Zakkaya Weekly No.127

Ryo Onishi 10/17/98 Index Homepage

雑貨屋のひとり言

◆雑貨屋を紹介する時、いちいちメモ用紙にアドレスを書くのが面倒だったのと、個人の名刺をつくりたかったこともあり、WORDを使って初めて名刺づくりを試みました。初めてなにかをする時ってワクワクしますねー。私の名刺にはサウスベイからのたよりZakkaya Weekly 店主 大西 良衛とプリントしました。今度みなさんとお会いした時にさしあげたいと思います。(もしご迷惑でなかったら!)自分のことを書いた名刺を、知人やこれから出会う人にさしあげたら新しい自分が発見できるかもしれませんね。(R.O.)

日 本 と 民 主 主 義

私が小学生、中学生の時、学校の授業科目に「社会」という科目がありました。特に中学一年の時はその授業で使ったのは 確か「私達の民主主義」 という題名の教科書で、民主主義の大切さ、日本がいかに民主主義を目指す国家であるかなどを教わりました。(尤も、 私が学齢に達したのは まだ太平洋戦争中の 昭和19年(1944年)でしたから、最初の一年半は徹底した戦時教育で「八紘一宇〈*下記注参照〉」、「鬼畜米英」 の時代であり、更に当時は「小学校」 とは言わず 「国民学校」 と呼んでいましたので 正確には私の小学生時代とは2年生の後半からということになります)

20歳を迎えた時、初めての選挙に投票した時の感動(「ああ、これが民主主義と言うものなのか。私もついに日本国民の一人として国政に参加しているのだ」 と言う実感 )は未だに忘れられません。ところがその参政権も海外駐在の為、日本を離れたとたん行使出来なくなりました。

私の独断と偏見からの乱暴な見解を言わせていただくなら、そもそも民主主義の基本には「個人主義」 と「民衆の盛り上がり」 の二つがあって、はじめて民主主義が生まれるのだと思っています。所謂 日本的な「集団、ムラ思考」の社会ではお互いが徹底的に議論し合うこともなく、長いものに巻かれる方が「お利口」 なのですから そんな所で、例えば「多数決の原則」なんて意味をなしません。また 民主主義はどういう手段(流血革命であろうと平和裏での移行)であろうと 少なくとも上から与えられるものではなく一般民衆の盛り上がりにより勝ち取るものだと思っています。 ところが 日本の場合は、幸か不幸か敗戦に伴い アメリカから「タナボタ」でいただいた民主主義なのです。これでは国民全体が民主主義の意義を実感出来なくても当然でしょう。

日本にはもともと「お上」 には、たてつかず逆らわない方が良いと言う風潮があります。

さすがに最近は少しずつ変わってはきましたが、でも根本のところではそんなに大きくは変わったとは思われません。景気低迷脱却の為とは言へ、何年も続く超低金利政策を政府が行い、その結果、本来なら利息として貰える筈の預金金利が減少しても それは「お上」のやる事なのだから文句を言わない国民なのです。最近 流行りの言葉に 「公的資金の導入」 というのがありますが この言葉もあまりにも安易に使われ過ぎてはいないでしょうか。

先日 来米し、日米首脳会談で 金融不安の早急な解消を求められた我が方の首相は、「日本は民主主義国だから、法案の成立には時間がかかる」と言う主旨の言い訳をしたそうです。これはリーダーシップと信念の問題で、こんなところに民主主義を持ち出されても皆んな戸惑うばかりです。

私達国民の側にも安易に「お上」である政治・政府に頼り過ぎ、本当の民主主義を勝ち取り、守り抜く覚悟が不足していることも確かだと思います。

規制緩和(撤廃)も結構、ビッグバンも結構、これらは日本が今後 国際社会の中で生き抜く為には大いに進めるべきですが、でもその大前提として 私達日本人はもう一度 立ち止まり、私達にとって「民主主義とは何なのか、民主主義の義務と権利をどう認識するのか」を、国民全体で真剣に考え、議論してみる必要がありそうな気がします。

