Zakkaya Weekly No.136

Ryo Onishi 12/20/98 Index Homepage

雑貨屋のひとり言

◆街は買い物の人と車でいっぱい、ラジオから流れてくるクリスマスソング。年末だなーって、感じますね。クリスマスパーティーや忘年会もあると思いますが、サウスベイでも飲酒運転の取り締まりがありますのでお互い注意しましょう。楽しいクリスマスホリデーをお過ごし下さい。

◆北米に来て7度目の引越しをしてはや3週間が経ちました。引越しには大変な労力やお金ががかかりますが、良いこともあります。私たちの場合は、溜まったたくさんのガラクタを整理できたこと(子供の分がまだできていませんが)、通勤時間が短く(半分)なったこと、買い物が便利になったこと、なによりも気分が変わったことなどです。どうです、あなたも引越しを考えてみたら・・。(R.O.)

もの忘れ人生 バンザイ

(その1:脳の記憶容量)

年の瀬もせまり、忘年会の季節になりました。そこで今週、来週の2回にわたり“忘れる”ことをテーマに書いてみました。

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人の脳細胞は20歳位で約150億個になり、その後は一日に約10万個ずつ死滅減少し、60歳になると約15億個も少なくなると言われています。

確かに私自身も年をとるに従って、昨日の出来事さえ思い出すのに時間が必要だったりして、記憶能力の減退ではないかと思う事がしばしばです。 最近の我が家では 夫婦揃って一つの事が思い出せず、「ホラ、去年の NHKの“大河ドラマ”で尼子経久の役をやってたアノ役者だけれどサ」 「そうそう、あの役者なんと言う名前だったっけか」 ・・・・。何でもない事でも「度忘れ」して思い出せないと気になるものです。それから半日、その役者の名前である“緒方 拳”を思い出すまで他の事が手につかない、なんて事がしばしばです。

しかし、このような厳然とした事実を自分が体験しているにも拘わらず、私は年齢によって記憶力が減退するとは思っていません。脳が年とともに老化するなどと言う常識はたいへんな間違い・誤解であると信じたいのです。

医学的にはどうか知りませんけれど、20歳当時に比べて10%も脳細胞が減少すると言っても、もともと人間は自分の脳のうち 本当に有効活用しているのは全体の半分もないと言われています。10%脳細胞が減る事を心配するより、もっと脳の有効活用を心がけるほうが はるかに効果的でしょう。

ではなぜ年をとると上記のような「度忘れ」が多くなるのでしょう。それは「記憶容量」の問題であると考えたら如何でしょうか。パソコンだって記憶容量が有り、それ以上のメモリーは受け付けてくれません。パソコンを新規に購入した当初はソフトをどんどん記憶してくれます。それが

メモリー容量が増えるに従い、ON にしても立ち上げに時間がかかり、挙げ句の果てにメモリー容量満杯で受付け拒否となる訳です。

私達人間だって同じ事で、脳に無限の記憶容量が有る筈はなく、(脳の活用率と活用方法により個人別には大きな差があるでしょうが) 決まった容量しかないに違いありません。メモリー・スペースが沢山あった子供の頃には簡単に記憶出来たのが、中年以降に 残余スペースが少なくなるに従い憶えるのに時間がかかり、思い出すのが難しくなってゆくのだと思います。更にこの記憶の出入り口は一つの為、「後入れ、先出し」 らしく、先に入った古い(子供の頃の)思い出は残っているのに最近の事ほど思い出せない傾向になります。(新しい記憶より古い記憶のほうが残りやすい事について、脳医学の立場で科学的に説明した本を見た事がありますが、私には医学の事はわかりません)

20年分の出来事を体験した20歳の若者と、60年を経験した60歳の私では、私のほうが3倍ハンデを背負っています。でも年とともに経験も積み、脳の有効活用方法も習得したので、今では私の脳の記憶容量は若い時に比べ増えこそすれ、決して減ってはいないと信じています。

ただ脳へのインプットの量が多いので、あるものは溢れ出て消え去り、またある記憶は取り出すのに少々時間がかかるだけなのです。

一般に、メモリー容量一杯になったパソコンに更に記憶させる為には、(1)大容量チップと取り替えるか、メモリーチップを追加して容量を増やす。(2)データを圧縮する。 (3)入力済みのデータのうち不要なデータを削除する。(4)フロッピー・デスクなどの外部記憶装置へ移し、新たなスペースを作る、などがあります。

