Zakkaya Weekly No.137

Ryo Onishi 12/27/98  バックナンバー  Homepage

雑貨屋のひとり言

 クリスマスホリデーをいかがお過ごしですか?家族で旅行に出かけられている方もいるでしょうね。先週に比べると穏やかないい天気が続いています。クリスマスの朝、タウンハウス内のプールで泳いでいる人がいました。コートを着ている人もいれば、半そでのシャツにショートパンツで歩いている人もいる・・これもサウスベイの特徴のひとつでしょうか? (R.O.)

もの忘れ人生 バンザイ

(その2:忘却を前向きに)

―― 前号よりの続き ――

前号で人間の脳の記憶容量には限度があり、長い人生経験による脳の有効活用で許容量が増えると言えども、その限度をはみ出す事が多くなり、それが「物忘れ」、「度忘れ」の元凶となるのであって、年をとったから記憶力が減退した訳ではないと思いたい、という主旨の事を書きました。そして新たな情報を脳へ記憶させる方法として (1)脳の有効活用、(2)情報の整理、(3)忘却、(4)記録、 をあげました。

(1)脳の有効活用

若い頃に比べ、年を重ね人生経験が豊かになると脳の有効活用方法を身につけます。従って年齢の高い人ほど脳の記憶容量は大きくなる筈です。ただし、当然ながら ただ年を重ねただけではなく、その人生経験がどれ程好奇心、感動(実行)に裏付けされていたかが重要でしょう。

人間どんな時でも未体験の事には好奇心が働き、初めての経験には感動します。人生未熟で経験不足の頃は当然この好奇心・感動の場面が多く、年を経て色々知り尽くすに従って 好奇心・感動は薄れ、日々は惰性に流れます。

この好奇心・感動(それに実行)こそ脳を現状以上に有効活用する方法の一つだと思います。例えば、宝くじで特賞1億円があたったら多分感動して一生忘れないでしょう。(私もこんな感動してみたい!!)

子供達は脳の記憶容量に余裕がある上に、毎日が新鮮な経験であり、好奇心を持って純真に人生を送っているのだから物覚えが良く、いつまでも記憶に残るのだと思います。

「好奇心」と「感動」、「実行」、私は此の辺が脳の有効活用の鍵ではないかと思っていますがいかがでしょうか。

(2)情報の整理

 私達の周囲は情報で満ち溢れています。テレビ、新聞、雑誌、インターネット・・。 この溢れるばかりの情報から自分にとって本当に必要な情報はどれなのか、情報の重要性の順序づけと無駄な情報の排除を行い、その上で必要な情報(沢山ある筈です)をコンパクトに圧縮して要領よく記憶するテクニックをどう開発するか。

 これも経験豊かな年長者に有利な筈です。

  1. 忘却(忘れる事)

私達の記憶容量に限度があるとすると、限度を超えた分だけ既存の記憶を廃却すれば良い事になります。 前述のように年を重ねるに従って「物忘れ」が激しくなると感じるのは、実は脳と言う容器の容量以上に記憶を詰め込もうとした結果であり、痴呆症その他の病気は別にして、決して容器の容量自体が小さくなった訳ではないと考えたいと思います。問題は既存のジャンク・メモリー(不要な記憶)を上手に廃却、即ち「忘れ去る」 ことがポイントだと思います。多くを記憶したかったら それ以上忘れる事であり、記憶力を高める為の最高の秘訣は「忘れ上手」になる事でしょう。

 第一、人が一生の出来事をすべて覚えていたらたいへんです。 私自身、過去の半生を振り返ってみても、どうでも良い事、無意味な事、出来たら忘れたい事の連続であり、これだけは一生の記憶に留めたいと思える有意義な出来事なんぞ100のうち1つか2つ位のものです。今、私が自分にとって都合の悪い記憶はさっさと忘れ、平気な顔していられるのも「忘却力が充実」出来た陰です。人間が一番幸せなのは「時を忘れ、我を忘れ」ている時です。

  「物忘れが多くなった」という 後向き発想を「忘脚力が充実した」という前向き発想に変えただけで人生は180度変わります。「忘脚力が充実」すれば 次のようなメリットを享受できます。

  1. 過去のいやな思い出を忘れられ、未来思考の人生が開ける。
  2. 過去の事は忘れているので常に物事が新鮮に見え、新しい感動を得られる。
  3. 例えば、以前読んだ事のある推理小説でも推理の「種あかし」を忘れているので、何度読んでも新鮮な感じで読める。1冊で何度も読書を楽しめ、経済的だ。