最近 私達のような海外在留日本人にも ようやく日本の国政選挙への投票が一部認めるよう法律が改正されましたが、これも4年半にわたる我々海外在留邦人の運動があったからこそ達成されたと言っても過言ではないと思っています。草の根の一国民でも、正しい事で、それが必要ならば、国の法律をも変えられるのだと言うことを私達はここアメリカで学びましたが、こんな一つ一つの実績の積み重ねが本当の民主主義を産み、育てる事になるのかも知れません。

(*注)「八紘一宇(はっこういちう)」 :太平洋戦争期における我が国の海外進出を正当化する為に用いた標語で、世界を一つの家にするの意。【岩波書店、広辞苑】

河合 将介 ( skawai@wakao.com )

さくらの独り言その5

”べきだ君”と”かもねちゃん”

この世には何かを創り出すものと破壊するものがある。寛容な気持ちや親切な態度は、人の心に実を結び、嫉妬、ねたみ、そして分裂分派等は破壊を生む出す事が多い。

私たちの生活の中で、何かを創り出すことができるということ、それは本当に素晴らしい。

私は”べきだ君”追放をよく試みる。「絶対***すべきだ!」「***すべきよ!」「***べきだ!!!」と、”べきだ君”がどこそこにしゃしゃり出て、その大活躍を期待している人や日々がある。でもこの”べきだ君”登場によって、実を結ぶチャンスを逃す場合が多いからご用心! ”べきだ君”の御自慢は『傲慢と無知、不自由と束縛、浪費と無関心』これはどれも実を結ばない。私たちは人間であって、神ではない。そこが落とし穴。

だから私は”かもね”ちゃんの登場に旗をふりふり歓迎するよう務めている。”かもね”ちゃんには『優柔不断で頼りない無責任』なイメージを持っている人も多い。でも本当の”かもねちゃん”登場に、『忍耐や知らないふりをするやさしさ、そして何よりも他の人を尊重し自分が絶対者でないということを認める勇気』が必要だということは、案外知られていない。そして”かもねちゃん”の登場は、様々な実を結ぶ場合が多いということも。
家庭や会社で、自分や向かい合う人々との生活の中で、私は”べきだ君”と”かもねちゃん”と遭遇する。ある時は自分から、ある時は他人から、この二人が登場する。その時々に、彼らのキャラクターを知らされる。私があまり”べきだ君”を好んでいないことは彼自身よく知っている。だから私の口癖リストにはあがってこない。でも、時々私を懐かしみ会いにきてくれる”べきだ君”の魅力、、、『統率力の様に見える独裁力、決断力の様に見える独断、そしてリーダーシップの様に見える思い込み』に騙され、誘惑に負けてしまうこともある。そしていつも後悔することが多い。なぜなら、実を結ぶ事が少ないから。一方”かもねちゃん”には、いつ何時でも訪問大歓迎といってある。しかし私が疲れていると知ると、遠慮して足が遠のくらしい。

何かを創り出すものと破壊するもの、それは私たちの生活の中に、人生の中に、色々と沢山あるけれど、”べきだ君”と”かもねちゃん”も、案外、そのどちらかなのかもね。さくら

一口コラム:「日本語って何だろう?(その13)」

『ニホン、ニッポン』

こちらのアメリカ人に 「あなたのお国の正式な呼び方は日本語では何ですか?」 と質問されて私は戸惑った。 私達日本人は 自分の国の呼び方を 「ニホン」、「ニッポン」 の二通りを使っている。日本以外で 自分の国の名前を 二通りに呼んでいるところはあるのだろうか。(尤も、漢字で書けば 「日本」であり、それをどう読むかだけの話ではあるけれど)

日本人は 自分の国を 自国語で「ニホン」、「ニッポン」 と二通りで呼んで 平気でいられる民族なのですね。右か、左か 何事もきっちり決めなくては気の済まない どこかの国の人にはこの気持ちわからないでしょうね。

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

日曜日の午後の便で日本に行きますので、早目に雑貨屋を発行することにしました。また来週をお楽しみに。

ワインのコルクをたくさんもらったのですが、どなたか要りませんか?ほしい方は雑貨屋にメールでお知らせ下さい。ほしいだけ差し上げます。http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.127

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net