Zakkaya Weekly No.116

Ryo Onishi 8/2/98 Index Homepage

雑貨屋のひとり言

◆サウスベイで活躍されている高島さんが会社を退社(彼は卒業すると言っておられますが)し、新しい人生をスタートされました。

自分のやりたいことをやって生きると言うことが一番大切なことだと常に思っているのですが、さて一体自分は何をしたいのか、どう生きて行きたいのか、となるとまだはっきり見えていません。私もまじめに自分の人生について考えたいと思います。 (R.O.)

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(32)

Mt. Rubidoux Memorial Park

リバーサイド・カウンティにあるMt. Rubidoux は 多くの屋外“Easter sunrise service”の中でも とりわけ重要な聖地です。入り口のゲートをくぐり抜け、車一台分ほどの幅の狭い舗装道路を徒歩で行くと 道端にはサボテンの林がしばらく続き、そこを抜けると今度は 大小様々な岩石が折り重なり、または散らばったMt. Rubidouxが全容をあらわします。また眼下には広々とした雄大なリバーサイドの景色が堪能できます。

山の頂上には 大きな白亜の十字架が毅然と立っており、ここが信仰の山であることを実感します。

Mt. Rubidoux の帰りにはMarket Streetからフリーウエイ(#60)に入る直前にある“Fairmount Park”の中にある“Lake Evans”にも寄ってみるのも良いかと思います。

(注):ゲートから山頂まで舗装されている道路ですが、山登りですのでスニーカーを履くなど足回りだけはしっかり準備して下さい。

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)

FWY#91 (東へ)− FWY# 710(北へ)− FWY# 60(東へ)。 FWY# 605, FWY# 57、FWY# 15 を通り過ぎ、さらに東へ向かう。

FWY# 91 と交わる直前の Market Street で降りる。

FWY を降りたらMarket Streetを左折(南へ)。

Market Streetを約2.5マイル進み、University Ave.を右折(西へ)。

University Ave.を右折してすぐ(0.1マイル)Brockton Ave.を左折(南へ)。

Brockton Ave.を左折して、すぐ最初の 9Th. Streetを右折(西へ)。

9Th. Streetを直進、道路が突き当たりのような感じで曲がったところに鉄製の大きなゲートがあり、Mt. Rubidoux Memorial Park と書いてある。その付近の適当なところに駐車し、そのゲートをくぐり抜け中に入り、道路に沿って山道を徒歩で登る。

(ゲートから中の道路も自動車道路ですが、当面 道路修理中の為、車両の通行は禁止 です。車両通行禁止がかえってのんびり景色を楽しみながら歩くのには都合が良いようです)

のんびり徒歩で約45分で頂上に着く。

全行程 ;(Torrance方面からの場合)約67マイル、ドライブ約1時間半、徒歩約 45分(下り約35分) 河合将介 skawai@wakao.Com

読者からのお便り

読者の江草さんから環境問題を考えようということで次のような原稿をいただきました。

◆モアイの嘆き◆

かつては太平洋の楽園イースター島。イースター島は南米チリの西約4000km、南太平洋上に浮かぶ周囲60km、あまり大きくない火山性の島である。日本ではモワイ像がある島として有名で、現在はこの石像以外、草木もほとんど無い島で人もあまり住んでいない。

以前に日本の企業がボランティアでこのモアイ像を起したことを覚えられている人もおられるであろう。

この島がかつては、豊かな自然に恵まれた南国の楽園であったことを知る人は少ないのではないだろうか。

かつてイースター島に住んでいたのは、ハワイやトンガに住むと同じポリネシア人であった。彼らは紀元前1000年頃ニューギニアを出発し、トンガを経て紀元前400年頃ハワイやイースター島に移り住んだと考えられている。

考古学的見地から島の歴史を見ると、島の土壌のもっとも深い層からはかなり大きなヤシなどの樹木の種子が見つかる。これは紀元前1000年頃の地層であり、このころ島は豊かな自然に覆われている南海の孤島であったことが予想される。その次の層からは、イルカや鳥類の骨、人の骨が見つかっておりこれが大体紀元前400年頃である。このころ島に移り住んだ人間は船でイルカ漁をしたり鳥を捕まえて食べていたようである。しかしイースター島はハワイなどと違って珊瑚礁が無いため、海は荒く漁業には向いていなかったと思われる。そのため漁業よりも農業を主として、タロイモなどを主食にしていたと考えられている、これは西暦1000年ぐらいまで続くが、西暦1400年ぐらいになると地層からヤシの種子や植物が少なくなり、西暦1500年頃では人の骨が急に多くなる。このころ島では森林および陸上の生態系が殆ど無くなったことがわかる。そのため人々は飢えやお互いの争いでたくさん死亡したのではないかと思われる。

イースター島が我々の文化に現れたのは、1722年オランダ船によって発見されその後、イギリスのジェームス・クックによってヨーロッパに伝えられたのが始まりで、イースター島の島名の由来は、オランダ船によって発見された日がたまたまイースターの日曜日であったためといわれている。1870年からはフランスが島を支配している。

