Zakkaya Weekly No.130

Ryo Onishi 11/8/98 Index Homepage

雑貨屋のひとり言

◆先週号で11月5日に雑貨屋の交流会をしましょうと呼びかけましたら飛び入りも含めて12人の方が集まってくれました。諏訪市から稲葉ご夫妻も参加いただきとてもたのしいひとときを過ごせました。集まっていただいた皆様、お忙しい中、本当にありがとうございました。場所は皆さんご存知の「レストラン松島」、大変残念ながら「松島」は今週金曜日で閉店することになりました。雑貨屋の開店とほぼ同じ頃開店され我々の憩いの場として親しまれてきたのですが都合により閉店されるとのことです。でも松島さんはこれからも雑貨屋の読者・投稿者と参加していてくれるとのことで安心しました。ホームページに記念写真を載せますのでご覧ください。(R.O.)

『モノサシとしてのお金』

アメリカの現地法人の管理者としての日本人駐在員にとってアメリカ人を管理する上で気の重い仕事の一つに部下のアメリカ人の評価と報酬(給与・賞与など)の査定があります。

尤もこれらは日本で日本人を査定する時も大変であり、どちらにいても決して気楽な仕事ではありませんが、でも日本での場合は査定といっても上下の幅はさほど無く、その上平均点に査定する割合が多いので余り被査定者からの苦情も多くありません。ところがアメリカの場合は事情がかなり違います。もともと日本とアメリカでは「フェアネス(公正・公平)」 と言う概念が違います。例えば日本では個人業績の差に拘わらず考課・査定は結果的になるべく差を少なくする事が公正・公平であると考える傾向があります。(最近は日本も多少は変化してはいますが、まだ本質的に変わったとは言い難いと思われます)他方、アメリカでは 個人業績の差の大きさはそのまま考課・査定の差の大きさとするのが 「フェアネス」であり、その上考課・査定の根拠について客観的、論理的に示す事を被査定者から要求されます。

普段日本人管理者に忠実なアメリカ人従業員でも、話が自身の評価・報酬査定となると彼らはそう簡単には引き下がりません。「なんで自分の昇給額 (率)がこれだけなんだ!」、「私はMr. A.よりこんなに実績を上げたのに 彼と同じ昇給内容とはどういう事だ!」、「こんなアンフェアーな査定は納得できない!」、等々、この時期はいつも大騒ぎです。

当初、私はこんな現実に直面しながら、「なんとアメリカ人とはお金に執着する人間なのだろう」と思ったものです。

ところが最近、私も若干考えが変わりました。一般的にアメリカ人が「お金」に固執するのは、単なる金銭欲だけではなく、もう一つ理由がある事を見付けたような気がしたからです。

一般的にアメリカ人は日本人に比べて個人(Individual)とその自主性 ( Independency ) を重んじる為、個人としての自分について その存在価値を客観的に判断する基準を必要としているようです。その客観的判断基準(モノサシ)を「お金」に求めているのではないでしょうか。「私の年俸が50万ドルで彼の年俸が25万ドル、だから私は彼より2倍価値ある人間だ・・」 といった発想なのです。実に単純明快でわかりやすい「モノサシ」 です。

アメリカでのある調査によると、アメリカ人 勤労者に対し、「あなたが考える“働き甲斐”とは」 というアンケートに対し、回答の上位3つは、@、Appreciation(公正な評価) A、Participation(参画意識) B、Compensation(報酬) だったそうです。決して報酬の高さがトップではないのです。

確かにアメリカは日本に比べ、所得格差も貧富の差も桁違いであり、想像を絶する大金持ちがいます。でも例外はありますが一般的に言える事は彼らは金持ちだからと言って(立派な豪邸に住んでいても)必ずしも超贅沢三昧な暮らしをしているとは限らないようです。むしろ日本の金持ちよりつつましい暮らしだと言っても言い過ぎではなさそうです。

ではアメリカの金持ちは持っているお金をどうするか。――良く言われる使い道は自分の名前を冠して社会(公共・文化事業、学校、研究所、美術・博物館、奨学資金、等々)に還元することでしょう。この行為の背景にはアメリカの税制が大きく影響しており、「税務対策」の側面も確かに否定できませんが、上記「モノサシ」 として客観的に価値判断されたあとのお金にはあまりこだわらないと言う側面もあるのではないでしょうか。そういう意味では「お金に執着する」 のは、むしろ日本人の方ではないかと私は思っています。