これを 私達人間に当てはめると、(1)は脳の有効活用、(2)は情報の整理、(3)は忘却(忘れること)、(4)は記録、ということになるでしょう。以下、この4項目について私の独断と偏見を記す事にいたします。 以下、次号に続く

河合 将介 ( skawai@wakao.com )

さくらの独り言 「クリスマス徒然物語」

『〜チンラタラリラチンチラタラリンリン〜』とチンドンヤ顔負けのクリスマスソング流れる街角に、今年もサンタはやってくるのだろうか? クリスマスが近づくと思い出す幾つかのストリー、出来事や事件、そしてその中で”私にとってのクリスマス”を問い直す自分がいる。今回はその幾つかをご紹介したい。

(1)アメリカで初めてのクリスマス・・待つがクリスマス

アメリカで私が初めて迎えたクリスマスは、自分のホストファミリーや友人家庭の習慣を通して「待つがクリスマス」を学んだ。ご存知の様に良きアメリカの家庭教育では日常生活の中でこどもも大人も何らかの役割と責任を持ち、それがお小遣いの代償にもなり、社会生活における自立教育の基本ともなっている。クリスマスツリーの両側に置かれたじゃがいもとキャンディが入ったバスケット。その日お約束(任務)を全うできたこどもは、その評価としてのキャンディやじゃがいもを両親からもらい籠にいれ、ベッドに入る。そしてクリスマス・イブになると施設へ届ける。自分の仕事のあり方が自分自身の評価のみならず、人が受ける喜びや物に影響を与えることを知る。また別の家庭ではツリーの横に同じようにこどもの日課や任務と評価が記された表が置かれ、歯磨きができたら○印、テーブルセッティングができたら○印、手を洗うのを忘れたら×印という具合に記入していく。○印の一番多かったこどもの友人がクリスマスパーティーの「今年の誉れ高きゲストとしてご招待される」様になっている。また、どこの家庭でもそうであるように、アドベントからクリスマス早朝まで、一つひとつ増えていくプレゼントを、誰も開けない。25日の朝まで待つのである。この様なクリスマスのあり方の良し悪しは別とし、私がこの様なクリスマス体験ができたことは、アメリカに住むサンタクロースからの贈り物であったと思っている。

(2)クリスマスプレゼント・・・必要なものと欲しいもの当然のことながらクリスマスは旦那の家族と過ごす。我ファミリーのクリスマスプレゼントは暗黙の内に二種類となり、一つはサンクスギビングの食事の時に「何が必要?」と聴き合って希望のもの用意する。「この世に欲しい物は山ほどあれど、欲しい物はいつも必要なものとは限らない」ということを知っていなければ、この質問に正しく答えられない。もう一つは、小さなびっくりギフトで、これは必要性を問わない。前者はあくまでも日常生活に必要なもので、例えばフライパン等の台所用品であったり、パジャマや洋服等の衣類であったり、といった具合に、その人が人からもらわなくても近日入手したいと思っている必要なもので、後者は単にクリスマスに”Fun ! を感じるもの、例えばゲーム等であったり、もしくは記念となるもの、例えば今までの家族のアルバムをそれぞれの家族のアルバムに作り替えて新しい物として用意してくれたりといった類のもの。我ファミリーのギフトはいずれにしても、高価な物や高級な物ではなく、日常生活に効果のある物、そして最高級の想いや感謝が感じられるものである。

