 そしたら大発見です。何と 切手を貼らずに手紙をポストに投函しても、郵便局がちゃんと私の目指す相手に配達してくれる方法を思い付いたのです。

郵便物は切手を貼り忘れたり、切手の金額に不足があれば原則として配達してくれず、差出人に返されてしまう筈です。だから ・・・・・・ おわかりですね。 そうです。差出人と相手先の住所・氏名を逆に書いて ポストに投函すれば良いのです。

差出人の住所・氏名を書くべきところへ 郵便物を届けたい人の住所・氏名を書き込んでおけば、切手の貼ってないこの郵便物は “郵便料金不足” で差出人(本当は届けたい相手)に返されてしまうでしょう。逆転発想は楽しいですね。

(陰の声: オマエ、正月早々 ナニをくだらないこと、考えているのだ? オマエも遂に落ちるところまで落ちたネ)

(私の声: ジョーダン!ジョーダンだよ。年の始めに堅いこと書いては 無粋なので ジョーダンで書いただけさ)

ただ、この方法は本来届けたい相手の住所近くの郵便ポストへ投函しなくては ダメでしょうね。――相手の家の近くまで行くのなら こんな面倒なことをせず、直接相手の家の 郵便受けに入れてくれば良い訳だ。 ―― やっぱり駄目か!   ――― 羅府の庄助さん ―――

サウスベイのNO. 1映画館   正岡 学

  如何にホームシアターが発達した来た今日でも映画館の迫力にはまだまだ程遠い状態で,特に映画TitanicSaving Private Ryanなどの大スペクタクルな映像を見るとその迫力と臨場感には未だに雲泥の差があります。ビデオデッキが発売されビデオレンタル店が出始めたころ,映画館は廃業に追い込まれると多くの人が心配した時期がありますが、実際はその心配とは裏腹に映画興行総額はそれ以後大きく伸びてきており、ちなみに98年の北米における映画興行成績は前年度比9%アップの約70億ドルだそうです。映画興行成績の伸びに伴ってか最近は映画館のサイズが大きくなっていくトレンドがあるようでロサンゼルスの映画館を客席数別に見た大きさのトップ25の内6つは1998年に新築オープン、それ以外に4つは拡張・内装工事などを今年行った物です。

  我々が住むサウスベイでもそのランキングに入るものは幾つかあります。23位にはGeneral Cinema Galleria at South Bay (客席数:2800, 上映スクリーン数:16、オープン年度:1997), 19位にはMann 9 Del Amo Fashion Center (客席数:2891, 上映スクリーン数:9、オープン年度: 1991),そして10位にはAMC Rolling Hills 20 Theaters(客席数:4000, 上映スクリーン数:20、オープン年度:1986、改装年度:1997)があります。ちなみに第一位に輝いた映画館はユニバーサルスタジオの映画館Universal City Cinemas at Universal City Walk (客席数:6000, 上映スクリーン数:18、オープン年度: 1987、改装年度:1993)でした。

  映画好きの小生としましては映画館のスクリーン・画質の良さ,音響設備,座席の座りやすさ等は何の映画を見るかを決めるのと同じく重要度が高いものです。それらの要素を考慮に入れた上で映画館を選んでみると、AMC Rolling Hills 20 TheatersはサウスベイのNO. 1映画館と言えるでしょう。又,上記客席数別ランキングでは10位であったAMC Rolling Hills 20 Theatersですが映画鑑賞の快適さからみると1位のUniversal City Cinemasと比較しても大差をつけて一押しの映画館です。まず,その幅広で背もたれの高い座席の座りごちたるや最高であるでけでなく, 各劇場にある座席の3分の2は段々と後部に行くに従って高くなっており前の座席に身長2メートル近い人が座っても何ら問題なくスクリーンを見る事が出来る設計になっています。これは日本の特別料金を払ってはいる二階席を彷彿させます。勿論AMC Rolling Hills 20 Theatersはアメリカですから特別料金を払う必要などありません。又,臨場感溢れる音響設備は最新の機器を使用していると思われます。