イースター島の自然はなぜ消えてしまったか。

イースター島の有名なモアイ像は元々眠りの場所を意味する言葉であり、一種のお墓である。この像は8〜9世紀ごろ作られ始め最初は小さいものであった。

しかし時代を経るに従い巨大化し、大きなものは一つで数十トンに及んだ。

それは多分大きな石像ほど各氏族の権勢の大きさを象徴すると考えられていたからであろう。

しかしやがて森林資源が枯渇してきて内乱が続くようになると、それらのモアイ像は島民自身の手でそのほとんどが倒され、破壊されてしまった。

ここで少し島の歴史の捕らえ方を切替えてみたい。

人間がイースター島に入る前のイースター島の自然が持つ食料供給能力は2万人ぐらいといわれている。

ここに人間が入って生活していくとして、食料供給能力の推移と人口の関係を歴史的にシュミレーションしてみると、人口が増加するに従いある時点で食料供給能力は急激に減少していく。さらに食料供給能力が減少するとついには人口が減少を始め最後にはどちらもゼロになってしまうという結果が出ている。

イースター島に人々が移り住んだ初めのころ、島の木々を利用して船を作り他の島との交流も行われたと考えられる。元々トンガから船で移ってきているし、イルカなどの漁にも出ており、交流に必要な造船技術や航海技術も十分に有ったと考えられるからである。

しかし島の自然が畑づくリなどで壊され始めると、船を作るための木材が無くなり人々は他島との交流をしなくなった。

人々の意識は島の中だけに向けられるようになり、島内では権力争いが激しくなり、その結果モアイの巨大化競争が生まれてしまった。さらに人々は巨石を運ぶためのわずか残った自然を徹底的に破壊してしまったのである。

その結果どうなったかというと、森林は消えそのため鳥も住まなくなり畑も荒れていく中で、食料が無くなり人口も急激に減少し始めた。

その後、ヨーロッパ人がイースター島を訪れたときには現在に近い姿になっていたのではないだろうか。

一時期ではあるが、一万人に近い人口が有った島が殆ど人の住まない島にこうして変化してしまったのである。

イースター島の悲劇は繰り返される。現在地球全体を見渡したときイースター島がたどってきた歴史はそのまま繰り返されているように思えてならない。人類の未来永劫なる発展は、約束されているかのようなエゴの発揮ぶるはどうしたものだろう。

森林の伐採や大気汚染、大地の砂漠化など自然環境は破壊されつづけそれに呼応するかのように人類の人口は拡大の一途である。

地球の食料供給能力はそろそろ限界になりつつあるとの意見も出てきている。

地球上に住む動植物の絶滅や、地球資源の無秩序は発掘、過去何十億年も費やして貯えられてきた資産を、こうもやすやすと人類は食いつぶしてもいいものだろうか。

人類の科学技術がいくら発展してきたとはいえ、自然循環の全てを人類が再現できるまでにはまだ相当の年月がかかるだろう。人類が生きていく上で絶対不可欠な空気や水、これさえも人類は汚染してしまっている。しかしこうした空気や水の浄化は、現在自然の循環サイクルに頼らざるを得ないのではないか。

このまま行けば確実に人類は滅びるのではないだろうか。地球をイースター島にたとえるならば、現在のままではその将来は見えている。

広い価値感を持とう。

話は変わるが、最近インドやパキスタンで核実験が複数回に渡って繰り返された。世界中の国々が経済制裁等で抑制を呼びかける中である。

こうした中でもっとも驚かされたのが、インド国民やパキスタン国民に核実験賛成、核保有推進を唱える人が多くいることである。

日本の大学で各国の学生を集めて「核保有」について討議した時、ほとんどの国の学生は“反対”であったが、一人中国の学生は“賛成”であり、なぜ皆が反対するのか不思議がったということがあった。

これはその人が育った国の、教育の違いをまざまざと見せ付けられる結果となった。

現在人類の将来はこのまま行くと危ういのは間違いないであろう。これを脱却するための一つの方法として、なぜ危ういかキチンと全人類が認識する必要がある。インドやパキスタンのように国同志のエゴで目先のことにとらわれていると、核兵器賛成、環境破壊への無関心という意識が広まり、人類の将来をますます決定的なものにしてしまい、気がついた時にはもう手のほどこしようがない状態へと落ち込んでしまうだろう。

今からなら十分間に合うはずである。

一人一人がキチンと認識できれば人類の将来は、夢と希望にあふれたものになるかもしれない。

◆◆

雑貨屋読者の皆様、暑中お見舞い申し上げます。

毎日暑いですね。いよいよ夏本番という感じです。

店長(あっ店主か)はファーマーズマーケットを楽しんでいらっしゃるようですが、私も実は大好きで、トーランスはWilson Parkの朝市に出かけるのを毎週楽しみにしています。行くと必ず立ち寄るお店があります。