(3)クリスマスカード・・・笑いと安心秘書が愉快なカード(スクリーン上のクリスマスツリーをクリックすると、星や天使やオーナメントが登場するもの)をコンピューターで送ってくれた。私は早速数人の友人や大好きな大パートナー(NYオフィス勤務のおえらいさん)へフォワードした。この大パートナーはクリスマスツリーに代わって、はばたく日本国旗に君がよ音楽付きのカードに合わせてただでカードを作成できる案内も付けた大きなファイルを返送してくれた。ところがその翌日、会社全米のコンピューターネットワーク担当のお偉いさんから「米国中で、天使が飛んでいる、もしくはクリスマスツリーなんてもののクリスマスご挨拶状をみんなが回しているため、ネットワークシステムのメモリーが足らなくなりデリバリーが一日遅れになっている。これは社のポリシーに反するので今すぐこのようなグリーティングカードの発送を止めるべし!」と通達のメッセージが入る。私は犯罪者としてギクッとするより、大声で笑ってしまった。考えることはみんな一緒、そしてまたあのくそ真面目で有名な大パートナーも共犯だということが、罪意識も吹き飛ばすほど笑っちゃう。記憶に新しい今年の事件である。

我が家にとってのクリスマスカード、それは私たち夫婦が年に一度だけ力を合わせる唯一の協同作業である。メイリングリストの整理、カード選び、記入、切手はり、発送、などなど、それぞれの方への感謝の思いを二人で語りながらの手作業は、私たち夫婦の生活が多くの人々によって支えられてきた事を改めて実感させてくれる。そしてまた手元に届く友人のカードから、年に一度だけの”元気印”を受け安心する。「郵便配達さん、ご苦労さま。」と心で想いながら。

(4)サンタクロース・・・いるのでしょうか?

何処に居てもこの頃になると私には、”時間をかけて、ゆっくりと、静かに”読む本がある。本といっても薄〜い薄〜い、それこそ読むのに5分もかからないものだけど、ゆっくりと時間をかけてなるべく静かに読む。あなたは既にもうご存知かもしれない。もしご存知だったもう一度、ゆっくりと読んでみて頂きたい。もしご存知でなかったら、自分のクリスマスプレゼントとして、是非買って読んで頂きたい、「サンタクロースっているんでしょうか?」偕成社出版・中村妙子訳(原本:"IS THERE A SANTA CLAUS ?" from THE NEW YORK SUN,Sept.21,1897)。

クリスマスギフトに頭を悩まし、クリスマスカード発送に追われ、クリスマスをクルシミマスで過ごしそうになる私に、今年もどこかに置き忘れてきた自分の大切なコアなる部分に、何かを語りかけてくれるような本である。「この世界で一番確かなこと、それはこどもの目にもおとなの目にも、見えないもの」だということを。この瞬間に、今年も私にサンタが訪ねてきてくれたことを実感する。

さくらのクリスマス・・・今年もできるだけ静かに迎えたい、世界で初めのクリスマスを想いながら。 さくら

あまり知られていないL.A.観光スポットを訪ねる:

「Hollywoodサインと滝そして飲茶」  三本松 誠

先週の続きです。

regan.jpg (44137 バイト)第二回目は12月6日(日)に行なわれた「レーガン記念館を見てPoint Dumeの海岸でお昼を食べる会」と銘打ったものでした。(上記雑貨屋ホームページにある河合さんの記事の(38)と(15)を参照)第一回同様朝9時半にHoliday Inn Torranceに集合した有志は8名、河合さんから詳細な地図を頂き当日の行程を聞いたところで3台の車に分乗して出発。レーガン記念館までは約1時間ちょっとというドライブで記念館は見晴らしの良い丘陵地にありました。結構広い敷地に小奇麗な建物が建っており手入れの良く行き届いた庭の一部にはレーガン夫妻の墓地(まだ御夫妻共御存命中であるにもかかわらず!)まで用意されていました。歴代大統領が建設する記念館は私人の寄付や連邦政府以外の公的機関の援助で賄われるのが普通で、そこに収められた資料を国家に寄付をするとその監視と記念館の運営は連邦政府が行う事になっているという事です。広々とした敷地や立派な記念館の建物を見ていると広大な国土を持つこのアメリカという国がうらやましくなりました。入場料$4を払って館内に入るとロビーから内部にかけてクリスマスの飾り付けがしてありレーガン元大統領が大統領在任中に訪問した国々にちなんだデコレーションを施した美しいクリスマスツリーが訪問国の数だけ飾ってあり感動的でした。丁度、帰る頃には美しく着飾った男女二人づつの混声合唱隊がロビーの所でクリスマス・ソングを歌っており良いクリスマスの思い出になりました。