  4. 過去にとらわれない発想が出来る。等々です。

同時通訳の関係者に 同時通訳の極意を聞いたら、「前に行った通訳を早く忘れ、今の通訳に専念すること」と言っていました。

このように忘れる事には「前向き」 の意味があり、従って「忘年会」とは前向きに生きる為の智恵なのだと言えるのかもしれません。多いに一年間の嫌な記憶を廃却し、新年のために脳の容量を増やしておきましょう。

  1. 記録する

 前項で、どうせ過去の出来事などその殆どが記憶として残すに値しないと述べましたが、そうは言っても全くすべてを忘却の彼方へと言う訳にもいかないのが現実でしょう。人間の記憶力に限界があるなら、必要な記憶は外部記憶法に頼ればいいのです。この場合の外部記憶法とは メモ取り、日記書き、録音、録画、その他色々あります。忘れたくないものは思い付いたら即 メモしておく事によっていつまでの自分の記憶として残せます。先日、あるビジネスセミナーに参加したら、講師の先生が言うには、自分が20年前に書いた著作が今や最高の自分の参考書だと言っていました。若い頃書き溜めたものが今になって 役立っているのです。私もこの時の講師の先生にならって、雑貨屋の原稿を書いています。せめて忘却の彼方から少しは戻そうとして・・。

 内容のお粗末さは問題としていません。とに角何かを「書く」という事は、人が生きている証(あかし)であり、人の“I D”(存在証明)です。忘れる前に、出来るだけ書き留めておけば自分の存在が確認出来る、そんな思いで書いています。

(陰の声:あんたも 偉そうに理屈をこねているけれど、ホントに そんな哲学をもって書いているの?)

(私の本音の声:ヘヘヘ。実はそんなもの何もないよ。)

(陰の声:ところで あんたは一体、ここで何を言いたかったの?)

(私の本音の声:それがサーテ何だたっけ。どうも思い出せないな。忘れてしまったネ ――。ゴメンナサイ)

河合 将介 ( skawai@wakao.com )  

さくらの独り言 「遺書」

母の庭にある南天の実が冷たい冬空の下、真っ赤に生えて、頭を垂れている。私はお正月を迎える床の間の生花に使えるかなとそれを眺め、残された薄い日捲りを心に描く。 「もう幾つ寝るとお正月〜」と唄いはしないが、「そろそろ準備しようか」と、硯の用意をする。元旦恒例行事”遺書の書初”である。

自分が初めて”遺書”を書いたのは、22歳になる年のお正月だったと思う。19歳の時出会い、二十歳からつきあい始めた恋人の影響だった。「何時、何処で死んでもいいように準備しておく生き方」という単純なきっかけだった様な気がする。別に正月に書く事にこだわった訳でも、また遺書にしたためねばならない様な財産があったわけでもない。惚れた男がやる事は何でも全て、大層立派で、自分もその立派さに少しでも近づきたいという、若くけなげな乙女の祈り、青い季節の真実そのものだった。結婚を諦め私が29歳の時別れた彼とは、もう会えなくなってしまったけれど、今でも続けているこれは”生きる新しき年を活きた年にする”ためのおまじない、私の大切な元旦行事。

書いた年に幸いにも開かれることがなかったその遺書は、新しい年の初めの日となるちょうど一年後の元旦に本人によってのみ開封され、一度だけ読み返され、そして破られて後、新しい遺書がしたためられる。若い頃のそれには、『如何に自分が彼を愛しているか、如何に生きてほしいか、如何に自分の大切なものを大切に処理してほしいか、如何に、、、」といった”何をするか””自分が如何に〜””何をどうして欲しいか”ということが強い「自分」というものねだりのものだった。あの頃にあの遺書が開かれることがなく幸いだったと、今思う。最近のそれは、何をどうするという事は、「日本の誰に連絡する」ということ以外何も記されていない。あるのは、「如何に幸せな人生であったか」というような感謝状に近い。歳をとったということかもしれない。新しい年も「何時、何処で死んでもいい生き方をしたい」というただ一つのことが”元旦の計”として遺書にしたためられる。『慶びの新年行事としては大変妙な縁起でもないことだ』と、口には出さずとも思う人は多い。それでも私にとっては止められない元旦行事なのだ。