一軒は、TANAKA Farmです。ここはオーガニックの野菜と果物を扱っており、特にいちごが美味しい!もうシーズンは終わりに近づいてきましたが、春先の小さな実も今ころの完熟の実も、中まで真っ赤で甘くて本当に美味しいです。オーガニックにこだわり、いつもWhole Foods Marketで買っている友人も、こちらの方がずっと美味しいといっていました。レタスはとても柔らかく、ずっしりとしたキャベツも一玉1ドルで、オーガニックにしては安い価格です。ただし、収穫シーズンが短いので店に出たら迷わず買わないと翌週はもう遅いと言われてしまいます。

もう一軒はRiversideに畑を持つNew Hopeです。いつも店員さんは日本人で、とても優しそうなので、ずうずうしくにんじんの葉っぱだけもらったり、ちょっと傷んだきゅうりを負けさせたりしています。この店もオーガニックの認定を受けています。

私は菜食主義なので、野菜さえあればご馳走!ファーマーズマーケットは本当に有り難い存在です。

最近ぬかづけを始め、毎日、野菜を漬けて楽しんでいます。きゅうり、かぶ、なす、セロリ、だいこん、にんじんの他、何かおすすめ野菜があったら教えて下さい。では。 松村 都

大暴落は近いのか!? 三本松 誠

昨日の宮沢蔵相の「相場の事は相場にまかせとけばいいんですよ」という一言が投機筋の円売りを誘い更に一段の「円安、株安、債券安」の動きに火を付けた格好になってしまった。経験豊富な宮沢喜一氏ともあろう方が自分の不用意な発言で相場が動くという事を知らぬ訳でもあるまいに何ともはや就任早々人騒がせな御老人である。ウオールストリートの方は日本が未だに効果的な経済再建策を実行に移せない事を嫌気したのと米国の経済指標に陰りが見え始めた事を嫌ってアナリストは揃って悲観的な予想で「売り」指示である。利食い出来る株はここで利食っておくのと多少値下がりしている株は将来の大損を避けるために損を覚悟での投げ売りである。

ほんの数週間前迄は救世主のようにもてはやされていたインターネット関連株のYahooやAmazon.comも今や振り返る者とてない凋落振りである。また、シリコンバレーのハイテク、コンピューター関連株もアジア不況のあおりを受けたのと国内景気の停滞傾向の影響で軒並み値を下げている。Intel やHewlett-Packardのようについ先日迄はハイテク優良株の代表のようにもてはやされてきた株までが業績不振から見る影もない落ち込みようである。

それでもダウ平均がそれ程下がらないのはダウ平均算出の元となる優良株がそれ程下がっていないためである。ダウ平均というものが単に市況を表す一つの目安でしかない事を肝に銘ずる必要があり、あまりダウ平均そのものに惑わされないようにしなければならない。

では、大暴落は有りうるのかというと、一つに宮沢喜一蔵相の施策にかかっていると申し上げておきたい。宮沢蔵相の迅速で適切な不良債権処理と景気刺激策が功を奏するかどうかに世界経済の明日がかかっているのである。今こそ政、官、民、一体となった経済再生計画の迅速なる実行を世界が注視しているという事を肝に銘じてもらいたいものである。

一口コラム:「日本語って何だろう?(その2)」

★親友の Bさんとの会話。

◆Bさん 「今度 すぐそこにオープンしたお寿司屋さんへ行かないか?」

◇私 「いいねえ。あそこの お寿司屋さん 美味しいよ」 −−−(陰の声):「お寿司屋さん」 を店ごと食べちゃうの? 美味しいのは「お寿司屋さん」 ではなくって、「お寿司屋さんの板前がにぎったお寿司」 が美味しいのではないのかい。

◆ Bさん 「ホント? で、特に 君は何が好きなの?」

◇私 「僕は 蛸だ!」 −−−−−−−−−−(陰の声):そう言えば、君はホント、蛸みたいな顔をしてるよ。

◆Bさん 「じゃあ、ボツボツ出掛けようか」 −−−(陰の声):「ボツボツ」 って どうすれば「ボツボツ」になるの?

◇私 「まだ 早いよ。 僕は昨日、この時間に行っていたけど 客は誰もいなかったよ」−−−(陰の声):そんなことないだろう。少なくともお前がいたではないか。 ――― 羅府の庄助さん ―――

こんなユーモア・ジョーク 知ってる?

先日、日本からお客様がいらした時、彼の昔の失敗談を聞き皆で大笑いしました。 まだアメリカに来るのに渡航ビサが必要だった時の話しですが、彼はビザが必要だということを知らなくて、会社の人や家族に見送られ空港で、パスポートを見せたところビザはお持ちですかと聞かれたそうです。すると彼は「ビザは持っていませんが、マスターカードとJCBなら持っています。」 と答えたそうです。日航の職員の方が慌ててベルトコンベヤーに乗せた彼の荷物を降ろしたそうで、 その後、彼はビザがとれるまで出国できず大変恥かしい思いをしたとのことです。 こんな失敗もあったんですねー。 谷本

編集後記

今週の雑貨屋は読者の皆さんからのお便りを紹介させていただき、ずいぶんにぎやかになりました。ありがとうございます。雑貨屋のバックナンバーは下記のURLでご覧になってください。http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.116

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net