さて展示物はと言えば、ロナルド・レーガン氏がイリノイ州の寒村に生まれてからハリウッドで映画俳優になりカリフォルニア州知事を経て大統領になるまでの記録が写真や展示物で公開されておりレーガン氏の育ってきた時代を肌で感じとる事が出来ます。ナンシー夫人と共演した映画のポスターなども展示してあり美男美女のカップルに溜息をもらす参加者もおりました。

続いて大統領になってからのレーガン氏の記録がオーディオ・ビジュアルな形で見れるようになっておりレーガン元大統領のユーモアあふれる映像が見る事が出来ます。

レーガン元大統領暗殺未遂事件の時に、瀕死の重傷を負ったにもかかわらず弾丸摘出手術を施そうとする医師団に「君達、皆共和党員なんだろうね?」というジョークを言ったというくだりではこの卓抜したジョークのセンスに皆思わず笑ってしまいました。

米国の現代史のひとこまを復習する良い機会であったと同時に米国史上初めての離婚歴のある大統領という事から米国人の家庭観や結婚観などについても深く考えさせられたひとときでした。

レーガン記念館を出た一行は途中Westlake モールのBristol Farm Marketに寄って各自好きなランチを買い込み(寿司も売っている!)Point Dumeのビーチに向かいました。ここは元はヌーディスト・ビーチだったという河合さんの御説明に崖下の砂浜を伸び上げって見ていた男性参加者もおりましたが、それは昔の話で今は寒風吹きすさぶ海岸に人影もまばらです。両側が湾のように深く切れ込んだ岬の突端にあるベンチに座って太平洋や沖の島影を眺めながらのランチはまた格別のものがあります。崖下の海を見ると大きなペリカンが盛んに急降下ダイビングを繰り返し魚を捕っています。海に潜ったり浮き上がってきたりしているオットセイの一群も見えます。

今度はYorba Lindaにあるニクソン記念館に行ってみようかなどという声が自然に沸き起こってきたところで一行はホテルの駐車場に向かって帰路につきました。

一口コラム:「逆転発想もまた楽し(その1)」

私達の周囲には、常識と言われるものが数多くあります。でも本当に私達の常識は万人共通のものなのでしょうか。現に 「日本の常識は 世界の非常識」 という言葉も時々耳にします。 ちょっと発想を転換してみると、意外な事実が見えてくるのではないかと思い、私も自分の常識のいくつかに挑戦してみる事にしました。今後 最低 10回くらいは何か書けそうな気がしますのでお付き合い下さい。

(その1) 1+1 は本当に 2か

先日、エジソン研究家でエジソンの発明品収集家としても有名な 特許弁護士ヘンリー・幸田さんに エジソンについてお話を伺う機会がありました。

幸田さんの話によると、少年の頃からエジソンは世間の常識にとらわれない好奇心の強い性格だったようです。普通の子供なら何とも思わない事まで 「なぜ?」、「なぜ?」 と先生に聞くので先生は授業にならなかったそうです。 例えば、1+1 は なぜ 2でなければならないのか。 彼は目の前のテーブルの上に置いてあった 水が半分ずつ入っている 2つのコップを取り上げて、「このコップの水を こっちのコップに移しても コップの水は 一つじゃないか。 この場合は 1+1= 2ではなくて、1のままだ」 などといって先生と学校を困らせ、とうとう 6ヶ月で退学になってしまったのだそうです。 だからエジソンには学歴は殆どないのです。

授業をする先生の立場からすれば、エジソンは本当に 「可愛いげのない、嫌(いや)みで憎たらしい小僧」 だったでしょうね。でもこんな独創的な発想の仕方がエジソンをあのような大発明家に育てたのでしょう。でもエジソンの言葉に 「天才は99%の努力と、1%のひらめきだ」 というのがあるそうです、そしてエジソン自身がそういう意味での天才だったようです。

「氷が溶けたら何になる?」 という質問に、「氷が溶けたら 水 になる」 と答えないと ○を呉れず、「氷が溶けたら 春 になる」 では × になってしまうどこかの国の受験問題的発想では エジソンは出てこないんでしょうね。

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

今週の雑貨屋のホームページはクリスマスシーズンですのでそれらしい音楽をアタッチしましたがうまく聞けますでしょうか?

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.136

雑貨屋 店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net