アメリカの資本主義と社会の特色は、すべての価値判断を一度、「お金」という「モノサシ」で客観的に測り、測り終えたら個人の判断で使う事を認めると同時に、その個人も「お金」を社会に還元する事により名誉を享受すると言うシステムが出来上がっている事ではないでしょうか。確かにこういうシステムになっていると事業への挑戦意欲は多いに湧きあがります。

最近 日本もアメリカの真似をして ベンチャー・ビジネスの育成、ストックオプション制度の導入、実績評価システムの見直し等が議論され、実行に移されつつあります。そのこと自体は私も異論はありませんし、国際社会の一員であるべき日本としては、むしろ遅すぎた感すらあると思っていますが、ただその前提には、お金持のお金の使い方、貧困者の救済など社会システムの変革達成があり、形だけ真似て果たしてうまくいくのか心配です。

(お金に縁の無い私が“お金の使い方”などと言ってもまるで迫力ありませんがね) 河合 将介(skawai@wakao.com)

さくらの独り言 その7 "恋”

『恋というものは、不思議なものなのね〜』と歌った布施明も今では遠い昔のアイドル、これでは年がばれてしまうけど、、、恋というものは、不思議なものだと思う。

「生きている限り恋をし続ける」こと、これは最近”そうありたい自分の5箇条”に腰を据えた言葉だ。『既婚者が恋をするとはなにごとぞ!?』とはナンセンス、「恋とは不思議なもの」なのだから、奨励したいものかもね。

私は毎日、仕事柄そして自分の性格柄、色々な人に、様々な出会いをする。電話で、面接で、そしてe-mail等で。そして私は、男女の恋愛というものには程遠く異質の現象、「人に、その人の人生に恋をする」自分を発見する。多くの場合、それはその人が「夢とロマン」を生きている、もしくは生きてきたということを私が感じる(一方的にそう思い込む場合も含む)時に発生するのである。仕事、家庭、レジャー、家族、社会、自分、会社、趣味、思想、喜怒哀楽の入れ混じる人生の、共有するそのひとこまひとこまの裏表に、そのロマンを感じる時、「また会いたい」、「また話したい」、「また読みたい」、「是非会ってみたい」等というジャジャヤ馬衝動に襲われ、心が躍ったり、または沈んだりして、「私、この人に恋しているんだ!」と確信する。

定年を前にした駐在員のMさんから日課の電話をもらう。毎日の様に「いやあ指が一日に一回はこの番号を回さないといられないらしくって、切っちまおうかと思ったけど、やあさんに間違えられてもこまると思ってよお、、、、」といってかけてきては、エンジニアとして生きそして今は経営者として生きている人生のひとコマを話してくれる。私の胸が躍る。「いやあ、昔の野郎友達が死んだっていう知らせを聴いてさあ、俺っ全くよお、、」なんて云われると、返す言葉がなくて、胸が詰まってしまう。私は彼のロマンに触れる。

一度しか会ったことのない我が社の先輩が、ジョークを飛ばしながらe-mailを送ってくれる。毎朝起きるなり「ねえ、おっさんからe-mailきてる?」と旦那に訊ねる私、「ごめんよ、きていない」と申し訳なさそうに答える旦那、また逆に、来ている時の、その目覚めのコーヒーの美味しさよ。事務所の自分のメイルになんぞ便りがくるものなら、周りはコンピューターに何が写っているのかと心配になる程に、私はニヤニヤとしてとろけてしまう。そしてまた自分をスクリーンに移して観た自分の心を恋文にして送る。自分のロマンを語る、すると先輩からは、彼のロマン漂う返事が届く。彼のロマンに触れる。そんな自分を「恋してる」と思う。

短い人生の中で、女性としての自分が愛した男性は二人いる。後にも先にもこの二人だけと二つの恋愛のみ、これは一生変わらない。私の友人で既婚者でありながらいつも「男性との恋」を探索し、体験し、成功談として自慢する人がいる。そんな生き方ができない私は「世界が狭い生き方ね、人生楽しまなくっちゃ!、恋をすると女性は美しくなるのだから、美しくなりたくないの? 

