Zakkaya Weekly No.122

Ryo Onishi 9/13/98 Index Homepage

雑貨屋のひとり言

朝夕涼しくなりました。先日の蒸し暑い夜にクーラーをつけようとしたのですが、なかなか冷えないので、あきらめてうちわで扇ぎながら寝ました。よく考えるとこれまで家のクーラーを使ったことがありません。いったいなんでクーラーなんかついているのかなーと考えています。もしかしたらクーラーの表示だけだったりして…。

日本から娘の友達が、家に泊りに来たのでいっしょになべ物をしてにぎやかに楽しく食事をしました。やはり食事は一人よりみんなでいただく方がいいですね。 (R.O.)

敬老の日

9月の第一月曜日は アメリカでは“Labor Day”で祝日でした。この日は労働者の祭典であり勤労感謝の日であると同時に、「夏の終わりを告げる日」 でもあります。

日本では 9月15日は 「敬老の日」 です。参考資料によると「敬老の日」 が制定され、「国民の祝日」 となったのは 32年前の1966年で、それまで「年寄りの日」とか「老人の日」と言っていたのを「敬老の日」とし祝日にしたのでそうです。日本にはこのほか 「子供の日」という祝日もありますが、私のような天邪鬼(あまのじゃく)に言わせると、これは日本がいかに「老人」、「子供」を普段粗末に考えているかの証ではないかと考えています。

犯罪が多いから「防犯の日」を作り、火事が多発するので「防火週間」 を設けるようなものです。聖徳太子の有名な 17条の憲法にある「和を以って貴しと為す」 とは、当時余程、和が乱れていたのだろうと私は思っています。

「老人」を敬い、「子供」を大切に育成する事は、至極当たり前の事であり、ことさら特定の日を祝日にまでして、国民の意識を喚起しなければならない様では淋しい限りです。

尤も日本は世界有数の 「身障者」 に理解の無い国と言われ、今年日本(長野)でパラリンピック冬季大会までやっているのに、いまだ「身障者の日」という休日がありません。だから休日になっている「老人」、「子供」の方がまだマシなのかもしれません。

アメリカの祝日 (連邦、州) を見ると 「新年の日」と「独立記念日」以外は殆んどが宗教 (クリスマス・デーなど)、国家の偉人 (コロンバス・デー、プレジデント・デーなど)、国民の国家貢献(メモリアル・デー、ベテランズ・デー)に関するもので、そのコンセプトがかなり明確です。もちろんアメリカにも「父の日」、「母の日」その他がありますが、これらは別に「国民の祝日」 ではありません。

少々ひねくれた見方かも知れませんが、戦後、日本で特に「老人」、「子供」を軽く考えがちな風潮が生まれたのは その間の日本の経済優先主義と多いに関係があると私は思っています。経済優先の世界では収入の多寡がすべてなのです。老人・子供は おかねを稼がない、世話がやける、だから一人前ではないのです。過去にどれ程世の中に貢献しようが それはただの「過去の宝」 でしかなく、未来を背負う子供も まだ未実現の 「未来の宝」であるに過ぎないのです。でも 子供の場合は、そうは言っても 「未来」 があるから良いのですが、「過去」 扱いの「老人」 はたまりません。

高齢ゆえの差別はあってはならないと思います。「おじいちゃん、あなたが新聞読んでもしょうがないでしょ」 と娘から言われて家出し、自殺寸前で保護された例もあるそうです。

手許の新聞記事 (Sep.14,'97 読売新聞)によると「敬老の日」が制定され、祝日になった 1966年 (32年前)当時、日本の65歳以上の「老人」 は国民16人に1人だったのが現在では6人に1人なのだそうです。またごく最近の新聞記事によると 1997年の日本人の平均寿命は今回も世界一で女性83.82歳、男性77.19歳になったとの事です。

人間は死なない限り必ず「老人」 になります。だから「老齢化」 の問題は皆んなの問題だと思います。そこで私は「敬老の日」にちなみ、これらの事実をふまえて以下の提言をしたいと思います。

(1)、「老人」 の定義を見直そう。

現在、日本では 一般的には65歳以上を老人と定義付けているそうですが、「老人」 とは個人個人の問題であり、年齢で一線を引くべきでないと思います。65歳以上でも身心共に健全な人は成人として扱い、「年寄り扱い」 はすべきでないと思います。

(2)、年齢に関係なく身心が老化したら安心して「老人」 になってもらおう。

(3)、収入のあるなしで個人の価値を測るな。

(2)も(3)もその大前提として国家レベルでの福祉の充実と、所謂「老人」の意識の改革などがありますが、現在のように経済と物の豊かさがすべてのモノサシである世の中は間違っていると思います。収入が無くとも社会の役に立つ仕事をすれば 立派に評価されるべきではないでしょうか。

(4)、高齢者にもインターネットの普及を。
歳をとり社会の第一線から引退すると、どうしても社会から疎外されるのは避けられません。人間は何歳になっても孤独ほど辛いものはないと言います。孤独の解消方法にもいろいろあると思いますが、最近はやりのインターネットをもっと老人の孤独解消に役立てたらいかがでしょうか。 インターネットだの E-Mail だのと言うのは若者の専売特許のように思われていますが、老人も多いに活用して、気楽に友人・知人・恋人を作って情報・意見の交換をしたり、また仮想現実にひたる事によってかなり孤独から開放されると思います。

いずれにしても「敬老の日」、「子供の日」なんて祝日がカレンダーから消え、 「過去の宝」、「未来の宝」 が「今の宝」と同様に 特別でなく、普通に大切に扱われるようになるのが 21世紀だろうと期待を込めて私は予測したいと思っています。

河合 将介(skawai@wakao.com)

一口コラム:日本語って何だろう?(その8)

『 部屋を食べろ 』

古来、良い(正しいとは限らないが)日本語の条件の一つに 「明確な表現はなるべく避け、余韻と裏の意味を含ませる。自分のことは卑下し、表現は出来るだけ簡潔に、省略が多いほど良い」 という思想があったようです。

先日 読んだ本にこんなエピソードが載っていました。

かなり以前の話だが、日本を代表する 大学の総長が 外国から大勢の賓客を招いた会議で閉会の挨拶をした時のこと、「皆さん、何もありませんが 隣の部屋で食事の用意が整っていますので そちらへどうぞ」

と 言う意味で、“ Ladies and gentlemen, there is nothing to eat, but please eat the next room” と言ってのけたそうです。 Next room を食べろと言われた外人さんたち、さぞびっくりしたでしょうね。

――― 羅府の庄助さん ―――

編集後記

最近、読者の方に会うと、投稿したいけどどうしたらいいかと聞かれます。私のEメールアドレスにメールで送っていただきたいと思います。最後の行にアドレスを表示していますので、よろしくお願いします。

それからもしこのニュースレターが面白くてためになると思われた方は、どなたかに紹介してあげてください。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧になれます。http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.122

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net