  ここでサウスベイNO. 1映画館について皆さんに耳寄りな情報があります。AMC Rolling Hills 20 TheatersのあるPCHと Crenshaw Blvd. 角にあるRolling HillsショッピングセンターでTOGOSというサンドイッチのファーストフードのお店がありますがここではAMC Rolling Hills 20 Theatersと提携してMovie Deal というサンドイッチと映画の入場券クーポンをバッケージにした商品を提供しています。簡単に説明しますとこのMovie Dealはサンドイッチの値段プラス$4で1年間以上有効の映画入場券クーポンが購入できる大変お買い得な物なのです。例えばラージサイズのハムとチーズのサンドイッチ($4.89)のMovie Dealは$8.99です。この入場券クーポンは昼間,又は夜の上映に関係なくいつでも使用可能で,AMC系であればどこの劇場でも有効です。唯一の使用上の規制は新しい映画上映開始後12日間は使用できない事です。使用方法は映画の入場券を買うときにお金の代わりにその入場券クーポン出すだけで,身分証明提示などの厄介な手続きもありません。もしサウスベイの読者の皆さんの中に未だTOGOSのMovie Dealをお試しになった事のない方はお昼にサンドイッチを食べるついでに映画のディスカウント入場券クーポンを手に入れられてはいかがでしょうか。小生はTOGOSの回し者ではありませんが、賢いサウスベイの消費者の皆さんであればその価値はお分かりになると思います。It is definitely worth the price!

  多くの超大作が上映される年末年始ですからどうせなら座り心地良い設備の整った映画館でたくさんの良い作品を出来るだけ安い価格で楽しみたいものです。

一口コラム:「 年 始 ―- 初 夢 本 番 編 」

いつも「一口コラム」 に駄文を投稿し、ご愛読いただいている 「羅府の庄助さん」 です。

先週のこのコラムに 「年末 ― 初夢予告編」 を投稿しましたので、その後の “夢” について ご報告いたします。

(1)12/27 〜 12/28 の夢 : 雑貨屋あて(だったと思うのですが)原稿を E-Mail で発信しようとするのだが、なぜか私のコンピュータが動かず(画面がフリーズして)、思わず手許の野球のバットでコンピュータを叩き壊しそうになったところで目が覚めた。 ・・・・・・(所感 : ちっとも前向きな夢ではありませんでした。まだ修行が足りないようです。1999年もまたコンピュータでは苦労しそうだナ)

(2)12/28 〜 12/29 の夢 : 夢はいくつか見た筈なのだが、どうしても思い出せない。 ・・・・・・(所感 : まだまだ修行が足りないようです)

(3)12/29 〜 12/30 の夢 : 目の前をやけに明るく眩しい光が進んで行く。とに角 眩しい。―― ただしこれは前夜の就寝が遅かったので つい朝寝坊してしまい、朝の光が眩しかっただけ。 ・・・・・・(所感 : あまり自慢にならない夢でした。でも前途が眩しいほど明るかったのだから、よしとしよう)

(4)12/30 〜 12/31 の夢 : 妻とカリフォルニアの海岸沿を北上、ドライブに出掛けた。 途中、なぜか富士山が見え隠れしていた。着いたところが これまたなぜか日本の信州、霧ケ峰。日米の友人、知人と大騒ぎして草原の上で昼食を楽しんだ。但し 昼食の弁当は “Take- out” の稲荷寿司だった。・・・・・・(所感 : 1999年も周囲の皆さんに仲良くしていただけそうだ。よかった。よかった。その上、 3大初夢(一富士、二鷹、三茄子) のトップの富士山を見るなんぞ、幸先よいね。ただお弁当が “Take- out” の稲荷寿司とは、ちょっと淋しかったナ。 マッ、イイカ!!)

(5)12/31 〜 1/1 の夢 : 大晦日の夜、遅くまで (というより、元日の明け方まで) 起きていて、夢を念ずるのを忘れたためか、何だかわからないうちに元旦になってしまっていた。 ・・・・・・(所感 : 深く反省)

(6) 1/1 〜 1/2 ( 初夢本番) : 念願の私の書いた本 (だと思うのだが) が完成、出版された。出版記念のサイン会を ○ ○ 書店( 見覚えのない小さな書店だった ) で行う。 私は表紙裏にサインペンで自分の名前を漢字で書き、その横に なぜか “無条件幸福” と書き足していた。 ・・・・・・(所感 : どうせなら、世界平和の為に貢献するとか、ノーベル賞を受賞したとかスケールの大きい夢を見たかったけど、所詮私の初夢作戦なんぞ、結果はこの程度でした。でもまあこんなものでしょう。自己採点65点。 ただし、この初夢の実現可能性は??? ―― “夢は現実化する” という思いは やはり “夢” でしかないようです)それにしても添え書きが“無条件降伏”でなく、“無条件幸福”でよかったね。 ―― 羅府の庄助さん ――

編集後記

新年早々、雑貨屋は記事が満載です。編集をしながら、いつも思います。雑貨屋を続けていてよかったと。今年もみなさんで雑貨屋を盛り立ててください。よろしくお願いします。

インターネットでダウンロードした音楽(WAVEサウンド)やインターネット上で世界のラジオ放送を聞きながら、雑貨屋を編集しています。インターネットってどんどん世界が広がりますね。

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.138

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net