魅力的な女性になりなさい!」と説教されてしまう。『若い頃もっと”遊んでいればよかった”かな?』『私ってそんなに魅力ないかな?』と後悔したり悔やんだりする一方、『いやいや、私は充分恋をしている』と自負するのである。

『恋というものは、不思議なものなのね〜』、そう、不思議なもの。ある人にとっては男女を狂わせるモノかもしれない。しかし、私にとっての「恋の不思議さ」は、「人のロマン」、「人生の七不思議」、男女を超えた不思議なもの、そして私にとって大切なもの。

あなた、恋してる?さくら

一口コラム:「落語の中の一口コント」

(今回は 「日本語って何だろう」シリーズを一時中断して別の話題です)

先日 この“Zakkaya Weekly”でもご案内しましたが、10月10日に 「L.A.東京会」 が発足し、L.A.ダウンタウンのホテル・ニューオータニでの第1回設立総会はお蔭様で 日本国総領事をはじめ140名を超える皆さんに参集いただき、盛大に祝っていただきました。ご出席いただいた皆さんには心よりお礼申し上げます。

この時のアトラクションとして 日本からの落語家さん4名を招き、“落語の夕べ”を実施し、英語落語を含め、公演してもらいました。集まった皆さんにも腹の底から笑っていただけ、抱腹絶倒の楽しく愉快な一夜でした。ある参加者の女性は翌朝、前夜の「笑いじわ」 をとるのに3時間も「皺(しわ)伸ばしパック」 をしたそうです。

4人の落語家さん最後の 笑福亭鶴笑師匠の語りにあった「一口コント集」 の一部をここにご紹介いたします。ただしこの語りをテープに録音した訳ではなく、正確には再生できません。私の貧弱な脳みそからの再生ですので 誠に大雑把です。

(1)豚と馬がけんかをしたそうです。どっちが勝ったと思う? ―― ナニ、「とんかつ」 だからとん(豚)が勝っただろうって? 残念でした。「とんかつ食って、うまかった(馬勝った)でした」

(2)大阪に「たこ焼」 という食べ物があります。この「たこ焼」 には通常 蛸(たこ)の「ぶつ切り」が中に入っているので「たこ焼」というのだそうですが、ある時買った「たこ焼」には蛸が入っていませんでした。そこで「たこ焼屋」 のオヤジに文句を言いました。『おい、オヤジ!このたこ焼には蛸が入っていないぞ。これでも たこ焼なのか!』 そしたら「たこ焼屋」のオヤジが云いました。『ホウ、それではお客さん、「鉄板焼き」の中に鉄板は入っているかね!』

(3)酔っ払いが電車の中で、若い女性にからんでいました。女性のほうも負けてはいません。『何よ、この酔っ払い!』酔っ払いも応酬します『何だと、このブス!』そして後は『酔っ払い!』『ブス!』『酔っ払い!』『ブス!』『酔っ払い!』『ブス!』・・・・・・とうとう 二人は相手の悪口合戦になりました。形勢不利となった酔っ払い氏、最後に叫びました。『酔っ払いは 一晩たてば 元に戻るけど、ブスは一生直らないんだ。わかったか!』

4)(昔ばなし、その1「桃太郎」):昔々 お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。お婆さんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃がどんぶらこと流れてきました。お婆さんはその桃を拾い上げようとしました。大きな桃だったのでお婆さんは腹に力を入たとたん、思わず「プッ」 とオナラをしてしまいました。そしたら お爺さんは 柴を刈らずに「クサカッタ」 そうですとサ。

(5)(昔ばなし、その2「花咲爺いさん」): 裏の畑でポチが「ここ掘れ、ワンワン」 と吠えたので 正直爺さんがそこを掘ってみたら、大判小判がザクザクと出てきました。それを見ていた 意地悪爺さんがポチが吠えた別のところを掘ってみたらガラクタしか出てきません。怒った意地悪爺さんは ポチの尻っぽを掴んで振り回したので、ポチはたまったものではありません。ポチは苦しまぎれに叫びました『ハナサンカ!じじい(花咲か爺じい)』