「遺書」という若い漫才家が書いた本が爆発的に売れ、話題を呼んだ。”ウケ”と”売れ”を狙っての「遺書」だったのだろうが、非難と怒りとゴシップで綴られたあの本が何故あれほどまでにうけたのか、今も理解できない嘆きの疑問だ。「何時、何処で死んでもいい生き方」を元旦の計とし、ゆえに残す”言の葉”は、残された人への要望や願いより、共に生きた幸の感謝であり、だからこそ新しい年の「計の集約」である、と、私は思う。南天の豊かな赤い実が頭を垂れている。元旦にこの実と枝を活かして花を生けようと思う。新しい年、何時何処で死んでもいい生き方の準備をする傍らに。如何に生きたいかということよりも、如何に助けられて過ごせた年であったかと感謝しながら。

硯が見つからない、ならば筆ペンでも走らせようか…さくら。 

 一口コラム:「逆転発想もまた楽し(その2)」

老舗とは新しいという事だ

創業元禄XX 年(因みに、今年1998年は 元禄に換算すると 元禄310年に相当します) とか 天保XX 年(同、天保169年)などと古さと伝統を看板にしている老舗(しにせ)デパートや商店を街で見かけます。先祖代々店を維持してきた “古さ” がにじみ出ています。

でもよく考えてみると 今、私達が街で見かける老舗とは “古い伝統があるから貴い” のではなく、長い年月、何度も襲ってきたであろう 危機に対し、いつもその時代にふさわしい新しい内容の経営改革をし、生き残り、 今に至っているから貴いのではないでしょうか。

これに対し、伝統のみを重んじ、時代に即した改革が出来ず 消えていった店は無数にある筈です。今 生き延びている老舗は、花も嵐も踏み越えて、常に新しく 脱皮してきたからこそ、老舗と言われ残っているのです。

私は “老舗ほど新しい” と常々思っています。 いつも 時代に即して新しく脱皮しなければ 伝統もただの過去と同じになるのではないでしょうか。

――― 羅府の庄助さん ―――

一口コラム:「 年 末 ―- 初 夢 予 告 編 」

いつも「一口コラム」 に駄文を投稿し、ご愛読いただいている 「羅府の庄助さん」 です。

今年もあと数日になりました。新年が近づいたので、私は “良い初夢” を見る予行演習(訓練)を始めています。

私は常に 「前向き、前進発想すれば、その発想は睡眠中の “夢” の中に現れ、そしてその “夢” は必ず現実化する」 と信じて疑わないことにしています。

“夢” の中でも最高の “夢” は やはり “初夢” ではないでしょうか。年の始めの “夢” であり、年にたった一度しかない “夢” です。このチャンスを逃す手はありません。きちんと明るい未来を願い、しっかりと “初夢” として見、がっちり実現させようと思っています。

その為には 多少の準備がが必要で、少なくとも年末最後の数日間は 初夢本番に備えて予行演習(訓練)が必要なのです。と言っても別段むつかしい事をする訳ではありません。ただ夜 眠る時に明るい来年を空想するようにするだけなのです。ここ数日だけは嫌なこと、不愉快なことは考えなければ良いのです。だから私は今から初夢本番の日までは、明るい年が実現する夢だけを心がけて眠ることにしています。

昨夜(12/26)から今朝にかけて見た初夢(予告編、第1号) によると、1999年2月に為替は$=¥100 にまで円高になり、更に3月には$=¥80 にまで円は上昇しました。そこで夢の中の来年の私は3月に日本へ行き、日本銀行に預けておいた 日本円を U S ドルに換えアメリカに戻り、だいぶ為替差益を得ることが出来ました。

どうも初夢予告編(第1号) は はしたなくも私の欲の皮の突っ張った夢で恥ずかしい限りです。これから 第2、第3、・・ と進み、1月1日の夜には、本当の意味でもっと前向き、前進発想の夢を見て、明るい1999年を実現させたいと思います。

読者の皆さんも今から 初夢本番に備えて予行演習を始めませんか。きっと夢に見る良い事が実現するに違いありません。

1999年が雑貨屋 愛読者と、ご家族の皆様にとって良い年でありますよう、お祈り申し上げます。

―― 羅府の庄助さん ――

編集後記

1998年最後のニュースレターです。雑貨屋 主筆 河合さんの記事、流星のように現れたさくらさんの記事、そして読者のみなさんからの情報やお便りに支えられ雑貨屋も繁盛しております。ありがたいことです。みなさんよいお年をお迎えください。そして来年も雑貨屋をごひいきにしていただきますようお願いします。

今のパソコンでも雑貨屋の発行はできるし、ホームページの更新も問題なくできるのに最新のテクノロジーがどうのこうのと理由をつけて新しいPCでこの雑貨屋を発行している私はオタクでしょうか?

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.137

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net