(6)(昔ばなし、その3「鶴の恩返し」):人間の若い娘に身を変えた鶴が 以前親切にしてくれたお爺さんの所へ恩返しに来ました。そしてお爺さんの家の敷地の中にある機織り小屋に入り『どうか3日間は決してここを覗かないで下さい』と言って閉じこもりました。
ところが 3日経っても、4日経っても 娘は機織り小屋から出てきません。そこでお爺さんは小屋の戸をそっと開けてみてびっくりしました。なんと小屋の中はもぬけの殻なのです。娘はもちろん、そこにあった機織り機から その他の道具まですべて無くなっていました。思わずお爺さんは叫びました。『なんと! ありゃあ鶴でなく、サギだった!!』

(7)落語家はよく アルバイトに結婚式の披露宴で司会をさせてもらう事があります。『 「○○家」と「××家」 が幾久しく盛大にすくすくと伸びますように』なんて言う訳です。ところが先日、「脇野家」と「股野家」 の披露宴の司会をさせてもらいました。『 「ワキノケ」と「マタノケ」が・・・・・・』と言ってしまいました。

(8)先日、朝早く動物園へ行き、キリンの小屋の前を通ったらちょうどキリンが盛大にオシッコをしていました。それを見た子供が『お母さん、キリンがビールを出しているよ!』っと叫んだら、お母さんは澄ました顔で『 ほんとだ、きっと今日最初のオシッコでしょうから これがホントの「一番搾り」かもネ・・』だってサ。

(9)(これは 別の落語で聞いた話で 今回の付録です): 最近の動物園では子供達が甘いお菓子や飴玉を動物に与えるものだから 虫歯になる動物が多くなりました。でもペンギンとライオンだけは虫歯になりません。―― わかりますよね。ペンギンは「サンスター歯磨き」、ライオンは「ライオン歯磨き」 と言う訳です。・・・・ オソマツでした。 ――― 羅府の庄助さん ―――

一口コラム 「セクレタリーウィーク」

季節はまさにサンクスギビング、クリスマスになろうとしているこの時期に季節はずれの話題で恐縮ですが、先日親しくしている知人と話をしていた時、何故か話題がセクレタリーウィークのはなしになり在米生活10数年、某会社のトップであるN氏は、その様なものは聞いたこともなくこの世の中(アメリカ)にあるのも不思議、ましてあるとすればそれはメジャーの世界での事でおそらくこの土地に住む多くの日本人、駐在員も知るわけがないと声を大にして言うのであります。さてこのセクレタリーウィークなるもの、毎年4月の第4週にあたり、常日頃良く働いてくれる秘書または上司のアシスタントの女性の方々をボスが感謝の気持ちを込めて週の真ん中の水曜日にランチにでもお連れするといった趣向のもので、私が知る限りロスの3大ネットワークのテレビニュースなどでも話題になりますし、ちなみにこの私も以前商社の社長秘書をしていた時は毎年上司に連れていっていただいたものです。さらにこのセクレタリーウィークに対してボスの日というものも年末近くにあり、もちろんこれは上司に感謝する日ですよね。会社の幹部の方々は知っているけど知らないふりをする方もあれば、毎年実行している方もあると思いますが、今お読みになっている貴方はご存知でしたか?こういう日があるというというのもいかにアメリカ人らしい楽しい発想だと私は思うのですが、みなさんいかがでしょうか?N氏とはこの話題でかなり意見を交わしました。それにしても秘書の鏡のような方と言われているN氏の秘書の方、来年はぜひ連れていってもらってくださいね。
ロスのマドンナ

編集後記

今週は投稿が多く、ぎっしりつまった内容になっています。でもこれから投稿しようと思っているみなさん、こんなにたくさん書く必要はないんですよ。文章は長い短いが重要ではありませんから。私の文章はいつも短いでしょう!?(参考にならないかなあ?)

先週以来、私の右手首の痛さは治らず、ついに鍼治療を受けることにしました。キーボードの使い過ぎやゴルフのやり過ぎでこうなったのかなあと考えているのですが、原因がさっぱりわかりません。

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.130

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net